決して復讐は果たせない
現在連載中の小説「異世界たちと探し人」のスピンオフです。
舞台は水魔星という、魔法使いと魔法が使えない人で何百年もの間戦争を繰り広げている世界です。
本編を読まなくともお話は理解できますのでご安心を!
ラへという青年には、愛している人がいた。
名前はメーチェンという。素朴で天然で可愛らしい少女だ。
彼女は親を無くし、孤児院で育てられたという。そして、同じく戦争で家族を亡くしたラへのことも、彼女は明るく迎え入れてくれた。
『私もラヘの気持ちは分かるよ。だから、仲良くしてくれると嬉しいな』
『ねぇ見て見て。今日ねクッキー焼いたの。ちょっと食べてみてくれないかな?』
『きっといつか戦争は終わるよ。その時にまた街まで行って買い物しよう、約束だよ』
彼女はいつも優しいことを言いながら、柔らかな笑顔でラへの手を握ってくれた。彼女の小さな手は、まるで壊れ物のように繊細だったが、ラへの心をしっかりと支える力強さがあった。彼女の笑顔は、戦争の暗い影を忘れさせるほどの光を放っていた。
そんなメーテェンの優しさに、家族を亡くしたラへの悲しみは日に日に消え失せた。代わりに、彼女と過ごせる幸せと喜びで心が埋まっていった。
そして、どんどん彼女へと惹かれていき、数年経った頃にはその想いを口にした。
『私もラヘのことが好きだよ。ずっと前から、ずっとね』
ラヘの告白に対して、メーチェンはそう笑顔で応えた。そして、照れて茹でダコのようになったラヘをからかうよう、ギュッと抱きついてきて、またも笑った。
幸せだった。こんなに心が満たされることがあるのかと思うほど、ラヘは幸せだった。
ーーしかし、その幸福は突如として打ち砕かれる。
『ちょっと出かけてくるね』
ある日、メーテェンはそう言い残して孤児院を出た。おそらく買い物でもしに行ったのだろう。ラへは気に留めることなく、彼女を見送った。
そして、その数時間後に近所でけたましい爆発音が響いた。
ラへが慌てて外に出た時には、もう何もかもが遅かった。
『敵国の兵器だ。実験として此処に落としていったんだろう』
慌てふためく町人の群れの中、警察隊は淡々と事実を告げた。そして、隊員はラへに焦げて真っ黒になった布切れを手渡す。メーテェンが着ていた孤児院の制服だったものを。
「おい、ラへ。最近大丈夫かよ」
それからのことは記憶に無い。
メーチェンが殺されたという事実が、ラへの体力、食欲、睡眠欲、ありとあらゆる物を奪い取ってしまっていた。
唯一、友人であるシャテンが自分を気にかけてくれたことは朧気ながら覚えている。しかし、心がポカンと開いたままだったから、ろくに彼の声は聞こえていなかった。
****
ぼんやりと誰かに操られているかのように日々を消費すること一週間。ようやくメーチェンの死を受け入れ始めていた頃、ラへの胸には新たな感情が溢れてきていた。
メーテェンを殺したヤツが許せない。敵国の連中をこの手で殺してやりたい。魔法の使えぬ欠陥人間どもが生み出す兵器をこの手で壊してやりたい。
そんな憎しみがラへの脳内を占め、それは日を重ねるごとに大きくなっていった。
しかし、いくら相手を憎めど、ラへには何も出来なかった。魔法もさして使えない。優れた頭脳があるわけでもない。銃器を使いこなせるセンスもない。
ごく普通の学生であり、平凡な日常を歩んでいた彼は、メーテェンを失ってからも出来ることは何も無かった。
「禁呪は名前の通り、決して使ってはいけない魔法です」
ダラダラと無気力に時間を消費しながら、学校の授業を受けていたある日のこと。
魔法講師の口から出た新鮮な響きの言葉に、ラへはピクリと肩を揺らす。
「禁呪の効果は絶大です。魔法の才が無い人でも、世界を滅ぼしかねない力を持つことが出来る。しかし、決して使ってはなりません」
禁呪の存在は、ラへも知っていた。魔法を習いたての頃、注意事項として教師から存在を教えられているからだ。
