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最速展開

 まだ本調子ではないのか、首を回すとゴリゴリと違和感たっぷりな音がする。

「って~。この体もいいのか悪いのかわからんよな」

 本来なら即死確定の大怪我も回復するのだが、治るまでは文字通り『死ぬほどの』痛みに耐え続けなければならない。

「何を言ってるんだ、その能力のおかげで正義の味方ができるんだから、いいに決まってるよ」

「いや、むしろだから判断に困ってるんだけどな」

 数時間前、昼休み終了のチャイムと同時に炸裂したバックドロップは見事に真弘の頚骨を粉砕した。ちなみにこのとき、スカートでバックドロップをかけたせいで、教室中に猫の肉球模様のパンツをさらしてしまったことに、小豆は気付いていない。

「あのあとばれないようにすんの大変だったんだからな。当てられたときは自分で首支えなきゃならなかったし」

「本当にゾンビの様相を呈してきたね」

「誰のせいだよ」

「まあそれはさておき」

 淡々とした声音で、その話題は終わりとばかりに話を切り替える。

「連続自販機盗難事件についてタレコミがあったんだ」

 街頭の明かりにほのかに照らされた小豆の顔は、心なしか高揚しているように見えた。

「タレコミ? 大丈夫かよそれ。だまされてんじゃねぇのか?」

「信憑背については大丈夫だ。ソースは天王寺だからね」

 世界で一番危ないソースだろうと突っ込みそうになって、昨晩の話に思い至った。まさか本当に生徒会の活動趣旨に感銘を受けた、とは思わないが、何がしかの意図があって自分達をバックアップするつもりなのはどうやら本当らしい。

 とすると、信憑性はそこそこかもしれないと思い直す。天王寺の場合、何の意図もなく情報をリークするとは思えない。真偽のほどは別として、何らかの意味はあるはずだ。

「どうやら彼女も裏で何かをたくらんでいるようなんだけど、その手ごまとして僕達を動かすつもりらしい」

「そこまでわかってて、その話に乗るのか?」

「虎穴にらずんば虎児を得ずなんて言うつもりはないけど、僕たちにできるのは行動することだけだ。だから、僕は行く。それだけだよ」

 いつもの制服姿とは違う、キュロットパンツにブラウスという格好の小豆を見つめて、最強の破壊王も実は高校一年生の女子なんだと実感する。

「何だ? 何をじろじろと見てるんだ?」

「いや、私服見るの初めてだな、と思ってな」

「そ、そうか。う、動きやすい服を、と思ってな」

「ああ、それで髪も邪魔にならないように括ってるわけだ。気合入ってんな」

 真弘の言う通り、今夜の小豆はいつものツインテールではなく、髪を一つに束ねて後でアップにしている。確かにこれなら、いつものツインテールよりは活動しやすそうだ。

「あ、あぁ。その通りだ。こ、このぐらいやらないと、正義は貫けない、からな」

「小豆らしい発想だな」

 その一言に、小豆の表情が少し曇ったことになどもちろん気がつかずに、真弘は続ける。よく見ていれば表情の変化や、その奥にある感情の機微を汲み取れそうなものだが、真弘にはそのあたりの機能が搭載されていないようだ。残念ここに極まる。

 このあたりが、自分に青春の順番が回ってこない要因なのだと、知らぬは本人ばかり。

「風呂上がりを襲撃するあたりも、実にお前らしい」

 夕食を済ませ、風呂にも入ってリビングで何気なくテレビを見ているところを電話で呼び出された。しかもたったの一言「ドアを開けてくれ」とだけ言われて、風呂上りの体から一気に血の気が引いた。

「インターフォン鳴らせばいいだろう?」という真弘の言葉に対して、「正義の味方は自分の通信機を使うほうが雰囲気が出るから」と玄関先で仁王立ちする小豆は、得意満面に言い切った。気持ちはわからないでもないが、電話で通話しながら相手の顔を見るというのはなんとも微妙な気分にさせられる。

