最終? 確認
「で、一つ聞きたい」
振り上げられた小豆の拳が、ぴたりと止まる。
本来ならそのまま扉に叩きつけられ、ノックという名の打撃兵器となって扉をぶち抜くところなのだが、今回はそうならなかった。
「何だ、珍しいな」
真弘は、質問があることにではなく、ノックを途中で止めたことに対してそう言った。
「何で意気消沈してるんだ?」
拳をそのまま軌道修正してお前に叩きこむぞ、という感じで睨みつける小豆。唇を尖らせて、拗ねたように頬を膨らませている。
何がそんな気に食わないのか真弘には皆目見当もつかないが、小豆にも自分のもやもやした気持ちの正体はわかってはいない。
「なんでもねぇよ」
「ある」
半ば真弘の言葉にかぶせるように小豆は断言する。真弘のことなのに、何故か小豆が断言すると、そちらの方が真実味を帯びる。
「あるに決まっている。僕が言うんだから間違いない」
まっすぐに見つめる小豆の視線に、物理的な重さを感じたかのように真弘は後ずさったが、意を決して手を伸ばす。
「ねぇったらねぇんだよ。ほら、それよか目的は天王寺だろ。問い詰めんだろ」
わざとらしいとは思いながら、これ以上追及される責め苦を受け続けるぐらいならと無理やり事態を動かすことにした。わざとらしすぎて、小学生でもその裏に何かあることに気づく誤魔化し方だ。
「誤魔化した」
小豆の言葉を聞き流したふりをして、ノブに手をかける。扉にかけられた札はまだ真新しく、鮮やかな色のマジックで『魔法部』と書かれている。よく言えば味のある字、ありていに言えばへたくそ極まりない字だ。とても高校生女子が書いたとは思えない。
「天王寺、いるか?」
この呼びかけも手なれたもので、魔法部が問題を起こすたびに小豆と連れ立って(正確には、力ずくで連れて来られているのだが)訪れているのだ。そして、
「勝手に入るぞ」
返事がないことも百も承知だ。部室で研究に没頭している美緒は、声をかけたぐらいではその集中力を途切れさせることはない。
相変わらず雑多にものの詰め込まれた部室内は足の踏み場もない始末で、辛うじて部屋の主が残したのであろう足跡をたどることで、部屋の奥に踏み入ることができる。
以前、勝手にものを掻き分けて進もうとしたときに、「勝手なことをするな。この部屋の物を動かすと宇宙の法則が乱れるぞ」と淡々と、しかし妙に圧迫感のある声で言われたのを思い出す。本当だとは思えないが、否定もできないのが怖い。
薄暗くて、学校施設の中とは思えない、異世界のような雰囲気。例えるなら、化学部と博物館とオカルト研究会を一緒くたにして色の濃いところだけを抽出して押し込めたような部屋。
何度来ても、この雰囲気に慣れることはない。
「おい、てんのう……じ」
背中に突き刺さるような小豆の視線から、逃げるようにして本棚の奥を覗き込む。
「はい?」「あれ?」
いつもならたわわすぎるほどに実った二つの果実が飛び込んでくるアングルのはずだが、今日に限ってはやけに小粒な木の実が見えた。二つ。くるりとまん丸いその目は、野苺のような赤と、ブルーベリーのような鮮やかな青。
左右で瞳の色が違うのを何と言ったか思い出せずにいると、背後から小豆が追いついてきて、さらりと答えを言ってしまう。
「オッドアイとはめずらしい。しかし、天王寺はいないようだね」
きょろきょろと見回して、他に誰もいないのを確認する。
「ってか、誰だこの子? 初めて会ったけど、天王寺の妹とかそんなのか?」
「あれに兄弟はいないよ。一人っ子だ。しかも両親は海外暮らしだとかで、今はどちらかの御実家に住まっているはずだ」
生徒会長情報網は、あの天王寺美緒さえも漏らしてはいないようだ。
(ある意味、これが一番恐ろしい能力かもな)
「ってか、あいつの場合は部室に住んでんじゃねぇのか、半分以上」
「かもしれないね」
そう言って部室のあちこちにを見回すと、格納された電気ポットやカセットコンロ、果ては飯盒と言ったようなサバイバルキットの類が散見される。