しかし、禁呪はあくまで都市伝説のようなものだと思っていたから、現実的な手段として浮かび上がることは皆無だった。
「何度も言いますがもう一度。決して禁呪は使ってはいけません。絶対に」
生徒たちは、何度も同じことを繰り返す教師に辟易していた。
しかし、ラへだけは違っていた。俯いたまま目を見開き、バクバクとはしゃぐ心臓を窘めるのに必死だった。
ーー禁呪を使えば、彼女を殺したヤツを殺せる。復讐してやれる。
そう、教師の散々の教えに背いたことを思いついていたからだった。
****
禁呪についての授業を受けた翌日、早速ラへは実行に移した。
禁呪を使うために必要なものは、ラへの魔力だけではなく、贄の存在だ。贄となるのは人間や動物の命。贄を捧げれば捧げるほど、より大切な物を捧げれば捧げれるほど、禁呪は巨大な力を持つようになる。
「"禁呪"」
だから、ラへは多くの贄を用意した。自分のクラスメイト四十人という、馬鹿けた数の命を。
ラへは教室にいたクラスメイトたちを一斉に睡眠魔法で眠らせ、縄で縛り上げ、禁呪の準備を整えた。自分でも恐ろしくなるほど手際は良かった。
「ここにいる将来有望な同級生の命を四十捧げる。だから、魔法の使えない人間を…」
「それは無理だな」
ふと、ラヘの詠唱を遮って声が響く。
驚いたラヘが咄嗟に背後を振り返れば、そこにはクラスメイト兼友人のシャテンがいた。彼は首にかかっていたはずの縄を外し、平然とした顔で机上に立っている。
「いや、なんでお前が起きて……」
シャテンが起きるなんてことはあり得ない。彼の魔法の腕はそこまでよくない。だから、彼がこんな短時間で睡眠魔法を解けるはずがない。解けたとしてもシャテンが一番最初に起きる、そんなわけがない。
「……お前誰だ?もしかしてシャテンじゃない…のか」
「正解。俺は、いや俺様はここの生徒じゃないよ」
ラへの怒鳴り声に、シャテンはそっと顔を両手で覆う。
すると、瞬く間にシャテンの姿は消え失せ、全く知らない男が現れた。寝癖のついた紫紺の髪に青い目をしている、同い年くらいの男が。
誰だコイツ。見知らぬ人物にラへがぎょっと戦く最中、男はピシリと指を此方に向けてきた。
「どうも、通りすがりの魔法使いです!禁呪が使われそうな気配がしたので取り締まりに来ました!」
「………」
「おいおい、ノリが悪いな。せっかく明るく話を進めてやろうと思ってるのに」
唖然とするラへを差し置き、男はコロコロと表情を変えていく。そして、「禁呪は使っちゃダメだぞ」とあどけない口ぶりで警告を繰り返した。
「禁呪は使うと、ロクなことにならないぜ」
「…………」
ワケの分からぬ男だ。何をしたいのか、誰なのか、何者なのか何一つ分からない。
しかし、それでもラへのやることは一つだ。この男を殺す。それだけ。
ラへは胡散臭い男にバレぬよう、密かにポッケに手を突っ込む。すると、ヒヤリと金属の冷たさが指を掠めた。ナイフだ。
当然、ラへはこの男には恨みはない。しかし、禁呪を使おうといている所を見られた時点で、彼をどうするかなど一択しかない。禁呪を使ったと知られたら、警察に通報されて処刑されるだから。
此方が殺される前に殺す。それしかない。
目まぐるしい早さで結論を出したラへは、ポッケから目当てのナイフを取り出す。そして、躊躇うことなく男の腹へ刃を沈めた。のだが。
「……あ?」
男は死ななかった。いや、そんな次元の話ではない。腹にナイフが刺さっているというのに、彼は怪我一つしていなかった。
「な、なにが…」
魔法が使われた痕跡は無い。男が刃を防いだ様子も無い。それなら、どうしてこの男は無事なのだ。
予想外の展開に焦るラへを見て、男はフツフツと笑い声を上げた。
「俺様は特殊な体の持ち主だから、ナイフで刺しても死なないぜ」
「なっ、なんだよそれ」
「不老不死。簡単に云うならそういうヤツだな」
「ふざけるな!そんなのあり得ないだろ!」
不老不死。それは歴代に名を連ねる大魔法使いでも誰も完成させられていない、実現不可能とされている魔法だ。
