こどくの女王
「マルヴィナ・ブロードベント王女、あなたとの婚約話はなかったことにする」
ブロードベント王国の第一王女にして時期国王の第一候補であるマルヴィナは、婚約者候補であるダスティン・フェアクロフにそう告げられて息を飲んだ。
王立学園の期末パーティーでのことである。周りの学生や保護者たちが、何ごとかと注目した。
ダスティンの隣には、マルヴィナの異母妹であり第二王女であるトレーシー・ブロードベントが控えている。
地味な顔だちのマルヴィナに対して、トレーシーは市井で詩人に詠われるほど美しい少女だった。優しげな面持ちを悲しげに俯かせて、暗い表情をしている。
「……何を言い出すのですか? ダスティン様」
動揺を悟られないように、表情を取り繕ってマルヴィナは問いかけた。ダスティンが冷たく眉を上げる。
「こちらのトレーシーから、マルヴィナからたびたび酷い嫌がらせを受けていると聞かされてね。あなたは国王の第一子にして第一王女であって、最も次期国王に近い立場だというのに、腹違いとはいえ妹を虐げるのは品がないのではないかな」
「そんな……」
事実無根の話を聞かされて、マルヴィナは動揺した。
マルヴィナとトレーシーは、仲が良いわけではないが特別に仲が悪いわけでもなかった。だから酷い言いがかりをつけられて、マルヴィナはトレーシーに問いかける視線を向けた。
トレーシーは怯えた様子で足を下げかけ、それを思い直して毅然として顔を上げた。
トレーシーは美しく、愛らしい。たったそれだけの仕草で、周りを惹きつけるには十分なのだった。
トレーシーが震える声を上げる。
「申し訳ありません、お姉様」
本当に申し訳なさげに、トレーシーは眉尻を下げた。
「知られるつもりはなかったのです。本当にたまたま、ダスティン殿下から気にかけて頂くことがございまして……」
「制服に仕込まれたカッターで肌を傷つけて、途方に暮れていたところに通りかかったんだ。王族が嫌がらせをされているだなんて外聞も悪いだろうに、一体なにを考えているんだ」
いかにも呆れたというように、ダスティンは嘆息した。トレーシーが僅かに震える指先を握り込む。
不味い、とマルヴィナは直感した。
ダスティンは隣国である大帝国の第四皇子である。冷徹ながら極めて優秀であり、半年ほど前から留学しているダスティンを慕う生徒は多い。
さらにもともと堅苦しいマルヴィナに対して、朗らかなトレーシーのほうが友人は多いのだ。つまりこの局面で、生徒たちの感情は明らかにトレーシーたちに傾きやすいのである。
「わたくしは次期国王候補としてのお勉強も、公務もございます。そんなことをしている暇などありませんわ」
「悪いが、あなたの予定を調べたけれど」
あっさりとダスティンは返した。
「トレーシーが嫌がらせを受けていた時間は、ちょうどあなたの予定が空いていた時間と一致していたよ。生徒たちの中にも見かけたものがいる」
ダスティンがぐるりと見回せば、戸惑った表情で数人の生徒が進み出た。
「トレーシー殿下が階段から突き落とされかけたときに、走り去るマルヴィナ殿下らしき女性を見かけました」
「わたくしは、トレーシー殿下とマルヴィナ殿下がひどい言い争いをしているのを見かけましたわ。そのあとにトレーシー殿下が片頬を赤く腫らしてしていらして、どうされたのか問いかけてもトレーシー殿下は何も仰りませんでしたけれども」
二人目に声を上げたのは、生徒たちの間でも正義感が強いと評判と伯爵令嬢だった。もともと信用の厚い女子生徒が声を上げたのを聞いて、ますます生徒たちが疑惑を深める。
確かに言い争いはしたかも知れない、とマルヴィナは記憶を辿った。トレーシーは優秀であるのに何ごとにも手を抜きたがるので、姉として指導をするときに知らず口調がきつくなりすぎることもあるのだった。
「あの……」
おずおずと進み出たのは、マルヴィナと同級の子爵令嬢だった。