「あの……お兄さんたち、なにか御用?」
二人のやり取りに警戒心を包み隠さずに溢れさせた少女が、上目づかいに尋ねる。
小豆よりも一回りほど小さな体格に、幼い顔立ちは紅葉といい勝負に見えた。小学校高学年といったところだろうか。もちろん、この推理過程が比較対象の二人にばれた場合に、真弘が抹殺されるのは確定だが。
しかし何より目を引いたのは、少女の服装だった。
ついさっきまでゴスロリメイド服を見ていた真弘にも、この服のインパクトはあまりに衝撃的だった。シルクやサテンのような艶やかな生地のワンピースで、スカートは大きく広がってヒラヒラ。過剰なまでにレースで装飾されており、胸元には顔が半分ほど隠せてしまうほどの巨大なリボンが華を咲かせている。
言ってしまえば、日曜朝の魔女っ子番組に出てくるような服だ。
「俺達はこの学校の生徒会でな。ちょっとここの部長に用事があったんだ。どこに行ったか知らないか?」
少女はフルフルと首を振るが、やはりまだ警戒は解けていないらしく、唇を一文字に結んで、じっと真弘を睨むようにねめ上げている。
「こら、子供になんて口のきき方をするんだ。怯えているだろう」
「あ、すまん。じゃなかった、ごめんな」
ふるふると少女は首を振る。どうやら多少警戒は解けたようだが、それにしても標準よりは人見知りというか、引っ込み思案であるらしい。こうして話している間も、ずっと本棚の影に隠れるようにして真弘らの様子をうかがっている。
「君は小学部の子かな? だめだよ、勝手にここに入っては」
「ううん、いいの」
子供らしい高めの声音だったが、緊張のせいか声が震えている。
「悪いこと言わねぇから、逃げたほうがよくねぇか? 悪い魔女に眠らされるぞ」
あながちこれも冗談と言いきれないところに、美緒の持つ特異性を実感させられる。
「いいの、だいじょうぶ」
少女はそう言うと、胸元できゅっと手を握って黙りこんでしまう。こうなれば、引き下がるほかはない。ここで待つと言うのも、少女に悪いように思えたからだ。
「そう。じゃ、僕たちは行くね。天王寺が帰ってきたらよろしく」
「よろしくって、なんて言っておいてもらうんだよ?」
「その無駄に大きな胸をはずかし」
「わーあーよろしく、よろしくなー!」
とても小学生に聞かせる内容ではないと早急に判断した真弘は、ぐいぐいと小豆の背中を押して教室の外に押しやる。
「お前は小学生になんちゅうことを聞かせるんだ!」
「何をとは失敬な、真弘が何を伝えるのかなんて聞くか……はっ、まさかあんな小学生にまでお前は欲情して恥ずかしい言葉を聞かせようと」
ぐっと拳が握られ、小豆の無表情に危険なオーラが漂い始める。
「まて! そんな他意はない! あるわけがないし、そもそも」
がらっ
「人の部室の前で騒々しいな君たちは。人前で見せつけるようにしないと、いちゃラブできないのかね?」
振り返ると、二つのたわわな膨らみが歓待してくれた。第二ボタンまで開いた改造ブラウスから覗く、艶やかに桃色を帯びた谷間は、本当にいつ見ても反則だと真弘は思う。
「おおう! 天王寺」
「胸に向かって話すのはやめてもらえないか? さすがに恥じらいを禁じ得ない」
「真弘、あとでちょっと生徒会室で会議をしよう」
ざっと、首から上の血液が音を立てて引くのがわかった。
そんな様をあざ笑うかのように美緒はいつものポーズとばかりに腕を組み、胸を持ちあげる。切れ長な瞳と相まって、相変わらず破壊力抜群だ。しかも、今日はいつもと違って髪を一つに括っているのだが、何だか新鮮だ。
「というか天王寺、どこにいたんだ? 部屋の中には女の子がいただけだと」
「女の子? そんなものがどこにいたんだい? 私はずっと部室にいたが?」
怪訝そうに眉根を寄せ、部室の中を見るように促す。
「何を言ってるんだ? さっき僕たちが入った時にいたあのフリフリヒラヒラオッドアイの子は……」
いない。
「ありゃ? いねぇな。まさか窓から捨てたのか?」