だから、不老不死なんて現象があるわけがない。そう睨むラへに、男は「本当なんだけどな」と肩を竦めた。
「まっ、なにがともあれ俺様の要求は一つだよ。禁呪は使うな。それだけ」
「……」
「ほら、授業で習っただろ?禁呪に手を出すなって。とんでもないことになるって」
殺しても死なない謎の男。
正直恐怖心が引いていかないが、今はこんなことでたじろいでいる時間は無い。急いで禁呪を進めないと、クラスメイトが起きてしまう。
焦ったラへは深呼吸をして平常心を取り戻すと、男の存在を無視することに決める。
この男は不老不死の体で死ぬことは無い。しかし、禁呪の贄にしてしまえばどうだ。いくら不死だといっても、禁呪の贄となれば流石に死ぬかもしれないだろう。試してみる価値はある。
「"禁呪"」
そう判断を下したラへは、先程途切れてしまった詠唱を一から繰り返す。心臓がバクバク鳴っていてうるさいが、気にしていられない。詠唱のみに集中ふる。
「こ、ここにいる将来有望な同級生の命を四十捧げる。だから…だから魔法の使えない人間を皆殺しにしろ」
詠唱が終わった。禁呪の完成だ。これで贄は捧げられ、メーチェンを殺したヤツも死ぬ。
自分に首を突っ込んで来なければ、死ぬことは無かったのに。
ラへが不気味な男へ哀れみの視線を送った、その刹那。
「中級魔術"隠蔽"」
"フェアシュテッケン"。ふと、声が響く。
"起こったことを無かったことにする"魔法の詠唱が。
「………うそ、だろ」
そこから起こった出来事を信じるなんてことは、とてもじゃないが出来なかった。
上級魔法どころか中級魔法で、自分が発動させた禁呪の効果が無かったことにされたのだと。魔法の中でも最高位に位置する禁呪が、十歳程度のガキでも出来る容易な魔法に負けたのだなんてことは、全く。
「あり得ない…あり得ない!な、なんで、どうして!?」
「だから言っただろ。止めておけって。禁呪を使っても意味が無いって」
取り乱すラへに、男は表情一つ変えずに答える。そして、淡々とした仕草でクラスメイトの首に掛かっている縄を弄くり回していた。
「お前、お前が余計なことを…!」
「怒るなよ。ちゃんと俺様は宣告してやっただろ。禁呪は使うなって」
「黙れよ!」
こんなことあり得るわけがない。メーテェンを奪った敵を殺すために全てを賭けて準備した禁呪が、こんな得体の知れない男に簡単に打ち消されるなんて。
怒りと畏怖から取り乱したラへは、勢いのまま男に掴みかかろうとする。
しかし、男は一切取り乱さない。ラへから殺意を向けられても、ナイフを向けられても怯みもしない。まるで己が『神』だとでもいうような、深い寛容と傲慢さしか見せなかった。
加えて、男は愉快そうに赤と青のネイルで塗られた爪を見せながら、「いいのか?」と首を傾げる。
「お前が禁呪のために捧げた命は四十。でも、俺様はその数に入っていない」
「…っ!まさか…」
男の言っていることを理解した刹那、ラへの胸が苦しくなった。誰かに心臓を握り絞められているかのような痛みと息苦しさが、彼の体を襲う。
まるで、禁呪を発動した対価を奪おうとしているかのように。
「ふっ、ふっざけるな…」
こんなの無駄死だ。禁呪の対価として命を奪われるならまだしも、こんな何も成せないまま死ぬだけなんて、そんなこと許せない。赦せるわけがない。
怒りと惨めさに床を殴るラへを、男は呆れたように見下ろす。そして、近くにあった机に腰掛けると偉そうに口を開いた。
「俺様はお前が彼女を殺したヤツだけを殺すなら、干渉しなかった。まぁ自業自得だからな。殺したヤツに殺される。そんなモンに情けはかけない。勝手にやればいい。だが」
男は椅子から飛び降りる。そして、床に倒れたラヘの顎をカジリと掴んだ。
「お前は目標の人物以外の人間も巻き込もうとした。お前と関係のない人を多く殺そうとした。それは流石に看過出来ない。だから、此処に来た」
