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最後

「くぅ……凄い抵抗だ。普通に歩くのも一苦労だよ。まったく、魔法ってのは厄介だね」

 数百キロの重りでも括りつけられているかのように足が重い。重力にも異常が生じているようで、一歩進むごとに足が地面にめり込む。しかも、扉が開いている場所に近づけば近づくほどにその歪みは大きくなっているようだ。

「すでに足元もグラウンドじゃなくなっているし、急がなきゃいけないね」

 さしもの小豆も、ことの重大さを肌で実感していた。そしてそれは、そのまま小豆の性分に直結する。

「この世界を、終わらせるわけにはいかない。それが正義だ」

 揺らぐことのない信念を再確認し、同時に気づいてしまった。

「正義の味方、やらなきゃだね」

 零した一言に、小豆らしい力強さはない。あるのは、思春期の少女なら誰しもが持つ年相応の不安と、願いがかなわないことへの寂寥とした気持ち。

 憧れていた。昔から。

 正義の味方が出てくる番組は、テレビの前で正座して、力いっぱいグーを握って見つめていた。正義は必ず勝利して、必ず世界を守った。無辜の民を守った。なによりも、愛する誰かを守った。

 憧れていた。いつでも可愛らしくて一途で、正義の心を内に秘めた、ヒロインに。

 守られ、大切にされ、時には助けられる。そんなヒロインがまぶしかった。

 なのに自分は可愛い顔の一つも作れないまま、気がつけば正義の味方だ。

「……ばか」

 最後の一歩を踏み込んで、呟いた。

 目の前には、ぐにゃぐにゃにゆがんだ光の線がはっきりと口を開けている。平らなグラウンドだったはずなのに、空間ごと歪んでいるせいで、直線ではなく口を開けたシャコ貝のようになっている。おどろおどろしさもそのままに。

 振り返ってみても、先ほどまでは見えていた景色がまるで見えなくなってしまっている。それ程に空間が歪み、しかも向こう側からは禍々しい空気が、煙のように流れ込んでいるのが見える。この場所だけがすでに扉の向こう側になってしまったかのようだ。

「さあ、正義会の力を見せつけなきゃだ。行くぞ、悪の……悪の、これはなんだろう? まあいいや。うりゃ!」

 表情に乏しい顔を少しだけ歪めると、不機嫌そうに見えるがそんなことはない。

 口を開けている光の稜線に手を伸ばすと、確かな感触がある。と同時に、焼けた鉄を押しつけられたような痛みが、背筋を突き抜けた。

「くぅぅぅ痛いなぁ、もう。でも、」

 たしかに美緒の言葉通り「めちゃくちゃ」痛い。痛いが。

「これなら、いける」

 意を決して光のふちに手をかけ、力いっぱい握りこむ。

「うぅぅりゃぁぁぁぁぁぁ! 閉じろ、閉じろ!」

 両者を合わせるように力を込めるが、それに反発するように熱と衝撃も倍加してゆく。

 それでも小豆は手を離さずに、さらに力を込める。

 すでに手首から先の感覚はないに等しいのに、痛みと熱さだけはいやがらせのように脳髄を痺れさせる。何もかもを放り投げて逃げ出したい衝動も何度となく浮かんだが、そのたびに小豆は意志の力だけでそれをねじ伏せた。

 それまでゴリゴリと音を立てて開いていた扉も、今は逆に閉じ始めてはいるが、それもカタツムリが這うような速度だ。完全に閉じきるとなれば、どれほどの時間がかかるのか考えたくもなかった。

 だから、そのことについても考えられなかったのは、仕方がないのかもしれない。

 徐々に狭まってゆく扉の隙間に、二つの光がぼんやりと浮かぶ。

 ギシャァァァァァァァァ

「しまっ」

 ぬるりと這い出るそれは、以前のオリエンテーションで美緒が呼びだしたものを、三割増しでグロくしたようなデザイン。しかもこちらの世界に定着していないようで、所々がどろっとした液状のままだ。

