秀頼の眼 8
大阪城から南、霧の立ち込める草原に精悍な顔立ちの武者が馬上より戦場を見下ろしていた。
「勝永殿、やはり死兵共は徐々に徳川方へと進んでいる模様。距離を置き後を付いていけば労せずして前線を進められますぞ。」
精悍な顔立ちの武者の横にいる老武者が顔を綻ばせてそう言った。
「・・・真田隊はどうしている?」
精悍な顔立ちの武者は老武者の言葉には何も答えず近くの若武者にそう聞いた。
「はっ!真田隊は対峙する徳川勢と協力して死兵を斃している模様。」
若武者のその言葉に老武者は怒りを露わにして「ええい!真田隊は何をしておるのか?!死兵は我が豊臣の見方ぞ!それに『徳川勢と協力』じゃと?!何を考えておるのだ!!」と喚いた。
「・・・斃す?どの様にだ?」
精悍な顔立ちの武者はやはり老武者の言葉には反応せず若武者に再度聞いた。
「はっ!まず長物にて死兵の足を払い三、四人がかりにて取り押さえて残る者が首を刎ねている模様。」
その若武者の言葉に「そうか。」と答えた後精悍な顔立ちの武者は少し考えて「我等もそう致せ。」と言った。
「はっ!」「はっ?!」
了承を表す若武者の言葉と吃驚を表す老武者の言葉が重なった。
精悍な顔立ちの武者はそれだけではなく「他の隊にも同じくする様に伝えろ。向こう側にいる徳川勢にもだ。」と続けて言った。
「か、勝永殿!何を考えておられるのですか?!数の上で不利なこの戦、ようやく勝機が見えて来たというのにいったい」
ここまで言った老武者を精悍な顔立ちの武者が一睨みで黙らせた。
「・・・この戦、どちらが勝とうがこの先大きな戦はなくなるだろう。これは我等最後の晴れ舞台なのだ。
死兵という人外の者に邪魔をされてたまるか。これは我等人間の戦ぞ。」
静かに怒りを込め精悍な顔立ちの武者がそう言うと老武者は力無く頭を垂れた。
「し、しかし、今いる死兵を斃したとて戦が始まればまた死人は出ます。そうすればまたその死人は死兵となり、その度に戦を止めていては・・・。」老武者が頭を垂れたまま愚痴を言う様にそう言うと
「・・・大丈夫だ。今にきっとこの『怪異』は終わる。」精悍な顔立ちの武者はそう言うと昨日受け取った書を思い出した。
(真田幸村に改名か・・・。真田殿に続き大野殿までもが大阪城へ向かったままと聞くがきっとお二人共この怪異と、いや、多分ではあるが『怪異の元凶』と戦っているのであろう。お二人が帰って来るまでこちらは我等が引き受ける。しっかとこの怪異を終わらせ我等の晴れ舞台を取り戻そうぞ。)
精悍な顔立ちの武者は馬上にて体を翻し霧の向こうの大阪城を見た。
赤備えの鎧武者に放り投げられた白い球体は壁に開けられた大穴に吸い込まれる様に飛んで行き日光のまぶしい外へと消えていった。
「〜〜〜!!」
声にならぬ叫び声を出して美しい女性は白い球体の後を追う。
背中から生えた巨大な虫の脚を使わず己の白く艶かしい肢体を猫科の動物の様にしなやかに使ってなんの躊躇も無く壁に開けられた大穴から大空へと飛び出した。
空中に飛び出した美しい女性はその見開かれた目で落下する白い球体を見つけ着ている着物をはためかせながら徐々に加速しつつ近づいた。
日光に当てられた背中から生えた巨大な虫の脚からは『シュウシュウ』と音を立てて白い煙が出ている。
そんな事を気にはせず宙を泳ぐ様に手足をバタつかせようやくの思いで白い球体を手にした美しい女性は両手でしっかりと握りしめ「おぉ・・・、秀頼、秀頼。」と目を閉じ愛おしそうに両手を胸に添えた。その顔は迷子の子供を見つけた母親そのものだった。
「この高さから落ちれば流石に・・・。」
大穴から下を覗き込み大男がそう言うと「それは無理じゃろうな。」と赤備えの鎧武者が言った。
その瞬間、地上から激しい衝突音と共に大量の土煙が上がった。
衝突音に驚いた近くにいた者達が恐る恐る土煙を払いながら近寄っていく。
「いったい何じゃぁ?と、徳川の大筒か?」
「お、おい!何かいるぞ!!」
側に寄った者が収まっていく土煙の中何かを見つけた。
そこには両手を胸に当て正座をした美しい女性がいた。
しかしその美しい女性の背中からは巨大な虫の脚の様な物が生えていてそれが美しい女性を包み込むように閉じられていた。
「こ、これは一体・・・?」