男は今だ寝たままのクラスメイトたちを見渡す。ラヘの禁呪発動のため、犠牲になる予定だった四十人を。
「………なんだよそれ」
冷静にラヘの行いを咎めてくる謎の男。彼の言葉にラヘが抱いた感情は怒りだ。自分がボロクソに批判されたからではない。超然としたこの男の態度に殺意を覚えたのだ。
「なら、メーチェンが殺されたのはどうしてだ?!彼女は至って普通の女の子だ、無関係の人が殺されるのを防ぐのがお前のセオリーなら、どうしてメーチェンは助けなかった!」
犠牲になるべきでない人が犠牲になりそうだったから、ラへの禁呪を止めた。その男の主張は分かる。理解は出来る。納得もできる。
しかし、その考えを受け入れても都合が付かないことがあった。
それはメーチェンのことだ。
何故、この奇怪な男はメーチェンを助けに来なかったのか。彼女は真っ当に生きていたのに、理不尽に命を奪われた存在だというのに、どうして救わなかったのか。彼は助けることも出来ただろうに、どうして助けなかった。
「……それは」
ラへのお門違いとも八つ当たりとも捉えられそうな激情に、男は予想外の反応を見せる。初めてふざけた雰囲気を消したかと思うと、顔を悲痛に引きつらせたのだ。
「この世界には理不尽な人生を歩む人間なんてごまんといる。普通に生きているのに、軍人でもないのに、殺される人がいる。でも、それが戦争だ。戦争なんだよ」
「だからって…!」
「俺様だって救えるなら全員救いたい。お前の大切な人だって助けられるなら助けてやりたかった。だけど、それだと意味がないんだ。俺様だけが頑張ったって限界はある。それに…それに戦争も終わりゃしないんだから」
男は自分に言い聞かせるかのように、言葉を次々と吐き捨てる。その言葉の節々には、遥か昔の過去を振り返っているかのような陰鬱とした色があった。まるで何百年もの間、戦争の理不尽さを何度も目の当たりにしてきたかのように。
「……お前…」
何だか哀れな姿だ。巨大な力と才能を備えているだろうに、ありとあらゆる人を殺せる力を持っているだろうに、男はひどく惨めにそして小物に見えた。
自分の無気力さを痛感するしかない、今のラヘと同じように。
「……それなら、僕はどうすれば良かったんだよ」
だからだろうか。気付いた時には、ラヘの口は動いていた。ポツポツと涙を流し、情けない声で弱音を吐いていた。
「メーテェンを失った僕はこれからどう生きればよかったんだ…?家族を殺されて、助けてくれたメーテェンも失って……僕にはもう何もないのに、僕は…」
母と父と弟とあのまま幸せに生きていたかった。メーチェンと二人で幸福に過ごしていたかった。
しかし、何もかも叶わなかった。戦地で使うべき爆弾を市街にぶちこまれ、ラヘにとって大切な人はみんな殺された。
もう自分には何もない。それならせめて一矢報いたかった。仇をとってやりたかった。自分が生き残った価値を、生き残った理由を示すためにも、何か。
死へと向かうラヘの言葉に、男はしばし口を噤む。しかし、時間が無いと悟ったのか、すぐに言葉を纏めるとラヘの顔を覗き込む。
「また、普通に生きていけば良い」
「……」
「復讐なんて考えず、新しい幸福を見つけて、それにしがみついていれば良い。失ったモノはどう足掻いたって取り戻せやしないんだから」
「新しいしあわせ……?」
「あぁ。お前のことを幸せにしてくれる人間なんて、この世にゴマンといると思うぜ」
男はラへの瞳を真っ直ぐに射貫く。その青空のような澄んだ瞳は、ラへの記憶を掘り起こした。
メーチェンと出会って数年経った頃、彼女が己の家族のことを話してくれた時のことを。
『私の家族も爆撃に会って亡くなったの。でも、もう悲しくはないんだよね。あぁ戦争ってそういうもんなんだって理解しちゃたというか』
『……怒ってないの?自分の親が殺されたのに?』
『怒ってはいるよ。でもね、いつまでも怒っているより、新しい幸せを見つけた方が楽しいでしょ。実際に貴方と…ラへと過ごす日々は、今まで想像も出来ないほど面白くて幸せだもの』
