秀頼の眼 6
「うぐっ!!うがぁぁぁぁ!!!」
大男が胸を押さえて苦しむ。
「仙石殿!しっかりなされい!!」
赤備えの鎧武者がそう言いながら呪いをかける美しい女性へ槍による一撃を放つがすんでのところで躱された。
槍の一撃に冷や汗をかきながらも美しい女性は笑みを浮かべ「もう遅いわ!呪いは成就した!」と叫んだ。
「むぅぅ、くそぅ、この軟弱な心の臓めが!」
大男は分厚い胸当ての上から胸を何度も叩いている。
「そうじゃ仙石殿!気をしっかり持ちなされい!」
赤備えの鎧武者は小手から棒手裏剣を取り出すと美しい女性の顔面へ向けてそれを投げた。
美しい女性は自らの細く白い腕をかかげ顔面を覆う。
『ズドッ』と低い音がして棒手裏剣が白い腕に突き刺さったかの様に見えたが棒手裏剣は肉に食い込むどころか細い腕の皮膚すら貫けず床へ乾いた音と共に落ちた。
かかげた細く白い腕の合間から真っ赤に光る目が赤備えの鎧武者の胸元を睨みつける。
美しい女性の視線に気付いた赤備えの鎧武者は『ハッ』と気付いた様に胸元から巾着袋を取り出すと「呪いを解かれよ淀殿!さもなくば・・・」と言ったところで美しい女性が「手遅れじゃ。」と言った。
『ズシャッ!!』っという重い音を出して床へ突っ伏した大男は動かなくなった。
「・・・。」
赤備えの鎧武者は美しい女性へ向かって静かに片手で持つ槍に力を込め穂先を向けた。その目には悲嘆も動揺も無く、それさえか殺気すら無かった。
「・・・恐ろしい目じゃ。」
そう言う美しい女性に先程取り出した巾着袋を見せつける様に胸元にしまうと「欲しければ取りに来られませい。」と赤備えの鎧武者は言った。
「ウフフ、ウフフフフ・・・。」
両手にて槍を構え直し隙の一つも無い赤備えの鎧武者に対し不敵な笑みを浮かべるも胸からは刃先を覗かせ両膝をつき肩で息をする美しい女性が笑った。
「・・・何が可笑しいのでござるかな?」
赤備えの鎧武者はそう言った後美しい女性の背後から伸びる白い糸に気が付いて「まさか?!」と言って後ろを振り返るとそこには先程大きな音と共に崩れ落ちた大男が音も無く立ち上がっていた。
その首の後ろには白い糸が生えている。
立ち上がった大男の目に生気は無く口はだらしなく半開きのままでその口の中からは『パキパキ』と嫌な音が聞こえた。
「さてさて、せいぜい妾を楽しませておくれ。」
美しい女性は強気な言葉とは裏腹に酷く疲れた様子でこう言うと上半身を前に倒し気味に正座した。背中からは細く白い糸が伸びている。
「許せ!仙石殿!!」
赤備えの鎧武者はそう言うや否や嫌な音を出す大男の口へ目掛けて槍を放った。が、止血の布を真っ赤に染めた肉を噛みちぎられた大男の左腕がその槍を掴み受け止める。
『ギリギリ』という音を出す一本の槍で繋がった二人の足元の床が『ミシミシ』と悲鳴を上げる。
大男は残る右手を腰の刀へと滑らせるがその瞬間赤備えの鎧武者が両手で握る槍に「ぬぅん!」と力を入れるとどういう原理かはわからないが大男が宙を舞い頭から床に叩きつけられた。
「それぃ!」
赤備えの鎧武者は見事な槍捌きで大男の首の後ろから生えた白い糸を払うがすぐに大男は立ち上がった。
よく見ると大男の首の後ろだけでなく腕や足にも白い糸は繋がっていた。
「ホホホ、無駄無駄。操り糸は四方より体の様々な所へ繋いでおるわ。」
美しい女性の声は先程より少し艶が増していた。
赤備えの鎧武者は神速の槍技を見せるがその悉くが突進する大男の両手にて防がれた。
「ええぃ!止まれこの猪武者めが!!」
赤備えの鎧武者が強力な前蹴りを大男の胴へ入れると大男は一瞬止まりその半開きの口から真黒い虫を数匹吐き出した。
赤備えの鎧武者はその隙をつき槍を横一文字にして大男に突進し大男がそれを受け止め両者はまたも槍を挟んで繋がった。
「ホホホ、馬鹿力が自慢の仙石と力勝負とは血迷うたか?真田。」
真後ろから聞こえる美しい女性の声に赤備えの鎧武者は何も応えない。いや、押し合うので必死なのだ。
(この馬鹿力めが!何をしておる!先程拙者がやった様に前蹴りを放て!お主を操る糸は体の色んな場所に付いている故一槍では払えぬがその糸の出処は淀殿の背中のみ。お主の蹴りの衝撃で吹き飛んだかの様に見せかけ淀殿の後ろに回り込みあの背中から出ている白い糸をまとめて絡め取る!さぁ!蹴りを放て!!)