念のため窓の外を覗いてみるが、あるのは十メートルほど下に広がる校舎裏の空間だけだ。少女の姿どころか猫の子一匹見当たらない。煙草をふかしている生徒も、数日前までならこの場所で観察できたが、今は誰かさんの活躍が功を奏している。
「君は極悪非道だな。仮にもし少女がいたとして、窓から捨てるなんて人でなしだよ」
さすがにそれは言い過ぎたとは思ったが、そうとでも思わないと腑に落ちない。
「白昼夢でも見たんじゃないのかい? しかも二人仲良く。お熱いことだね」
「っざけんな、変なこと言うとまた俺がぼこぼこにされ」
恐怖にひきつった顔で小豆を見るが、今回のはさほど気にしていないらしく、そっぽを向いただけで特にこれといった反応がない。頬がほんのり赤いのは怒りをこらえているからだろうと、真弘はこれ以上この件については触れない方が賢明だと判断する。
(おやおや。片や野暮天、片や天然記念物級の超奥手。楽しめそうじゃないか)
心の声が限りなく表情に出ている美緒の、魔女そのものな笑みに別の意図をくみ取った真弘が、慌てて話題を別に振っている。その様に、さらに美緒は口角をつり上げる。
「で、その幻のような少女はいいとして、私に何の用だね? まさか遊びに来たわけではあるまい? 他ならぬ正義の生徒会が」
相変わらず何をしゃべっても含みや他意があるように聞こえる。
「そういえば天王寺、お前は全身タイツの組織について知っているか? いや、知っているはずだ。吐いてもらうぞ」
いつもの無表情に戻った小豆が一歩進み出る。こちらも胸を張っているが、残念なことに相手が美緒では、いつもの半分もプレッシャーを出せていない。
「どうしたね藪から棒に? 全身タイツというと、最近学内でちょくちょく出没するという、あれかい?」
タイツ軍団。正式名称、秘密結社パラ・ダイスは、どうやらそれなりには有名になっているようで、存在そのものは当初の秘匿性を失っているらしい。
(ま、あんだけぼこぼこ出てきて細かい悪さを繰り広げりゃ、いやでも目撃されるわな。その実態がなんなのかは別としても)
実際、生徒会として遭遇(そして一方的に殲滅)した以外にも、校内のあちこちに現れては、子供のいたずらとも呼べないレベルの悪さをしては去っていくというのを繰り返していたらしく、ちょっとした都市伝説のようにその存在が認知されている。昼休みの雑談の中で、宗司と瞳から聞かされた。
その活動内容の小物っぷりとともに。
「先ほどあれが、自らを悪の秘密結社であると認めた。お前もあれの一員、いや、何なら幹部として悪を働いているのだろう。そして、そのための力としてロボットの住吉を狙った、そうだろう?」
あまりにもあっさりと一郎のプライベートを暴露したのには目を剥いたが、さすがにこの内容であれば本気にされることはないだろうと、ジト目で睨むだけにとどめた。
「へぇ、彼はロボットだったのか。道理で、他の人とは違ったわけだ。そりゃ、魅力的なわけだね」
「信じた!」
驚くべきことに、美緒はそのカミングアウトをあっさりと受け入れた。眉一つ動かさず。
「否定する要素がないからね。ただ仮にそうだったとして、会長君の推理は外れだね」
「どういうことだ?」
「答えは簡単、私はそんな組織に所属していない、それだけだ」
「じゃぁどうして、お前は住吉を攻撃したんだ? 雷の魔法で」
「雷の魔法? 攻撃? 何のことかね?」
「とぼけるな」
声を荒らげるでもなく、淡々と追い詰める小豆もさることながら、ここで真弘が疑問に感じたのは美緒の態度だった。
「とぼけるも何も、私は遅刻王君に向かって魔法を放った記憶などないよ。そうほいほい使うものでもないからね、魔法なんて」
その言葉には嘘偽りはないように見える。腕を組んでうんうん唸る様子は、とても演技には見えない。と、
「ん?」
何かに思い当たったように、ぴたりと美緒の動きが止まる。
「なんだ? 白状する気になったか?」
「いや、心当たりがあるとするなら、一つある」
