「嫁が言うから」と主体性のない就活をする、デュラハンの話
今日の王立人材斡旋所。
大きな鎧が、受付の前の椅子にちょこんと座っている。
「この町で再就職先を探しています。人材登録をお願いいたします」
青黒の鎧。
目の奥はがらんどう。
どうやらデュラハンのようだった。
戦争が終結したからといっても、町で魔族はまだちらほらいるくらい。
しかも、いかにも魔族(この場合はモンスターっぽいというニュアンスも含むので申し訳ないが)な外見の人は珍しい。
受付窓口の癒系美少女ユーランは、履歴書を見て戸惑っている。
おや? 珍しい。
えっと、と戸惑い、隣の窓口を担当していた超絶美幼女レティに、必死にアイコンタクトを始めた。
美幼女は隣から履歴書を借りて読むと、ずっと変化のない表情で、月のように銀色の目を光らせた。
何も言わずに、カタリと立ち上がる。
そして。
私の隣で書類にへのへのもへじの落書きしていた、中途採用事務職員に回すことにしたようだ。
もちろん、奴が履歴書を手渡されている横で、落書きされていた『私の』書類を回収した。
罵声と共に。
回収した書類を見ると、へのへのもへじの横に、誤字脱字を直されている。
殺意が増す。
「ああ、確かにびっくりするかもね」
履歴書を見た奴が、窓口の向こうを見やる。
じっとしているデュラハン。
ほら、と履歴書を見せてくれた。
妙に行数の長い履歴書。
その最後の行。
「あの人、魔王軍の四天王をやってた人だもの」
デュラハンさんのお名前はエス・ギプト・カイネミアさん。
とりあえずカイネさんとお呼びしよう。
私は先日買った、【勇者道中膝栗毛】という本の内容を思い出していた。
前回ユーランやレティたちに、元勇者の過去の関係者に狙われる可能性を指摘されている。
だから、今後の身の安全のために「勇者本」を買うことにしたのだ。
【栄光の勇者の架け橋】とか、【大英雄】とか、【バトル・ザ・勇者】とか、【勇者×僧侶】とか。
巷には勇者本が氾濫しすぎていた。
なので一番冷静に、彼の十年の旅を記載している本を、所長に推薦してもらった。
それによると。
カイネさんは魔王軍四天王として、何度も勇者と刃を交えたらしい。
言葉数は少ないが、とにかく剣の達人であり、珍しく勇者は毎回苦戦を強いられたと書いてあった。
そんなカイネさんが転職したい言った間接的な理由。
それは勇者と同様、魔王常設軍の軍縮にあった。
あちらでは、主要防衛戦力以外の兵力は、災害緊急援助隊に回すことになったらしい。
魔国の各地を巡り、転勤を繰り返す仕事に、多くの者は納得していたのだが……。
カイネさんの本当の転職理由は別だった。
「嫁が『魔国の空は本当の空ではない』というので、嫁の地元に転職することにしました」
奥さんがこの町の出身らしい。
応接室にカイネさんとフリッツ。
所長と副所長は未だ騒ぎの後始末で動いている。
巨大な開拓団の設立は相当に大変らしい。
王都に呼ばれて、今日も帰ってこない。
私は借りパク野郎のいない間に、右下の引き出しを引いて天国を味わおうと思っていた。
なのに、我が所で指折りの強さを誇る受付嬢二人に、一緒に行けと頼まれてしまう。
「チサが行けば、揉めない」
レティが断言する。
そんなものだろうか。
机の右下に後ろ髪を引かれながらも、仕方なくお茶を用意することになった。
ポケット付きのワンピを、今日は着てこなかったことが悔やまれる。
ああ、ケット・シーもふりたい。
応接間に入ると、一般的な意見の参考にと、フリッツの隣に座らされた。