優秀だが気が弱く、あまり目立たない女子生徒だった。けれど学業成績は抜きん出ているので、マルヴィナともそれなりに親しくしている少女だ。
「マルヴィナ殿下が、トレーシー殿下の制服の上着を捨てているところを見ました。そのあと、トレーシー殿下が必死に上着を探しているところに出くわしまして……」
耳目を集めて緊張したのか、ひどく上擦った声で子爵令嬢がそう言った。それなりに仲が良いと思っていた子爵令嬢にまでそう言われたので、マルヴィナは目眩がした。
話に出てきた上着は、確かにマルヴィナが焼却炉に放り込んだ記憶がある。けれどそれは嫌がらせではなくて、トレーシーに頼まれたのだ。
どこかに引っかけたらしく派手に破けた上着と、教師から頼まれたらしい大量の荷物を抱えてトレーシーが二進も三進もいかなくなっていたので、マルヴィナが上着を引き受けたのである。捨てたのも勝手に捨てたわけではなくて、捨てて欲しいというトレーシーの願いだった。
詰まりマルヴィナは何もかも、トレーシーに嵌められたのである。そういう状況を理解して、マルヴィナはこみ上げる吐き気を堪えた。
当人であるトレーシーは、清廉潔白な表情で悲しげに佇んでいる。ダスティンが気遣わしげに声をかけるのに、やんわりと微笑みつつ決して必要以上に近寄ろうとはしない。
トレーシーがこういうときに隙を見せるような少女でないことを、マルヴィナはよく知っていた。
いま証言した子爵令嬢は真面目で、気が弱く、それでいて優秀だったので、目立ちはしなくてもそれなりに信用を置いている生徒は多い。
詰まり、正義感の強い伯爵令嬢や気弱な子爵令嬢が偽証などするはずがないと、それなりの生徒たちが感じたのである。これによってマルヴィナは、多くの生徒たちから疑惑の視線を向けられることになった。
こうなってしまっては、マルヴィナの名誉を完全に回復することは不可能だった。仮に後から誤解であったと知られたとしても、穿った見方をする人間などどこにでもいるからである。
心臓が冷える思いで、マルヴィナは自分の父親である国王に視線を向けた。国王はひどく冷めた表情で、一連の騒動を眺めていた。
マルヴィナと国王の視線が合って、何の興味もなさげに逸らされた。それをマルヴィナは、絶望的な面持ちで見ていた。
国王がマルヴィナに見切りをつけつつあることを、それだけの仕草で感じ取ったからである。
マルヴィナが本当にトレーシーに嫌がらせをしたのかどうか、そんなことは問題ではない。
次期国王候補筆頭でありながら、トレーシーの画策に気づかずこのような事態になるまで状況を見逃した。それこそが、マルヴィナの罪なのである。
「ち、違います、本当に……」
指先が冷える。震える手を握り込んで、マルヴィナは否定した。
トレーシーが口を開く。ひどく淡々とした、疲れたような口調だった。
「お認めくださいませ、お姉様。証拠もございます」
トレーシーと、マルヴィナの異母妹である少女と、視線があった。
姉妹仲は良くなかった。むしろ生真面目で口うるさいマルヴィナは、妹であるトレーシーにとっては鬱陶しい存在だっただろう。
それでも、このような真似をされる謂われはないはずだった。
愕然とした気持ちでトレーシーを見るマルヴィナから、トレーシーが先に視線を逸らした。
決して勝ち誇ったような様子ではなかった。マルヴィナが表情を読み取ろうとしたことに気づいたのか、トレーシーが綺麗に感情を隠す。
そして静々とした様子で、トレーシーは言ったのである。
「あとは国王陛下のご判断にお任せ致します」
***
結果として、マルヴィナは継承順位を下げられ、代わりに国王の第二子にして第二王女のトレーシーが次期国王候補筆頭になることになった。
この判断に、国王からマルヴィナへの失望があることは明らかだった。