 それが一時間ほど前の午後八時。言うがままに連れ出された真弘は、住宅街の片隅ででこうしてスパイの真似ごとをさせられている、というわけだ。

 ご近所さんに目撃されないことを祈るばかりだ。

「で、天王寺は何だって?」

「今夜この自動販売機を見張っていれば、やつらは必ず現れる、って」

「うそくせぇな。根拠はなんだよ?」

「これだよ」

 そう言って小豆が取り出したのは、一枚の紙切れ。

「航空写真か? これ、この町か?」

 B5版のノート程度の大きさの紙には、上空から撮ったと思われる風景の写真が印刷されている。それが満貫寺高校を中心とした一色市のものであることは、地図の右端、方角で言うと東側を流れる宝塔川と、宝塔大橋でわかった。

「そこに、昼に真弘からもらったこれを、重ねる」

 さらにもう一枚の紙をポケットから引っ張り出す。こちらは同じような大きさだが、紙が違った。半透明で向こう側が透けて見える、トレス用紙というやつだ。

 そこに描かれているのは、真弘が前日に天王寺から受け取った魔法陣。どうやらそれを手作業でトレスしたらしい。

「まめだなー」

素直な感想を述べるが、眉一つ動かさずに小豆は作業に没頭する。

 二枚の紙の角をぴっちりとあわせ、航空地図の特定の点と魔法陣がきっちり重なるようにしてクリップでとめる。

「すると、こうなるわけだ」

 完成したのは、町の上に魔法陣を描いた構図だが、ただそれだけだった。

「すまん、いまいちぴんとこない」

「手間のかかるやつだな。つまりはこういうことだ」

 そうは言うものの、言葉とは裏腹に小豆はちょっとだけ嬉しそうだ。口の端が少しだけつりあがって、心なしか口調も軽い。

「いいか? この地図に自動販売機が盗まれたところを書き込んでいくと、こことここ」

「あ、俺が使ってたのがここだ」

 ピンクの蛍光ペンで次々と書き込まれた点は、ことごとくが魔法陣の上、さらに言うなら、線と線が交わるところにうがたれていく。

「で、今のところ最後が、ここ」

 真ん中近く、三本の線が交わるあたりに勢いよくペン先を叩きつけると、ほぼ全部の交点がピンク色にそまる。一箇所を除いて。

「あー、で、ここなわけな」

 唯一ピンク色に塗られていない場所、それが自分たちのいる場所というわけだ。

 答えを聞いてからではありきたりに思える、物語なんかではありがちな展開だが、こうして目の前で謎を解かれると、意外なほどぎりぎりまで気づかないものだと感心する。

「まさか自動販売機の盗難がこんな形でつながるとはね。けれど、これで僕達の目標は一つに絞られたわけだ。確認してきたけど、ほかの点の自動販売機は盗難済みだったよ」

「ほぉ~。にわかには信じられねぇけど、確かにこりゃすごいな。ただの窃盗団ってだけじゃなかったんだな。パラ・ダイス」

「感心してる場合じゃない。問題なのは、ここが最後の一箇所だってことだよ。気づくのが遅すぎた」

「まあ、このタイミングは確実に誰かさんの演出だろうけどな」

 改めてたいしたものだと思わざるを得ない。ありきたりな計画とはいえ、コマである自分達を動かすタイミングまですべてが計算しつくされていることを考えると、まさに神か悪魔の所業といったところだ。

「でもよ、何でここまで来て俺たちにばらすんだろうな?」

「さあね。そうするメリットがあいつにはある、そうとしか言いようがない。さっきも言ったけど、僕らにできるのは行動することだけだ」

「なんか腑に落ちねぇっていうか、ほんとにそのとおりに行動していいのかどうか……」

 引っかかるものがあるかといわれれば、引っかかる場所だらけだ。昨日の美緒の言動から、メイド服の意味深な言葉、さらには自分が改造を施されたこと、すべてが疑わしく思えてくる。中でも一番の不確定要素である、自分自身が。

