表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不器用な怪異たちシリーズ  作者: 瀬戸 陽子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/11

【本編】Ep.4 名前を呼ぶ音

見えないはずのものが、少しだけ“そこにいる”ように感じられた朝。

なぎと座敷童子、人形の距離が、静かに動き始めます。


1. 朝の違和感


朝。いつもと同じように、トースターの音が部屋に響く。

トースターの音は、いつも通りだった。


朝の空気はまだ冷たく、窓の隙間から入り込む風が床を薄く撫でていた。


カチリ。じわ、と熱が広がる気配。

窓の外はまだ薄い灰色で、街路樹の影が床に細く伸びている。


なぎはキッチンに立ちながら、ふと足を止めた。

手のひらに残る水滴が、朝の光に小さくきらめく。


なぎ:

「……あれ?」


理由ははっきりしない。

ただ、視線が合う場所が一つ増えたような感覚。

空気がいつもより少しだけ重く、コーヒーの香りがいつもより濃く感じられる。


テーブルの端。

いつの間にか家にあった人形が、昨日と同じ位置に座っている。

だが、光の当たり方が違う。

布の繊維が朝の光を受けて細かく浮かび上がり、影が人形の輪郭を薄く引き締めている。


なぎは、無意識にその人形を「物」として見ていなかった。


なぎ:

「……なんか、今日は……」


言葉にならず、首を傾げる。

背後の壁にかかる時計の秒針が、いつもよりゆっくり進んでいるように感じられる。


座敷童子は少し離れたところで息をひそめる。

人形の隣に、ちょこんと座っている。

白い袖の端が、微かな風に揺れる。


座敷童子:

「……きょう、ちょっとだけ……」


呪いの人形は、じっとなぎを見つめていた。

目は相変わらず曇っているのに、その奥で、何かが“待っている”。

部屋の空気がその期待でほんのり震える。


---


2. 見えない会話


なぎはマグカップを二つ……ではなく、一つだけ出して、ふっと笑った。

湯気がゆっくりと立ち上り、光の帯を描く。


なぎ:

「……変だな。

誰か、もう一人いる気がするのに」


座敷童子がびくっとする。

小さな音が、テーブルの上の紙片を震わせる。


座敷童子:

「……っ」


呪いの人形:

「……きづかれてる……?」


声は空気に溶けるように弱く、だが確かにそこにある。

音の輪郭はぼやけていて、なぎの耳には届かないかもしれない。

だが、部屋の温度が一度だけ下がったように感じられた。


座敷童子は小さく首を振る。


座敷童子:

「だいじょうぶ。

この人、こわがらないから」


なぎは独り言のように続ける。

手の動きはゆっくりで、泡立つコーヒーの表面に小さな波紋が広がる。


なぎ:

「まぁ、いっか。

増えても、減っても……ここは、ここだし」


トースターが跳ねる。

パンの香りが広がる。

窓の外で自転車のベルが一度鳴り、遠くの犬の声がかすかに混ざる。

そうした生活音が、部屋を「快適」に保っている。


その瞬間、人形の肩が、ほんのわずかに下りた。

布の繊維が擦れる音が、耳に届かないほど小さく響く。


呪いの人形:

「……ここ、いていいの……?」


声は、空気に溶けるだけ。

でも、その問いは確かに生まれていた。

なぎの胸に、見えない何かが触れるような感覚が走る。


---


3. 触れる気配


なぎがテーブルを拭こうとして、布巾を滑らせる。

木の板に触れる布の擦れる音が、部屋の静けさを満たす。


そのとき。指先に、一瞬だけ、布の感触。


なぎ:

「……っ」


反射的に手を引く。

心臓が一拍、早く打つ。

光が一瞬だけ揺れ、窓の向こうの雲が流れるのが見えた。


なぎ:

「今……」


視線の先には、人形。

何も動いていない。

けれど、さっきまでと違う。


「そこに、いる」


そう感じてしまった。


座敷童子は息を止めている。

人形も動かない。


数秒の沈黙の中で、部屋の音が細部まで聞こえてくる。


冷蔵庫の低い唸り、遠くの車のタイヤ音、スマホの通知ランプの微かな点滅。


なぎは、ゆっくり息を吐いた。


なぎ:

「……気のせい、か。

でも――」


人形の前に、布巾をそっと置く。

布の端が人形の膝に触れ、そこだけ影が濃くなる。


なぎ:

「落ちそうだったよ」


それだけ言って、優しく置き直してから背中を向けた。


背中越しに、なぎの肩のラインが夕光に溶ける。


その背中を見つめながら、呪いの人形の胸の奥で、何かがほどけた。


呪いの人形:

「……やさしい……」


---


4. 動かない、という選択


夜。なぎの寝息が安定して、部屋の音が完全に落ち着いたころ。

窓の外の街灯が薄く差し込み、埃の粒が光の帯を描く。


人形は、音を立てない歩き方で、そっと床に降りた。


足音はない。


だが、床板に残る微かな振動が、確かに一歩ずつ進んでいることを告げる。


座敷童子:

「……やっぱり、動けるんだね」


呪いの人形:

「……うん。

でも、あの人の前では……だめ」


「……動くとね、

“物じゃなくなる”でしょ」


座敷童子:

「……うん」


呪いの人形:

「“物じゃない”って、

捨てられること、あるから」


一瞬、夜の空気が冷える。

窓の外を通る風が、木の葉をさらりと揺らす。


座敷童子は、人形の袖をぎゅっと掴んだ。

白い布が小さくしわになる。


座敷童子:

「……ここでは、だいじょうぶ」


人形は、静かに頷く。


人形は慣れているように、小さい手でペンを持つ。


テーブルの上に置かれたメモ帳に、ペン先が触れる音がほんのわずかにする。

インクの匂いが、紙の繊維にしみ込む。


呪いの人形はペンを取り、ゆっくりと文字を書く。


——

此処ここりといえども、なりや」

——


座敷童子は、その文字をじっと見る。

オレンジ色のグローランプの光がインクの黒を際立たせる。


座敷童子:

「……何て書いたの?」


呪いの人形:

「……ここにいても、いいですかって」


座敷童子:

「もちろん、いいに決まってるよ。

 だって、もう“いる”もん」


人形は、少しだけ笑った気がした。

布の口元が、ほんのわずかに緩む。

ペンを置き、元の場所に戻り、完璧な静止に戻る。


その直後、なぎが寝返りを打つ。

布団の擦れる音が、部屋の静けさを破る。


なぎ:

「……ん……」


人形は、もう一切動かない。

呼吸すら、しない。


けれど、その“動かない選択”の裏側には、確かな意思があった。


窓の外の街灯が、二つの影を長く伸ばす。


古いスマホからは静かな曲が流れている。

静かなピアノの音が部屋の床を微かに震わせる。

座敷童子は人形の隣に座っている。


二人の影が重なり、ゆっくりと揺れた。


座敷童子:

「ねぇ……なまえ、ある?」


呪いの人形は、少し考える。

部屋の空気が、名前を探すように静まる。


呪いの人形:

「……あったけど……

呼ばれなくなって……

わからなくなった。」


座敷童子は、少しだけ胸が痛む。


座敷童子:

「じゃあ……いまは、ここにいる人形、でいいよ」


呪いの人形:

「……うん」


その会話を、なぎは知らない。

けれど――なぎは布団をかけ直しながら、ぽつりと呟いた。


なぎ:

「……おやすみ。

みんな」


その言葉は、誰かに向けたものではないはずなのに、

確かに、二つ分の返事があった。


座敷童子の小さな吐息と、人形の布の擦れる音が、同時に部屋を満たす。


灯りが消える。


闇の中で、座敷童子の輪郭がほんの少しはっきりする。

呪いの人形の影も、昨日より、わずかに濃い。


二人は並んで、なぎの眠る方を見る。


座敷童子:

「……ここ、いいでしょ」


呪いの人形:

「……うん。

 あったかい」


なぎの寝息が、静かに続く。

見えないけれど、確かに同じ空間にいる。


三つの気配が、同じ夜を、同じ家で過ごしていた。


---


次話:【本編】Ep.5 灯りの外から来たもの

2026/3/13 20:00に更新します

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