赤備えの鎧武者の意識が大男の足に向かっていたその時、赤備えの鎧武者の頭に衝撃が走る。大男は強力な頭突きを放ったのだ。
「ぬぅおぉぉ!!」
その強力な頭突きに赤備えの鎧武者の兜の前立てである六文銭の一つが弾け飛んだ。
(兜どころか鉢金も着けぬというに何たる石頭か!いや、これで良い!後ろへ大きく飛び淀殿の背後へ・・・)赤備えの鎧武者がそう思い後ろへ吹き飛ぼうとすると『ガクッ』と体が宙で止まった。
大男の手が赤備えの鎧武者の足をガッシリと掴んでいたのだ。
大男は物凄い速さで体を反転、赤備えの鎧武者の足を掴んだ手を大きくしならせた。
「これはいかん!!!」
赤備えの鎧武者はそう言うや否やの瞬間に大音響を響かせて床に叩きつけられた。
「グハァァァ!!」
赤備えの鎧武者はあの速さで叩きつけられる最中に身を翻し致命傷を避けるべく背中から落ちたのだがその衝撃で大男の身長よりも床から跳ね上がった。
宙を舞う赤備えの鎧武者の目や鼻や耳や口から血が噴き出す。
「ホホホホホ!紅き華が咲きおったわ!!」
美しい女性は嬉しそうにそう笑った。その胸から出ていた十文字槍の切っ先は先程よりも短くなっている。ゆっくりと背中側に押し戻されているのだ。
「それ、仙石。トドメじゃ。もう一度カエルの様に叩きつけておしまい。」
美しい女性の言葉に大男が再度赤備えの鎧武者の足を掴む。
顔中の穴という穴から血を噴き出した赤備えの鎧武者が『ゴロリ』と仰向けになるとその胸元から巾着袋が現れ、緩まった巾着袋の口元から白い球体が
『コロリ』とこぼれ落ちた。
「・・・!?待て!仙石!!先に『ソレ』を妾へ渡すのじゃ!!丁重に扱えよ!!丁重に!!わかったな?!!」
美しい女性が取り乱しながらそう叫ぶが大男の虚ろな視線は巾着袋から離れなかった。
「ええい!何をしておるかこの愚図めが!!もうよいわ!!」
美しい女性が背中から出た白い糸を解き放つと少し生気を取り戻した背中から生えた巨大な虫の足を使い床でグッタリとしている赤備えの鎧武者へと近づく。
「おぉ、秀頼・・・。秀頼。母じゃ!母じゃぞ!!おぉぅ・・・、もう二度と離しはせぬからな!!」
美しい女性は白い球体を大事そうに抱え上げてそう言った。
「・・・は、母上・・・。」
大男が口の中の真黒い虫と共に短い言葉を吐き出した。巾着袋を見つめる虚ろな目からは一筋の涙がこぼれている。
その二人の目の届かぬ所でかろうじて槍に添えられてあった手に力が入る。
「仙石殿ぉ!!!」
目にも止まらぬ速さで床から起き上がった赤備えの鎧武者は棒立ちの大男の胸へ必殺の突きを放った。
『ズドォォォン!!!』
天守へ繋がる木戸を跳ね上げた時よりも凄まじい音を出して大男が吹き飛び壁へぶつかり大量の真黒い虫を口から吐き出した後床に崩れ落ちた。
「むうぅん!!」
赤備えの鎧武者は返すその槍で側にいる美しい女性へと槍を振り下ろす。
美しい女性はその手にある白い球体を庇うが様に背中で槍を受ける。
「ウグゥゥゥゥ・・・。」
槍は背中に刺さっていた十文字槍の刃を押し込んだ。
押し戻しつつあった槍の切っ先が再度美しい女性の胸から飛び出す。
転がる様に逃げる美しい女性を血だらけの顔で赤備えの鎧武者が見る。
「おぉぉのぉれぇ、さぁなだぁぁ!!」
両手で大事そうに白い球体を持ち背中から細く白い糸を出しながら美しい女性は地の底から這い上がるような声でそう言った。
「ヤツも深手を負っておる!今度こそ叩き潰せ!仙石!!」
美しい女性がヒステリックにそう叫ぶが白い糸が繋がった大男はピクリともしない。
「?!何故じゃ?動け!仙石!!殺せ!仙石ぅ!!」
美しい女性が喚けど叫べど大男は動かない。
いや、『ピクリ』と指先を動かした後
「うぅむ・・・。」と言う渋い声を出してフラフラと立ち上がった。
「よぉし!仙石!!やれ!殺せ!!叩け!切れ!潰せぇぇ!!」