「なんて顔してるんだよ? 正義の味方がそんな顔じゃ、締まらないだろ」

「ん、ああ」

 曖昧に返事をしてお茶を濁したつもりだが、小豆には何もかも見抜かれそうで、真弘は無意識のうちに背を向けた。そうすれば隠し通せるとでもいうように。

 また逃げた。そんな声が胸の中に次々に浮かんで溢れた。

「んなことより、アレ見張ってないと」

 力任せに首根っこをひっ捕まえられ、無理やり回れ右させられる。世界が高速回転して一瞬意識がブラックアウトしかけたが、それを許さないほど、小豆の視線は力強い。

「何を、考えてる?」

 鋭い視線は、物理的に圧力を持っているように、真弘をその場に縫いとめる。

「何って、別に。ほら、正義の味方なんだろ?」

「そうだよ。真弘は正義の味方だ」

「何回も言ってるけど、正義の味方なんは俺じゃなくてお前だって……」

「違う!」

 あまりにも激しい感情の発露に、真弘はただたじろぐしかなかった。

 これまで、どれだけ大暴れしているときでも、小豆が感情的になることはほとんどなかった。それは表面的な表情もそうだったし、感情任せに力を振るうこともしなかった。あるのは自らの正義に忠実な、信念とでもいうべきもの。

 端的に言うなら、どこまでもストイック。それが真弘の知る小豆だった。

 行動は過激で、突拍子も情け容赦もないが、そこには感情ではなく信念があった。

「真弘は、うそをついてる」

「うそ? 俺が? ってか、今晩のお前ちょっと変だぞ。不機嫌っつうか」

「そんなことはない。おかしいのは真弘だ。そうだ。真弘は、正義の味方だ。なのに、どうしてそんなことを言うんだ?」

「なにを」

「どうして、真弘は正義を信じないように、自分を誤魔化すんだ?」

 決して声を荒らげているわけではない。むしろ、いつもに比べればボリューム自体は抑えられている。だというのに、今浴びせられている言葉は、真弘の感情を抉り取るように鋭い。生の感情、心が直接投げつけられているようだ。

 だから、言葉が返せない。

 それが真実であることを、誰よりも理解しているから。

 小豆の言うとおり、自分はたくさんのものを誤魔化して、隠して、逃げている。

 自分で、それを選んだから。

「何でかね?」

「なにがだよ?」

「お前といい天王寺といい、どうしてそう人の心をずばずば見抜くかな。魔女やら正義の味方ってより、超能力者だぞ、お前ら」

「そんなことはどうでも」

「俺には、正義なんてねぇの。力はあるけど正義はねぇ。まぁ、天王寺はなんか違うこと言ってたけど、そういうこと。それが俺の選んだ道。だから俺には正義の味方なんてできねぇの。俺の中の正義は空っぽだ。ただ面白おかしく日々をすごすことだけ考えてんだよ。お前と違ってな」

「そんな、そんなこと」

「ってわけだ。発作的に奇行に出るトラウマ持ちなだけだよ、俺は。正義の味方は、お前一人でじゅうぶわぶっ」

「そんなこと、言うなよぉ」

 小豆の手のひらが真弘の口元を押さえる。が、握力が強すぎてアイアンクローになってしまっている。あごの骨がミキミキと音を立て、脳髄を貫く痛みに意識が遠のく。

「真弘がそんなこと、言うなよ。僕は嬉しかった。あの日、初めてあった日、真弘は僕を守ろうとしてくれた。何度も他人を守ろうとして、我が身を省みずに行動した。それを正義じゃないなんて、自分には正義がないなんて」

 痛みに悶えていた真弘が声をあげるのをやめたのは、小豆の目を見てしまったからだ。

 うるんだ瞳や頬を伝う涙なんてものを見たのなら、もっと違った反応もできたのかもしれない。けれど、今目の前にある小豆の瞳は涙なんて一つも浮かべてはいなかった。

 ただその奥に、呑みこまれそうなほどに深い悲しみを湛えていただけだ。

「本気、なのか?」

 しばらく考えて、真弘はゆっくりと首を縦に振る。

 自分で決めた、なんて大げさな言い方ができるような立派なものではないが、それが真弘の選んだ道だ。その気持ちは、小豆の悲痛な視線を受け止めてなお、揺らぐことはなかった。

