秀頼の眼 4
「ひ、秀頼様・・・。」
大男は体に似合わぬ小さな声でそう言うとフラフラと天守閣の奥、この城の主しか座す事の出来ない場へ進み両膝をつきうなだれた。
赤備えの鎧武者は辺りを警戒しながら肩を震わせる大男の元へと近づき「覚悟はしておったが、まこと残念の極みよ。」と呻いた。
灯りの足元には大量の血痕。これだけの出血で助かる者などいないだろう。
「・・・否定せんのか?仙石殿。」
赤備えの鎧武者がそう言うと
「ここに座れるのは秀頼様のみ。いかに淀殿が人外となろうともそれは守るハズ。くそぅ・・・、何故じゃ?何故じゃぁ!!淀殿!何故じゃぁぁ!!」
大男は人目もはばからず泣いた。
(確かに淀殿が何を考えているかまったくわかり申さん。秀頼様をお守りするために家康殿を呪い殺そうとするのはわかるがその生贄が秀頼様では本末転倒もよいところじゃ。)
赤備えの鎧武者がそう考えていると闇の奥から『クスクス』と笑い声が聞こえた。
赤備えの鎧武者がすぐさま槍を構え、膝をついて泣いていた大男が一瞬にて涙を止めて立ち上がり大木槌を振りかぶった。
「さぁなぁだぁ・・・。よく来たのう。よくも来たのう。」
暗闇に目が慣れると奥に艶やかな着物を着た美しい女性が立っていた。
「・・・淀殿。」
赤備えの鎧武者は十文字槍の穂先を向けそう言った。
「わらわに槍を向けるのは最早諦めるとして、『アレ』は諦められん。ちゃんと持ってきたのかえ?」
美しい女性がそう言い終わるか終わらないかのうちに
「何故にござるか?!何故秀頼様を害したのですか?!豊臣の世を!豊臣の世を終わらせてまで得るものがござるのか?!!淀殿!!」と大男が叫んだ。
「拙者もお聞きしとうござる。あれほどまでに愛されていた秀頼様を何故に?家康殿への恨み怒りが秀頼様への愛を上回ったのでござるか?」
大男とは対照的に静かに、だが力強く赤備えの鎧武者は質問した。
『秀頼』という言葉に小さく身体を『ビクッ』と動かせていた美しい女性は二人の質問には答えずに赤備えの鎧武者を舐め回すように見つめていた。
「仙石殿、壁に穴を開けろ。」
赤備えの鎧武者が早口にそう言って美しい女性の前に立ちはだかる。
「おうよ!」
大男は急いで壁に向かおうとするがすぐに立ち止まってしまった。
いつの間にか灯りのある城主の座以外の壁にそれぞれ一名ずつ侍女が座っていたのだ。
「む、むう・・・、推して参る!!」
大男は大きな掛け声と同時に座っている侍女に向かって突進し大木槌を振り上げた。
「なっ?!!」
横目でそれを見ていた赤備えの鎧武者と大木槌を振り下ろした大男は同時に驚嘆の声を出した。
大木槌を振り下ろされた侍女は座ったまま片手でそれを止めたのだ。それどころか押し返そうとしている。
「仙石殿!」
赤備えの鎧武者が加勢に向かおうとすると灯りの側から侍女が一人現れ火を吹き消そうとした。
(この明るさに目が慣れてしまった今灯りを奪われれば闇に目が慣れるまでに時間がかかる!それはマズい!!)