「成敗!」

 蹴り足をのばし、頭と思しき場所をを叩き潰す。

 両腕を塞がれているおかげで全力とは言い難いが、それでも威力は十分。爆破されたようにトカゲのような頭部がはじけ飛ぶ。しかし、

「まったく、つくづく魔法って厄介だ……もつかな?」

 弾けた頭の根元がぐにゃぐにゃと歪んで盛り上がり始めたかと思うと、向こう側から溢れる煙を吸い込み、再生してしまう。それでも小豆は間髪いれずに、

「でぇい!」

 頭に、胴体に、腕とも触手ともつかない部分に、再生の暇を与えないように蹴りを叩きこみ続ける。それでも、

「くそぉ、ダメか。あっち側に繋がってる限り出てくるみたいだな」

 小豆の言葉の通り、体のほとんどが消し飛んだにもかかわらず、驚くほどの速度で再生し、何事もなかったかのよう這い出そうとしている。

「ゾンビは真弘一人で十分だよ。化け物はおとなしく」

 シャァァァァァ!

「!」

 背後からの声に振り返ることもできず、自分に覆いかぶさった影を睨みつける。

 当然といえば当然だが、敵は一匹だけなんていうご都合主義な展開もありえない。さらに這い出した一匹が、こちらはすでに輪郭を獲得して立ち上がっていた。

 影はゆっくりと腕を振り上げる。爪らしきシルエットが、直視する以上の恐怖を煽る。

 音がするほどに奥歯を噛みしめるが、どうなるものでもない。多少のダメージはやむなしと腹をくくって両腕に再び力を込め直す。できるのは、一秒でも早く扉を閉じて、しかる後に敵を殲滅することだけ。

「僕の体がもてば、だけど」

 振り下ろされた爪が、背中を引き裂くように振り下ろされ、覚悟を決めたその瞬間、

「おらぁ!」

 やさぐれた声とともに、影が横なぎに吹っ飛んで扉の向こうに消える。

「あっぶね~。わりぃ、待たせぶべらぁ!」

 門から手を離して振り返る。振り返りざまに小豆の傷だらけの拳が、背後でドヤ顔をしていた真弘の顔面を、えぐりこむように直撃する。

「う、うぅん、今来たとこ」

「それ言うタイミング違う! 手ぇ離してる! 後ろになんか産まれてる!」

 真弘の言葉を聴くよりも早く動いた小豆の、強烈な後ろ回し蹴りが、周囲に漂う紫色の空気を巻き上げながらトカゲ頭に炸裂する。生理的な嫌悪感を誘う「ぐちゃ」と「どしゃ」の中間のような音をあげて、トカゲもどきは崩れ落ちる。

「ま、まひろ、来てくれたのか」

 上半身はちょっとモジモジしているが、下半身は実に力強く蹴りの慣性を殺しているというアンバランスきわまる姿に、いつも通りの小豆を感じて真弘はほっとする。

「いや、あきらかに俺だって確認してからぶん殴っただろ。顔面があべしになったぞ」

「情緒を理解しないやつだな。ここはもうちょっと感動の展開があるべきだぞ」

「なんだそりゃ? ってか、ぶん殴っといて感動の展開もねぇし。そもそもそんな時間、ねぇだろ?」

 あごをしゃくって、今しがた小豆が手を放した方を見るように促すと、そこにはまたじわじわと口を開き始めている扉がある。

しかも、何かを察知したかのように、トカゲもどきがうじゃうじゃと湧き始めている。

「たしかにそうだね。じゃぁ真弘はこの気色悪いのを始末してくれ。その間に僕が」

 そう言って小豆は再び、扉のふちに手をかけようとする。そこを、

「まぁ、なんだ。こういうのはアレだ、その、正義の味方の仕事なんだろ?」

 真弘は小豆の肩に手をかけ、を引き止める。

「そうだよ、だから正義会の僕が」

「なんつうか、その」

 あっけにとられている小豆の前に立ちふさがり、扉のふちに手をかける。

「正義の味方も悪くねぇ、っつうか。たまには、そういうの信じてみても、いいかと思ってよ。ってこれなんだ、めっちゃくっちゃ痛てぇ!」

 手の平の激痛に泣きそうになりながら、真弘は奥歯を食いしばる。そして、気づいた。

 自分が、笑っていることに。

 力いっぱい噛み締めた奥歯とは別の筋肉で、口の端がつりあがっているのがわかる。

「俺の体なら回復し続けるから、いくらでも扉を閉じ続けられる。いくら腕力と根性があっても、手がぼろぼろじゃそのうち限界が来るだろ? それに」

「真弘」

「壊すほうだろ、前の専売特許。んだけどこれ痛すぎだろ! ぐあぁぁぁぁぁ、いって、すげぇいてぇ。すっげぇ痛ってぇけど」

 次から次へと湧き出ると影に問答無用の蹴りを叩き込んでは、向こう側に押し返す小豆。その背中は、この局面では何よりも頼もしい。こんな場面で、まだ世界のピンチだという認識が薄いのも、小豆の存在がそう思わせているのは間違いない。