「俺に、正義を語る資格なんて……ねぇって。お前の方が向いてるし。ほら、静かにしてないとそいつらが来たときに」

 うなだれ、前髪で目元の見えない小豆が唇を噛んでいる。今にも自分の唇を食いちぎりそうに強く、血がにじむほどに。

「……」

「え?」

 唇を噛んだままの小豆の言葉を、真弘は聴きとることができなかった。

 そして、聞き返すよりも早く。

「げ、何でいるんだ」

 最悪のタイミングで現れた、全身タイツ。人数は視界に入るだけで五人。自動販売機の窃盗のためだけに組まれたチームだったのだが、不運としか言いようがない。

 たまったフラストレーションのはけ口にぶん殴ってやろうかとも思ったが、最速の反応を見せたのは、当然のように小豆だった。

 声が鼓膜に届いた瞬間に動き出したとしか思えない動きで振り返り、振り向きざまの回し蹴りが驚きにのけぞっていた男の横っつらに直撃する。もちろん、意識など一グラムも残さない。

 驚く間もなく、後ろで足止めを食らっていた三人をハイキックと飛びひざ蹴りで昏倒させる。呻き声一つあげられずに崩れ落ちる人間というのには、どうしても慣れることができない真弘は、一瞬前まで自分が抱えていた負の感情が一蹴されたことに気づく。

 見ているだけなら、これほどすがすがしい闘い方もない。

「ひっ、き、聞いてね」

 ほんの数秒遅れてやってきた五人目は、ただ悲鳴をあげることしかできなかった。

 喉を握りつぶされたような、悲愴感溢れる呼吸音。

 そんな胸ぐらに、小豆の手が伸びる。

「僕を」

「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ」

 大の男があげる声ではない、などと言えるのは目の前の光景を見ていないものだけだ。この時の小豆の形相は、前髪に隠れて半分ほどしか見えなかったとはいえ、大の男に死を直感させるに十分な凄惨さを孕んでいた。

 たかだか自販機盗んだぐらいで。そんなことを男が思ったかどうかは定かではないが、ちょろちょろと股間を濡らす生暖かい液体がその悲惨さを如実に物語っている。

「僕を、連れて行け」

 真弘が初めて出会った時のような、感情の機微を一切取り除いた声音で、唐突にそんなことを言う。

 あっさり男を解放し、真弘を押しのけるようにして歩き出した小豆は、

 ぎしっ

 鈍い音ともに、自動販売機を持ち上げる。

 空の重量でも二百キロ以上。中身が入っていれば三百キロ近いはずのそれが、女子高生の細腕で持ちあがる光景というのは、圧巻を通り越して現実味がない。

 ただ、何よりも現実味を奪い去っているのは、小豆の表情だった。

 月明りに照らされた小豆の顔からは、一切の感情が消え失せている。見つめられるだけで、背筋に氷の杭を打ち込まれたように、脳がきしみをあげる。

 迫力。プレッシャー。そんなものが実在するのだと、改めて実感する。

「僕が、今からお前たちの親分だ」


 唯一意識のあるタイツ男は、倒れ伏している四人を驚くべき手際で乗ってきたトラックの荷台に積み込むと、濡れた股間をどうにかするのも忘れて車を発進させた。

 赤いコーラの自販機を支えるようにして荷台に立つ小豆の、突き刺すような視線を浴びながら、真弘は微動だにすることができなかった。

 結局、トラックのテールランプが角を曲がって消えるのを茫然と見送った。

「あいつ、なんてこと」

「まったく、相変わらず想像の遥か斜め上を行ってくださいますこと」

 穏やかな口調に柔らかな声音は、脳内ですぐにゴスロリメイド服の映像に直結した。

 極力平静を装って声のする方を振り返ると、案の定そこには黒のドレスに白のレースを合わせたメイド服が、仮面をつけてかがみこんでいた。ちょうど先ほどまで、自動販売機があったあたりだ。

 真弘からではちょうどスカートが邪魔になって見えない角度で、今設置されたばかりの装置が薄青く輝き、すぐに姿を消す。人の意識から自身を隠すための結界を内蔵しているという説明をうけてはいたが、さしてそのことには興味はない。

