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最終決戦

「……ろ……ひ……ぉぃ」

 かすかに聞こえる音に、少しずつ自分の意識が形を取り戻していくのを感じる。

「ぉ……ま……、きて……お……」

 ただし、あくまでも自分に意識と言うものがあるのを感じる程度で、感覚と呼べるものはおろか、まともな思考すらままならない。どこが上でどこが下なのか。浮いているのか沈んでいるのか、生きているのか死んでいるのか。何も確かなものがない。

(死んでる、ってことはないか。なんせ、ゾンビ状態だしな)

 怖いような気もしたし、これはこれで穏やかな気もした。

(あー、でも、呼ばれてるし。これは返事しなきゃいけない気がする)

 思考と言うよりも、もっと深くに刷り込まれた何かがそんな思いにさせると、徐々に声がはっきりと届くようになった。

「まひろ、真弘、起きろ、死ぬな!」

 と同時に、声の主や直前の記憶が思い起こされ、意識だけではなく体の輪郭がはっきりと意識される。そして、思った。

(めんどくせぇこと全部終わってりゃいいのになぁ。でもこいつの声がするってことは)

 意識をゆっくりと覚醒させる。

「んなわきゃねぇよな。現実は非情だ」

 その程度には現実というものを知っているつもりだった。当然、それでも甘いのだが。

 重い瞼を押し上げた真弘が最初に見たのは、睨みつけるように真剣な目をした小豆の、必死の顔だった。

「うぉ! なんだ、小豆ぃわ、ちょちょちょ、ちょ」

「真弘! よかった、生きてる」

「い、痛、死ぬ、死ぬ」

 興奮のあまり、小豆は掴んだ真弘の肩をがくがくと揺さぶる。そのたびに関節という関節にドリルをねじ込まれているような、引き絞るような痛みが全身を駆け巡り、再び意識が飛びそうになる。

 その痛みにようやく、記憶が隕石ポットの直撃した瞬間に接続される。

 傍らには、ほぼ原形をとどめていない黒こげのポットが、煙を上げている。

「そりゃ大ダメージだわ。くっそ、あのマッドサイエンティストめ」

「ですから、我らパラ・ダイスの誇る改造技術は本物だと、申しておりましょう」

『しかし、ここまで不死身というのは私もびっくりです』

「ふんっ、悪の秘密結社の言うことなんて信じられるものか。でも、よかった。それに」

 高飛車に見下ろす仮面の奥では、実は内心ドキドキだったとは言えない華をよそに、小豆はただただ小さな胸をなでおろした。

「なんだよ。まるで生きるか死ぬかの瀬戸際みたいな顔してんな、小豆」

「ばか! 瀬戸際だからこうなってるんだろ!」

「待て。何故殴ろうとする! お前に殴られれば瀬戸際どころか間違いなく昇天だ!」

 振りあげられた拳から逃げようとしたところで、ふと違和感に気がつく。

「そういうお言葉はまずご自身のお体をご覧になられてからおっしゃるべきかと」

 そう言われれば体はやけに重いし、そこらじゅうがズキズキと痛む。そう思って自分の体を見ろして、言葉を失った。

「ぅわ……」

 生きているのが奇跡、どころか、生きているのがおかしい有様だ。

 右腕は先ほどと変わらず折れたままだが、加えて両足もそれぞれアサッテの方向に折れている。左腕に関しては肘から先が見当たらない。その上シャツは血に染まり、皮膚にしてはやけにぬらぬらと輝く何かが見えている。たとえるならまさに、

