秀頼の眼 10
夜の大阪城。
蝋燭の灯りがユラユラと揺れる中美しい女性が廊下をせかせかと歩く。
「こんな時間に母を呼び出すとは・・・、えぇい!全くもって長い廊下じゃ!妾は急いでおるのじゃ!!」
美しい顔を引きつらせて文句を言いながら美しい女性は天守閣へと入って行った。
天守閣には細い風が流れていてそのせいかいつもより蝋燭の数が少なく薄暗い。
「夜はまだ冷えます。木戸を閉めさせましょう。」
美しい女性がそう言うと奥に座した巨軀の若武者は静かに「いえ母上、今宵は月も綺麗ですしそのままにて。」と言った。
その言葉に開いた障子へ向かう足を止め巨軀の若武者の前に正座すると美しい女性は「で、何用ですか?」と目を合わさない様に聞いた。
巨軀の若武者はこんな時間に呼び出され機嫌を悪くしている美しい女性を見て少し困った顔をした後「じつは・・・、先程まで真田殿と後藤殿に呼び出されて、その、酒宴を致しておりました。」と言った。
「さ、『真田と後藤に』?!『呼び出されて』?!『酒宴』?!!」
美しい女性は目を見開き真正面から巨軀の若武者を見据えてそう強い口調で言った。
「この様な時に、し、酒宴なぞあやつら一体何を考えて!しかも総大将を『呼び出す』とは何事ぞ!!」
美しい女性は美しい姿勢のまま怒りを口にした。
「それに!秀頼が天守より出る時は必ず妾に知らせよと言うておったというに!!見張り番は何をしておるのじゃ!!」
床を睨みつけ怒り続ける美しい女性に
「母上、まずは聞いて下され、言い方が悪うございました。『呼び出された』のではなく『招待された』のです。」と巨軀の若武者が言うと「同じ事じゃ!!」と取り付く島もない。
「それに、この大阪城には見張り番どころか母上も知らぬ抜け道がまだたくさんあるのですぞ。」
巨軀の若武者はそう言った後嬉しそうな顔をして「いやぁ、楽しかった。とても有意義なひと時でございました。」と言った。
「秀頼、お前まさかあの二人に何かおかしな事を吹き込まれたのではないでしょうね?!」
美しい女性が喧々したままそう言うと「何も吹き込まれてはおりませぬ。二人から勇将達の武勇伝をお聞かせいただいたのですよ。いやぁ〜、後藤殿の話も面白かったが真田殿の話は凄かった。話を聞いているだけで血がたぎる思いでしたよ。」と巨軀の若武者は天井を見上げ、いや、その上の星空を見上げてそう言った。
「それがあやつらの策じゃ!!お前を焚きつけて前線に引っ張り出すのが目的なのじゃ!!ダメじゃぞ!絶対に前線などには行かせぬぞ!!」
頑なに怒り続ける美しい女性に苦笑しながら巨軀の若武者は「彼等はそんな事考えておりませんよ。そんな話は一言も出ませんでした。」と言った。
「ならば!何故にお前を呼び出した!何か謀あっての事であろう!!」
「気を、気を使われたのでございます。」
美しい女性の怒声に間髪入れずに巨軀の若武者が答える。
「二人は私に対して、息子ほど歳の離れた私に対してまるで友の様に語りかけて下さいました。」
「総大将に向かってなんたる無礼な!!『友』とは何じゃ『友』とは!!」
今度は美しい女性が間髪入れずに叫んだ。
「母上、無礼にはございません。二人は酒宴の前に刀を私の前に差し出しておりました。何ぞ気に触る事あらば斬ってくれて構わないという事でしょう。」
それに対して懐から出した扇子を握りしめて「か、覚悟があれば何をしても良いという事ではありませぬ!!」と美しい女性は憤慨した。
そんな美しい女性とは対照的に穏やかな顔をした巨軀の若武者は静かに
「・・・嬉しかったです。とても嬉しかったです。」
と言った。
「?!」
思いもかけぬ言葉に美しい女性が放心していると
「軍議の際、いや、常日頃からまるで『腫れ物を触る』かの如く扱われていた私に気を使ってくれたのでしょう。思えば心から笑うなどいつ振りの事やら。」
巨軀の若武者は今度は床に視線を落として言った。
「お、お前は天下の豊臣家の跡継ぎぞ。そこらの田舎武士とは違うのじゃ。」
美しい女性は少し戸惑った様にそう言った。
「母上、わかっておりまする。私がその様な事を望んではいけないというのはよくわかっておりまする。だからこそ、今この時にこの様な酒宴ひらいてくれたのでしょうぞ。これが最後の盃と。」
巨軀の若武者のその言葉に目を吊り上げさせて「あやつら!!負ける気か!!まさか裏切るつもりでは?!!」と美しい女性が立ち上がって叫ぶと
「違いまする!!」
巨軀の若武者の一喝に肝を抜かれた美しい女性はヘナヘナと座り込んだ。
