リストラ求む(前編)
ある日別室に呼び出された私に、エヴァ女史が言った。
「チサ・ドルテ。あなたリストラされたくない?」
「喜んで!」
今日はなんと喜ばしい日だ!
私はリストラ対象なのだ!
本来のリストラの意味を知っているだろうか。
【再構築】といって、人事異動のことだ。部署移動や支店移動、まれに関連の商会など、人が足りているところから、人が足りないところに移ることを指す。
どこかの国では、まるっきり罷免を意味するらしいが、本来はちゃんと社員待遇を保証される。
そしてなりよりも、こいつの隣から逃げられる!
かつて受けた借りパクの数々、屈辱の日々。
むかつく笑顔とも、これでおさらば出来るのだ。
「早く言ってくださいよ~。そして私の次の職場はどこですか?」
「王立第三倉庫ね。今人が足りないの」
「あの評判の悪い倉庫ですね! 了解しました! 今からもう準備してもいいでしょうか?」
私がうきうきと机の引っ越しのあれこれを考えていると、女史がいぶかし気な顔をした。
「なぜ喜んでいらっしゃるの? 私、嫌がらせをしているのよ?」
「嫌がらせなんてとんでもない! 副所長は私に平穏をくださったのです」
「……本当に、フリッツのことを好きではないの?」
「冗談じゃありません! 借りパク野郎なんてとんでもない!」
だから、早く、私をリストラしてください!
私の本気を少しは分かってくれたのか、「そう……」と女史はいつもの冷たい目線を和らげてくれた。
その様子がゴージャスな美女なのにとても可愛らしい。
奴の罪深さを実感した。
そもそも奴が自分を想ってくれる誰かをとっとと選んでいれば。
こんな面倒くさいことにはならないのだ。
私の最近の愛読書【勇者道中膝栗毛】でも女史のような女性がたくさん出てくる。
助られて勇者に惚れた村娘たちを優しく接して、放置。
タイマン勝負で負けて旦那になれと宣言した女戦士たちを、放置。
魔王軍の中でもやつの公明正大さに惚れる女性が続出し、笑顔で放置。
奴は、女の心を無遠慮に借りておきながら、返さない。
奪ったのではなく、「あくまで返す気がある」というのだから、性質が悪い。
借りパクするやつの姿を見ていて思うのだが、
ものを大切にしない人は、人も大切にしないのではないか?
もしかして、奴は私に少しは好意があるのではないと思わないこともない。
だが、奴の借りパクの姿勢を見ている限り、信用してはいけないと思う。
そして、奴が出張から帰らないうちに机を片付け、とっとと逃走することにしたのだ。
上司がすがるような目で私を見ていたが、無視だ。
所長が「まあすぐに戻ってくる」と言うが、無視だ。
家への帰宅途中に、花屋に寄った。
夕方の赤い日差しが入り込む店先では、デュラハンのカイネさんが、大きな百合の花束を抱えていた。
「みゃ」と鞄からミミィが元気に顔を出す。
「こんばんは」
「やあ、チサさんにミミィ、こんばんは。今日は早い帰りだね」
お客さんはいないようなので、少し立ち話をすることにした。
私の職場環境の話に触れると、カイネさんはなるほどねとうなずく。
「勇者、いや、ルードの借りパクか」
「知っているんですか?」
「我はかつて何度も刃を交えたが、殆ど話をしたことはなかった。だが、ルードに惚れて苦しんだ魔族の女性たちは多くいた」
本にある通りだ。カイネさんはそこに、更に指摘をする。
ミミィは大きな百合の花に前足を引っ掛けて遊んでいる。
可愛い。
「ルードは我のことが嫌いだ。だが、恐らく我を嫌う中には、自己嫌悪も入っている」
「自己嫌悪、ですか」
「ものごとに執着しない生き方は楽だろう。
だか、それはただ執着できる何かに出合えることができない、空虚な生き方ともいえる」
人も物も、大事しないのではなく、できない。
「我の場合は『自分がない』ことが、苦痛であった。しかし、今はこうしていられる」
がらんどうの兜の奥で、花々をみる。
彼の目は見えない。しかし鎧の手つきが、とても優しい。
「ルードが地味に生きることに拘るのは、それくらいしか執着するものがなかったからか。
我を怒るのは、案外自分に『執着がない』ことを、気にしているのかもな」
『執着がない』ことを気にしている。
その言葉はずっと、胸の奥に残り続けたのだ。
異動先の王立倉庫は、家から人材斡旋所を挟んで反対側にあった。
王立倉庫そのものは、様々な魔法道具が保管される、重要な場所だ。
ただ、第三倉庫の場合は事情が少し違う。
壊れてしまったが廃棄するにも場所がない(どの領も廃棄反対運動がうるさいのだ)魔法道具たちを、一時的に保管している。