「こころあたり? 何かもったいぶった言い方だな」
美緒にしては珍しく歯切れが悪いと思いながら、真弘は小豆をけん制する。ともすれば生徒会室にしょっ引きかねない勢いだ。味方をけん制しなければならない苦労は、思いのほかヘビーだ。
「うん。あのあと、ちょうど君に雷の魔法を披露したあの直後だ。魔法が誤発動してね。どうも、私の持っていた魔方陣に何らかの外的な力場が作用したようなのだが、何の効果も顕現しなかったので不発だと思っていたのがあるのだよ」
「もしかしてあの、お前が逃げてからの一発は」
「私も、あのときは何が起こったのかわからなかったのだが、どうやらそうらしい」
「それがたまたま、屋上を逃げていた住吉を直撃した、と」
あり得なさそうだとは思いながら、魔法については門外漢なのでそんなものかと思ってみる。
「もう少しうまい言い訳を、と言いたいところけど……確かに納得できなくもないね」
「納得してもらわねば困る。それ以外に思い当たる節がないのでね。それに彼の場合は……いや、いい」
言いかけて止められたせいで、胸のあたりにもやもやしたものが残ってしまうが、美緒はすでに考え事モードに入ってしまっている。こうなった美緒は、例えすぐ隣で殺人事件が起きても集中を乱さない。
「ふむ、この状態だと乳を揉んでも気づかなさそうだな」
「おいぃ! お前は何を言って」
「冗談だ。そんなことばかり考えているから反応が過剰になるんだ。真弘、わかっていると思うけど、あとできっちり僕が指導してあげるからね」
どうやら、今日が自分の命日になるらしいと、真弘は腹をくくった。
「天王寺美緒はグレーだ。とはいえ、パラ・ダイスの連中が本格的に動き出したのは紛れもない事実。とすると、僕らの取るべき道は一つ」
廊下を歩く足取りはいつにも増して力強く、表情は水を得た魚のように生き生きとしている。悪の組織の存在を嬉々として受け入れる正義の味方、というのも甚だ疑問ではあるが、悪の組織あっての正義の味方というのもわからないでもない。
「ってか、世界征服も人類抹殺もしないって言ってたけど、じゃぁ何すんだ、あいつら?」
真弘の疑問に、小豆の足が止まる。
「何をたくらんでるかなんて、関係ないよ」
振り向きざまに、ぴっと人差し指を突き立てる。いつものポーズだ。
「あっちが悪でこっちが正義。だったら、やることは一つ」
危険な思想に繋がりそうな気もしたが、何故か小豆が言うと説得力たっぷりだ。
「お前らしいな。羨ましいわ」
「ふん、何を言ってるんだ? 真弘は正義の味方なんだから、そんなことじゃ困る」
くるりと踵を返し、再びずんずんと歩き始める。
その背と揺れるツインテールをぼんやりと眺めながら、どこか自信なさげな自分の足取りに、真弘は唇を噛む。
(そう言われても、残念ながら俺は)
胸の真ん中にぽっかり穴があいたような、そんな喪失感を噛みしめて、ポケットに手を突っ込んだ。
「?」
かさり、と指先に触れる感触にそれをつまんで引っ張り出してみる。レシートか何かのゴミかとも思ったが、摘まれていたのは、一枚のメモ帳。
その内容を眺めてもう一度ポケットに押し込み、歩き出す。
「それにしても」
そのタイミングを見計らったように、再び小豆が足を止めて話し出す。
「あいつらはどうして真弘を狙ったんだ? それにお前とあのメイドには面識もありそうだったし」
(やはりそうきたか)
心中で緊張の糸が一気に張りつめる。さすがにこのまま忘れてうやむやに、なんて都合のいい展開を期待したのは甘かったが、ここまで直球で切りこまれると逃げ場がない。
「ああ、ちょっと、な」
「悪の組織と正義の味方の間には、『ちょっと』も大問題だぞ。吐いてしまえ」
「う、いや、な、なんつうか」
誤魔化すにしても思考の糸はぐちゃぐちゃに絡まっていい手が思いつく気配もない。かといって正直にすべてを打ち明けるのは死亡フラグだ。真弘も、十五の身空で散りたくはない。
「それよか、あいつらの目的とか次の行動を予測する方が」