ただ真面目なマルヴィナよりも、国王は悪辣ではあれど策を練って実行するトレーシーをこそ評価したのである。単に優秀で真面目であるだけでは、次期国王としては足りぬという考えなのかも知れなかった。
そのままの流れで、マルヴィナの婚約者候補であったダスティンがトレーシーの婚約者に収まることになった。
候補ではなく決定である。これはトレーシーが、次期国王にほとんど内定したことを意味していた。
それから数年後に、トレーシーは女王として王冠を戴くことになる。
その数日後に、マルヴィナを含むトレーシーの異母姉弟妹は処刑されることになった。
トレーシーの十一人の姉弟妹のうち、処刑を免れたのは十歳も年下の同母妹の一人だけである。他の十人の異母姉弟妹たちは、後顧の憂いを減らすために残らず殺されたのだ。
これはブロードベント王国の伝統で、基本的に王子や王女のうちで生き残れるのは、国王や女王になった王族と同父同母の兄弟姉妹だけなのだった。
なのでブロードベント王国の国王や女王は、代々何人もの王妃や王配を迎え入れて多くの子どもを作るのである。そうやって兄弟姉妹同士を争わせて、より能力の高い血筋を残していくのだ。
異母姉弟妹の処刑を終えて数日、トレーシーは王配となったダスティンの向かいで一つの皿を前にしていた。
ダスティンの前にも同じ皿があったが、乗っているのは別の料理だった。正確には同じステーキなのだけれど、トレーシーとダスティンでは肉の種類が違うのである。
丁寧にステーキ肉にナイフを入れて口に運ぶトレーシーを、向かいでダスティンが気持ち悪そうに眺めていた。
「最初はマルヴィナお姉様が良いってお願いしたの」
軽やかに、トレーシーはそう言った。
「女王になって最初に食べるのは、マルヴィナお姉様って決めてたわ。わたくしが殺しちゃったから」
言いながら、トレーシーは再びステーキ肉にナイフを入れた。
トレーシーの前に置かれているのは、亡くなったマルヴィナの心臓の肉だった。トレーシーは何の感情も見せないまま、異母姉の心臓を詰め込むように口に運ぶ。
「美味しいの?」
ダスティンが最悪なことを訊いた。トレーシーはほとんど噛まないまま水で流し込みながら、皮肉げに眉を上げる。
「不味いわ。人肉なんて人間の食べるものじゃないわよ。でも、これも女王の仕事だから」
言ってまたひと欠片を口に放り込む。
「それって、兄弟姉妹の魔力を取り込んでより多くの魔力を得るために食べるんだっけ。魔物みたいなことをするね」
「人間の血肉は人間にとってほとんど栄養にならないから、効率的じゃないわね。だったら魔力が豊富な土地で育った野菜や、それこそ魔力の高い魔物肉なんかを食べたほうがよっぽど良いわ」
口の端を丁寧に拭いて、トレーシーは片方の眉尻を上げた。
「要するに、カビの生えたような古い迷信が、いまだにこのブロードベント王国に残っているというだけ。何の意味もないわ」
意味がないと言いつつ、トレーシーは食べることを止めない。ほとんど流し込むように食べ続けるトレーシーを、ダスティンが気味悪げに眺めた。
「正気じゃないね」
「そう、良かったわ」
トレーシーが微笑んだ。首を傾げたダスティンに、補足するように再び口を開く。
「わたくしの国が正気じゃないって、他国の皇族に言って貰えて良かったわ。王配になったのがあなたで良かった」
トレーシーとダスティンは共犯者のような関係であったので、トレーシーから好意的な感情を向けられて、ダスティンは居心地悪げに身じろいだ。
そもそも数年前のマルヴィナの断罪は、トレーシーとダスティンで仕組んだものだった。次期国王候補から引きずり下ろされたマルヴィナは、言うまでもなくトレーシーに何もしていないのである。
マルヴィナを蹴落として女王になりたいトレーシーと、各国に支店を持つ大商会を経営するトレーシーの実母である第二妃の生家にすり寄りたいダスティンの思惑が一致したことによるものだった。
