秀頼の眼 9
「ま〜ったく!何が『死兵』じゃ!!勝ち戦と分かればす〜ぐに死を惜しみよるわ!!」
貫禄のある老人は担がれた輿の上でそう悪態をついた。
「死したる者が起き上がる・・・、とても信じられる事ではござらぬがみな口々にそう申しておりますればあながち虚言とも思えませぬ。それよりも鎧をお付けくだされ。危のうございますぞ。」
輿の隣にいる馬に乗る偉丈夫の鎧武者は物静かな口調でそう言った。
「鎧など重くてかなわんわ。遅々(ちち)として動かぬ前線におる諸将の尻を蹴って回るだけの事、どうせ皆命惜しさに尻込みして戦らしい戦にもなっておらんじゃろう。鎧などいらんいらん。使えぬ将もいらんいら〜ん。」
更に悪態をつく貫禄のある老人に小さく頭を下げると偉丈夫の鎧武者は軽く武者震いをした。
(感じたことの無い空気だ・・・。一体戦場で何が起こっているというのか?)と思った。
赤備えの鎧武者は高速で移動をする鬼の顔をした女性の背中で夢を見ていた。
体に感じる疾走感と風。
かき分けられる草と一蹴りごとに掘り起こされる土の匂い。
(ワシは・・・、馬に乗っておるのか?)
目を見開くとそこには豊かな草原。
そして懐かしい真田の里があった。
(おぉ!ここは我等が故郷ではないか?!ようやく帰って来られたのか!!)
ニコニコ笑う領民達とはしゃぎ回る子供達。
(やはりここは良い所じゃ。守るぞ!この土地を!父と兄と一族皆で力を合わせてこの国を守るのだ!!)
そう誓う赤備えの鎧武者の目の前の小高い丘に誰かが立っている。
父、真田昌幸だ。
「父上!!」
赤備えの鎧武者は大きな声でそう叫ぼうとしたが声が出ない。
よくよく自分を見ると体はボロボロだ。
肉という肉、骨という骨、全てが悲鳴を上げている。
(何故ワシはこんな体に・・・?)
それは思い出せなかったが変わりに一つの事を思い出した。
「そういえば父上は四年前に・・・、そうか、
ここは・・・『あの世』か。」
血だらけの自分の手を見てそう悟るとゆっくりと歩いて父へ近付いた。
「父上、よい景色ですなぁ。」
父、真田昌幸は何も答えない。
赤備えの鎧武者は辺りを見回すと
「兄上は・・・、まだ『こっち』へは来ないみたいですな。」と言った。
父、真田昌幸は何も答えない。
「お祖父様や伯父上達はどこにおられるのやら。」
父、真田昌幸は何も答えない。
「またしばらく我等二人での生活ですが、ここでなら楽しく暮らせましょうぞ。」
赤備えの鎧武者のその言葉に父、真田昌幸はゆっくりと手を上げ指をさした。
父、真田昌幸に指さされた自分の兜を手に取って赤備えの鎧武者は「カハッ!」と笑った。
その兜にある前立て『六文銭』の一文が取れてしまっていたのだ。
「そうだ、仙石、あの石頭めが。これでは三途の川は渡れぬではないか。」
先程美しい女性に操られた大男と戦った際に頭突きを食らって前立ての六文銭から一文取れてしまっていたのだ。三途の川の渡り賃は六文、五文では渡れない。
赤備えの鎧武者が苦笑すると地の底から慟哭の声が聞こえた。
「あの声は?後藤又兵衛殿!!」
兜をかぶり直し口紐を結ぶと赤備えの鎧武者は頭を深く下げ
「今だ『あちら』にやり残した事がござる故、御免仕ります。」と言って父、真田昌幸に背を向けて走り出した。
どこへ向かえばいいのかわからぬが立ち止まってはいられずただ我武者羅に走る赤備えの鎧武者に後ろから大きな声が聞こえた。
「信繁ぇ!頑張れよぉ!!」
背中に響く懐かしい声に赤備えの鎧武者は少し涙した。
目からこぼれ出た血に頬をなでられ意識を取り戻すと赤備えの鎧武者は一気に現状を把握した。
(これは・・・、家康殿の元に向かっておるのか。)
そしてその耳には先程聞こえた慟哭の声が響く。
高速で移動する鬼の顔をした女性の背中に乗った赤備えの鎧武者は呆然と立ち尽くし慟哭する一人の立派な鎧を着た死兵とすれ違った。
(又兵衛殿・・・!!)
