間章 「予防的沈黙」
神殿附属学舎の講堂は、午前中から静かだった。
静かすぎて、子どもたちの呼吸音が揃って聞こえる。
息を吸う。吐く。
教師の指示がなくても、全員が同じ速度でそれを繰り返している。
前方の壁には、祠の簡略図が掛けられていた。
中央に円。そこから放射状に伸びる線。
結界循環の模式図だ。
白衣ではない。
司祭服でもない。
だが、講壇に立つ男の声は、医師の声と同じ温度をしていた。
「勇者様は、いま療養中です」
子どもたちは頷く。
疑問はない。
疑問を挟む間の呼吸すら、最初から用意されていない。
「弱いからではありません」
男は、そこで一度、言葉を区切った。
区切り方が丁寧すぎて、聞き手に考える余白を与えない。
「結界を安定させるために、過負荷を避けているだけです」
過負荷。
便利な言葉だ。
誰も責めない。誰も悪くしない。
最前列の少女が、手を挙げた。
挙げ方が、よく訓練されている。
「声を出さないと、かわいそうじゃないですか」
男はすぐに答えなかった。
沈黙。
だがその沈黙は、ためらいではない。
教える側が沈黙するとき、それは次の言葉を“正解”にするためだ。
「かわいそう、という感情は大切です」
子どもたちの肩が、わずかに緩む。
「ですが、勇者様の声は、とても強い。
強いからこそ、世界を揺らしてしまうことがあります」
強い。
弱い、とは言わない。
「だから、声を預かるのです」
預かる。
奪うとは言わない。
「勇者様を守るため。
そして、皆さんを守るため」
男は、講堂を見渡した。
子どもたちの目が、一斉にこちらを向く。
視線が揃う。揃いすぎている。
「これは、罰ではありません」
断言。
疑う余地のない調子。
「予防です」
その言葉が出た瞬間、
誰かが小さく息を吸った。
予防。
怪我をする前に包帯を巻く。
病気になる前に薬を飲む。
良いことだ。
良いことのはずだ。
講堂の後方で、別の司祭が布を広げる。
布の中央には、細い刺繍文字。
――沈黙は、信仰である。
男が言う。
「声を抑えられる人は、立派です。
自分の内側で留められる人は、世界を守れます」
子どもたちは、自然に胸に手を当てた。
教えられていない動作だ。
だが、皆が同じことをする。
声を出さない練習。
怒りを飲み込む練習。
不安を喉で止める練習。
それが、美徳として教えられている。
講義の終わりに、男は付け加えた。
「もし、夜に声が出そうになったら」
子どもたちの背筋が伸びる。
「無理に出さなくていい。
明日、医療室に行きなさい。
先生たちが、優しく“調整”します」
調整。
治療ではない。
処罰でもない。
子どもたちは安心した顔で頷く。
講堂を出るとき、誰も喋らなかった。
喋らなくても問題がないからだ。
沈黙は、もう“特別な措置”ではない。
生活習慣になっている。
その日の夜、
隣町の療養院では、
勇者ではない誰かの声が、
出る前に――切られた。