赤備えの鎧武者はすぐに反転、火を吹き消そうとする侍女へ槍を振るった。
しかし、その神速の槍を侍女は事もなげに後ろへ身を引いて躱し後ろへ引いた時よりも早い動きで元の位置へと戻ると『フッ』とひと息で灯りを消してしまった。
「仙石殿!急げっ!壁を破るのだ!!」
赤備えの鎧武者がそう叫ぶと同時に大男の大木槌を止めている侍女以外の三人が一斉に赤備えの鎧武者へ飛び掛った。
「アハハ!アハハハハ!!必死の真田殿なぞ滅多に見れぬものよのう!!『急げっ!』とな!!アハハハハ!!」
美しい女性は品なく高々と笑った。
「むぅ!!何という力じゃぁ!!」
ジリジリと大木槌を押し返される大男の顔は暗闇の中真っ赤になっていた。
左手一本で大木槌を押し返してる侍女のもう片方の手に鈍い光が射す。
爪が『グイグイ』と伸びてきているのだ。
天守閣には刀のぶつかり合うような金属音がこだましている。
赤備えの鎧武者の槍と侍女達の爪がその音を立てているのだ。
「先程までとはまったく違う!なんじゃこの速さと硬さは?!」
暗闇の中必死に攻防を繰り返す赤備えの鎧武者の目に大男へ振りかざされる凶悪な爪が見えた。
「仙石殿!刀に持ち替えい!!お主の馬鹿力なら切れるハズじゃあ!!」
赤備えの鎧武者の声に大男は大木槌を手放し腰の刀を抜こうとする。
「間に合え!!」
赤備えの鎧武者はそう言いながら小手より棒手裏剣を取り出し大男と向かい合う侍女へ投げつける。
その一瞬のスキを突かれ赤備えの鎧に侍女の爪が突き刺さる。
「むうぅ!!」
赤備えの鎧武者のその声に美しい女性がニヤリと笑う。その背中から出ている白くて細い糸のようなものが侍女達の首の後ろあたりにつながっていた。
「わらわが直接操ればひ弱な侍女とはいえ瞬く間に剛の者と化すのよ。」美しい女性はそう言って舌舐めずりをした。
「真田ぁ・・・。楽には殺さぬぞ。楽にはなぁ。」
美しい女性はそう言った後ゆっくりと両手を顔の前で交差させたまま動かなくなった赤備えの鎧武者へ近づいて行った。
「ホホホ、真田の串団子の出来上がりじゃ。」
美しい女性がそうつぶやく。
三人の侍女の爪はそれぞれ赤備えの鎧武者の肩と腹と太ももに突き刺さっていた。
「さぁ、指を落とそうか皮を剥ごうか肉を削ごうか。」
美しい女性が更に赤備えの鎧武者へ近づくと
「・・・暗くてよく見えぬ故近づいて来るのをお待ちしておりましたぞ。」と暗闇の中でも見えるくらい目を爛々(らんらん)と輝かせて槍を構え直し赤備えの鎧武者はそう言った。
「ヒィィ!!何故じゃ?!何故動ける?!」
美しい女性は悲鳴と共に背中より巨大な虫の足のようなものを出し後ろへのけぞった。
「丹精込めて作らせた赤備えの甲冑、人外の者なぞに貫けはしませんぞ!」
赤備えの鎧武者が槍を振り回すと侍女達の首の後ろから生えていた白い糸が切れた。
「く、外したか!」
赤備えの鎧武者はそう言った後すぐに侍女達が呆然としているのに気付き「隙有り!」と一気に首を落とした。それと同時に『ドシャリ』という音がして大男に対峙していた侍女が真っ二つになって床へ倒れた。凶悪な爪が生えたその右手首には棒手裏剣が突き刺さって壁に縫い付けられていた。
「何やら動きが止まってくれてよかったが刀を抜くのに手間取ったせいで冷や冷やしたわい。」
大男はそう言って刀を床へ突き立てて大木槌を拾い大きく息を吸った後に壁へ向かって振り上げた。
「真田殿!!やりますぞぉ!!」
「おぅ!!やれぃ!仙石殿!」
大男は思いっきり壁へ大木槌を振り下ろした。
『ドゴォン!!』という激しい衝撃音と共に壁が崩れ落ちる。
「さて、終わりに致しましょうぞ。」
赤備えの鎧武者は爪を突き立てられた腹を抑えながらそう言った。
「『終わり』?ホホ、確かに終わりじゃなぁ。」
美しい女性が顔をひきつらせて笑う。
「な・・・?こ、これは?」
大男が外へとつながった大穴を見て顔を青ざめさせ愕然とつぶやいた。
赤備えの鎧武者が体の傷の痛みに顔を歪めて大穴を見るとそこには闇が広がっていた。
「い、いったい、いつの間に・・・、夜になっていたのだ・・・?」
大男が大木槌を床に落としてそう言った。




