秀頼の眼 7
「ゆ、『ゆきむら』じゃとぅ・・・?」
「漢字をお教えするのは御勘弁下され。呪われてしまうのでな。」
美しい女性のつぶやきに屈託なく応えた赤備えの鎧武者はそのところ実は内心穏やかではなかった。
(満身創痍の己が体、死の淵より帰ったばかりの仙石殿も同じ状態であろう。こちらはどんどん弱っていくというのにあちらはどんどん回復していっている。情け無いが今襲いかかられ攻められ続ければ先に体力が持たなくなるは我ら。いくら弱ったとはいえ生半可な攻撃が通じぬのは棒手裏剣で確認済み。唯一可能性のある攻撃は背中に突き刺さりし十文字槍の刃じゃがもう二度も痛い目にあっている故余程のスキを作らせない限り狙うは難しかろう。
それに下手に追い詰めてもし淀殿が『逃げ』に転じてしまった場合、深手を負った我らに追う術はない。ましてや天守閣の壁に開いた穴から外へでも逃げられたら・・・。)
赤備えの鎧武者は背中に壁に開けられた大穴から吹き込む冷たい風を感じながらそう思った。
(昼のうちにこの状況であったのならばまだ策があったというに、ここになって『時を操られた』事が大きく効いてきてしまったとは・・・。)
赤備えの鎧武者は息を細く吐いた。
(『仙石殿の蘇生』と『万が一の為の改名の成果』、
『人の理』と『天の理』はこちらへ来ているのに『時の理』が無い。
あと何時人事を尽くせば『時の理』、朝がやって来るというのだ・・・?)
不利な状況から滲み出る冷や汗を美しい女性に悟られぬ様に全身の痛みから出る脂汗に変え、流れ出る血を我が身を焦がし突き動かす炎に変え、疑問による不安を思考を動かす糧へと変えるも『夜を朝へ』と変える術は無くこの膠着状態をいかに長く続けるか、赤備えの鎧武者の心と体はその一点に集中した。
(一つ、会話でもして時間を稼ぐか・・・?)
そう考えた後にすぐに
(いかん、淀殿と話す事が特に何も無いわ。)
と赤備えの鎧武者は表情を変えずに苦笑した。
(いや、石頭の大野治長殿の悪口なら盛り上がるやもしれん。)
そう考え直した後すぐに
(後藤又兵衛殿とならその話題で盛り上がれそうじゃが淀殿は大野治長殿と仲が良いハズじゃから怒られそうじゃの。)
と今度は口元を少し緩めた。
赤備えの鎧武者は『フン!』と鼻に詰まっていた固まった血の塊を鼻息で吹き飛ばすと大きく鼻から息を吸い
(阿呆な事を考えて少し肩が軽ぅなったわい。)
と思った後
(とにかく今やれる事をやる。やりながら考える。体の事など二の次。朝が来るまで淀殿をここに留めておく、それだけじゃ。)
赤備えの鎧武者がそう心に決めたその時、それまで微動だにしなかった美しい女性の体が『ビクッ』と動いた。
(来るか?!)
