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勇者枠、満席。――クレーム係は異世界に誤配属された  作者: ちわいぬ
第一章

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第7話 奉声

文書室の最奥は、音が薄かった。


扉を閉めると、外の廊下の気配が一枚、削がれる。

魔法灯の光は均一で、影ができにくい。

人が長く留まる場所の光だ。


透は机の前に座った。

椅子に腰を下ろすだけで、背中にじわりと汗が滲む。

冷えているはずなのに、皮膚の内側だけが熱い。


机の中央に、一冊の記録が置かれている。


革装。

角が擦り切れ、何度も手に取られた跡がある。

だが、ページの端は妙に綺麗だ。

誰かが“必要なところしか開かない”読み方をしてきた本だと、透には分かった。


表紙には、簡潔な題が押されている。


――奉声記録(抄)


抄。

全部ではない。


透は、喉の奥に唾が溜まるのを感じた。

飲み込むと、かすかに音が鳴る。

この部屋では、その小さな音さえ気になる。


「……公式資料、ですか」


背後で白衣が言った。

声は低く、抑えられている。


「はい。歴史資料として整理されています。

儀式記録、経過、効果測定。――個人名は伏せられていますが」


伏せられている。

人ではなく、工程として残すためだ。


透は、ゆっくりと表紙を開いた。


紙の匂いがする。

古い紙だが、湿気はない。

保存のために、空気まで管理されている。


最初のページは、年表だった。


紀元一二一年

結界循環安定化のための最終試行

適合者一名

儀式名:奉声


奉声。


声を、奉る。


透の指が、無意識に喉元へ伸びかけて、止まった。

触れなくても、そこに“ある”感覚がする。


次の頁。


儀式目的:

結界循環における基準波キャリアの固定


方法概要:

適合者本人の発話波形を、結界核へ定着させる

以後、当該波形を基準として循環を安定化させる


文章は淡々としている。

感情の入り込む余地がない。


透は読み進めながら、呼吸が浅くなるのを感じた。

吸う息が短い。

吐く息が、途中で引っかかる。


注意事項:

・定着後、適合者は通常の発話機能を維持できない可能性が高い

・人格・情動への影響は未確認

・不可逆である可能性を考慮すること


不可逆。


透の背中を、冷たいものが滑り落ちた。

汗だ。

気づいたときには、肩甲骨の間が濡れている。


「……同意は」


思わず、口に出ていた。


白衣が答える。


「取得された、記録になっています」


透は、次の頁をめくった。


同意取得記録:

適合者本人の意思確認を実施

儀式内容・不可逆性について説明済

発話による同意確認――成立


成立。


その二文字が、透の視界に引っかかった。


発話による同意。

声で、同意した。


声を失う儀式に、

声で、同意した。


透の喉が、きゅっと縮む。

息が詰まる寸前で、無理に吐いた。


「……この説明、誰が」


「当時の祠守と、医療官です」


医療。


またその言葉だ。


透は、さらに読み進める。


儀式実施後

結界循環は即時安定

治癒成功率、大幅改善

裂け目活動、沈静化

国土全域において揺れ減少を確認


成功。


数字が並ぶ。

成果が並ぶ。


人の記述は、ない。


透の指が、紙の端を強く押していた。

指先が白くなる。

紙が、わずかに軋む。


適合者の状態:

生存

発話不可

意識清明

以後、結界核近傍にて安置


安置。


透の胃が、重く沈んだ。


安置は、物に使う言葉だ。

人にも使えるが、人であることを説明しなくていいときに使う。


透は、そこでページを閉じた。


閉じた瞬間、

自分の鼓動が、耳の奥でやけに大きく聞こえた。


どく。

どく。


世界は、安定した。

治癒は、通った。

人は、生きた。


そのために、

一人が、声を失った。


透は、椅子に深く座り直した。

背もたれに体重を預けると、

初めて、自分の背中が震えていることに気づく。


震えは小さい。

だが、止まらない。


――同じだ。


理由も、構造も。


違うのは、

あのときは“自分が差し出した”ことで、

今は“自分が差し出させた”ことだけ。


透は、ゆっくりと息を吐いた。


吐いた息が、紙の上を冷やす。

冷えた空気が、文字を覆う。


白衣が、静かに言った。


「だから、制度は続いています」


透は返事をしなかった。


返事をすると、

その言葉を肯定するか、否定するかを選ばなければならない。


いまの自分は、

どちらも、選べない。


ただ、分かってしまっただけだ。


奉声は、過去の犠牲ではない。

いまも続いている判断の型だ。


そして自分は、

その型を――

もう一度、なぞった側にいる。




本を閉じても、机の上の空気が元に戻らなかった。


紙の重みが消えたはずなのに、

透の胸の奥には、まだ何かが乗っている。

息を吸うと浅い。

吐くと、肺の底で引っかかる。


「……抄、ですよね」


透は、閉じた表紙を指で軽く叩いた。

革が乾いた音を立てる。


白衣が、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


「はい。全文ではありません」


「落丁ですか」


言いながら、透は違うと分かっていた。

落丁なら、端が揃わない。

綴じが乱れる。

だがこの本は、欠ける前提で整っている。


白衣は否定も肯定もしないまま、

机の引き出しを開けた。


中から出てきたのは、

薄い索引帳だった。


紙は新しい。

角が立っている。

最近まで使われていたものだ。


「奉声記録は、三系統あります」


白衣は、事務的に言う。


「公開用抄録。

 内部用要約。

 ――原記録」


透の喉が、きゅっと鳴った。


「原記録は?」


「保管されています」


「ここには?」


「ありません」


短い。

切る言葉だ。


透は、索引帳のページをめくった。

紙が擦れる音が、やけに大きい。


頁番号が振られている。

一、二、三――


途中で、数字が飛んだ。


「……二十三の次が、二十九」


透の指が止まる。


六頁分。

しかも、ちょうど“儀式実施後”の位置だ。


「この間は?」


白衣は、索引帳を覗き込んだ。


「削除区分です」


削除。


その言葉が、透の皮膚に貼り付く。


「削除……誰が?」


「祠守庁の判断です」


「理由は」


白衣は、ほんの少しだけ間を置いた。


その沈黙の間に、

透は白衣の呼吸を見た。


吸ってから、言うまでが短い。

吐くのは、言葉の後。


抑えている呼吸だ。


「――過度に具体的だったため」


具体的。


透は、笑いそうになって、やめた。


具体的という言葉は、

ここでは危険を意味する。


人が見える。

痛みが見える。

判断の瞬間が見える。


それらは、制度にとって不要だ。


「内容は」


白衣は、首を横に振った。


「私も全ては知りません」


全ては。


知っている部分が、ある。


透は、索引帳を閉じた。

閉じるとき、紙の端が、指に引っかかった。


小さな痛み。

現実の感触。


「……奉声は、成功例ですよね」


透は、あえて確認する。


「はい」


即答。


「国が救われた」


「はい」


「治癒が通った」


「はい」


「揺れが収まった」


「はい」


三つの「はい」が、

ぴたりと揃う。


整いすぎている。


「じゃあ」


透は、静かに言った。


「なぜ、消す必要があるんです」


白衣は、答えなかった。


答えない代わりに、

索引帳の最後の頁を開いた。


そこには、赤い印が押されている。


――管理区分:奉声(再現不可)


再現不可。


透の背中に、

ひやりとしたものが走る。


「再現……?」


「同じ条件は、揃えられません」


「揃えようとした?」


白衣の肩が、ほんの僅かに上下した。


呼吸だ。


「試みは、ありました」


過去形。


透は、もう一度、奉声記録の表紙を見た。


革の擦れ。

人の手の跡。


必要なところだけ開かれ、

必要でないところは、

最初から存在しなかったかのように扱われる。


「……欠落じゃない」


透は、独り言のように言った。


「これは、切除だ」


白衣は否定しなかった。


透の胸の奥で、

何かが、静かに組み上がる。


奉声は、

一度きりの犠牲ではない。


成功した判断を、

失敗の形を消しながら、

何度でも参照できるようにした型だ。


だから、

声を差し出した人間は、

記録の途中で消える。


だから、

判断だけが残る。


透は、椅子から立ち上がった。


足の裏が、床に吸い付く。

重い。


「……これ、読む必要ありますか」


自分でも、変な問いだと思った。


白衣は、静かに答える。


「読むかどうかは、選べます」


「じゃあ、選ばなかった人は?」


「制度に従います」


透は、息を吐いた。


吐いた息が、

文書室の冷えた空気に溶ける。


選ばないことも、

一つの選択だ。


選ばない者は、

型の中に収まる。


透は、分かってしまった。


奉声の欠落頁は、

真実を隠すためじゃない。


次に同じ判断をするとき、

迷わないために削られている。


透は、ゆっくりと、本を机に戻した。


指先に、

まだ紙の冷たさが残っている。


自分の中に、

また一つ、

同じ“欠落”が生まれた気がした。


――――――

欠落頁の内容を、透は想像できてしまった。


説明の言葉。

不可逆という語が使われる前の沈黙。

声を出すか、世界を安定させるかを選ばされる一瞬の間。


そして、その選択が「成功」として記録され、

迷いと痛みだけが、後から切り取られていく過程。


想像できてしまったのは、

それが特別な悲劇ではなく、

正しく運用された判断だったからだ。


透は本を閉じた。


閉じたのは記録で、

閉じきれなかったのは、

自分の中に残った“同じ形の判断”だった。


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