仕方ないので、メモ帳を用意して聞き役に徹することにする。
彼はいつもの黒ズボンをサスペンダーで吊し、伊達メガネを付けていた。
履歴書を片手に持ち、ペンで書類に書き込みを入れながら質問を始める。
質疑応答に答えている元四天王さんはなんというか……。
大人しい方だった。
体を小さく丸めてお茶を飲んで、質問に答えていく。
いったいお茶が、どこに消えていくのか分からない。
一方で、憧れの公務員になるべく、勇者業を黙ってこなしたとはっきり断言する男。
彼は、淡々と(本人にしたら最高に生き生きと)質問を続けていく。
淡々と、淡々と。
大人しく、お茶を飲み。
何番煎じかの薄すぎるお茶のような、淡々とした事務的な対話が続く。
私はこの二人が、かつて命を懸けて戦い合ったとは、全く想像ができなかった。
元勇者が履歴書を見ながら聞く。
「それで、どんなお仕事がされたいのですか」
「嫁が言うには、給料が高いところが良いそうです」
ふんふん、給料が高いところ、と。
「それで業種としては」
「嫁が言うには、今後は安全な仕事が良いそうです」
ふんふん、安全な仕事、と。
「具体的には」
「たしか、嫁が言うには、左官や鍛冶職人などが安定している、とか?」
ふうん、左官や鍛冶職人、ね。
「……デュラハンの指先では、少々その手の職人は厳しいですね。
第一、ある程度の収入と技術が追いつくまでに、十年単位の時間が掛かります」
「そうですか。じゃあ、警備職か、事務系で。嫁がそんなのも良いと言っていたんです」
はいはい、警備職か、事務系っと。
私がメモを続ける一方で、フリッツはだんだん眉を顰めてきた。
履歴書を低いテーブルの上に置く。
「で。ご自分としては何がやりたいんですか?」
「え?」
「え?」
メモから顔を上げて、珍しく不機嫌なフリッツと、戸惑うカイネさんを見比べる。
フリッツはテーブルをコツコツと指で叩く。
「貴方はどうも、奥さんの意見しかおっしゃられない。
ご自身の意見というものはないのですか?」
「あるとは思うのですが……少なくとも首はないです」
かぱりと兜をはずす。
確かに何もない。
フリッツはテーブルと叩いていた指で、カイネさんの履歴書の上の部分を指した。
「四天王」以前の、仕事を示した部分だ。
のぞき込むとまあ、前職の数が多い。
羊飼いから始まって、バーテン、騎士団長、探索者、清掃員、司祭、折り紙職人、漫画家、会計士、大食い王、ストリッパー……。
魔族、かつデュラハンだよね?
突っ込みどころの多い前職の数々に、何もコメントが出ない。
フリッツはため息をつき、素の言葉に戻した。
「確か俺と戦った時は、まだ独身だったよね」
「はい」
「あの時は君の剣筋を見て思ったんだけど、全くの【無】だった。
個性はなく、無個性すら、感じさせない」
「そうですか」
「達人として、全く人に悟らせない領域にたどり着いていたのだと思ってたけど……。あれだな」
指を過去の好敵手に突きつける。
「君、自分が全くないよね」
カイネさんは突然憤慨した。
元勇者の指摘は、結構気にしていたようで、いたく神経に触ったようだ。
「失礼な!
でも今、我は嫁を持っています。
我は[嫁持ち]なのです。
これは、[四天王]の称号よりも尊いと思うのです」
フリッツは付け加える。
「で、嫁の意見のままに生きると」
「これが[嫁持ち]の正しい生き方です」
胸をはるデュラハンに、はあとフリッツはため息をつく。
「ああ重症だね。
君さ、『嫁がああ言ったから、こう言ったから』と奥さんの言いなりのふりをしているだろう?