赤備えの鎧武者は歯を食いしばり心の中でその名を呼んだ。
「霧〜が濃くてな〜にも見えぬわ。」
貫禄のある老人は輿の上で目を凝らしてそう言った。
「家康様はここでお待ちを、拙者が辺りの諸将を順に連れて参ります。」
偉丈夫の鎧武者はそう言って頭を小さく下げると馬を進めた。
(・・・悲鳴?何事ぞ?)
武士の戦場に似つかわしくない情け無い悲鳴がこだました。見ると兵達が統率を失って散り散りに逃げて来ていた。
走り逃げて来る兵を一人つかまえて偉丈夫の鎧武者が威圧的に聞く。
「何事ぞ?!何があった?!」
その問いに兵はただ前方を指さして震えるだけであった。
(何ぞ?)
偉丈夫の鎧武者が目を細め前方を凝らして見るとそこには巨大な虫の様な動きで地を這う化け物が逃げ遅れた兵達に襲いかかっていた。
「何ぞ?!あれは?!!!」
偉丈夫の鎧武者はそう言うとすぐに顔を澄まし元来た道を戻り、輿を担ぐ従者に静かな声で「焦らず喚くな、急いで後方へ引くぞ。」と言ったが輿の上の貫禄のある老人が霧の中暴れ回る化け物に気付き
「何じゃぁ!!あれは?!!引けっ!!引くのじゃぁ!!」と叫んでしまった。
化け物、鬼の顔をした女性の動きが止まると『ギリギリギリギリ』と戦場中に響き渡る様な激しい歯軋りの音を立てて輿のある方向を睨みつけた。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
輿を担いでいた従者達が我先に逃げ出す。
「ギャン!こら!待てお前ら!!首をはねるぞ!!」
輿から落ちた貫禄のある老人は逃げる従者達に向かって叫ぶが従者達は霧の中に消えていった。
「拙者の馬にお乗りなさい!」
と偉丈夫の鎧武者が貫禄のある老人を馬に乗せようとするが肥えた体の老人は中々馬へと登れない。
「もう少しですぞ!さぁ!しっかと足をお上げ下され!」
偉丈夫の鎧武者が必死に貫禄のある老人を押し上げようとするがその行為に反して貫禄のある老人は偉丈夫の鎧武者の背後を見た後恐怖の表情を浮かべ馬から転げ落ちた。
「何をしておられるのですか?!ささっ、もう一度・・・」
偉丈夫の鎧武者はそこまで言うとゆっくりと刀に手を添え振り返った。
振り返ったそこには偉丈夫の鎧武者どころか馬すら一飲みに出来そうなくらい大きな口を持った化け物がそそり立っていた。
「お逃げ・・・下され。」
偉丈夫の鎧武者は刀を静かに抜き後方の貫禄のある老人へそう言うが老人はどうやら腰が抜けて動けなくなっているようだ。
「イえ、いえやスぅぅ。ニクい、にくイぃぃぃ。」
大きな口を持った化け物はその大きな口に似つかわしくない美しい女性の声でそう言った。
「そ、そ、その、その声、まさか淀殿か?!」
腰を抜かし地面にへたり込む貫禄のある老人がそう言うと大きな口を持った化け物は
「よ・・・ど?ヨ、ど?」
と首を傾げて言った。
「そ、其方がその様な醜い姿になって、秀頼殿はさぞ悲しんでおるのでしょうなぁ!」
貫禄のある老人は必死に意地を張ってそう言った。
「ヒデ・・・ひでよ、り。ひでヨリ。秀頼!秀頼ぃぃぃぃ!!!!」
大きな口を持った化け物は更にいきり立って叫び散らすと貫禄のある老人は失神した。
「だ、誰ぞ!!誰ぞあるか!!早う家康様を!!!」
偉丈夫の鎧武者が叫べど応える者は一人もいなかった。
いや、一人いた。
「家康殿?そこにおるのは家康殿にござるかぁ!」
逃げ惑う兵達の恐怖の悲鳴と大きな口を持った化け物の叫び声がこだまする中、飄々(ひょうひょう)とした声が戦場に響き渡る。
「そ、そのコえは、さ、さナだぁぁ、どこじゃぁ!さなぁだぁぁ!!!」
大きな口を持った化け物の吐き気をもよおす様な憎しみのこもった叫びをかき消す様に
