注文の多い雇用主(後編)
「ミミィ!」
「チサ! 入ってはだめだ!」
思わず白いミミィを追って『やまねこくん』の中に入ってしまう。
奥には開いたドアがあり、ちらりと白いしっぽが見えた。
しっぽを追って中に入ると、四方にドアだらけの部屋だった。
真ん中には、大量の看板が散乱している。
コアが慌てて放り出した後のようにも見える。
【二十四時間戦えますか?】【商会に忠誠を誓えますか?】【残業にサービスなんて形容詞ありえません】【客と上司は神ですね?】【家族を捨ててでも仕事をすると言ってください】【数字は命、成果が全て】【結果が見せなければ、努力は[ふり]と見なします】【ワークライフバランスなど死ね。はい、繰り返して】
『やまねこくん』のコアが使っている面接用の看板のようだ。
しかし、内容がえげつないな。
後ろからレティが駆けてくる。
「チサ! 勝手に飛び込むな。ただの人間が入るなんて自殺行為だ」
「でも、私のケット・シーが!」
「職場で飼っているあれか。とにかく落ち着け」
「なんで知っているんですか!?」
「チサのとろい動きでは生き物を隠せない。
ただ、所長がチサの気晴らしになるならと黙認をしている」
そうだったのか所長!
でも、気晴らしって、おい。
それだったら完全に異動させてくださいよ!
レティは銀色の目を光らせて、私を見上げる。
「職場の連中は分かっている。チサの我慢で色々なものが成り立っているとな」
「だったら……!」
「それよりも皆、勇者のために動いている。
奴の心の複雑骨折はそう簡単に治せないからな。
皆チサに甘えているんだ」
「心の骨折って……何を言っているんですか?」
レティは、周りの気配を探りながら、ぽつりと言った。
「皆、罪滅ぼしのつもりなんだ」
何の、と確認する前に、猫にしてはずいぶんと野太い鳴き声が聞こえた。
「あそこのドアだ」
黄色いドア。
開けようと猫の前足ノブを回すが、鍵が掛かっているようだ。
「貸せ」
レティがドアノブを握ると、そのままミシミシとドアを手前に引きちぎった。
さすがは超絶美幼女……。
その部屋の隅では、ミミィが毛を逆立てて何か大きなものに威嚇していた。
「みゃー!」
「ふしゃー!」
ミミィに追い込まれた何かは、立てかけた看板に隠れて必死に反抗している。
その大きな図体では隠しきれない。
しっぽがお腹に丸まっていることに。
完全にミミィに負けている。
「チサ、いた。あれは行方不明になった五人だ」
その反対側、なぜか大きな天蓋付きのベッドが置かれている。
上には行方不明だった青年が五人。
なぜか半裸で倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
ゆすり起こすと、全員がへらへらと笑いながら目を泳がせていた。
「完全にラリっているな」
レティが青年たちあごに手を当て、瞳孔を確認している。
次第に目を覚ましていく青年たち。
「あ、女神さまだ……」
「銀色の幼女な女神さまが、俺たちをお触りしてくれている……」
「お供のタヌキも可愛いな」
タヌキってなんじゃー!
私の憤りをよそに、レティは彼らを診断した。
どうやら大丈夫のようだ。
一方で、タイマンを張り、勝利したミミィ。
負けを宣言した、大きな何かの上に立ち。
勝利のひと鳴きをしている。
可愛い。
「ふむ。モンスターハウスのコアは、化けオオヤマネコだったようだな」
そこには、大型犬よりも大きい、大きなネコがいた。
大きな太い手足。
あごの毛の長い、もっふもふな体。
胸のときめきが、止まらない。
「チサ! 大丈夫か!」
上からフリッツの声がする。
するとあっという間に家に亀裂が入る。
壁が、全壊した。
「にゃ~!」
自分の家を壊されて、悲鳴を上げる化けオオヤマネコ。
なんて奴だ!
ヤマネコのおうちを壊すなんて!