『ゾンビ』

 イカの一言が真弘にクリティカルヒット。折れていないはずの首が、がっくりと九十度うなだれる。おかげで、見た目はますますゾンビだ。

「この状況でそれを言われると、びっくりするぐらい傷ついた」

「何をおっしゃいます、一度死体になって復活したあなた様のこと、どちらにせよ大差はございません。そのようなことよりも」

 冷淡というよりは、事務的な感じのする淡々とした口調は、それが疑う余地のない真実であると告げるようだ。思いの外真弘には堪えた。

「真弘様、何かこう、心境と申しますか感情と申しますかに、変化はございませんか?」

「変化? 最悪の気分だ。生きた心地がしねぇ……って俺が言うとシャレにならんな」

 力なく笑うが、あまりにも自嘲的すぎて悲しさがひたすらに増しただけだった。しかも、その間にも体はどんどん回復し、なくなっていたはずの左腕がほぼそれらしい形を取り戻し始めている。どうやら、千切れたものがくっつく方式ではなく、根元から新しいものが生えてくる仕様らしい。ますますモンスターだ。

 その様にさらに凹むという負の無限ループに陥りそうになって、目をそむける。

「いえいえ、その辺ことはどうでもよろしゅうございます。こう、何と申しますか、胸の辺りがむずむずしたりキュンキュンしたり、あまつさえムラムラしたり、恋の炎がメラメラドキドキ……いたしません?」

 「せん?」と可愛く首を傾げられても、仮面の奥の瞳が笑っていないので怖い。

「いや、特にそう言った感情的なものは特にないんだが……なんでだ?」

 真弘の答えに、華はイカの胴体を抱えて五十メートルほどダッシュし、屈みこんでぼそぼそと何やら話し始める。小さな子供が開く作戦会議のような光景だが、実際にも作戦会議だ。

「お嬢様、おかしゅうございます。あの女の説明の通りでしたら、この魔法陣が発動した暁には、一瞬で効果が現れるとのことでございましたが」

『うむ。これは一大事です。というか、お前が失敗したんじゃないです?』

「何をおっしゃいます。私めの行動は完璧。慎重に慎重を重ね、結果的に後手に回り、やむなく一か八かになることもいとわずに慎重かつ堅実に行動いたしましたのに」

『途中でかなりおっかしかったですが、目をつぶってやるです』

「寛大な処置に私の涙腺は崩壊寸前でございます」

『そんなことより、やつです』

 二人してヤンキーな座り方をしたまま、ちらりと真弘を振り返る。まだ回復は追いついていないらしく、腹の傷の中に内臓を押し込まれる痛みに悶え苦しんでいる。

『というか』

「お嬢様も気づかれましたか?」

「そこに気がつくとは、さすがパラ・ダイスの首領、イカ君だ」

『ほわぁ!』

 突然会議に参加した三人目の声に、イカが飛びあがって驚く。

「やっときましたか、この電波ビッチ。さぁ、どういうことなのか申し開きなさいな」

 現れた美緒の姿に、むしろ予想通りと言わんばかりに華は立ち向かい、胸を張って対峙する。

 残念ながら、胸のサイズでは美緒の圧勝だが、華の存在感もなかなか捨てがたい。そんなことを考えていた真弘の両目が今、眼つぶしを食らって視力まで失った。つくづく救えない男だ。回復までにさらに余計な時間がかかる。

「えらい言われようだが説明してあげよう。計算が狂った」

「。」

『。』

 華は仮面を外して、紅葉はイカの頭に開けられた穴(どうやら顔を出す必要があるときようのものらしい)から首だけをにゅっとのぞかせて、目をまん丸くした。紅葉はともかくとして、華の整った清楚な顔立ちが、漫画のようにきょとんとしたのはかなり見ものだ。

 無理もないだろう。

「あれ? 聞こえなかったのかい? 計算が狂ったんだよ」

 なんてことを、何ら悪びれることなく、傲然と言い放つのだ。

「訂正いたしましょう。あなた様は電波ビッチなどではございません」

「うん? じゃぁ、何だというんだい?」

 再び仮面を装着し直して、たたたっと真弘たちのいる場所まで戻ってきて踵を返す。そこから思いっきり助走をつけて力強く大地を蹴り、ミサイルのようなドロップキックを放ちながら、叫んだ。