「真田幸村!ここにおりもうす!!」と爽やかな大声が鳴り響いた。
その声と共に大きな口を持った化け物の胸から飛び出ていた槍の先端が更に飛び出した。
「グゥギャァァァァァ!!!」
大きな口を持った化け物の断末魔と共にその背中から飛び降りた赤備えの鎧武者は今度は胸側から槍を引っこ抜いた。
真っ黒な血を撒き散らしながら大きな口を持った化け物がよろめく。
「そ、その兜は、貴公真田信繁殿でござるか?」
偉丈夫の鎧武者がそう聞くと「今は真田幸村と名乗っておりまする。」と赤備えの鎧武者は答えた。
「こ、これは一体・・・?」
そう聞く偉丈夫の鎧武者に槍についた真っ黒な血を払い落としながら赤備えの鎧武者は「あ〜、誠に申し訳ない。『コレ』はこちら側の問題にて今早急に終わらせ申す。そうしたら改めて合戦じゃ。」と言って歯を見せて笑った。
「お、『終わらせる』と言ってもその体にその槍では・・・。」
偉丈夫の鎧武者は穂先の折れた槍と満身創痍の赤備えの鎧武者を見てそう言った。
「さ、さなだぁ、いえやすぅ、いぃえやすぅぅう!!さぁなぁだぁ!!」
フラフラとよろめきながらも近付いてくる大きな口を持った化け物に赤備えの鎧武者は
「淀殿!拙者この齢にしてようやく『心眼』というものを理解しもうした!」
そう言って槍を構えた。
混乱を極めていた戦場に静寂を伴った緊張が走る。
逃げ惑っていた兵達もいつの間にか足を止め赤備えの鎧武者へ目を奪われていた。
赤備えの鎧武者と大きな口を持った化け物の周りだけまとわりつく様だった霧が晴れる。
一条の光が差し込み赤い鎧を紅く染めるとその場にいた者達は皆、赤備えの鎧武者が構える穂先の折れた槍先に光り輝く十文字の刃を見た。
「これにて本当の本当に終わりにしましょうぞ。」
赤備えの鎧武者はそうつぶやくと気合を入れ直し
「真の真田の槍、とくと味わいなされい!!」
と叫び槍を振るった。
光り輝く十文字の刃は大きな口を持った化け物の繰り出す巨大な虫の脚をかい潜りその胸の穴へと吸い込まれ一瞬輝きを失ったかの様に見えた次の瞬間、戦場の霧を全て吹き飛ばすかの勢いで強い光を放った。
「ぐうあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
全ての戦場に響き渡る様な断末魔が上がる。
「な、何事じゃぁ!!」
貫禄のある老人が断末魔の大音響に目を覚ますも強い光で何も見えずに「何事じゃぁ!!何事じゃぁ!!」と繰り返すのみであった。
しばらくして光が引いた後、そこには堂々と立ち尽くす赤備えの鎧武者とその目の前に綺麗な着物を着て正座する美しい女性の姿があった。
その女性の目には涙が浮かんでいた。
「よ、淀殿?元に戻ったのか?」
貫禄のある老人は安心した様にそう言うとすぐさま顔を強張らせて「斬れ!こやつを斬れぃ!!」と叫んだ。
周りにいる兵達は何が何やらわからずに動く事が出来ずただ呆然と赤備えの鎧武者と美しい女性を見ている。
美しい女性が赤備えの鎧武者に深々と頭を下げた。
「えぇい!!ワシ自らが手打ちにしてくれるわ!!」
貫禄のある老人がそう言って腰の刀を抜くと赤備えの鎧武者が槍を出し制止する。
「な、何じゃぁ?!また化け物になったらどうするつもりじゃぁ?!!」
そう喚く貫禄のある老人には何も答えずに赤備えの鎧武者は「何故にござるか?」と静かに聞いた。
「某も是非聞きたい。何故にござるか?」
馬に乗って大阪城より駆け付けた大男、仙石秀範が馬から降りながらそう言った。
赤備えの鎧武者は美しい女性へ近付き膝まづいてもう一度「何故、あれ程愛された秀頼様を害されたのか?」と聞いた。
その言葉を聞いた美しい女性は両手で顔を覆い「違うのじゃ、違うのじゃぁ。」と咽び泣いた。




