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勇者枠、満席。――クレーム係は異世界に誤配属された  作者: ちわいぬ
第一章

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第6話 慣性

円卓の部屋は、静かだった。


音がないのではない。

音が減らされている。


分厚い扉が閉まる音が、外で一度だけ鈍く鳴り、そこで切れた。

その瞬間から、空気はこの部屋のものになる。


透は壁際に立たされていた。

椅子は用意されていない。

座らせないことで、発言権がないことを示す位置だ。


背中に、じっとりと汗が滲む。

暖房は入っていない。

それでも暑いのは、人の体温が逃げ場を失って溜まっているからだ。


円卓の中央には、水盤が置かれていた。

浅い器に張られた水は澄んでいるが、縁の金属に近づくと、微かに冷気を放っている。

揺れが完全には収まっていない証拠だ。


祠守の一人が、何も言わずに布を取り出した。

水盤の縁を、必要以上に丁寧に拭く。

布が擦れるたび、水面が小さく揺れ、すぐに静まる。


誰もその動作を咎めない。

ここでは、落ち着かせる仕草そのものが仕事だった。


椅子に座る者たちは、全員が背もたれを使っていない。

前傾でも、後傾でもない。

いつでも立てる角度。

逃げないが、縛られてもいないという姿勢。


「回収は完了したか」


王の声は低い。

だが最後の音だけが、わずかに擦れた。


喉が乾いている。

それが透にも分かった。


「はい」


祠守が答える。

答えながら、無意識に親指で指輪を回す。


きゅ、きゅ、と小さな摩擦音。

金属と皮膚が擦れる音が、この部屋ではやけに大きく聞こえる。


「負傷は」


「軽微です」


即答だった。

即答の直後、祠守は一度だけ瞬きをする。


早すぎる瞬き。

確認ではない。

緊張が抜けきっていない合図だ。


「揺れは」


王は視線を水盤に落としたまま問う。

質問は短い。

だが、言葉より先に、唾を飲み込む音がした。


「沈静化に向かっています」


祠守の声は滑らかだった。

ただし、息を吐くのは言葉の後になる。


――まだ完全ではない。


王は、何も言わずに頷いた。

頷きの角度は浅い。

了承ではない。

確認の終了だ。


「では、現行のままで」


言い終わる前に、王の太腿に置かれた手の指が、ぎゅっと揃う。

爪が、布に食い込む。


誰も反論しない。

反論する必要が、そもそも想定されていない。


「声明は」


「“過負荷による保護措置”で出します」


祠守が言う。


“弱いから”ではない。

その言い換えが、ここでは配慮になる。

結界を安定させられない存在を、人間として責めないための言葉だ。


王は短く頷いた。

その動きで、この件は終わる。


誰も立ち上がれと命じない。

だが、全員が同時に立つ。


椅子が引かれる音が重なり、

ひとつの音になる。


透は、その音を聞きながら思った。


ここでは、

誰も「決めて」いない。


だが、

誰も「止めて」いない。


回収班が勇者を閉じ、

街が静まり、

治癒が通る。


その流れが、

呼吸みたいに繰り返されている。


これは独裁じゃない。

合議ですらない。


慣性だ。


止めるには、

誰かが息を乱さなければならない。


透は、自分の呼吸が、

いつの間にかこの部屋のリズムに近づいていることに気づいた。


合わせるべきか。

それとも――乱すべきか。


円卓の部屋を出るとき、

背中の汗が、一気に冷えた。



―――――



療養院の廊下は、昼でも冷えている。


白い壁に囲まれていると、時間の感覚が薄れる。

朝か夜かは分からない。

分かるのは、空気が均一で、音が削られていることだけだ。


透は歩きながら、自分の足音を数えた。

一、二、三。

間隔は一定。

速くも遅くもない。


――落ち着いている。


そう判断できる自分が、少し怖かった。


白衣が足を止める。

角を曲がった先、壁際の小机に石板が置かれていた。


「この件ですが」


差し出された石板は、薄く、軽い。

だが触れた瞬間、指先に汗が滲んだ。


【対象:C層接続者】

【症状:不眠・独語・発声衝動】

【現時点で揺れ未確認】


“未確認”。


透はその文字を、二度読んだ。


「……まだ、揺れていない?」


「はい」


白衣の返事は即答だった。

即答できるということは、

まだ“問題”として扱われていないということだ。


夜間に、声が出そうになる。

喉を押さえて耐えている。

家族が眠れない。


勇者ではない。

英雄でもない。

C層。末端。


透の中で、円卓の言葉が、音を立てずに組み替わる。


――説明ではない。

――責任の移動だ。


揺れが出ていない今なら、

責任は「本人の体調」に置ける。


揺れてからでは遅い。

揺れた瞬間、責任は「制度」に戻ってくる。


「どうします?」


白衣は命令しない。

判断を渡している。


透は、石板の角を指でなぞった。

冷たい。

角が立っている。


「……同意は?」


「本人は説明を拒んでいます」


拒めている。

まだ。


透は一度だけ目を閉じた。


路地裏の勇者の息。

熱と寒さが混ざった、あの荒い呼吸。

出したら壊れると分かっていて、

それでも出そうになる声。


「揺れが出てからでは遅い」


自分の声が、驚くほど平坦だった。


白衣の眉が、ほんのわずかに動く。


「予防的に?」


「ええ」


頷いた瞬間、胃の奥が縮む。

だが、止まらない。


「短時間でいい。

夜間のみ。

発話の“縁”だけ切る」


沈黙。

白衣は考えているのではない。

制度の可否を確認している。


「……可能です」


その一言で、何かが確定する。


透は自分の掌を見る。

汗はない。

震えもない。


「進めてください」


言い切った。


白衣が頷く。

それだけで、誰かの夜が変わる。


透は廊下の窓から外を見た。

街は静かだ。


静かすぎる。


声が出る前に、切られたからだ。


透は思う。


守った。

守ったはずだ。


でも――

選んだのは、自分だ。


その感覚が、胸の奥に残る。


罪悪感でも、後悔でもない。


ただ、


できてしまった


という、取り返しのつかない実感。


透は息を吸い、吐いた。


制度の呼吸に、

自分の呼吸が、

ぴたりと合った。



そのとき透は、初代在来勇者が“声を捧げた”のと同じ判断を、

理由も名前も持たないまま、もう一度なぞってしまったことに気づいた。

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