メーチェンはそう話して、笑った。
ラヘとの日々が、今が楽しいから過去は良いのだと、そう伝えて。
「……ふはは」
気づいた時には、ラへは笑っていた。ヘラヘラと情けなく、小さく息を洩らして、一人笑っていた。
「男」
「…おう」
「僕は正しかった」
メーチェンが居なくなった後に、また新しい幸福を見つける。
そんなこと出来るはずがない。出来ることはない。例え見つけたとしても、また兵器によって壊される。
だから、僕は正しい。彼女の仇を討って自滅することは正しかった。もう、幸せになんてなれないのだから、死んでしまうのは正解だった。
そうラへは苦し紛れに微笑む。そして、襲い来る倦怠感に任せて意識を手離した。
****
「やれやれ。気絶したか」
皆眠っているという奇妙な教室、そこに一つの声が響く。ラへの禁呪を打ち消した大魔法使いの男の声が。
「しっかしまぁ、よくもここまでやったな」
男はタイルの床に寝そべっているラへに視線を落とす。
彼のことは哀れには思っている。愛する人を殺され、敵を憎む気持ちは、男にも痛いほど分かる。
しかし、彼の復讐を赦すわけにはいかない。彼の禁呪が本領を発揮していれば、この付近一体が灰と化して消滅していた。ざっと計算しても、二千人は死んでいたはず。その犠牲を容認することは、男には到底出来なかった。
だから、男はラヘが禁呪を発動させた事実から無かったことにした。そして、ラヘを騙すため、爪を見せた際に息が苦しくなり後々は気絶する魔法を彼に掛けた。
徹頭徹尾、彼が男へ怯えていた事実を見るに上手くいったのだろう。
「何がともあれ片付いたし、さっさと中継場に帰ってゆづりに…」
会おう。
そう呑気に今後の予定を呟いた男の背後で、ガタリと物音が鳴る。
もう誰か起きたのか。男は反射的に背後を振り返る。すると、そこには自分が気絶させた生徒たちではなく、シャテンが立っていた。
男がシャテンに化ける際、彼は適当に寝かせて校庭の庭に放っておいたのだが、どうやら目を醒ましたらしい。
シャテンはクラスメイトが皆寝ている異様な教室に、目を白黒させていた。
「なんだこれ…?っていうかお前は…」
「俺様は通りすがりの魔法使いだ。コイツが禁呪を使おうとしていたから止めに来た」
「ラヘが…?!」
シャテンはすぐさまラへに駆け寄ると、彼の肩を揺さぶる。ラへはそれでも動くことは無かったが、呼吸音は確認出来たのだろう。シャテンは何処かホッとした顔を見せる。
「ラヘが禁呪を…」
「あぁ。止めようとしたら抵抗してきたから気絶させた。三十分程度で起きると思うぜ」
「そうか。……そうか」
シャテンはラヘの顔を見つめ、静かに顎を引く。この様子だと、ラヘのやりたかったことに心辺りがあるのだろう。シャテンはラヘの友人であるようだし。
「………」
ラヘの事情を知っているヤツがいる。それなら、もう此処に用は無い。後は彼が何とかしてくれるだろう。
男はさっさと撤退するかと踵を返す。しかし、「待てよ」という一言と共にシャテンに腕を掴まれ止められた。
「まだ君の名前を聞いてない」
「…名前?そんなもん知ってどうすんだよ」
「君は恩人だ。俺の友人を助けてくれた命の恩人。だから、知りたいんだよ。いつかお礼をするために」
「………」
シャテンは真っ直ぐ男の目を捉える。彼の目は至って真剣で、男は少々面食らった。別に自分はラヘを救いに来たわけではないのだが、と。
「名前。名前かぁ」
知りたがっているシャテンには悪いが、男はあまり他人に自分の事は教えたくなかった。もう人としての人生は捨てたのだ。正直、存在も知られたくない。
でもまぁ、名前を教えるくらいなら構わないか。
男は適当に思考を切ると、続いて別のことを考え出す。自分には名前が二つあるのだ。だから、どちらの名をシャテンに教えようかと少し悩んで。
「ノア。ノア=アール」
男は人としての名前を伝える。すると、シャテンは「アール…?」と家名に引っ掛かったような仕草を見せつつも、最終的には頷いた。