「聞いて下され母上、彼等は酒宴の後に私にこう言いました。『淀殿とお逃げ下され』と。この戦、万に一つも勝ち目はござらぬと。例え家康殿を討つ事叶うても勝てませぬと。」
少し悔しそうな顔をして巨軀の若武者はそう言った。
「な、何を弱気な!やはり碌でもない事を吹き込まれておるではないか!!あやつらめぇ!!」
そう喚く美しい女性には構わずに巨軀の若武者は「我等が逃げてお主達はどうするのかと聞くと二人は声を合わせて『見事な死に花咲かせまする!』と言いました。若い兵達が少しでも多く逃げれる様に戦い尽くすと。それはそれはまぶしい笑顔で言いました。」と今度は少し悲しそうな顔をして言った。
「この秀頼ではお家再興は叶うまい、命を懸けたお主達に何の報いもしてやれぬぞ、と言うと真田殿は言いました。『秀頼様は生来人の上に立つお方。それが数人でも数十万人でも構いませぬ。とにかく生き長らえませい。そして立派に人の上に立ちませい。』と。」
そう言うと少し誇らしげに微笑みすぐに口元を引き締め「母上にお願いしたい事がございます。」と言った。
ただならぬ雰囲気にツバを飲んだ後「ね、願いとはなんじゃ?」と美しい女性が聞いた。
「私はあの様な心地良い者達を死なせたくはありませぬ。この首を持って家康殿と和睦する事に致しまする。」
それを聞いた美しい女性はすぐさま立ち上がり
「それはダメじゃ!!それだけはダメじゃ!!わかった!わかり申した!!妾と逃げ申そう!!誰ぞ!!今すぐ真田と後藤を呼べ!!今すぐじゃ!!」と喚き散らした。
「母上・・・、もう、もう決めたのです。」
そう言う巨軀の若武者の顔色の悪さにようやく美しい女性は気が付いた。
「お前・・・、まさか、まさか!!」
美しい女性が巨軀の若武者に走り寄る。
蝋燭の灯りの暗さにその顔色に気付かず、天守閣を通り抜ける風でその血の匂いに気付く事が出来なかった。
巨軀の若武者はすでに腹を切っていたのだ。
「ひ、ひ、ひ、秀頼ぃ〜!!誰ぞ!!誰ぞあれ!!」
取り乱す美しい女性の肩をしっかりとつかんで巨軀の若武者が
「は、母上、秀頼は『守りたいもの』が出来申した。それは『高い位』や『豊臣の名』ではなく『母上』や『私のために命を投げ出す者達』です。さ、最初で最後の我儘がこの様な事で、申し訳ございません。」と言うと美しい女性はその腕をしっかりとつかみ返し「喋るでない!今母がそのケガを治してやるからな!喋るでないぃ!!」と涙を流しながら叫んだ。
「それと、もう一つ、お願いしたき事がございます。」
巨軀の若武者の声がどんどん弱っていくのを感じて美しい女性は「何と馬鹿な事を、何と馬鹿な事を。」と何度もつぶやいた。
「・・・、今度生まれ変わる時も、また、母上の子に、生まれてきてよいでしょうか・・・?」
巨軀の若武者のその言葉を聞いて美しい女性は顔が上下に引き裂かれんばかりに目と口を大きく開け声にならぬ悲鳴を上げた。
そして巨軀の若武者から生気が消えた。
その大きな体を床に横たえると美しい女性は上に覆いかぶさり「何度でも、いつ何度でもお前は私の子として生まれるのじゃ。何度でも生み治してやるぞ秀頼ぃ〜!!」そう言って美しい女性は泣きはらした後『スッ』と立ち上がった。
その目にはすでに狂気があった。
「そして妾はまず『死体を蘇らせる事』、その後は『秀頼を甦らせる事』に没頭した。」
赤備えの鎧武者の前で正座した美しい女性は淡々とそう語った。
「じ、実際死体が動いている訳でござるから事実なのでしょうが、その様に簡単に出来る事なのでしょうか・・・。」
大男が今もなお戦場で蠢めく死兵を遠目に見てそう言った。
「大陸より伝わりし秘伝の書。そこには『禁呪』と呼ばれる項がありそこに『死体を蘇らせる術』があった。そこに書いてあった条件『強力な魔力を持つ札』、『穢れた土地』、『辺りで一番の高所』は満たしておった。そして一番困難とされる『術者にとって最も大切な生贄』を妾は捧げたのじゃ。」
「秀頼殿を甦らせるために秀頼殿を生贄に。何かあべこべな気が致すな。」
偉丈夫の鎧武者がそう言うと美しい女性は肩を震わせ「その通り、術は失敗じゃった。関係のない死体共が勝手に蘇り・・・、それどころか生贄にされた秀頼の身体は朽ち果て、見るも哀れな姿に・・・。」と言うと両手で顔を覆った。
「・・・白い球体は一体何のために?」
大男がそう聞くと美しい女性は肩の震えを止め「妾は『術の改良』を考えた。」と言った。
「秀頼を甦らせる事が叶わぬのなら『生み治す事』は出来ぬのかと。」
美しい女性は自分の下腹をさすってそう言った。
