転生幼女は屈しない! ~後宮の先輩に虐められたので、コーラとポップコーンで報復します~
「仕事終わりだっ!」
叫んだつもりだったが、実際には喉が枯れて、唇がパクパク動くだけ。
今日も会社で詰められる一日だった。意味不明な怒られた方をされながら、仕事の締め切りだけが迫る日々。
『君さ、存在価値ある?』
パワハラで通報してやろうかと、怒りに耐えた自分を褒めてやりたい。
足を引きずるように、マンションにたどり着くと、ドアを開けて、靴を蹴飛ばす。そのままソファに倒れ込むと目を閉じた。
(社会人になって得た教訓は一つ。労働はしんどい。こんなものがこれから何十年も続くなんて……)
ただ地獄の中にも光はある。
彼女にとってのそれは映画だ。
大画面のテレビを付けると、配信サービスで目当ての映画を探す。それは中華後宮ファンタジーで、予算、百億越えの超大作だ。
「あ、ポップコーンとコーラも用意しないと」
映画には欠かせない。この二つがあるだけで鑑賞に特別感が生まれるからだ。
キッチンの戸棚から紙袋を引っ張り出して、電子レンジに放り込む。チンという音が聞こえるまでの数分間も、すでに楽しい。
コーラは冷蔵庫の奥でよく冷えていた。氷を入れたグラスに注げば、炭酸が弾ける音が心をほぐす。
湯気を立てたポップコーンの袋を開ければ、バターの香りがふわっと鼻腔をくすぐった。
「よし、完璧……」
トレイに載せてリビングへ戻る。テレビの前、特等席のソファに腰を落とし、クッションを抱えながら映画を再生する。
画面の中では宮殿と霞がかった楼閣が並び、絢爛な衣を纏った女たちがゆっくりと歩いていた。
意識が映画に集中し、心が少しずつ、現実から切り離されていく。
やがて、視界がゆらりと揺れる。画面の中の人物の輪郭がぼやけ、足元が浮かぶような感覚に襲われる。
「あ、あれ……」
音と映像が遠ざかっていく。そして意識がストンと落ちたのだった。
●
「本当、使えないわね!」
怒鳴り声が、耳元で炸裂する。
とっさに「すみません」と返そうとしたが、喉がうまく動かない。目を開けると、そこには見慣れたオフィス……ではなく、漆塗りの天井と、朱色の柱が並ぶ見知らぬ空間が広がっていた。
(え? ここ、どこだっけ……)
頭がうまく働かない。靄がかかったように思考が鈍く、体も重い。咄嗟に周囲を見回すと、色鮮やかな衣をまとった女たちが、こちらを見下ろしていた。
(あ、そうだった……私、映画の中の後宮に転生したんだった)
なんて気づいたのは、もう何十日も前の話だ。
見知らぬ世界に、見知らぬ顔、見知らぬ身体。
彼女は生前の肉体を失い、六歳くらいの、やせ細った少女に生まれ変わっていた。
名は瑠璃と呼ばれており、後宮の雑用係として働いている。掃除、配膳、使い走り、叱責の的。そういった「下っ端仕事」をこなす毎日。
「使えないわね。配膳くらい、ちゃんとやりなさいよ」
「こんなだから、いつまで経っても下働きなのよ」
「本当、無能よね」
嘲るような笑い声が響く。声の主は、三人組の年上女官たち。いずれも麗しい衣をまとい、化粧もばっちり。だけどその目に宿るのは、底意地の悪さと、歪んだ優越感だけだ。
今日も配膳の手伝いに入ったのが運の尽きだった。ふらついた拍子に盆を傾けてしまい、食器を落とした。それをきっかけに、彼女たちの標的にされてしまったのだ。
「はい、あんたのごはん」
女官の一人が、木鉢をこちらへ寄越す。中身は冷めきった汁と、粥とも呼べないどろどろの飯。その半分以上が床にこぼれ、瑠璃の足元に飛び散った。
「食べられるだけありがたいと思いなさいよ」
「犬だって喜んで食べるご馳走よ」
「瑠璃ならきっと涙を流して喜ぶわね」
ケラケラと笑う三人を見上げながら、瑠璃は静かに拳を握る。
(絶対に仕返ししてやる)