「こんんんの、ど電波腐れビッチがぁぁぁぁ! でございます」

 スカートがめくれあがり、その中のガーターベルトや紅葉が嫉妬すること間違いなしの大人の下着が月明りの元に晒されるのもかまわずに放たれた、全力の一撃。

「天王寺さん何故ひっぱるのでっ!」

「バリアーだ」

 美緒の隣にいたのが運の尽き、と言うほかないのだろう。絶妙のタイミングでカットインさせられた一郎は、ミサイルのような蹴りを顔面で受け止め、敢え無く撃沈。

 外れた首がころころと転がり、その首が「痛いじゃないですか―」と非難の声をあげているが、誰も聞きとめはしない。

「なんだい、そんなに怒ることは」

「ほざけ、でございます。お嬢様がこの計画にどれだけご執心であったことか。毎日毎日恋に焦がれて焦がされて、桃色遊戯な妄想とともに特注抱き枕を抱きしめて、どのようなお気持ちで眠っておいでだったか」『何故それを知っているです!』「あなたのようなビッチにはわかりますまい。嗚呼おかわいそうなお嬢様、かような偽情報をつかまされて踊らされ阿呆をさらされるなどとは」

『お前、マジで一回聞くですけど、誰の味方です?』

「いや、私の設計は完璧だった」

「だったら何故」

「ほら」

 美緒が指差したのは、先ほどのポットの墜落で抉られた、数十メートルにわたる深い溝。先端あたりでは、真弘がこぼれおちそうな内臓を抱えて、ぼけっと座り込んでいる。

「あそこの地面が抉れているだろう。あれが原因だよ。さすがにあれだけ変更を加えられ、あまつさえあんな高濃度の魔道的なエネルギーを穿たれたとあっては、魔法陣の意味合いなんて変わってしまう。魔法陣というのは実に繊細かつ微妙なバランスで成り立っている、言ってみれば数式のようなものだよ」

『しかし、描線はわかったとして、魔道的なエネルギーというのは?』

 たしかに、グラウンドのど真ん中には自動販売機の設置個所のような電気的なエネルギーなどない。むしろ、そうした不安定要素のなさから、計画をより確実なものにするためにこの場所を選んだほどだ。美緒の助言で。

「そうでございますよ、そもそもこの場所をご指定なさったのもくそビッチの」

「あれだよ、あれ」

 そろそろ怨みの籠り始めた二つの視線の中、毅然と美緒が指差したのは、ようやく塞がり始めた腹の傷をしげしげと眺め、自らの肉体に感心する真弘の姿だった。

「あんな強力なエネルギーが描線に流れれば、魔法陣だって意味を変えてしまう。何と言ったか? えーと、きんぐすとー」

「おじょーさま! 過ぎたるは及ばざるが如し、でございます! 今は過ぎてしまったことなどよりも、これからどうするかという建設的なことに議論を戦わせるべきかと」

『けーっきょく原因はお前ですか。それとその諺、間違ってるの判ってるですよね?』

「さあビッチ、これからどうなるのか、説明していただけませんか?」

『お前の変わり身の早さには心の底からビックリ仰天です。とはいえ、私としてもそこは気になるところです』

 イカの無機質な瞳に映り込んだ美緒は、説明を始める。

「そも、元々の魔法というのは特定の個人の心、つまりはその人間の持つ世界と別の人間の持つ世界をつなげる魔法の応用でできている」

『一つの人格を世界としてとらえる、でしたか? 何だか仏教的な世界観です』

「君のその感覚は正しい。魔法というのは純粋な西洋魔法のみならず、東洋呪術やインド哲学、果ては近代科学までをも組み込み、今なお進化を続ける膨大な知識の体系を指すわけだ」