「こうやって動かねぇと、何もおきねぇんだよな」

「何をいきなり? 今はそんなことを言ってる場合じゃ」

 這いずるナメクジのようなやつを踏み潰し、そいつを蹴りこむ足をそのままぶん回して回し蹴りにする。一発の蹴りで何匹もの魔人が爆散する様は、百科事典の「一騎当千」の挿絵に使いたくなるほどの戦いぶりだ。なのに、振り返る余裕があるのだから驚くほかない。

「ありがとな」

 自分でも、何故こんなタイミングで言ったのかはわからない。

「!」

 恥ずかしさのあまりに顔が火照って熱いが、それは小豆も同じだった。

 ぐにゃぐにゃに歪んだ毒々しい世界とは思えない、微妙な甘酸っぱい空気が、二人の間に流れている。と感じたのは小豆だけだったのはもはや説明の必要もないが、このときばかりは真弘もそれに近いものを感じていた

「お、俺は、正しいことだとか報われるだとか、そんなもんアホらしいって思ってた。どうせ世の中はずるくて悪い奴ばっか成功して、まじめな奴なんてバカ見るだけだって」

「うん」

「でも、なんかお前見てるとそうでもないのかな、って。ってか……」

 恥ずかしさに負けてこのまま言いかけた言葉を飲み込んでしまいたい衝動に駆られたが、期待に満ちた小豆の、まっすぐな瞳に押し切られるようにして口が動いた。

 結局、自分はこいつにはかなわないか、と胸中で自嘲しながら。

「俺、正義の味方、だもんな」

 いまさらどの口がと思いはしたが、改めて口にしてようやく認められる。そんな自分も悪くないと。自分は、そうありたいのだ、と。

「いや、まだぜんぜん胸張って正義の味方なんていえないけどよ。それでも、自分がどっち向いてたいかに気づいたってかさ、やっと、ちゃんと目を伏せずにそっち向けるようになった、って感じかね?」

 その間に休むことなく魔人たちに蹴りを叩き込んでいた小豆の動きが、その瞬間にぴたりと止まり、まっすぐに真弘に向き直る。

 小さく握ったこぶしを、真弘の腹にこつりとぶつけ、

「気づくの、遅い」

 それだけつぶやいて、そして、小さく微笑んだ。

「わり。でもよ」

 わざとらしく笑顔を作って、答える。

「ぎりぎりになってやっと現れるって、正義の味方らしいだろ?」

 どの口がそれを言うのかと、あとから思い返して自分で自分をくびり殺してやりたくなるのは確定だったが、今だけは、この場の雰囲気に飲まれていたかった。

 心地よかった。

 自分がどの面を下げてこの場にいればいいのかを、わかっていることが。

「ほんと、ばかだ」

「ああ、ばかだよ。バカじゃなきゃ正義の味方なんてつとまらねぇって。というわけで」

 真弘は両腕に力をこめ、小豆は振り返って数え切れないほどの魔人と対峙する。

「「世界を救うとしますか」」

 歪んだ世界の中心で、高らかに宣言が響き渡った。


 それからの数時間、真弘は何度も気を失いそうになりながら扉をひたすらに閉じ続け、小豆は三秒と同じ場所でたたずんではいなかった。時間の感覚もほとんどなくなり、永遠にこうしていなければならないような錯覚も何度となく覚えたが、それでも逃げ出さなかったのは、そのたびに耳に届いたお互いの声のおかげだ。

「真弘、寝るな!」

「小豆、止まるな!」

 そんな声を聞くたびに無理やりにでも口の端を吊り上げて笑い、軽口を叩き合った。

 真弘の手はとっくに限界を超えて、衝撃が骨に直接食い込むような瞬間も少なくはなかったし、小豆の撃退した魔人の数も四桁の大台を超えていた。

 それももう、限界だった。

 湧き出る魔人の数も、扉が狭まるのに応じて少なくなってはいたが、それを迎え撃つのが永久機関ではない限り、劣勢は最初から見えてはいたのだ。

「小豆、このままじゃ埒があかねぇ。っつか、押し切られる」

「かといって、手を止めれば」

 言いながらも蹴り足で一匹の魔人を粉砕する。足にも限界が来ているのか、しばらく前からは、ハンカチをバンデージのように手に巻きつけて両手もつかている。元は真っ白だったハンカチが、赤く染まっているのが痛々しい。