転生してからの彼女はひたすらに耐えてきた。理不尽な命令、粗末な食事、暴力まがいの叱責。何度心が折れそうになったか分からない。
だが彼女には支えがあった。
それに気づいたのはほんの偶然で、転生して最初の夜、空腹でどうしようもなくなり、台所の隅に捨てられていた黒く乾いた団子を拾った時のことだ。
それに指先が触れた瞬間、光を放ち、団子が「キャラメルポップコーン」に姿を変えたのだ。
その後も何度か試した。干からびた漬物、かびた饅頭。触れるたびに、それらはポップコーンに変わった。
もしかしたら転生直前に食べていたことが影響しているのかもしれない。そう思い、井戸水に触れてみたら、今度はよく冷えたコーラに変わった。
彼女は転生と同時に、『触れたものをコーラかポップコーンに変える力』を手に入れたのだ。
最初は役立たずな力だと絶望したが、今ではこの力が、瑠璃の大きな支えになっている。どんな理不尽を受けても、シュワシュワの炭酸と香ばしい塩味があれば耐えられるからだ。
だが、そんな瑠璃の日常は、突然に終わりを告げる。
ある日の朝だ。いつもより早く起こされた瑠璃は、炊事場ではなく、華やかな大広間へと連れていかれた。
多くの女官が集まる中、厳しい顔の年長女官が瑠璃に睨みをきかせる。
「皇后様の茶会で、配膳の補助に入りなさい。余計なことはしないで。皿を運ぶだけでいいから。いいわね?」
それは絶対にミスが許されない行事で、もし何かあれば、雑用係の命など羽根よりも軽く吹き飛ぶ。
(目立たず、何も起こさず……生きて帰ってくる。それだけを考えるんだ)
配膳の準備はすでに始まっていた。広間の中央に長卓が並び、その上には色とりどりの高級菓子と茶器が置かれている。
花と香木の匂いが漂い、どこか現実離れした空間となっている。
「こら、早く運んで! そのお盆、あっちの席!」
不意に後ろから叱咤が飛び、お尻を小突かれる。その衝撃でバランスを崩した拍子に、瑠璃の手にしていたお盆がぐらりと傾く。
「あ!」
落ちそうになる茶菓子をとっさに手で押さえる。そのときだった。指が菓子に触れた瞬間、能力が発動し、ポップコーンへと変えてしまったのだ。
(やばい!)
血の気が引いた。でももう遅い。瑠璃の能力は元に戻すことができないのだ。
(死罪になるかも!)
そう覚悟した瞬間、人影が近寄ってくる。
「どうかしたのか?」
澄んだ声が、静けさを破るように響く。振り返ると、そこに立っていたのは一人の青年だった。
金糸の刺繍が施された紫の衣が、日差しを受けて淡い光を返している。その凛々しい姿に、周囲の空気が引き締まっていく。
「皇子!」
瑠璃の叫びに反応するように、場にいた女官たちが、咄嗟に頭を下げる。彼の存在は、それほどに特別で、畏れられるものだった。
その皇子が、まっすぐに瑠璃を見つめていた。
整った眉、切れ長の双眸、薄く引かれた唇。そのどれもが凛として美しく、それでいてどこか冷たさを帯びている。
彼の名は零拍。
第一皇子にして、若くして軍務を任される天才。女官たちの憧れでありながら、決して誰にも心を許さないことで知られていた。
「……これは?」
零拍は、ポップコーンの山に目を留める。少し眉を寄せるが、その表情から嫌悪は読み取れない。
「食べてもよいか?」
「もちろんです!」
瑠璃が差し出すと、零拍は何のためらいもなく、ポップコーンを一粒、指先で摘まんで口に運ぶ。
広間の空気が、ぴたりと止まる。その直後、零拍の表情が、わずかに明るくなる。
「塩味がいいな。歯触りもいい……これは、君が作ったのか?」
「え……い、いえ、その……」
なんとか声を発しようとして喉が震える。けれど、零拍はふと目を細めた。
「名は?」
「る、瑠璃です」
「覚えておこう。面白いものを経験させてもらった」
そう一言だけ告げて、零拍は背を向けて去っていく。残された瑠璃は、その場に膝をついて、ただ呆然としていた。
(い、今の、何?)