「おい小豆! なんか街が急に明るくなり始めたぞ!」

「本当だ。何だか昼みたいだけど、薄気味悪い赤い光だね。悪の匂いがぷんぷんするよ」

「何だ、やっぱり正義の味方じゃないか?」

「うるさいなあ。何度も言うように、僕は正義の味方なんかじゃない。正義の味方は真弘だ」

「だからそれこそ何回も言ってる通り、俺はやらねぇの! いい加減にしろよ」

「むぅ……もう、しらないよ。ばか」

 いつもの不毛なやり取りだが、今日に限っては小豆の反論も弱い。ようやく折れてくれたのだと真弘もほっと胸をなでおろす。

 チクリと胸を指す、棘のようなものが残っている気がしたが、首を振って誤魔化す。

 これでいいのだ、と。

 背後の真弘らの会話に空を見上げると、確かに先ほどまでとは比べ物にならないほどに明るく、赤く染まっていた。不気味なことに、赤い輝きの中にあって空の黒さだけは深みを増している。

 月が、遠い。

「いよいよピンチなので根本原理は省略するとして、この魔法陣は個人という小さな世界観ではなく、文字通りこの世界を別の世界につなげる魔法陣に変質してしまっている」

「別の世界? そのようなもの、実在いたしますの?」

「君は見ているはずだよ、メイド君。私が別世界から呼び出したあの生物を」

『うげっ、あんなものがうようよいる世界があるですか?』

「まあ、一つの例えだよ。実際にはどんな世界につながるかは定かではないがね。最悪、この宇宙と対消滅するような世界が口を開けた場合は、問答無用でひでぶだね」

 これで説明は終わりとばかりに、ふっとため息をついて背筋を伸ばす。

 心なしか体を動かすのが辛そうに見えたが、今はそのことに気を留めている場合ではない。実際は一郎との全力バトルの影響で体はがたがたで、できるならとっととベッドに潜り込んでしまいたいところだが、そういう弱みを見せないのが美緒らしい。

「というわけらしいよ、真弘」

「聞かなきゃよかった」

 さすがにこの三人の密談というのは怪しすぎるので、近づいて聞いてみればこのざまだ。もう大抵のことでは驚かないと思っていた真弘だが、これには感動的なほどに驚いた。

「これで説明の手間が省けました。いかがでございます、私たちパラ・ダイスの壮大かつ遠大な悪の計画は?」

 一分の隙もない動きで髪をたくしあげ、一瞬前までのコメディタッチなやり取りなどなかったかのように高慢ちきな態度を演じる。この辺りになってようやく、このメイドはキャラ設定を忠実に演じているのだろうことが想像できた。が、プロ根性とはまた違うこだわりは、真弘だけではなく小豆にも理解出来かねた。

「さて、そんな君たちに言いたいことがある」

「何だよ」

 人差し指が下を向いていたのに気がついた時には、ちょっとだけ悪い予感がした。

「扉が開くのはここ、まさに我々の足元だよ」

「先に言えやー!」

 やけに空の明るさが増したと思ったが、足元からも光は放たれていた。と言うより、既に足元の光の方が強いぐらいだ。グラウンド全体に空に浮かぶのと同じような魔法陣が描かれて、その描線がネオン管のように光を放っている。