「ノアさんな。覚えとくよ」
「あぁ」
シャテンは満足げに男の手を解放する。そして、空いた手を今度はラヘの胸に置いた。まるで彼の心音を確かめるかように。
「…ふーん」
ラへはもう自分の幸せはこの世に無いと言った。
しかし、今まさにいるじゃないか。ラヘを気にしてくれる人が、まだ生きているでないか。
「……幸せなヤツ」
「えっ?」
「いいや、何でもない。まぁ後の事は頑張れよ」
「お、おぉ。ありがとう。頑張るよ」
男は唖然としているシャテンを差し置いて、教室を去る。
そして男が、いや水魔星を管理している神である『中立者』ことノアが、彼らの前に姿を見せることは二度と無かったのだった。
****
酷く長い間寝ていたような気がする。
己の胸を襲う解放感から、ラヘはうっすらと目を開けた。すると、早々オレンジ色の日がラへの瞳を照らす。どうやら、今は夕方になっているらしい。かなりの時間が経っているようだ。
予想外に進んだ時間も寝起きのラへを驚かせたが、そんなことよりも気になることがある。
「僕、なんで生きて……?」
何故、自分がこうして生きているのかということだ。
ラへは禁呪を発動させた。そして、その対価として自分は死んだはず。それなのにどうして自分は動けているのだろう。
傷一つ無く、血も一滴も流れていない己の体。何もかも予想と食い違っていることにラへが唖然としていた最中、背後からガタガタと物音が聞こえてきた。
「シャテン、お前何してんだよ…?」
緩慢な動きで振り返ったラヘ。その視線の先にはシャテンがいた。
彼は事務的な動きで、クラスメイトの首に掛けられている縄を解いている。足元には既にほどかれた縄が大量に放置されていた。
「あっ、ラヘ起きたのか。おはよう」
「おはよう…じゃなくて、お前どうして」
こんなことをしているんだ。
絶句するラヘを差し置いて、シャテンは持っていたナイフを床に滑らせる。放り出されたナイフはラヘの靴に当たって転がった。酷くちゃちな音が響く。
「お前も起きたんなら協力しろよな。証拠隠滅しないと捕まるぞ」
「え」
「禁呪を使ったことがバレたら終わりだろ?早くしろよ」
シャテンはそれだけ言い切ると、ラヘに背を向け縄を切る作業へと戻る。まるで彼はそれが当たり前だというように動いているが、ラヘにとっては理解に苦しむものだった。
「お前、分かってないのか?僕は…僕は禁呪を使って、お前も贄にしようとして」
だって、ラヘはシャテンを殺そうとしたのだ。加えて、決して使うなと厳しく言われていた禁呪にも手を出した。
シャテンも鈍感ではない。そのことは理解しているはず。なのにどうして、ラヘに協力してくれているのだろう。今まで通り、友人として接してくれているのだろう。
困惑するばかりでその場から動かないラヘ。すると、シャテンは手を止めて振り返った。そして、呆れたような顔でため息をつくと、「何してんだよ」と口を開く。
「俺はお前が何をしたか全部知ってるよ。その上で此処にいるし、行動してるんだ」
「…は……」
「ま、何がともあれさっさと動けよ。友達がムショに行くことになったら寂しいからさ」
シャテンは再び背を向けると、淡々と縄をほどいていく。その姿をラヘは呆然と見つめていたが、すぐに立ち上がった。立ちあがるしか無かった。
「……悪い」
ラへは床に落ちたままのナイフを拾い上げる。そして、作業をしているシャテンの隣に並んだ。すると、彼は「バカヤロウ」と薄く微笑み、ラヘの背を叩く。
その時、ボロボロに欠けたラヘの心に、何かが埋まった。そんな気がした。
息抜きに水魔星の神様こと『中立者』であるノアが、普段何をしているのかを書いてみました。
本編だと気ままに毎日を過ごしていそうな彼ですが、裏だとこのような悲しい事もしてます。神なので。
本編「異世界たちと探し人」でも、ノアはがっつり登場しているので、気になった方は是非読みに来てください!