だから、どの倉庫よりも巨大な空間が必要なため、異空間魔法によって維持されていた。
「まじかよ、よりによってルードが目をつけている女かよ」
倉庫の管理人は元々一人の魔法使いしかいなかった。
異空間魔法の使い手、サマランチ。
勇者の旅の仲間でもあった魔法使いでもある。
ぼさぼさの赤髪でくたびれた顔をした、長身痩躯の男性だ。
「よろしくお願いいたします」
「いや、確かに手伝いが欲しいって何度も嘆願書は出していたよ?」
私が頭を下げると、あいつが絡むとまた面倒ごとが起きそうだと愚痴るサマランチ。
しぶしぶと倉庫の入り口付近にある、新しい机のところに案内された。
右上の引き出しを開けると、私のカバンの中からミミィが飛び出し、引き出しに着地する。
「ああこら、まだ出てくるのは早いよ!」
「みゃ!」
「おい、なんだそれは」
「……すみません、この子はうちのケット・シーです」
「職場で飼う気か?」
「決して邪魔はしませんので! この子は引き出しでも住めるんです!」
はあ? と眉を顰めるサマランチの前で、ミミィに住処をつなげてとお願いする。
ミミィは「みゃあ!」と可愛くお返事をして、立っている場を黒く光らせた。
一瞬にして、下が草原になり、一回転して着地をする。
「な、異空間魔法……! それも上級の!?」
サマランチは引き出しをのぞき込むと、明るい草原に手を延ばした。
一握りの草を引き抜く。
手元の草を触り、臭いを嗅ぎ、軽く噛んだ。
「この草の半端ない魔力はなんだ。この世界の霊薬レベルじゃないぞ!?」
「ケット・シーの住処は珍しいんですか?」
「おいドルテ。そもそもこれはケット・シーじゃない」
サマランチは私に真剣な表情で言う。
「猫又だ」
ネコマタ?
私の疑問符に、サマランチはため息をつく。
「知らないのは仕方がない。東の世界でまれに現れる異界のモンスターだ。
向こうではさほど力は強くない生き物なんだが、こちらに来ると魔力との相性がいいのか強大な霊獣に変わる」
「でも普通の召喚で出てきていましたよ」
「何を使って召喚した」
「えーと、その。フリッツさんのメダルですけど」
「それは俺のだ! あのやろう、俺の召喚メダルをしっかりとパクりやがったな」
イライラとボサボサ頭を掻きむしる。
「あのメダルは古代遺跡から発掘された、霊獣召喚の魔法具なんだ。
あいつは変わり種モンスター召喚具と言っていたがな。
実際に、普通の人間はちんけなやつしか召喚できない。魔力の相性の問題なんだろう」
サマランチはうろん気に私を見る。
「……ドルテ。お前さ、公務員試験は何種を受けた?」
「Ⅲ種です」
「一般市民枠か。それで精密検査にこぼれたんだな」
「どういことですか?」
「この国の公務員試験制度を知っているか?」
「Ⅲ種からだと私の学歴でも受かる、というくらいは」
「Ⅰ種は王都関連の仕事、Ⅱ種は地方に関わる仕事になる。ただ、Ⅰ種とⅡ種の試験には大きな課題が入っている」
サマランチは重く言った。
「魔力だ。しかも相当のレベルのな。正直、これさえあれば多少頭が悪くても、体力がなくとも受かる」
「フリッツさんは、受かるのが大変だったって言っていますけど」
「そりゃあそうだ。あいつは魔力がからきしない。
だから他の審査で評価される必要があると、恐ろしく斜め上で常識外の努力をしたんだろうが」
そうだったのか。
傭兵の騒ぎの時、そこまで努力をするものかと思っていたけれど、意味はあったんだ。
「無難な合格ラインで受かったものだから、魔力の特殊性に気が付かなったんだな」
「私の魔力、特殊なんですか」
「特殊も特殊だ。この世界では魔力は基本的に放出系や操作系に応用されている。
一方で、召喚は魔法陣に頼っているせいで、陣のスターターの力くらいにしか使われていない」
俺の仮説だが、と続ける。
「召喚魔法は、魔法陣だけでなく術者の相性が大切だと言われていた。
しかし相性とは結局魔力の質だ。お前の魔力はよほど召喚魔法に適しているのかもしれないな」
一発で霊獣は呼び出せない。
赤毛の魔法使いは、草原の奥でぽてぽてと走り回るミミィを真剣な目で見つめる。
「ドルテ、あれはケット・シーだ。それでいい」
「はあ、ネコマタでなくていいんですか?」
「あれは滅諦に現れない霊獣だ。誰が欲しがるかは分からない。
正体が知られるよりはケット・シーと思われていた方が良いだろう」
ミミィを欲しがる?
それはだめ!
「はい! なんとしてでもこの子を守り抜きます!」
「うん、それでいい。それとだな、お前がこの『子』と言っている点だが……」
「サマランチ、チサを返してくれないかな」
倉庫のドアに、髪を乱したフリッツが立っていた。