「こうなったらさ、一か八か最後の奥の手に、出てみるか?」

「何かあるのか?」

 じり貧が目に見えているこの状況では、どちらかがやられた時点でゲームオーバーは確定だ。それも、どうやらそう遠くはないらしいことは目に見えている。

 だから真弘は、最後の可能性に賭けることを提案した。

 人一人がぎりぎり通れるかどうかというほどに狭まった門の幅を確認し、自分を納得させるように小さくうなずく。

「俺が盾になるから、お前は俺の後ろで扉を閉じろ。ここまで閉じてりゃ、二人同時に全力でかかれば、もしかしたら一気に塞ぐことができるかもしれん」

 もちろんそれが可能だという確証はない。しかし、そこに賭けるほかは道が残されてはいない。その程度には、真弘は限界だった。

「でも、それがだめだったらもう」

「だから言っただろ、一か八かだって。でももう、それしかないっぽいぞ」

 湧きでる異世界の空気は、門の狭まりに反して密度を増しているようにすら感じる。

 もういくらも体力がもたないのは、二人とも同じだ。

 見つめあうこと一瞬。無言のままでうなずいた小豆は、最後の時間稼ぎにと、手近な魔人数匹をまとめて扉の向こう側にぶん投げて葬り去り、真弘に駆け寄る。

 背中をぴったりと合わせて、扉のふちに手をかける。

「くっ」

「大丈夫か?」

「さすがに痛いけど、でも、うん。大丈夫。いくよ」

 ふっ、と真弘の手にかかる圧力が軽くなった気がした。どうやら物理的な重さと同じ要領らしく、二人で持てば一人当たりの付加は半減するようだ。となれば、

「これが失敗したら、世界はどうなるんだろうな?」

「そんなことを考えないのが正義の味方だよ、真弘」

「だな。んじゃ、いくぞ! せぇぇぇぇぇのぉ!」

「どっせぇぇぇぇい!」

 扉の淵に手ともひれとも区別のつかない部分をかけて這い出そうとする魔人どもを押しつぶすように、渾身の力をこめる。ぎりぎりと指に食い込む光の線に、悲鳴を上げたくなるのも飲み込んで、真弘は一心不乱に腕だけに意識を集中する。

 ぎしぎしと、限界を超えて搾り出される力に体中が悲鳴を上げ、激痛が全身をくまなく焼く。視界はもうぼんやりとかすんでほとんど見えないが、その中で向かってくる、かろうじてこちらに這い出した魔人の異様に、あえてほくそ笑んでやる。

「終わりだ、ばーか」

 それまでわずかに空気が振動する程度だった音が、地響きのように体の芯に響き渡り、目に見えて扉が閉じてゆく。ゴリゴリという、重い鉄の扉を閉じるような音に魔人どもが悲痛な叫び声をあげ始める。

「まひろぉ!」

「わかってる。これでだめなら、もう、何も残ってねぇからなぁぁぁぁぁぁ!」

 必死の形相で迫る魔人に目もくれず、真弘は最後の力を振り絞って全体重を扉にかける。というのも、もう左腕は使い物にならなくなっていて、回復の速度も追いつかなくなっている。

 絡みついた魔人どもの触手やら爪やらが、真弘の腕と言わず顔といわずをずたずたに引き裂いてゆく。触れているだけで鳥肌ものの不快さだというのに、激痛のおまけつきときている。