 円の中心に一筋の光の線が走り、そこがゆっくりと広がり始める。

『あわわ、もう開きかけてるじゃないですか。わっ、わっ、光ってるです』

「お嬢様こちらへ! そこだと思いっきり股割きを食らってしまいます」

 ヒラヒラフリルのメイド服が、開きかけた扉から吹き出す風に揺れる。

 妙に重たい、肌に絡みつくような風の不快感に、顔をしかめたくなるほどだ。

 それだけではなく、先ほどから全身を襲う静電気のようなビリビリが徐々に強くなっている。明らかにやばい雰囲気が、形になってひしひしと感じられた。

「おい天王寺! 魔法陣の発動を何とかする方法ってのはないのかよ?」

 美緒を除く三人からの「早く聞け」というプレッシャーを込めた視線に、止むなくという風に真弘が口を開く。

「さすがは正義の味方君だね。その心意気やよし。だが残念。方法はない」

「うわ、聞かなきゃよかった。二回目。それに、俺を正義の味方と言うな。正義の味方は小豆だ」

 がっくりと肩が落ちる。やっとのことで自力歩行ができるまでに回復した体が、再び動かなくなる。今度はメンタルの問題で。

 隣では小豆が相変わらずの無表情ながら、どこかしょんぼりとした瞳をしている。その変化は微細すぎて、一部の人間を除いては気づいてすらいない。

「一度発動した魔法陣というのは、発射された銃弾や矢のようなものだ」

「つまり、元のエネルギーに還元することはできなくても、その結果を捻じ曲げることはできる、と」

 小豆の言葉に、美緒はゆっくりとうなずいて答える。

『それは、たとえばどのような方法が考えられるですか?』

 触手をうにょうにょと動かすイカの姿は緊迫感のかけらも感じさせないが、声のトーンは意外なほどに真面目だ。

(ってか、こいつは悪の組織のボスじゃねぇのか?)

 じっと真弘がイカの目を見つめていると、途端にイカはバタバタと両手を振ってそっぽを向き、しゃがみ込んでしまう。真弘としてはとりあえず悪の組織相手にメンチの一つもきっておいただけなのだが、イカの中では全く別の解釈が行われて、全然関係のないモードがオンになっていた。

(み、み、み、み、みつめ、見つめられたです。わ、わ、どきどき、どきどきが、どき)

 お楽しみモードに突入したイカは、とうとう自分の質問に対する回答を聞くことはなかった。どういう仕組みになっているのか、茹でイカのように赤く色づき、頭のてっぺんから湯気が上がっている。

「ん? 何だかイカがゆだっているようだが」

「続けてくださいませ。これは時々こうなるのでございます。発作のようなものです」

 しれっと言い放ち、代わりとばかりに華は真弘に向かって、壮絶なメンチを切り返す。仮面越しにも感じる殺意は、明らかに正義と悪という対立構図だけによるものではない。

 恋する乙女は怖いのだ。

「へぶっ! 何で俺が殴られてんだ。せっかくくっついた腹からまた何か出てきただろ」

「やかましい」

 軽いボディブローだが、どれだけ手加減していても小豆のパンチは小豆のパンチだ。真弘は、再びこんにちはした内臓を押し込んで、開いた傷口を手で押さえる。内臓の感触があるのは気持ち悪いし、もちろんめちゃくちゃ痛い。

「まぁ、色恋の話は私の管轄外なのでさておき、方法は一つ。世界をつなぐ扉を消してしまうことはできない。しかし、その扉が開こうとするのを力ずくで閉じてしまえば、それは世界がつながっていないのと同義だ」

 そう説明して、美緒は真弘の腹を指差す。

「ちょうどその、腹の傷が扉、内臓が向こう側の世界という具合だ」

「わかりやすうございますね。きっしょい世界でございます」

「そっちかよ! ってててて」

 腹に力を入れると、気を失いそうな痛みが襲ってくる。

「では、そのゲートを閉じる方法を考えなければいけないんだね。策はあるのか?」

 小豆はそう言って、美緒の目を見る。互いに満貫寺のびっくり人間、三王と呼ばれるだけあって、視線の持つ力はかなりのものだ。じっと見つめ合っているだけなのに、妙な緊張感がある。

「もちろんだ。というか実にシンプル。手で押さえつけるんだよ」

「わーい、腕力万歳」

 魔法陣に異世界への扉というのだから、どんな難しい方法や摩訶不思議な術を使うのかと思えば、最後は腕力勝負。思ってもみなかっただけに、斬新だ。

 「ただし」と、美緒の説明には続きがあった。

「扉が開くのは魔法陣によるものだが、これは扉を開けようとする方向に魔力が働いているということにもなる。つまり、扉を閉じるということは、その魔法的エネルギーに逆らって行動するということだから、当然力の反発が予想されるわけで」