自分のなさを誤魔化す言い訳に使う人、多いんだよね。
それとも———失敗したら、奥さんに責任を押しつける言い訳の方かな?」
カイネさんは、最初はフリッツが何を言っているのか分からないようだった。
だが、フリッツの言葉の意味が、次第に鎧内に浸透してくると、小刻みに震え始める。
ガチャガチャと、青黒の鎧が音を立てる。
「失礼だ! 勇者、君は本当に失礼だ!」
「そのうち[子持ち]の称号の方が尊いとか言い出すよね。
子供が言うからやっているんです。
自分のせいではないんです……」
「あ、あのフリッツさん?」
「勇者! 君は最低だ! もういい! 我は帰る!」
激怒したカイネさんは立ち上がり、ガチャガチャと出て行ってしまった。
開けっ放しの扉。
私は怒らせたフリッツを振り返った。
「何であんな挑発するようなことを言うんですか!?」
「俺はああいう輩が嫌いだ。というのは、無論ある」
「あるんですか!」
「……だが。ちょっとマーから、あいつについて頼まれていてね」
まずは魔国に帰るよう、仕向けてほしいと。
「あいつはどうも、軍縮用の封印もせずに来てしまっているらしい」
「封印ですか?」
「これだよ」
フリッツが見せてくれたのは、普段は腕カバーで見えない肘近くだ。
薄い青の模様が輪になって入っている。
手に力を入れると、模様の周辺に薄く青い光が浮かぶ。
「体力や知力が五分の一くらいに落ちるように、国で施すんだ」
「それでいいんですか?」
「いいよ、別に」
本当に欲しいものが手に入ったんだ。
力なんて、いくら取られても構わないさ。
「……」
「だが、カイネは何かに急いていたようだな。
施術もせずに魔国を飛び出したとかで、全世界に指名手配をされている」
「やばいじゃないですか」
フリッツは履歴書の下に重ねていた、手配書をめくる。
そこには『魔王様が迷子を探しています』と書いてあり、先ほどのデュラハンの似顔(鎧)絵が入っていた。
「まあ。目的が単に再就職したいからというなら、王立人材斡旋所の管轄でもいいのかもしれないけどね」
「急いでいたってことは、奥さんのご実家で何かあったのでしょうか」
私の想定に、フリッツはうーんと唸る。
なんと言ったらいいかと逡巡し、口を開いた。
「あいつに奥さんはさ、そもそもいないんだよ」
———奥さんがいない?
唖然とする私に、元勇者が言う。
「正しくは恋人未満はいた、かな?」
その人は人間ではなく、シクラメンの花の精だったらしい。
この町から出荷された、鉢植えのシクラメンの花に宿った、精霊だったそうだ。
「マーが教えてくれた話だけどね」
戦いも佳境に入った頃、魔国でたまたま手に入ったシクラメンの鉢。
窓に置いておいたら、本当に花の精が宿った。
シクラメンの花の精はおしゃべりで、何かにつけて持ち主デュラハンの世話を焼いた。
毎日暮らしているうちに、気がつけば唯一無二の存在となり、永遠に一緒に居たいと思うようになる。
「でも自分がない男というのは、厄介でね。告白すらできないんだ」
自分がないから、いつまでたっても覚悟ができない。
どんなに頑張っても、『向こうから強く言われれば流される用意はある』がせいぜいだ。
ただどんなにおしゃべりな世話好きに見えても、本来の彼女はシクラメンの花の精。
花言葉は「内気」。
中身は、内気で自分の本当の気持ちを言えない、とかく受け身の女性だった。
二人には何も起こらないまま、日々は続いた。
「男の受け身も、場合によってはいいけれどね。好意をもった相手の本質くらいは考えておかないと」
フリッツは履歴書と手配書を眺める。
「そして彼女はどうしたんですか」
「戦争中に枯れてしまったらしいよ。
いくら枯れにくい花とはいえ、絶対と言うことはないからね。
告白もできないまま、終わってしまったというわけだ」
亡くしてしまった彼女と、もし結婚できていたら———。
悲嘆にくれるたびに。
過去の彼女の言動を思い出すたびに。