 かろうじて残った右手も、もういくらも保ちそうにない。

 叩きつけられた爪に胸が引き裂かれ、頬にはナイフで切りつけたような深い傷が走るが、それすらも意識の外に追い出す。

「こんのやろぉぉぉぉぉ! 本気でやれば、なるようになるんだぁぁ!」

 意味がめちゃくちゃでも、そう叫ばずにはいられなかった。

 あの日の佳苗を肯定する。それこそが、自分の正義なのだと刻み付けるように。

 そして、鳴り響くチャイム。

 始業を、終業を、下校時刻を告げるチャイムが、グラウンドの四隅に設置されたスピーカーから高らかに鳴り響き、その場所が日常であることを告げた。

 一瞬前までは鼓膜がバカになるほどに震えていた空気も、うそのように静まり返っている。わずかばかり残されたい紫色の霧も、風に吹き散らされている。

「やった、か?」

 背を向けたままの小豆の声に、真弘はこたえることができなかった。

 ただ、ぼろぼろになった手のひらだけが、先ほどまでの極限状態を教えている。それも、視界がぼやけすぎてちゃんとは見えないほどだ。

「お疲れ様。扉は、閉じたよ。それに、魔法陣の効果も消滅した」

 静まり返ったグラウンドに、チャイムの余韻だけが残されている。歪んでいた空間もどうやら元通りのようで、美緒の声が涼やかに耳を打った。

 距離にしてほんの数十メートルほどしか離れていなかったのだという事実が、全く信じられない。自分たちは本当に、異世界にいたのだと、改めて実感させられる。、

「んだが、一つ残念なお知らせだ」

「何だよ、この期に及んで」

 もう声を出す体力も残されていない。本当の本当に限界だった。

「会長君、『やったか?』はやっていないというフラグを、見事に立ててくれたね」

 宣言に腰砕けになったところに、美緒がぽんと真弘の肩を叩く。

「いや、現実の意外さというのは時として残酷なほどだね。さすがにこれは、想定外だ」

「うそだろ?」

 美緒の言葉に嫌な予感しかしない真弘は、いまだぼやけたままの視界で周囲を必死になって探る。と、ぼやけた景色の中でなにやら黒いものが盛り上がってうごめいているのがかろうじて確認できた。

「うそであってくれれば良いのだが、残念なことに事実でね。さあどうしたものか」

 目を凝らしてじっと見つめていると、ゆっくりとではあるがその輪郭がはっきりと見え始める。どうやらぼやけていたのは自分の視界ではなく、そいつらの輪郭の方だったのだと気づいた時には、泣きたくなった。

「どうやら帰り損ねたやつらがやけくそになって、合体し始めたようだよ。さすがにアレは、私も引くね」

「でかいね。天王寺、お前のほうで何とかならないのか?」

 せっかくのキュロットパンツもブラウスも、ぼろぼろになって汚れてしまった小豆だが、視線だけはいつもどおり相手を射抜く勢いだ。とはいえ、さすがに疲労感は隠せないらしい。真弘に背中を預けてへたり込んだまま、首の動きだけ美緒を促す。

「さすがに無理だね、自分で召喚したわけではないからね。それに、もしそうだとしてもあそこまで変質されてしまっては、対応する魔法陣が描けない。魔力もカラッポだ」

「使えないな」

「反論する気にはならないが、会長君がなんと吼えようと、あれの存在は事実だ」

「万事休す、かよ」

 真弘のその一言に、ほんの数瞬前まで安堵の空気に満ちていたグラウンドが、悲痛な沈黙の底に沈み込む。その間にも、どろどろのスライム状だった魔人やら異世界の霧やらは一つの生き物として形を成してゆき、とうとう見上げるほどの位置に目や口らしきものができてしまった。

「さすがにあのサイズでは、私どもにも対抗しうるものはございませんね。自衛隊でも呼びますか?」

「それこそ学校が焦土と化してしまう。そんなことは断じてこの生徒会長が許さないよ」

『しかし、ほかに方法は』

「あーだめだ。あいつ完璧にこっちを敵として認識したぞ。思いっきり迫ってきとる」

「こまったものですね。僕も手とエネルギーがあればお手伝いぐらいはできたのですが」

 口々に言いながらも、全員の視線が合体した大型の魔人に集中し、そのサイズと、生理的嫌悪感を全力で逆なでするデザインに辟易としたところで、真弘が立ち上がる。

「俺がこの場は食い止めるから、とりあえずお前らは逃げて」

「そんな、真弘の体はもうぼろぼろじゃないか。それだったら僕が」

 すがりつくにも体力は残っていない。背中をずり落ちる小豆の体重を感じて、真弘は最後の気力を振り絞る。胸の中に感じる熱量はいつもとは比べ物にならないほど弱まっているが、それでもエネルギーを供給しているのだから大したものだ。