 この辺りで華だけが、何かに思い当たったように目を細める。それを知ってか知らずか、美緒は華以外の四名に向かってだけ言うように、付け加えた。

「めちゃくちゃ痛いはずだ」

 想像はできないまでも、美緒のしかめっ面は真弘を怖気づかせるには十分だった。

「け、けどそれなら楽勝だよな。こっちには一郎っていう最終兵器もあるわけだし。葉迦杜博士に対魔道用に改造してもらったんだろ? だったら」

 首をつけ直し、よれよれと戻ってきた一郎。

「改造は済んだのですが、その……」

「なんか問題でもあるのか?」

「手が、ないのです」

 パタパタと、肘から先を上げて振っている。揺れているのは制服の袖口だけだ。

「さきほどの天王寺さんとの壮絶なバトルの末に消滅してしまいまして」

「ふふん、私の魔法の破壊力はさすがだね」

 あいた口が塞がらないとはこのことだ。そのまま口から魂やら何やらが全部出て行ってしまいそうな気分になる。そうなれたらどれだけよかったことか。

「まったくもって電波なビッチでございますね。さらに加えて野蛮とは」

「持てる力を全力で行使してみたいというのは、当然の欲求だろう?」

「いや、欲求に素直すぎだろ。っていうか小豆、お前も頷いてんじゃねぇ」

 とはいうものの、今になって改めて宗司や瞳の忠告が思い出される。

 小豆と対等に渡り合うロボット、一郎。そのロボット相手に、問答無用で攻撃魔法を放つ美緒。実際に見たわけではない、想像だけのバトルだが、知れば知るほどにあの忠告が真理であったことを実感されて仕方がない。

(っつっても、もう手遅れだけどな)

 そんな不毛なやり取りの間にも、グラウンドに描かれた魔法陣は輝きを増し、開き始めた扉の隙間から、どんよりとした紫色の霧のようなものまで流れだしている。

 そしてついに、

 ぎしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 地の底からわき出るような、腹に響く「あの声」まで聞こえきた。

「どうやら、あまり歓迎できない世界につながったようだね」

「ようだね、ではございません。まったく、どうなさればここまでダメダメなカードばかりを切れるのか、不思議でなりません。理解不能でございます」

「天才だからね」

「くたばれ、でございます」

『しょーもない喧嘩はいいですよ。とにかく、今はあれを何とかするですよ』

 イカの仲裁に、美緒はしぶしぶと言った様子で口をへの字に結び、華は恍惚とした表情で恭しく頭を下げる。

「つっても、何とかできるのか? うわっ、いよいよやばそうだぞ。何か出てきた」

 開き始めたゲートに目をやると、到底この世界のものではありえない、不気味な不定形の物体がドロドロとこちらに流れこんでるのが見えた。しかも、徐々に輪郭を形作り始めている。