気を引き締め直した赤備えの鎧武者が体勢を低く構え襲いかかられた時の迎撃、逃げようとされた時の追撃のどちらも出来る姿勢を取ると美しい女性は呆然とした声で
「・・・な、何事じゃ?」
と言った。
美しい女性の思いもよらぬ言葉に赤備えの鎧武者が眉をひそめ怪訝な顔を浮かべると
「こ、これは一体どういう事じゃ!!」と今度は大男が叫んだ。
「何じゃ?!何がどうした?!」
美しい女性への警戒を緩めずに赤備えの鎧武者が大男へ訊ねる。
「いや、なんと、何と申せば・・・。」
大男が返答に困っていると美しい女性が絶望の響きを持ってつぶやいた。
「何故、朝日が昇るのじゃ・・・。」
その言葉を聞いた大男が喜び勇んで叫ぶ。
「朝日じゃ!!夜空が白み始めておる!!朝日が昇ってくるぞ!!」
大男の言葉通り真っ暗だった空は少しづつ白み始めていた。
「『時の理』来たり。」
赤備えの鎧武者はニヤリと笑った。
「何故じゃぁ、『時送りの術』で今しがた真夜中になったばかりというに・・・。まさか?!!」
美しい女性はそう言うと床に突っ伏し両手を両目に添えた。
その間あり得ない早さで朝日が昇る。空が白み始めたかと思えばもう朝日がその頭を見せた。
「おぉ・・・、なんと、何と美しい朝日じゃ。こんな美しい朝日は初めて見るぞ!!」
城下の大地には濃い霧が立ち込めるもその怪しくも真白い不安の塊の様な霧を突き破り空に上がった太陽を見て大男が体を震わせて言うとその声をかき消すかの様に美しい女性が叫んだ。
「何故じゃ!!何故そこにおる!!大野治長ぁ!!」
三人のいる天守閣の下の廊下を『ドカドカ』と歩く武将が一人。
「真田めぇ!一切合切全て説明してもらうぞ!!何が『真田幸村』じゃ!名を変えて何がどうなるというか!それに何が『秀頼様の命』じゃ!!あんなものこの大野治長、字を見ればすぐに秀頼様の書いたものではないと分かるわ!!秀頼様の名を騙って何を考えておる?!!」
ひとしきりそう喚いた後に鼻から大きく息を吸って
「もしも秀頼様にあらぬ事を吹き込んでおるのなら・・・、即刻叩っ斬ってやるわ!真田ぁ!!!」
と天井に向かって大声で叫んだ。
「おぉぉ、大野ぉ、そこで何をしておる・・・。あれ程、あれ程『誰も通すな』と言い付けたというに。」
美しい女性は床に突っ伏したまま肩を震わせてそう言った。
「ま、我らも通って来ましたからなぁ。」
赤備えの鎧武者が悪びれる気も無くそう言うと
「な、何故に大野治長殿が来ると朝になったのだ?」
と大男が首を傾げた。
「昔聞いたことがあるが『時』や『天候』などを操る術はまず『結界』を張るのだそうな。その結界に誰かが入ると術が発動する。淀殿は階下の廊下にその結界を張っておったのじゃろう。ほれ、歩いているだけなのにやけに疲れたあそこじゃ。我らが結界に入ったは昼前、そうしたら夜中になっていたじゃろう。結界に入ると半日分時をずらされるという訳じゃ。大野治長殿はきっと戦が落ち着いた夕刻以降に城に着いたに違いない、そして結界に入った。その結果また半日ずれて朝になった、という訳じゃ。」
赤備えの鎧武者が大男へ事の説明をしてる際も美しい女性は床を睨みつけながら「誰も通すなと言うたに誰も通すなと言うたに・・・。」と呻いていた。
「仕方ありますまい、大野治長殿は豊臣家臣の筆頭家老。大野治長殿が行くと言うたら誰もお止め出来ぬは当たり前。それにあのお方、怒ったら怖いしのう。まっこと恐ろしい援軍が来おったわ。」
赤備えの鎧武者は楽しそうにそう言った。
「し、しかしいかに大野治長殿と言えど淀殿と秀頼様の命を軽々しく破るとは思えません。一体何が?」
そう言う大男に赤備えの鎧武者は
「我らは何故にその命を破って上へ上がったか?」
と聞くと
「そ、それは秀頼様の御身が心配で・・・。」と大男が言ったところで赤備えの鎧武者がニンマリ笑い
「やはり『秀頼様の名を騙った』は不味かったよのぅ。大野治長殿はかなり怒り心頭の御様子じゃ!!」
と言った。
美しい女性は『ガタガタ』と肩どころか全身を震わせて「これも貴様の策かぁ、真田ぁぁ!!」と叫んだ。
「某、父親ゆずりの策士にて。」
運の要素が多分に絡んだというのに赤備えの鎧武者は自信満々にそう答えた。
美しい女性は『ギリギリ』と 歯軋りをしながら天守閣に差し込む朝日を避ける様に奥へ奥へとジリジリ下がって行く。
大男はそれを追ってゆっくり一歩踏み出そうとするが胸に激痛を感じ顔を大きく歪め先程の赤備えの鎧武者と同じ事を思った。
(この身体では『逃げ』に転じられてしまったらどうにもできぬ。真田殿は・・・?)