 目的が果たせれば何でもいい。華はそう考えている。

「おい、何企んでんだよ。自動販売機盗んで、魔法陣なんか作って」

「おやおや、そこまでご存知ですか。あの女でございますね。まったく、どいつもこいつも勝手に動いてくれやがりますこと。面倒ばかり増やしてくださる」

「勝手なこと言ってないで、聞いたことにちゃんと答え」

「聞かれたところで、どうなさるおつもりです?」

 慇懃な物言いだが、仮面のすぐ裏側にある侮蔑の視線を隠そうともしない態度は、へたに言葉に出して罵られるよりもずっと堪えた。

「あなたのような中身のないクズが、どうなさると?」

 月明りに照らされ、仮面からのぞくわずかな瞳には同じ人間を見るぬくもりは一切ない。愛情の反対は無関心と言うが、その瞳がまさにそれだった。

 道端の石ころだって、こんな目で見られれば死にたくなる。そんな目だ。

「今までどれほどのことがあろうと決してご自分では何もなさろうともせず、何故に彼女があのような行動に出たのか、そのメッセージをすら考えようともせず、ひたすら逃げて逃げて逃げ抜いてきただけのあなたが、今さら何をなさるとおっしゃいます?」

「そんなこと」

 腹の底にどす黒い感情が波を立て、真弘は奥歯を噛みしめる。が、反論の余地がないことも頭の冷静な部分では感じている。どこまでも正論であるがゆえに、腹立たしい。

「ございますよ。あなたは逃げるだけの、ヘタレでございます。力があり、機会があり、期待もございましのに、あなたはそのすべてに答えずに逃げてこられました。まったく、これのどこをどう見れば正義の味方に見えるのやら、あの生徒会長の目もとことん節穴でございますね。まあ、電波な女のすることにいちいち驚いてもきりはございませんが」

 感動的なまでに淡々と言い切られた罵倒だが、メイドはそれを鼻にかけるでもなく、さらに続ける。

「さて、あのような電波系のお話をしに参ったのではございません。私は、あなたに用がございます」

「俺に?」

 何故かむかむかと気分が悪い。先ほどまで自分に浴びせられていた罵倒は確かに不愉快だったが、今は明確な怒りと不快感が全身を駆け巡っている。

「さようでございます。端的に申しますと……死んでいただきます」

 パシィン、という乾いた音がさほど広くない道路にはじけ、ブロック塀に反響する。パラパラと音を立ててこぼれおちるコンクリートブロックの破片を目で追っていると、その中を何かが動いた。

「っ痛ぇ!」

 音は聞こえなかった。代わりに視界がぶれる程の衝撃が頭蓋骨に叩きつけられる。次の瞬間に感じたのは、炎を押しつけられたような熱。それが痛みであることに気づくよりも早く、次の一撃が反対側の頬をぶち抜く。

「やはり多少は頑丈でございますね。ですが、回復が追いつかないほどに破壊してしまえば、それでおしまいでございます」

 落ち着いた口調とは裏腹に、とんでもない速度で腕が振るわれる。

 ただの紐を、ただ高速で、ただ打ちつける。シンプルであるがゆえに有効だ。

「む、鞭か? 暗くて、よく見えねぇ」

 何とか目で追おうとするも、それが鞭であることに気がつくまでに腕はズタズタに引き裂かれ、顔にも蚯蚓腫れを通り越して血を噴き出すほどの傷がいくつも刻まれていた。

「私はあなたが大嫌いでございます。何もせず、逃げるだけ。絶対に安全な距離で暮らし、いざとなればご自身だけは自らのお力で何とか逃げ果せる。力を持った、心を持たない存在。正義でも、悪でもない。そして」

 辛辣で、容赦がなくて、

「だったら、なんだよ?」

 真実だ。あまりの正解っぷりに、真弘は思わず失笑しそうになる。

「そのことを歯がゆく思っておられるにもかかわらず、思っているだけ」

 鞭が唸り、風を切る音よりも速く先端が頬を掠め、耳たぶが刃物で切ったように裂ける。その間にも腕や顔の傷は驚くほどの速さで治癒し、肉が見えていたところに皮膚が再生し始めている。