「あなたが女王になれば、異母姉であるマルヴィナ・ブロードベントが処刑されるのは決まったことだっただろうに。そんなにマルヴィナ・ブロードベントが憎かったの?」
ダスティンの言葉に、トレーシーがきょとんとした。何を馬鹿なことを言っているのか、とでも言いたげな表情だった。
「馬鹿ね」
実際に口に出して、トレーシーは唇を歪めるようにして笑った。
「マルヴィナお姉様がどうこうだなんて関係ないわ。マルヴィナお姉様が女王になれば処刑されるのは異母妹のわたくしだもの。わたくしは、死にたくなかった。だからマルヴィナお姉様には死んで頂くしかなかったのよ」
きっちりと最期のひと欠片までステーキ肉を腹に収めてから、トレーシーは唇を拭った。少しばかりはしたないような勢いで水を飲む。
「マルヴィナお姉様は優秀で、真面目な方だったわ。腹違いのわたくしのことも気にかけてくださった。きっと、わたくしに嵌められるだなんて思ってもみなかったでしょうね」
きっとマルヴィナが最初からトレーシーを警戒していれば、トレーシーが勝つことは難しかっただろう。マルヴィナは間違いなく優秀だったのだ。
けれど、悪意と策謀をもってトレーシーはマルヴィナを貶めた。そして彼女たちの父である先代国王は、そんなトレーシーを評価した。それだけのことである。
「わたくし……」
ふと思い出したように、トレーシーは言った。
「ちょっとだけ、マルヴィナお姉様が好きだったわ。口うるさいと思っていたことも本当だけれど、良いひとだったのよ」
今日は最初から給仕を断っていたので、テーブルにはすでに口直しのムースが置かれていた。ムースに手を伸ばしながら、トレーシーが投げやりに笑う。
「でも、死にたくなかったから」
黙ったまま、ダスティンは自分のムースをトレーシーに差し出した。今日は人払いをしていたからできることだった。
「自分が死にたくなかったから、マルヴィナお姉様を殺しちゃったわ。きっとわたくし、地獄行きね」
ムースを口に含んで、トレーシーはふっと顔を綻ばせた。ようやく気を抜けたというような表情だった。
それから顔を上げて、トレーシーは姿勢を正した。
「わたくしの代で、国王の同父同母の兄弟姉妹以外の王族の処刑と、それに伴う食人の悪習の撤廃を目指します」
ダスティンが瞬いた。トレーシーが続ける。
「食人行為を国王の聖性と結びつけている貴族は多いから、きっと簡単じゃないわ。処刑をなくしたことで、後代になってから今までには起きなかった別の問題が起きるようになるかも知れない」
ゆる、とトレーシーはスプーンを撫でた。子どもがやるような仕草だった。
「でもどうせ、わたくしの行き先は地獄だから」
トレーシーは顔を上げて、ダスティンと眼を合わせた。そうして、まるで恋でもしているかのように慕わしげに微笑みかけたのだった。
「だからダスティン様、一緒に地獄で踊りましょうね」
実際には食人行為は細菌や寄生虫なんかで色んな問題が発生するらしいのですが、フィクションってことでお願い致します
前回の作品が日間総合ランキング32位まで上がりまして、皆さま大変にありがとうございました。普段は深淵を這いずっている伽藍にしては快挙でございます
珍しくいっぱい褒められちゃったな、へへへ(照)ってなったので、『じゃあ今度はバチクソ頭のおかしい話を書ーこぉ!』ってなりました。我ながらシンプルになぜ??
他者さんの作品で『国王になれなかった王子/王女は全員処刑される王家』のお話を見かけたので、じゃあ因習じみた世界観ならこういうのもありかなーって思いついたので書いてみました
思いついた設定を使いたいがために書いたので組み立てに詰めが甘い部分があるかも知れません。どうぞ薄目でお読みくださいまし
【活動報告:20260617】
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