「『人を呪わば穴二つ』。生み治すための方法を見つけられないまま禁呪を使った妾も呪いに侵されまともな思考がどんどん出来なくなっていった。蘇らされた兵達の苦痛と怨念が妾を蝕んでいったのじゃ。気が付けば侍女を殺しその血を啜る悪鬼へと成り下がっていた、だが狂気の果てに天啓が降りてきたのじゃ。
『秀頼をもう一度身体へ取り込めば良いのではないか』と。」
貫禄のある老人は先程までの大きな口を持った化け物を思い出し「ひぃっ!」と声を上げた。
「あの子を生み治すためにあの子の体を喰らった。喰らう最中『何故こんな事になったのか』をずっと考えておった。何故、何故にかをずっとじゃ。」
そう言う美しい女性の顔が引きつったのを見て偉丈夫の鎧武者は刀に手を添えた。
「『悔しい』、『悲しい』、『憎らしい』、この三つの事だけが頭をグルグルと回り気が付けば秀頼の体は最後の目玉一つを残すところとなっておった。」
美しい女性は空中にて白い球体を握りしめた手のひらを見つめて寂しそうに言った。
「その頃には妾はもう何を成そうと何をしていたのかもわからなくなっており、ただ『コレは秀頼だったモノ』、そして段々と『コレは何か大切だったモノ』としかわからなくなっていった。自分が誰であったかすら見失う寸前に現れたのがお主らじゃった。」
「そして我等が『ソレ』を何かもわからずに淀殿より奪ってしまった、と。」
赤備えの鎧武者がそう言うとすぐに「で、では我等が『ソレ』を奪わねばここまで大事にはならなかったかもしれんという事か?もしかすれば人の心を無くした淀殿は夜闇に紛れ誰も何もせずともどこかへ行っておったやもしれんという事か?」と大男が口を挟むと
「いや、もし真田殿一人に憎しみの矛先を向けていなければ妾は夜の内に城の者全てを喰い殺しておったやもしれん。その次の夜には外にいる豊臣、徳川の兵達じゃ。何故か武士共が憎くて憎くてしょうがなかったのじゃ。」と美しい女性が言った。
貫禄のある老人はその言葉に一人身震いをした。
「・・・憎くて、憎くて、憎くてしょうがなかった。秀頼の死を悲しむより何かを憎む事ばかり考えておった・・・。」
そう言うと美しい女性は貫禄のある老人を冷ややかに見つめた。
「ひ、ひぃぃ!!」
貫禄のある老人は偉丈夫の鎧武者の背後に隠れて小さく悲鳴を上げた。
赤備えの鎧武者はその視線を遮る様に槍を出し「秀頼様の件、淀殿にも責任があり申すのですぞ。」と少し強い口調でそう言った。
美しい女性は素直に視線を地に落とし
「・・・わかっておる。」
と小さく返事をした。
「地位も、名声も、そして大切な息子も全部を守ろうとして、浅はかな考えと傲慢な意地で全てを失ったはこの愚かな母のせいじゃ。その愚かさで大勢の人を巻き込み戦を始め、その挙句呪いに憑かれ戦さ場を汚すとは・・・。」
美しい女性はそう言うとゆっくりと頭を下げ
「呪われし穢れたこの身、いかようにでも滅ぼして給え。」と言った。
しかし偉丈夫の鎧武者も大男も、そして赤備えの鎧武者も動かない。
貫禄のある老人が「さ、真田殿に刃のついた槍を渡して差し上げい。」と偉丈夫の鎧武者に言った後に「真田殿!淀殿の望むにしてやるが人の情けぞ。」と赤備えの鎧武者へ言うと赤備えの鎧武者は折れた穂先を『ヒュン!』と一回ししてから貫禄のある老人の喉元へ向け「槍は使い慣れたものが一番にござる。」と言った。
槍の穂先を向けられてからしばらくしてようやく「ひぃぃ!!」っと声を出した貫禄のある老人には見向きもせずに赤備えの鎧武者は美しい女性へ「死兵をどうにかしていただけませぬかな?」と言った。
美しい女性は頭を下げたまま「妾が滅せば元の死体に戻ります。」と答えた。
「そうですか、それでは。」
赤備えの鎧武者はそう言って槍を平伏したままの美しい女性に向かって構えるともう一度口を開いた。
「そういえばでござるが、『生み治しの術』。結局のところあれは成功適うものなのですか?」
その問いに美しい女性は少し顔を上げ「真田殿に邪気を祓っていただいた今ならこの身を生贄にすれば成功適うかと思われますがそのためには秀頼の体の一部でも欠けていては無理なのです。」と言った。
「では、あの『眼』さえあれば。」
赤備えの鎧武者のその言葉に
「えぇ、あの『眼』さえあれば。」
と美しい女性が残念そうに答える。
「そうでござるか。」
赤備えの鎧武者がそう言うと奇妙な音がしたので美しい女性は顔を上げた。
「??!」
美しい女性が見たのは己の右目に指を突っ込んでえぐり出そうとする赤備えの鎧武者の姿であった。
「な、何をしておるか真田殿!!」
大男が大声でそう言うと右目をえぐり出した赤備えの鎧武者はニンマリ笑って
「正真正銘、これが『秀頼様の眼』にござる。」
と言った。