第2話 処分場には、声を失った勇者がいる
苦情処理室の空気は、紙でできている。
紙の匂い、インクの匂い、乾いた埃。
――それだけなら、ただの事務所だ。
違うのは、音だった。
声になりきらない息。
喉の奥で擦れて止まる怒り。
泣き声の手前で折れる嗚咽。
“声の直前”だけが、この部屋ではいつまでも滞留する。
透は椅子に座り直し、指先で机の端をなぞった。
触れていないと現実の輪郭が曖昧になる。
こっちでも、癖は役に立つらしい。
机上の一枚目。新しい紙。朱い印。
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404
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見ているだけで、胃が嫌な形に縮む。
白衣の男は、背中を向けたまま淡々と言った。
「最初の案件です」
「案件……?」
「外側から来ます。あなたは受けて、形にして、温度を下げる」
白衣は棚から薄い板を取り出した。
石板に似ているが、光が脈打っている。
「読み上げはしないでください。声にすると揺れます」
透は喉の奥が勝手に乾くのを感じた。
読むな、ではない。声にするな。
――つまり、この国では言葉は発火する。
石板を受け取ると、冷えた感触が掌に貼り付いた。
表面に文字が浮かぶ。整いすぎた、官の文章。
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【外部受付/緊急】
治癒不通。発熱。咳嗽。出血。
既往なし。家族二名、当日死亡。
医療院が「結界の揺れ」と説明。納得不能。
勇者を出せ。英雄はどこだ。
連絡先:東区第七区画自治会
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透は一行目で息を止めた。
二名、当日死亡。
文字だけなのに、熱が来る。
怒りが来る。責めが来る。
白衣が言った。
「これが、今の街です」
透は視線を上げた。
「街が揺れてるって……地震じゃないんだな」
白衣は頷いたが、説明はしなかった。
その沈黙が“禁句”でできているのが分かる。
知らないわけじゃない。言わないだけだ。
透は石板を机に置き、左手を机の角に添えた。
自分の声の温度を、内側で下げる。
仕事の手順。ここでも同じだ。
「要点を整理する」
外に出せば危険になる言葉を、内側でだけ組み立てる。
原因。被害。要求。
原因は“揺れ”。
被害は“治癒不通と死”。
要求は“勇者を出せ”。
そして、ここが一番厄介だ。
要求の根っこには、いつも「誰かを差し出せ」がある。
「返事、俺が書くのか」
「あなたが“形にする”」
白衣は机上の別の束を指で叩いた。
公報用の定型文だ。
紙は薄いのに、重い。
言葉が、人を押さえ込むための道具になっている重さ。
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国民各位
現在発生している揺れは、地盤振動に限らず、
結界循環の不安定化に伴う複合事象です――
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透はそこで読むのをやめた。
最大限?
家族は死んでいる。
最大限と言えば許されるのか。
「これを、出すのか」
「これを“出します”」
白衣の声には、感情がない。
「あなたは炎上を鎮めるために呼ばれた」
透のこめかみが痛んだ。
異世界でも、やることは同じだ。
ただひとつ違う。
ここでは炎上が、比喩じゃない。
「返事を書く前に、現場を見たい」
「見ても、答えは増えません」
「納得してないまま書くと、言葉が雑になる」
白衣は一拍、沈黙した。
その間に、廊下の奥からかすかな呼吸が漏れた。
声にならない、呼吸。
「見たいのは、街ではないでしょう」
「あなたが見たいのは、勇者です」
否定できなかった。
勇者を出せ、と言われたとき、
真っ先に浮かんだのは“勇者はどこにいる”だった。
白衣は白い札を差し出した。
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見学/臨時許可(404)
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軽い紙だった。
軽い許可ほど、人を深く沈める。
廊下は冷え、足音が反響する。
曲がり角を三つ。
小窓の向こうに、街が見えた。
沈黙杭が並び、
人々は声を落として歩いている。
怒りも、恐怖もある。
だが皆、知っている。
声を荒げるほど、治らない。
「静かだな」
「静かなほうが危険です」
「静けさは、溜まります」
その一言で、透は理解した。
この苦情は、溜まり始めたものだ。
扉の前で、白衣が止まった。
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処分場
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透は呼吸を忘れた。
この国で、
声を危険物として扱われた者が集められる場所。
つまり――
処分場には、声を失った勇者がいる。
鍵が回り、扉が開く。
空気が吸い込まれるような音。
中は暗く、匂いが刺した。
床に薄い赤茶色の跡がある。
拭き取られている。
拭き取られたのに、残っている。
血は争ったからではない。
声を出そうとして、喉を壊した痕だ。
区画の札が目に入る。
回収待ち。鎮静中。同意取得。
「同意……」
「ここでは、同意は儀式です」
次の扉。
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A帯域/隔離(発話遮断)
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覗き窓の向こう、寝台に男がいる。
目は開いている。
呼吸もある。
だが、声がない。
出る前に、消されている。
「彼は今日の“枠”ではありません」
「枠?」
「接続席ではない」
英雄だった。
街を生かした。
だから今、ここにいる。
「逃げた者は?」
「いました。叫びました。街が揺れました」
「だから、ここは守る場所です」
守る。
その言葉は、檻にもなる。
最後の扉。
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同意取得室
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「あなたの仕事です」
「俺に、同意を取らせるのか」
「取らせません」
白衣は言い切った。
「取れた形にします」
透は理解した。
この世界では、
勇者を救うより、
勇者を黙らせる制度のほうが整っている。
そして――
自分は今、その制度のペン先にされる。
扉が開いた。
白い部屋。白い机。白い紙。
同意書の表題。
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発話遮断処置 同意書
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透は短く息を吸い、
長く吐いた。
吐く息の終わりが、微かに震えた。