立ち上がった大男は『ベッコリ』とへこんだ胸当てを外すと胸元から何かを取り出した。
それは巾着袋の御守りに入っていた紙だった。それを開いて見ると何やらお経の様なものが書いてありその最後に
「母より先に死ぬ事は許しません」
と書いてあった。
大男は流れる涙を拭うと床に落ちていた大木槌を拾い上げ
「この仙石秀範、勘当されし身なれど母の言い付けを守らぬ程親不孝者ではござらん。」と言って構えた。
「・・・、何事ぞ?何故じゃ?あやつは死したハズ・・・。何故じゃ?」
呆然とする美しい女性に対し
「淀殿、心の臓とは例え止まってもすぐに強い衝撃を与えれば再度動き始める事がござる。とは言っても滅多にある事ではないのですがな・・・、まったく腕力といい運も心の臓も強い男じゃ。」と赤備えの鎧武者はため息混じりに苦笑しながらそう言った。
「くっ!こうなれば・・・、いやまずは秀頼を・・・。」
美しい女性はそう言うと手に持っていた白い球体を口へと運んだ。
「これで、これでようやく・・・。」
そう言いながら美しい女性が白い球体を飲み込んだその瞬間、
「ギィィヤォァァァァァ!!!」
今度は天を貫くような甲高い悲鳴が響き渡った。
「オボゥワァ!!!!」
下品な音と共に大量の吐瀉物と白い球体を吐き出した美しい女性は「な、なんじゃ『コレ』は?!なんじゃ『コレ』はぁ!!」と叫んだ後赤備えの鎧武者を睨みつけ「・・・何をした?真田ぁ!!」と叫んだ。
赤備えの鎧武者は血だらけの顔を手で拭う。
鼻血は止まらず拭った先から流れ出て血を払った右目は焦点が定まらず虚ろ、そして左目は血を拭うとそこには何も無かった。
「仙石殿に床に叩きつけられた時にあまりの衝撃で目の玉が飛び出してしまったようじゃ。で、どうでござったか?『真田の眼』は?」
赤備えの鎧武者はそう言ってカラカラ笑った。
「貴様!貴様!!貴様ぁぁ!!」
美しい女性がそう喚いて赤備えの鎧武者に跳びかからんと身構えるも赤備えの鎧武者は冷静に槍を構えた。
「・・・。」
赤備えの鎧武者の冷静さに寒気を感じた美しい女性は『ハッ』とした様に己の吐瀉物にまみれた白い球体を見て笑った。
「ホホホ!!!体の一部じゃ!貴様の体の一部もらったぞ!!」
「ぬぬっ!!そうはさせるか!!」
大男は床に落ちている白い球体へ大木槌を振るうが間一髪のところで美しい女性が拾い上げる。
「しまったぁ!!」
大男が絶叫し
「ホホホホホ!!死にませい真田信繁!!それ呪いをかけるぞ!恐れおののけぃ!!」
美しい女性が高笑いする。
しかし、赤備えの鎧武者は微動だにしない。耳と鼻と左目から血を流しながらその口には薄っすら笑みすら浮かべている。
高笑いから一変、憤怒の形相になった美しい女性は
「死ねい!!真田信繁ぇ!!」
と叫んだ。
「・・・。」
大男が目をつぶった。
「・・・。」
美しい女性は唖然とした。
「・・・ハッハッハ、死にませぬなぁ。」
赤備えの鎧武者は胸元を叩いて笑った。
「何故じゃ?!くそぅ!!何故じゃぁ!!!死ねぇ!死ねぇい!!呪いじゃぁ!!何故死なぬぅ?!」
美しい女性が顔を歪めて床に『ドンドン』と地団駄を踏みながらそう叫んだ。
「・・・ど、どういう事にござるか?」
大男がキョトンとそうつぶやく。
「仙石殿、先程発した『真田信繁必勝の策』でござるがな・・・」
時は遡り昼前、真田の物見が諸将へ赤備えの鎧武者が書いた書を届けたがそれを見た者達は皆首を捻った。
「一体何だこれは?」
「何のおつもりなのか?真田殿は?」
「これを兵卒まで伝えよとは・・・。一体?」
首を捻る諸将の中、唯一人激怒する者がいた。
大野治長である。
「先程の秀頼様の命といいこの真田の書といい!真田信繁!!一体何を考えておる!!!」
大野治長の手に握られた『真田信繁必勝の策』である書にはただ一言
『本日今より我、真田信繁は名を改め《真田幸村》と申す』
と書かれていた。