 そんな自分の腕を見ながら、まるでゾンビだと一人ごちた。

「なけなしの正義をさえ、トラウマと切って捨てる。底抜けの腰ぬけでございます。へどが出ます。あなたに、お嬢様は渡しません」

 とどめとばかりに再び振るわれた鞭だが、血を吸って幾分重くなっていたのが仇になった。重くなり、速度が落ちたところを、真弘の手がしっかりと捕まえる、

 肉に食い込み、血が噴き出す痛みと代償の、特攻だ。

「わかった風なこと、言ってんじゃねぇぞ」

 捕まえた鞭の先端を手首に巻きつけ、真弘は力いっぱい引き寄せる。

 想定外の力に華の足元がふらつく。さすがに、単純な腕力では真弘に歩があるようだ。

「わかっておりますよ、あなた様が正義の味方の器ではないことなど。それどころか、世の中に絶望して何かを望むこと諦めたあなたに、正義の味方を名乗る資格などございません。とっくに。わかっていらっしゃらないのはあの電波な会長と……だけでございます」

 「会長と」の後に続くのが誰なのか気にならなかったわけではないが、今はとにかく、

「わりぃ、やっぱうちの会長を悪く言われると、むかつくわ。電波なのは、認めるけど」

 再び力任せに、今度は勢いをつけて鞭を引く。

 壊滅的にバランスを崩した華は、しかし鞭だけは手放すまいと手の平に力を込め、

「あっ」

 宙を舞った。真弘に向かって、緩やかな放物線を描いて飛ぶ。

 月を横切る姿に、真弘は往年のSF映画の傑作を思い出したが、それも一瞬のことだ。

 目の前に尻もちをついたメイド服を傲然と見降ろし、言葉を選ぶ。

「俺は、正義の味方にはなれねぇよ。そもそも正義なんて信じてねぇしな。でも」

 鞭を投げ捨てるようにして手放し、一度だけゆっくり息を吸う。吐く。

「小豆の信じてる正義は、ちゃんと正義だ。それは、だれにも否定はできない」

 なぜこんなところで、あんな面倒なだけの女をかばっているのか。どれだけ自問しても答えは出ないが、どうしてもこのまま黙っていてはいけない気がした。

 その程度には自分は小豆と一緒にいたのかもしれないし、たったの数週間しかいなかった人間でもこう言えるほどの正義を、小豆が持っていたのかもしれない。真弘は後者だと思っている。

「しかし、あなた様が語るとその正義も安っぽく聞こえますわね。その存在を信じていらっしゃらないのですから。それとも、今になって捨て去ったものが惜しくなって、必死に取り戻そうとしていらっしゃるのでございましょうか?」

 挑発的な物言いは、腕力に屈服した敗者のそれではない。証拠に、口元にはうっすらと笑みさえ浮かべている。挑発的で、蠱惑的に濡れた唇が、月明りに輝く。

「……かもな」

(ほう)

 こっそりと、華は相手に聞かれないような慎重さで溜息をこぼす。

「あれといると、ちゃんと正義があるって思える。やってることは暴力大魔神だけどな」

「あなたの思考回路はよくわかりませんわね。正義と暴力大魔神などと、矛盾も甚だしゅうございますが」

「俺もそう思う。でもな、そうなんだよ。ありゃ正義の大魔神だ」

 むしろ、たまたま口にしたその表現がなんともしっくりくる気がしてしまう。

「まぁ、否定は致しませんが。今は悪の大魔神、でございますよ?」

「なんだよな……何考えてるのかわからねえ」

「だからドーテーなのでございますよおっと、お口が滑りました」

 仮面からこぼれた口元を覆い、わざとらしく笑うメイド服はどこまでも腹立たしい。

「やっかまし」「で、どうなさるおつもりで?」

 腕を組み、姿勢をただしたメイド姿は、うっかり声をかけるのもはばかられるようなオーラに包まれている。小豆の時とはまた違う、独特の圧迫感だ。

「私はこれから、あの電波の会長を止めに行きます。あなたのようなヘタレドーテーの相手をしている暇はなくなりました」

「また」

「もう一度聞きます」

 胸を強調し、ゴミを見るような冷たい視線を仮面の奥から投げかける。

「あなたは、どうなさるおつもりなのですか?」

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