「どうやら、早くゲートを閉じてしまわないと、本格的にまずいことになりそうだ。一匹二匹ならまだしも、無尽蔵となればこの世界の存亡すら危ぶまれる」

 生理的な嫌悪感しかもよおさないあの生物が、わんさと押し寄せる。そんな光景が誰しもの頭の中に浮かび、問答無用で全員が首肯する。

「よっし! いくよ!」

 腕まくりした小豆はツインテールを揺らして、ふと真弘を振り返る。

「お、おう! お、俺も一応は生徒会だからな。ちゃんと正義の味方のバックアップを」

 特攻部隊としての腹を決めた真弘だったが、小豆はその言葉を待たなかった。

「行ってくるね」

 予想外の一言だが、そこにいつもの自身に満ち溢れた無表情はなかった。

「ありがたいことだが、さすがの会長君でも一人ではきっと厳しいはずだよ。何せ、元の魔法陣の規模があれだ」

「だからって、行かないわけにはいかない。だって僕は……」

 その後に続く言葉を、小豆はとうとう口にしなかった。できなかったのかもしれない。

「お前が……いくのか?」

 そんなことまで聞いてしまう。黙っていれば、自分が行かなくても済むのに。

 そこにあるのは寂しそうな、少し力なく笑う、へたくそな笑顔だけ。

「がんばってくるから、見ててくれ。これも正義のためだ」

「あ、あぁ……」

 お前は正義の味方じゃないんじゃ……そんな言葉が、のど元まで出かかったのを、真弘は呑みこんでしまった。

(あれ? 何だこの感覚。行かなくていいって、嬉しいはずなのに。何だこれ?)

 開きかけた門に向かって歩み寄る小豆の背中を、ただ茫然と見送る。

「いいのかい?」

 美緒の言葉が真弘の背中に投げかけられるが、振り返る勇気はなかった。

 いいはずが、ない。ないが、

「あいつは、正義の味方だ。だから、あいつが行くのは、別におかしいことじゃ」

 ない。そう、今までなら言い切れたはずなのに、何故か言葉にならない。胸の奥に、小さな棘のように引っかかる。

「ご想像の通り、死ぬほど痛いよ」

 既に異世界の空気が充満し始めたグラウンドだというのに、いつも通りの仁王立ちで胸を揺らす美緒は、いきなり真弘にそう言った。

「な、思考を読むな!」

「まあまあ、あんなわかりやすい顔をしていれば魔法を使わなくてもわかるというものだ。と、それはいいとして、いよいよもってまずいね。私の魔力も先ほどの戦闘でほぼゼロ。眠くて仕方がないよ。パラ・ダイスの組織力も会長君が壊滅させたのであてにはできない。一大事、世界の存亡が会長君一人の双肩にかかっているわけだ」

「えれぇサラっと言ったな」

「そんなもんだよ、世界なんて」

 本気でそう思ってるからこそ言えるのだが、その姿はまさに魔女の異名そのまんまだ。

「そこで君にこの質問を送ろう」

「なんだよ?」

 にやりと口角をつり上げて作られた笑みは、うっかり見てしまうと心を奪われる呪いの笑みのようだった。それほどに妖艶で綺麗なのだが、いつもの迫力はそこにはない。一郎との全力バトルがそれほど壮絶だったということだろう。

「ことここに至って、あの会長君の姿を見続けてきた君は本当に、正義なんてないと思うかい?」

 返す言葉などない。いや、それはすでに伝えた内容だから、今さらなだけだ。目をそむけ、じわじわと口を開けている光の筋を見やる。

 陽炎のように景色は歪み始めていて、その場所はこの世界ではないどこかに姿を変えているようにさえ思われる。どういう仕組みなのか、先ほど足を踏み入れたはずの小豆の姿は見えなくなっている。