私の見当違いな怒りは、残念ながら奴には通じなかった。
髪を乱して駆け寄ってくるフリッツが、私を抱きしめようとする。
するとレティがかばってくれた。
「え、だめかな?」
「お前がチサに本気で抱き着いたら両腕が折れる。やめておけ」
レティの本気が分かったのだろう。
フリッツはすぐに諦めてくれた。
「あらあらリンクス、やられちゃったわね」
フリッツの開けた穴から、おっとりとした声がする。
青いドレスの店主ルーが、裾を揺らして現れた。
リンクスと呼ばれた化けオオヤマネコは、立ち上がって彼女の足元に駆け寄る。
必死に頭を、青いドレスの足元に擦りつける。
「にゃー!」
「ふふふ。あなたが怖がるなんて、面白い猫ちゃんもいたものね」
ミミィはルーを見ると、すぐに私の元に走る。
そのまま、私のパーカーの胸元に飛び込んだ。
「みゃ!」
来るなら来い! といっているように聞こえる。
しかし私には、ケット・シーがただそこに居て、温いという方が嬉しい。
フリッツはルーに向き合う。
「しかし、こんなところで会うとはね」
「ふふふ。お久しぶりね。貴方が借りたものを返し始めたと聞いたわ」
「もう魔国にも噂が聞こえているのか」
「だって貴方がものを返せる人間になるだなんて、誰も思っていなかったもの」
どんなにひどかったんだ借りパク勇者。
「私の心も借りておきながら、放っておいてくれた恨みは忘れないけどね」
この人も被害者か。
彼女の恨み言に、しかしフリッツはいつもの飄々とした表情ではなかった。
私を見ながら困った顔になり、ルーを見返す。
「レム。いや、今はルーでいいのかな?」
「レムでいいわ。あくまでこの姿も仕事用の偽装ですし」
レティがこそっと教えてくれる。
「チサ。レムとは魔王軍の四天王の一人だ。
夢魔のレム。姿を変えて人を惑わすプロだ」
四天王にもやらかしたのか!
私の愕然とした表情に、ますます困った顔をしたフリッツは言った。
「レム。君に言わなければならないことがある」
「……何かしら」
「『ごめん』」
フリッツはその一言に、強く何かを込めたようだった。
青い美女は、その一瞬。
はっと少女のような素に返り。
すぐに、はんなりとした笑みに戻る。
「そう」
「ごめん。本当に俺が」
「もう言わないで。私がみじめになるから」
レムは少しかがんで、リンクスと呼ばれた化けオオヤマネコをなでる。
幸せそうなリンクス。
「こんな予感がしていたのよね。貴方がたくさんのものを返し始めたと、聞いた時から」
フリッツは何も言わない。
それを見守る、レティも何も言わなかった。
むしろフリッツに対して、何か微笑ましいものを見るような表情を浮かべている。
「ここに出店しに来てよかった。
これで改めて心機一転で始められるわ、
世界征服を」
んん?
今何と?
せかいせいふく?
なんの制服?
もう一回アンコールしようと、口を開いた時。
天蓋付きベットからリビングデッドのような、ふらふらの青年たちが這い寄ってきた。
「ルーさまあ」
「るーさまあ」
「るぅさまあああああ」
「私たちに早く仕事をぉぉ」
「なんなりとお申し付けくださいぃぃぃ」
「数字大好きぃ。売上大好きぃ」
ドン引きした。
「まあ、いい感じに仕上がりましたね。
これで素晴らしい戦士になってくれるでしょう」
レムは満足げに青年を見下ろす。
若干引いているフリッツが、彼女に聞く。
「なあレム。これはなんだい?」
「リンクスの最終試験に合格した者を、夢魔の力で仕上げたの」
はんなりと、微笑むレム。
仕上げとして、魅了したのか。
完全なる戦士
上には絶対服従の戦士
二十四時間戦える戦士
ちょっぴりMな戦士
レティがレムに訊ねる。
「こんなことをしてどうするんだ」
「あら、戦争中に私たちを裏切って人についた吸血鬼さん。
簡単ですよ。お金で世界を征服するだけです」
「なぜだ」
レティの再度の問いに、レムが微笑む。
「私にとって、戦争は終わっておりませんから」
魔国が最後に勝たなければ、納得できません。
戦争が終わってまだ数年。
痛み分けという形で、人間族と魔族の争いは終わった。
だが、戦争の傷はそこかしこに残り、燻る火種が完全に消えたわけではない。
「武力で争う時代は終わりました。これからは平和という名の、生存競争です」
レムは、青年たちを眠らせ、外見の偽装を解く。
途端に豊かな黒髪が足元まで波打ち、金色の目の神秘的な姿になる。
ドレスもいつの間にか、真っ黒に変化していた。
「この姿はいかにも夢魔なので、女性客の評判が悪いのです。
だから、通常は世界的に好感度の高い、大臣の姿を真似してます」
レムは黒髪を払い、勇者に改めて向き合った。
「私は戦士を集めます。
そして世界のあらゆる国で戦える力をつけ、魔族の勢力圏を作り上げるのです」
そして青年たちに立ち上がるように命じた。
彼らは外にさえ出れば我に返り、普通に生活できるらしい。
「今日のところは帰ってくださいな。この家も直さねばなりませんし」
レムがリンクスを抱いて後ろを向くと、レティが私の袖を引く。
帰ろう、ということだ。
胸元のミミィが、リンクスと視線を交わしている。
もう毛は逆立っていない。
互いに興味深そうな顔をしていた。
むしろ、もしかしたら。
この二匹は友達になるかもしれない。
そう予感した。
最後にフリッツは、去り際、彼女に「また」と言った。
彼女は「ええまた。改めて求人票を持ってくるわ」と答える。
彼らはこれで、もういいのだ。
新しい関係に、つける名前はないのだけれど。
たぶんもう、いいのだ。