「出てくれば潰す、それだけだよ。さあ、真弘とあの組織のつながりって、何?」
万事休す。まさかこんなにも唐突に自分の死が訪れようとは思ってもいなかったが、黙っていても殺されるのは同じ。だったら、
「あいつらなんだよ、俺のこと改造したの」
「改造?」
ぶちまけて、清々しい気持ちで死んでやろう。なんとも後ろ向きな潔さだ。
「そう。ちょっと前にな、夜の学校で死にかけたんだよ、俺。そんときに、どんな理由かは知らないけどあいつらの改造手術で命が助かって、それ以来あんな異常な回復力とか身体能力が身についたみたいでな。最初は半信半疑だったんだけどよ、実際にこんな体だし、それ以外に原因は考えられないしな」
誰がどう聞いても、電波にやられた脳味噌で考えた設定。しかもどこぞの特撮ヒーローからぱくってきたとしか思えない設定。ともすれば、ふざけるなとぼこぼこにされて軽蔑されてもおかしくはない。おかしくはないが、何故か小豆ならこの話を信じるような気もしていた。信じたからどうということもないのだが。
「脳は?」
俯いた小豆が、ボソリと呟く。
「ノー?」
襟首を掴まれた。全力で。おかげで一瞬体が浮き上がり、脳が揺れたように視界がぐにゃぐにゃに歪む。
「脳、脳は、今揺れて」
「違う! 脳の改造までされたのか、って聞いてるんだよ」
「は? なんでいきなり」
ネックハンギングの要領で吊るしあげられているが、身長差が身長差だけにわずかに真弘はつま先が床についている。とはいえ、苦しいのに変わりはないのだが。
「そういう話では、脳の改造がネックになるのが王道だろ? だから、どうなんだ? 脳改造は?」
どうやらマジらしい。ここまで真剣に受け止められると、真弘としてもうれしいような、怖いような不思議な気持ちになる。
「そ、それは、ないらしい。そういう処置を受ける前に、気がついて、逃げ出してきた」
それを聞いた小豆は、何の予備動作もなく手を離す。
「えでっ! いきなり離すなよな! おかげでケツうって……おい?」
「本当なんだな!」
「うぉっ!」
目をきらきらに輝かせた小豆が、再び襟首をつかんで真弘を引きあげる。
「顔、近い、近い。顔近い」
「本当だな、本当に本当に、脳は改造されていないんだな? 体だけだな?」
目を輝かせながら無表情という器用な技を見せているが、隠しきれないほど嬉しいらしいというのはわかった。ただし、この感情の正体に気づくほど、真弘の思考が回復していないのは幸か不幸かは不明だが。
うっかりすると鼻の頭がぶつかる距離にも小豆は遠慮なくがくがくと真弘を揺さぶる。
「あぶな、あぶ、ちょ、口が、当たる。チューになる、チューに」
「よかった。不安だったんだぞ、僕は。真弘がもし悪い組織につくられた怪人だったらとか、不死身なのも何か悪の組織のせいで、洗脳とか脳改造されてたりしたとか、そしたらそしたら、真弘と、その、戦わなきゃいけないのか、とか」
意外なことを言う。
「あず、き?」
「でも、そうじゃないって、わかって……本当に……って、何を言わせるんだ、真弘!」
抑えが利かなくなってしまったのを悔いたが、言葉をなかったことにはできない。
一瞬の沈黙が妙に気まずい。
「いや、お前が勝手に」
「はっ」
何に思い至ったのか、ものすごい速さで首からうなじ、ほっぺた、耳まで真っ赤にしてぎゅっと唇を引き絞った。
「真弘の、ぶわぁぁぁぁぁかぁぁぁぁーーーー!」
飛んできた拳が当たった記憶はない。だから、十トントラックに全速力で跳ね飛ばされたような衝撃も、壁に叩きつけられてめり込む時の激痛も、その衝撃で全身の骨が残らず砕けるという地獄のような責め苦も、幸いに記憶にはない。記憶にあるのはただ、壁にめり込みながら感じた、ばらばらの骨が再生するときの死ぬほどの苦痛だけだ。
「助けて、正義の味方」
心からそう願って、そっと目を閉じた。
最後に見たのは、こちらに背を向けて廊下にうずくまり、口元を隠している小豆の、真っ赤なうなじだった。