集まった者達が皆唖然と美しい女性を見ていると
「あ、あれを見ろ!天守が、天守に穴が開いておる!!」と叫ぶ者がいた。
一同が天守を見上げるとそこには今までにはなかった大穴が開いておりそこには朝日を受けまぶしい程に紅に染まった鎧を着た武者が立っていた。
「いけるか?仙石殿。」
太陽の光に包まれた赤備えの鎧武者がそう聞くと「応よ!距離、方角共に良し!行くぞ!!真田殿ぉ!」そう言って大男が勢いよく肩を前にして走り出し大穴の前に立っていた赤備えの鎧武者の背中に突撃した。
「うおおぉぉぉ!!!」
勢いよく天守から槍を振り回しながら飛び出した赤備えの鎧武者を下から見上げていた者達は皆『真っ赤な火の玉が降ってきた』かの様に見え一目散に逃げ惑った。
「そのまま槍を突き立てい!!」
背後から聞こえる大男の声に
「応よぉ!!」
と折れた槍の穂先を真下へ向け赤備えの鎧武者がそう叫んだ。
「秀頼、秀頼や。これでようやく・・・。」
胸の前に置いた両手を開き白い球体をのぞかせ、それを守るべく覆いかぶさる様に上半身を曲げた時に美しい女性は上空から聞こえる空気を切り裂く音に気が付いた。
「どぉっっっせぇぇぇい!!!!」
上空から降ってきた赤い火の玉が怒号を挙げ槍を突き立てるともう少しで背中から刃が抜き出せそうな所まで押し戻されていた十文字の刃に当たりその刃全体を貫通させ槍自体も美しい女性の胸へ突き抜けた。
突き抜けた刃は美しい女性が大事そうに持っていた白い球体を貫いて地面に突き刺さった。
「ひ、ひ、秀頼〜〜〜!!!!!」
美しい女性は槍の貫通した自分の身体ではなく刃に貫かれた白い球体に対して悲鳴を上げた。
美しい女性が白い球体に突き刺さった刃を抜くと白い球体は小さく萎んでしまった。
「秀頼!秀頼!!秀頼ぃ〜〜!!!」
美しい女性は何度も白い球体を指で擦ったが擦る度に形が崩れていく。
「あぁぁ!あぁぁぁ!!うあぁぁぁぁ!!!!」
すっかり原型を無くした白い球体を両手で握りしめると美しい女性は顔を伏せ両肩を震わせた。
「おのれ・・・、おのれ、おのれ!おぉのぉれぇぇ!!!!」
美しい女性が顔を上げるとそこには最早人間らしさの欠片も無い『鬼の顔』があった。
気が付くと美しい女性の身体は倍以上に大きくなっており着ている着物がはち切れんばかりになっている。
その代わり、霧の上から僅かに差す日光に当たっている背中から生えた巨大な虫の脚は弱々しく萎んでいっていた。
「さなだぁ、さぁなぁだぁぁ!!どこじゃぁぁぉ!!!」
鬼の顔をした女性は辺りを見回すが赤備えの鎧武者はどこにもいない。
赤備えの鎧武者は鬼の顔をした女性を貫通した槍と共にその背中にへばりついて気絶していたのだ。
「くそぉう!!くそぅぅ!!どこじゃ?!!どこじゃぁぁぁぁ!!!!くそぅぅぅ!!!」
背中にへばりついている赤備えの鎧武者を振り回しながら狂った様に何度も辺りを見回していた鬼の顔をした女性がその異常な視力で何かを見つけた。
「い、いえやすぅぅぅ!!」
動きをピタリと止め敵大将の名前を口にした後
「そこにおったか家康ぅ!元はと言えば、元はと言えばお主が全ての、全ての元凶じゃぁぁぁ!!」と身体を戦慄かせながらそう言った。
鬼の顔をした女性に既に理性はなかった。
理性のタガが外れた故に身体のタガも外れたのかそれともその逆なのか鬼の顔をした女性の身体は肥大化し続けついに着ていた着物が破け始めた。
破れた着物の隙間から見えるのは蛇の様なウロコであった。よく見ると人間の手足にも、そして顔も小さなウロコでびっしりと覆い尽くされている。
そして今度は全身から『シュウシュウ』と白い煙を噴き出している。
「・・・。」
忌々しそうに太陽を見つめるその目は真っ赤な狂気に満たされていた。
「うぅうぅ、うあぁぁぁぁ!!!!」
鬼の顔をした女性が唸り声を上げるとその脇腹から何本もの長く巨大な虫の脚が着物を突き破って生えてきた。
長く巨大な虫の脚に担ぎ上げられた様な格好になった鬼の顔をした女性は握りしめていた両手を広げ顔を覆うと「い、イ、いえヤスぅぅぅぅ!!!」と叫び長く巨大な虫の脚で走り始めた。
赤備えの鎧武者は意識を失ったままその背中に突き刺さった槍を握りしめていた。