そう考えて赤備えの鎧武者をチラリと見ると微かに膝が震えている。赤備えの鎧武者もいっぱいいっぱいなのだ。
(どうする?この広い大阪城の中を逃げ回られてはそのうちまた夜になってしまう。そうなれば一貫の終わりじゃ。いやいや、逃げた淀殿を追いかけてあの廊下を渡れば『時送りの術』とやらのせいでまたすぐに夜に変わってしまうのでは?!それにもしも上手く挑発出来ていざ戦うといえどあの身体の硬さを如何にするか?)
そこまで考えた後大男は何かに気付き目を輝かせる。
(そうじゃ!日の光をもっとここへ入れれば良いのじゃ!!昼前の時は日の光の下皮膚を切り裂くこと適ったではないか!)
手に持つ大木槌に力を入れて壁へ踊りかかろうとした大男を赤備えの鎧武者が静かな声で止める。
「動くな、仙石殿。」
その言葉に「何故じゃ?!」と言おうとした大男は『ハッ』と気付く。
(淀殿はあと少しでも不利になればきっとすぐ逃げてしまうじゃろう、そうなれば・・・。しかし!それならどうすればいいというのじゃ?!真田殿!!)
言葉を出さずに顔だけで喚く大男を見て美しい女性は今、自分が有利である事を悟り歯軋りをやめてほくそ笑んだ。
(後はどう『アレ』を奪い返すか、妾に逃げられたくない真田は必ず『アレ』を出して引き止めようとするだろう。それを如何に奪い盗るか。)
美しい女性は思考を巡らせながら赤備えの鎧武者を舐める様に見つめた。
(・・・満身創痍も良いところじゃな。仙石とて所詮は死に損ない、夜が明けたとはいえ直接日の光に当たり続けなければどうという事はない。逃げる振りをして『アレ』を出させた後はゆっくり時間をかけて嬲り殺してやる。)
生気を取り戻しつつある背中から生えた巨大な虫の脚にゆっくりと力を込めたところで赤備えの鎧武者が唐突に姿勢を正し槍の背を床に立てて仁王立ちの様な格好で直立した。
「?!」
大男と美しい女性が呆然と見つめる中赤備えの鎧武者が「もう一働きいけるか?仙石殿。」と言った。
「い、一体何を考えておる?!」
そう言いかけた大男に対して赤備えの鎧武者は不用心にも美しい女性から視線を外し大男の方を首だけでクルリと見てニンマリ笑った。
片目の無い血まみれの顔でそんな笑みを浮かべられた大男は思った。
(よくもこの状況でそんな顔が出来るものじゃ。そんな顔をされてしまっては例え無理でもそう言えぬわ。)
「もう一働きいけるか?仙石殿。」
赤備えの鎧武者の同じ問いに大男は同じ様にニンマリ笑って答えた。
「応よ!!」
その答えが聞こえるや否や赤備えの鎧武者は何処からか出した白い球体を自分の右目の横へ持って行き美しい女性へ見せ
「『コレ』は本物にござるよ。」
美しい女性が『読み通りじゃ!』とほくそ笑むその前に赤備えの鎧武者は『ソレ』を自分の後ろの朝日の差す大きな壁の穴に向けて放り投げた。
「なっ?!!!何を??!」
大男が顎が外れる程大きな口を開けてそう言う。
「〜〜〜!!」
美しい女性が声にならぬ叫び声を出してなり振り構わず白い球体を追い壁の大穴から飛び出す。
一瞥だにされず横を通り抜けられた赤備えの鎧武者は少し後ろめたい表情を浮かべ
「・・・これで本当に終わりに致しましょうぞ。」
とつぶやいた。