 それでも美緒は続ける。

「たしかにこの世はろくでもない。正しいことが泥をかぶり、踏みにじられ、報われず、笑うのは悪人ばかりだ。善人はいつでも被害者だ。けれど」

 大仰に「ふんっ」と鼻を鳴らして、

「それでも信じる者のところにだけ、奇跡は起こるのではないかね?」

 その言葉に、真弘の心にひびが入る。

「信じないもののところには、奇跡どころか偶然すら起きないよ。そういうものだ。ましてや自らを偽るものには何をかいわんや、だ。そうは思わないかね」

 わざとらしくたっぷりためを作り、切れ長な目に笑みを浮かべて言う。

「それを知っているからこそ、もやもやと思い悩んでいるのだろう? 自分にはその資格がない、なんて言い訳を後生大事に抱えているがために」

 ずるいと思った。

「けれど、もう随分前から答えは出ているんじゃないのかね。正義会副会長君? いや」

 わざわざためを作って、ほくそ笑む。本当にずるい。

「正義の味方君」

 その瞬間に、真弘は自分の中で何かが壊れたのをはっきりと感じた。それは、自分を守ってきた鎧だったのか、それとも自分をつなぎ止めていた鎖だったのかはわからない。

 ただ言えるのは、もう足を止める理由も言い訳も、そこにはなくなったということだ。

 自嘲気味に笑いながら、ゆっくりと歩き出す。そうするしかないから。

「魔女の言葉は人の心をたぶらかすっていうけど、ほんとにそうだよな」

 トラウマ以外の理由で、足を進めるている。そのことが真弘の中に、じわじわと事実として込み上げる。もう、逃げてはいない、と。

 『正義に、言い訳をしなくてもいい』

 小豆に言われたその一言を、ようやく噛み砕き、飲み込むことができた。

「それはそれは。まあ、誰の言葉にも耳を貸せ、口は誰のためにも開くな、だよ」

「お前が言うと説得力あるわ」

 自然と笑みがこぼれた。

 笑っていられる状況ではないのはわかっている。立っているだけで吐き気と眩暈がするような空気は、扉がやばい世界につながったのをはっきりと告げていた。

 それでも真弘は、笑うしかなかった。

「それでは、期待しているよ。正義の味方君」

 正義の味方、の部分をやけに強調されたので思いっきり中指を突き立ててやったが、涼しい顔でかわされてしまう。


「あそこまで背中を押されないと動けないとは、つくづくヘタレでボンクラでございますわね、あれは」

「君の抜き身の刃のような悪意は、ある意味で気持ちがいいね」

「私にとって、お嬢様以外のものは須らくエキストラでございます。利用価値の有無以外には興味がございませんゆえ。で、大丈夫なのでございますか?」

「まあ、あとは会長君しだいだね。彼が会長君の真意に気がつくというのは不可能だ」

「でございますね。激しく同意いたします。よくもまぁ、あれだけ素直ではない者同士がくっついたものです」

「素直じゃないから、だろうね」

「修学院小豆は、強すぎました」

「己が正義の味方になってしまえるほどに、心も体も、ね。けれどあれの中身はちゃんと恋する乙女、というわけだ」

「あなた様にこれほど似合わない言葉もございませんね。その事実を彼にお教えに?」

「まさか、そこまで野暮はしないよ。ただちょっと、彼のトラウマをえぐって背中を押してやっただけ。あとは野となれ山となれ、恋なんてそんなもんじゃないのかい?」

「あなたのようなビッチに人の恋を語られるとは思いもしませんでしたが、まあそれはそれ。で、あれで大丈夫なのでございますか?」

 仮面をつけたままの華が顎をしゃくった先には、真弘の背中がある。

「さあね、こればっかりは私にもわからないよ。文字通り、世界の存亡をかけた一大事だ。むしろ、彼の性能についてはそちらの方が詳しいのでは?」

「申し上げましたとおり、私の興味の範疇にはございませんゆえ」

「運命は最もふさわしい場所へあなたの魂を運ぶ、か」

「それもシェークスピアでございますね。では私からも一つ。憎いやつは殺す、それが人間ってもんだろ。でございましたか?」

「ふっ、ふふ、ふっ」

 それまで澄ました顔をしていた美緒が、プルプルと震えている。

「どうなさいました?」

「ふっ、ふは、はっはっはっはっは、あーっはっは! 実に君らしい。やはり世界は面白い。できればこの世界、終わらせないように頑張ってもらいたい、正義の味方君には」

 ひとしきり大笑して、満足そうに言い切った。

 言葉とは裏腹に、さほど世界の存亡に興味がなさそうに見えたが、華はそれを指摘しなかった。

「悪の組織も、世界あってのものだねでございますからね」

 こちらもこちらで、さほど興味はなさそうに呟く。

 似た者同士の二人が見つめる先で、今まさにそこは、世界の中心になろうとしていた。

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