沸き起こる様々な想像が、彼の行動を作り始めていた。
嫁だったら、あんなことを言っていただろう。
嫁だったら、こんなことで怒っただろう。
嫁だったら、そんなことに構わなかっただろう。
そうだ。
嫁が懐かしんでいた故郷の空が見えるところに、転職しよう。
「本当に自分のない人間にとっては、「何よりも自分を想ってくれていた人の言葉」というものは、どんな人生の指針よりも、大切なものなのかもしれないね」
たまにフリッツは、私に考えさせる事を言う。
それは彼が今までの人生で、数多くの経験を積み重ねてきたからこそ、言えることなのだと思う。
ただ。
あのサスペンダーの一部。
この間なくなった、私のお弁当のランチベルトだよなあ。
あんなところにあったんだなあ。
奴の借りパクは、本当に、本当にいただけない。
さんざん借りパク野郎を怒鳴りつけて、奪い取ったヒヨコマークのランチベルト。
ゴムが見事に延びきっていた。
じゃあこれをゴムの代わりにと渡された、奴の机の触手鉢。
うねうねとする物体を、半泣きで奴に投げつけて、鞄にミミィを放り込み帰ることにした。
すると帰り道。
うっかり見つけてしまったのだ。
町外れの角の花屋で立っている、デュラハンを。
店頭には、色とりどりのシクラメンの鉢がある。
ああそういえば、ちょうどシクラメンの花が咲く季節だったのか。
彼はじっと、様々な色や形をしたシクラメンを眺めている。
そうか、だから季節が終わらないうちに、この街に来たくて急いていたのか。
静かに立っている彼に、なんと声を掛けていいのか分からない。
私はただ見ているだけだった。
すると、鞄からミミィが「みぃっ」と鳴いて飛び出す。
「ミミィ!?」
ミミィはとっとこと走る。
そして、花屋の軒先まで走り、たくさん鉢の中に飛び込んだのだ。
「ちょっと、ミミィ!?」
「おや、あなたは斡旋所にいた……」
ミミィが鉢上の花々に混ざって、ひょこひょこと動く。
お店の人になんて言おうと慌てていると、小さなケット・シーは張り紙を一枚食わえて拾い上げた。
おそらく、風か何かで落ちたのだろう。
頭や体に花びらをくっ付けたミミィ。
花まみれのケット・シーは、私の足首にすりすりと甘えた。
ときめきながら、抱き上げる。
そして渡された張り紙を読んだ私は、思わず声を上げてしまった。
「そうだよ、これだよ。これだってアリだよ!」
「みゃあ!」
ミミィが同意をする。
いぶかしげに私たちを見おろしていたカイネさんに、ケット・シーが発見した張り紙を見せた。
———後日の王立人材斡旋所。
「まさか、花屋に就職するとはねえ」
「意外に合うかもしれんな。花屋は意外と体力がいる」
昼休みに入って、一緒にお弁当を突っついていたユーランとレティ。
カイネさんのことを説明すると、ちょっとロマンティックかもとユーランがうっとりする。
「一人の女性を思い続けるって、素敵かも」
「我はちょっとごめんだ。告白は相手が生きているうちにするものだ。
生き返りでもさせない限り、死後に「好きだ」と言われても、笑い話にしかならん」
二人の意見を聞きながら、そうだよなあと思う。
それでも、彼はここで暮らし、彼女を想って生きていくのだろう。
生活環境が落ち着いたら、魔国に戻ってちゃんと封印の施術をしてもらうと言っていた。
フリッツは不機嫌な顔をしている。
「チサがあいつに、この町の仕事を紹介してしまったんだって?
しかも、なんだか今までのように、あっさりと辞そうにないじゃないか」
「いいことじゃないですか」
「良くないよ! あいつ珍しく俺に声を掛けてきたと思ったら、「チサさんは元気ですか?」だよ?
ただでさえいけ好かないのに、腹が立つったらしょうがないよ」
いつも飄々としているこフリッツを、こんなに苛立たせるとは。
勇者を手こずらせた四天王というのは、伊達ではなかったらしい。
花屋の店先で、花達に声を掛けながら仕事をするデュラハン。
うん、こんな就職も、悪くないよね。
嫁? の名前はチエコです。