「まだ、もうちょっとならいける。俺、不死身だしな」

 胸に輝くのは、手術で埋め込まれた真弘の新しい心臓。キングストーンの赤い光。

 それがなんなのかは知らされないままだが、この際どうでもいい。とにかく重要なのは、体が動いて、正義の味方ができることだ。

「ここが正義の味方の正念場だ! さあ、燃えろ、正体不明の俺の命の輝き!」

「まひ「くらえぃ! この天才の力、思い知れぃ!」

 きめきめでかっこをつけて、精一杯の強がりで微笑んだ真弘の表情が凍りつく。

 夜のグラウンドに、間の抜けただみ声がこだましたかと思うと、真昼のような眩さで閃光がほとばしり、光の本流が巨大な魔人を飲み込んだ。

 全員が注目していただけに、全員がもれなく度肝を抜かれてあっけに取られる。

 その間にも光の帯は魔人に向けて放たれ続け、ついにはその姿が蒸発するようにかき消されてしまう。

 青天の霹靂、どころの騒ぎではない。その場にいた全員が漏れなく、今度こそ本当に時間を止められて、アホ丸出しであんぐりと口を開けていた。

 ただただ想像のはるか斜め上をいった現実に打ちのめされて。

「どぅ~はははははは、どーだ恐れ入ったか諸君! これが天才の実力というものだ」

 けたたましい笑い声の出所に目を向けると、案の定というかなぜかというか、ぼろぼろの白衣を着たおっさんが、何やら物騒な機器を担いで仁王立ちをしていた。

「おや、お父さんではないですか」

「ぬははは、どーだ一号よ。私の開発した対魔道用ビーム兵器、『科学君』は?」

「は?」

 全く事態を飲み込めない真弘達だが、葉迦杜博士がそんな事情を汲み取るはずはない。

「いやなに、一号の対魔道用ボディのついでに製作したのだが、実射実験を済ませていないことを思い出してね。一号を的にしに来たらなんともすばらしい実験台がいるではないか。というわけで、実験は大成功だ。うむっとあちっ!」

 いきなり叫んで、肩に担いでいた、往年のSF映画にでも出てきそうなごてごてとした装飾つきの砲身を放り出す。

 ぼぅんっ!

 という間抜けな爆発音がして、銃身から煙が上がる。

「大気圏下では放熱に問題があるか。やはり一号への内蔵を見送ったのは正解だったか」

 ぶつぶつ言いながら、便所スリッパのようなサンダルをずるずると鳴らして歩き出す。

 遠ざかる白衣の背中を見送ったところで、ようやく魂が現実に帰ってきた面々が、顔を見合わせる。

「えー、っと……解決、ってことで、いいんだよな?」

「と、思うんだけど」

 互いの視線を避けるように視線が定まらない。真弘はともかく、小豆のこんな姿は珍しくて新鮮だ。もちろん小豆の方は、突然の終焉に対する戸惑いだけのせいではないが。

 そのことに気づかない真弘と、それを傍で眺めて苦笑する美緒。そろそろ定番になり始めた光景だが、このときばかりは美緒も茶化す気にはならなかった。

「結果的に危機は去ったわけだし、良いのではないか?」

 今度こそ本当にエンプティだ。立ち上がりかけていた真弘はひざを折って崩れ落ち、その背中にはべったりと小豆がもたれかかる。互いに体重を預けあっていると、真弘の耳にはスースーという細い寝息が聞こえてくる。

 自分の肩に頭を預けた小豆の寝顔に、ようやく終わりを実感する。

「ふわ……俺も、も、ダメ……だ」

 ゆっくりと、溶け出すように意識が混濁してゆく。

『一時はどうなることかと思ったですが、一安心です』

 イカの中では安堵とも落胆ともつかないため息が充満する。それを察したように、

「これで私達の構図はしっかり出来上がったわけでございます。ここからがスタートでございますよ、お嬢様」

 いつになくやわらかい声音は、恋人や家族を思いやるような暖かさに満ちている。

『お前は、本当に根性の悪い奴です。お前がそんなこと言えば、素直に受け止められるわけないです』

 最後のほうが涙声になっているのは、気づかないふりをした。

「恐縮でございます」

『うむ、よきにはからえらえ、です』

 これはこれで、決意を新たにした、ということなのだろう。

 夜明けまではまだ少しばかりの時間を残した、夜の臭いが春の風に乗って流れ込む。

 真弘は、桜の花びらの夢を見た気がした。

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