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学校の校門前に、見慣れない男性が立っていた。何かを配っている様子もなく、塾の勧誘というわけでもなさそうだ。
今日は制服を着ている人数を数えるわけでもないので、私はサッと横を通り過ぎることにした。
「山岸さん、おはよう」
突然男が声をかけてきた。
少し驚いたが、よく顔を見ると、この学校の教頭だとわかった。いや、名前はわからないけれど。「おはようございます。」軽く礼をして校門をくぐった。
「悪いんだけど、これから校長室に来てくれるかな。」
今度は本当にビックリした。
「失礼します。」
いつもよりも深く礼をして、校長室の中に入る。中はいかにも偉そうな人の部屋だ。高そうな木の机は光沢を放っているものの、書類が山積みになっていて天板は見ることができない。部屋の両側には大きな本棚があり、様々にラベル付けされたファイルが収まっている。
校長は黒い、座り心地の良さそうなイスに座っていた。
「教頭先生、わざわざありがとう。」彼がそう言うと教頭は一礼して部屋を出た。
「山岸さん、わざわざ連れて来て悪かったね。」教頭が部屋を出てすぐに彼はそう言った。校長はグレーのスーツに身を包んでいた。赤いネクタイがアクセントになっている。どちらかというと痩せている校長は、その残念な頭を除けばなかなかにかっこいいおじいさんに見える。
少しだけ髪を残すくらいなら、全部剃ってしまえばいいのに。
「まぁ、話す内容はなんとなくわかっていると思いますが…あなたの制服連合のことです。」全校生徒に対して話す時とは違い、少し話すスピードが早い。そして、厳しい声色だった。
「生徒たちが自主的になにかを始める、というのはとても良いことです。そういう点では、私はあなたをとても評価しています。ですが、あなたほど賢い生徒ならわかるでしょう。国は黙って見過ごしてくれないのです。このままでは、この学校全体に迷惑がかかってしまいます。私としても…」
時間がないので、手短にお願いします、そう言うと校長は腕時計を見て「これは悪いね」と笑みを浮かべた。切れ長の目がこちらをじっと見つめている。なんだか気持ち悪い、嫌な大人の匂いがした。
「端的に言いましょう、制服連合を解散してください。あなたが始めたんだ、山岸さんがいなくなれば他の人たちも自然と止めていくでしょう。」
私は考える時間をかけずに、言った。
「すいませんが、お断りさせていただきます。しかし、学校に迷惑がかかるのは私本意ではありません。ですから、次に文部科学省の方がこの学校に来た時には、私に知らせてくださいませんか?そうすれば、私たちの活動の趣旨を説明し、理解してもらえるかと思います。」
言い切る前に、予鈴が鳴り始めていた。
「では、私は授業がありますので、これで失礼致します。」
校長が何か話す前に、私は一礼して校長室から出た。まるで空気が軽くなったような、そんな気分がした。
「と、いうわけだから、怜治君そのときはよろしくね。」
その日の昼休み、私は怜治君だけを食堂に呼び出し、朝の出来事を告げた。
「え、文科省の人にぼくが話すわけ?」
「そう、もしもその役人を納得させられれば、後ろめたいこともなく、活動を続けられるじゃない。」
「まあ、そうだけど…」彼はひとつ大きなため息をついた。
「怜治君が一番しゃべるのうまいし、慣れてるから、お願いします。」
私は少しふざけながらも顔の前で手を合わせた。
「わかったよ…もう決まったことだし。」彼は困惑しているのか、それとも嬉しいのかわからないような顔をしていた。でも、と彼は付け足した。少し声が小さくなっていた。
「ぼくは、そんなに制服が好きなわけじゃ…ないからね。」
それくらい、わかっていたことだったけれど、少し悲しかった。
「うん、わかってたよ。でも、それは秘密にしといてね。」
彼はそんなの当たり前だよと言った。声量はもとに戻っていた。
-ねえ、ちょっと相談したいことがあるから、一緒に帰ってくれない?-
5時間目の休み時間、怜治君にそうメールで送った。
-わかった、教室の前にいる-
6時間目のホームルームの間に返信が来た。絵文字も、顔文字もない、無機質なやり取りが私にはうれしかった。
「待たせてごめん、先生が相変わらず話長くて。」
私のクラスはいつも終わるのが遅い。今日は殊更長かった。期末試験があることくらい、みんなわかってるのいるのに、グダグダとそのことについて話す。そして話がそれる。またそれも長い。結局15分くらい話してた気がする。あぁ、イライラする。誰が教室掃除をするかくらいみんなわかってる。今日は水曜日なんだから。
「大丈夫、ぼくのクラスも今日は長かったから。春休みのやつができたみたいで。」
彼のクラスの担任は、特に変わっている。もう40を過ぎているのに、まだ独身で、長期の休みがあると、毎回海外旅行に行く。そして、誰が読んでいるのか、旅行記を書いてクラスのみんなに配っているらしい。A4サイズで4ページ分もビッチリと文字だけで埋められたプリントを怜治君は見せてくれた。「それ、読んでるの?」
「無理だよ。」そう言って彼は首を振った。
校舎の外に出ると、まだ日が高く、グラウンドには野球部を初めとする運動部が練習を始めていた。この時間に帰る生徒はほとんどおらず、校門前にもほとんど人がいなかった。
「怜治君は、大学どうするの?」
そう言うと、彼は中堅の国公立の名前を挙げた。
「怜治君ならもっと難しいとこに行けそうなのに。」
「そんなに成績良くないよ。この前の模試も、手応えなかったし。」
彼はそう言って笑った。3年生ですでに緊張感を持っている人は少ない。そう言う私もまだ「受験生」という実感はあまりない。
「それでさ、相談って?」彼の顔はいつも通り優しい。
「うん、その勉強の話でさ、この前の中間テスト、すごく悪くて、おばあちゃんに『塾にでも通え』って言われた。」
彼は困ったような、でもそれを隠すような顔で相づちを打つ。
「モチロン、私は制服連合を止めるつもりはないし、勉強なんて夏休みから本気だせば大丈夫だと思ってるけど…期末テストでいい結果を出しておばあちゃんを安心させたい。塾に通うお金ももったいないし。」
だから、と私は続けた。
「勉強教えてくれない?」
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