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やってしまった、それ以外何も考えられなかった。
彼が覚えていてくれたことは、本当にうれしかった。しかし、それと同時に、母が殺されたという事実が頭を駆け巡った。
辛い、そんな言葉では足りない。
あれ以上彼の話を聞いてしまうと、頭がおかしくなりそうだった。
今までもずっと、母のことを忘れたことはなかったと思っていた。でも、忘れていなかったとしても、頭の隅に追いやっていた。現実を直視しないように。
あぁ、これで彼は、私が例の女の子だと知ってしまっただろう。誰にもまだ話していないだろうか。高校最後の1年で、またあんな苦しい思いをしなければいけないのだろうか。
私はファミリーレストランから、直接家に帰った。家に着いても、心は落ち着かなかった。部屋においてある母の写真を見る度、胸に棘がささったみたいだった。
不安に我慢ができなくなって、彼にメールをすることにした。
打つ手が震えた。
-今日はゴメン、わかってると思うけど、私たちは昔会ってるの。前からわかってたけど、言えなかった。お願いだから、ほかの人には言わないで。-
何度も文面を確認して、送信ボタンを押す。送信中の画面に写るゲージが、なかなか動かなくて柄にもなくイライラした。
返信はなかなか、というかその日は返って来なかった。彼を傷つけてしまった、そんな罪悪感までもが私の涙を無理矢理押し出した。
その日はいつの間にか眠ってしまっていた。
次の日、少しは落ち着いた私は、いつものように学校に行った。でも、怜治君は学校には来ていなかった。
期末テストも終わり、今日は午前に学年集会があるだけで、午後には放課後になった。学年集会の内容はモチロン、受験勉強だ。有名な塾講師を呼んだりして、学校は私たちのモチベーションを上げようと必死になっているようだった。その思惑通り、やる気になっている友だちは何人もいた。
私は話を聞こうとも思わなかったが。
まだ彼は誰にも言ってないようだった。モチロン、この学校にいる人には、ということだが。いや、高校生にもなると、それくらいは気を使っているだけかもしれない。そう思うと、誰もが自分の過去を知っているような気がした。
心配になって、つまり、怜治君が本当に誰にも喋っていないか、そして彼の体調の両方が心配になってもう一度メールを打った。
-身体大丈夫?休んでるから心配です。もし私のせいなら、本当にごめんなさい。できるなら、またメールしてね。-
今度は、すぐに返事が返って来て驚いた。
-大丈夫、心配しないで。-
それだけしか書かれていなかったけれど。
彼は結局、終業式前の2日をまるまる休んだ。授業があるわけでもなく、勉強に問題があるわけではない。
彼の友だちには、彼は休んで一日中勉強をしているのではないか、なんて言う者もいた。
私は、あれから一通もメールは送っていない。「大丈夫」と言われたのだから、これ以上心配するようなことを聞くのはどうかと思ったからだ。
でも、今日、つまり終業式には彼に来てもらわなければいけなかった。それは、今日藤代さんがやってくる、そう校長から通達があったからだ。
私は昨日の夜、彼に電話をかけた。そうしたほうが緊急がと彼もわかるだろうと思った。通話料がけっこうかかってしまうが、祖母の説教を10分くらい聞き流せばいい話だ。
「もしもし、山岸さん?」
2コールで彼は電話にでた。彼の声はいつもと変わらないように聞こえた。
「もしもし、元気?」
「うん、大丈夫だって。どうしたの?」
「明日、藤代さんが来るって。だから、怜治君にも来て欲しいの。それに、明日は終業式だし。受験生の夏休みは孤独なものらしいから、最後くらい制服連合みんなであつまりたいよ。」
もしかしたら、怜治君に会いたいだけなのかもしれないけれど。
「そっか、どっちにしても明日は行くつもりだったし、知らせてくれてありがと。明日は絶対行くよ。」
「よかった、待ってるね。それじゃあ、また明日。」
「うん、またね。」
それだけだった。通話時間40秒足らず、これなら祖母にも怒られないだろう。
ほっとした私はお風呂に入ることにした。
終業式は体育館の中で行われた。できるだけ窓は開けてあるけれど、中は何百人という生徒が固まっている、とにかく暑かった。そんな中での校長の長い話だ。これだけ意味のない話をするのには、才能がいるだろうな、そんなことを思いながら聞き流す。次会ったら、言ってあげようかな、「先生の話、ちゃんと聞いてる人なんて1割以下ですよ」なんてことを考えながら、私は怜治君を探した。
私は彼の後ろ姿を見つけ、安心した。制服を着ている生徒は目立つ、というか今となっては着ているだけで、誰なのかはかなり絞り込める。
いつも通り、終業式が何事もなく終わった。もう終業式を体験するのは、2学期の1回だけなんだ、そう思うと校長の話を聞いておくべきだったか、とちょっと後悔した。
通知表をもらい、放課後、というか夏休みは始まった。さっさと家や塾に行こうとする人もいれば友だちと談笑する人もいる。夏休みも終わればみんな受験モードになっているのだろう。
会議室に行くと、もう既に怜治君が机のセッティングを始めていた。
私が部屋に入ると、彼はこちらを見て言った。
「山岸さん、久しぶり」
私は涙を出さないように必死でこらえていた。
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