その出来事が、彼女の運命を大きく変える一歩になるなどと、このときの瑠璃はまだ知る由もなかった。
●
あの茶会の日から、瑠璃の立場は大きく変化した。
まず炊事場での扱いが変わった。誰も声を荒げなくなり、配膳の順番も後回しにされなくなった。
汚れ仕事を押しつけられる回数も減り、湯のみに注がれた温かな茶が、休憩のたびにそっと机の隅に置かれるようになった。
そんなある日、厨房の片隅で干し野菜を片づけていると、ふくよかな女官が袖を揺らしながら近づいてきた。
艶やかな髪を結い上げ、品のある化粧を施したその姿は、明らかに周囲の女官たちとは格が違っていた。
「この間の菓子……もう一度お願いできるかしら?」
笑みを浮かべたまま、彼女はそっと身をかがめてくる。彼女は後宮内でも名の知れた人物であり、本来なら近づくことすら許されない上位の立場にある女官だ。
その彼女が、まるで長年の友に対するような口ぶりで、瑠璃に「また作って」と頼むのだ。
つい昨日まではありえない話だ。
このように瑠璃はポップコーンとコーラを振る舞い続け、いつの間にか、宮中の上層部にも名が知れ渡る存在になっていた。
「皇后様もポップコーンをお召し上がりになったとか」
「随分と話題になっているそうよ」
「しゅわしゅわの水、なんて言ったかしら……あれも朝餉に出されたそうよ」
冷えた井戸水を手にすれば、それはシュワっと炭酸が弾ける琥珀色の液体へと変わる。かつては自分の慰めのために使っていたお菓子が、いまや宮中の重鎮たちを虜にしていた。
だが変化は好意的なものばかりではない。
「瑠璃、ちょっといいかしら」
にこやかな笑顔で声をかけてきたのは、あの三人組の女官たちだ。かつて軽蔑と嘲りを浮かべていた目が、今は不自然なほどに細められている。
「何の御用ですか?」
「そんな言い方しないでよ。私たち、親友でしょ」
擦り寄るような笑みと声色。だがその奥にあるものは、変わらず毒を孕んでいる。女官の一人が、距離を詰めてささやく。
「いい? 今度の茶会、私たちがポップコーンを作ったことにするから。協力しなさい」
有無を言わさぬ命令口調に、瑠璃は眉をしかめる。だが次の瞬間、パチンという音と共に頬に鋭い痛みが走る。
女官の一人がビンタを放ったのだ。
「随分と生意気になったようだけど、あんたは大人しく私たちの言うことを聞いていればいいの。分かったわね?」
言葉は刃のように冷たく、感情を隠す気配もない。瑠璃はそれを受け入れ、腹の中で怒りを膨らませる。そして小さく頷いた。
「味は。お任せでよろしいですね?」
「ええ、もちろん。とびっきり美味しいものを期待しているわね」
そう言って肩を叩くと、女官たちは去っていく。その背中を見送りながら瑠璃は復讐の炎を瞳に宿すのだった。
●
その日、大広間で特別な茶会が催されることになった。
『優秀な女官を讃える、ささやかなお茶会』
そう題された茶会の主催者は、例の三人組の女官だった。
化粧を厚く塗り直した彼女たちは、きらびやかな衣を着飾り、普段よりも数段声を高くしている。
その傍らで、瑠璃は黙々と準備を進めていた。盆の上に香ばしい匂いのするポップコーンを用意していく。
扉が開くたびに、高級女官たちが衣を揺らしながら入ってくる。茶会には錚々たる顔ぶれが集まっていた。
「噂のお菓子が食べられるのでしょう」
「皇子様が太鼓判を押したとか」
「楽しみね」
期待と好奇の視線が、盆を手にした瑠璃に注がれる。その期待に応じるように、恭しく一礼する。
「ご紹介にあずかりました、瑠璃です。このお菓子は、すべて三名の先輩方が考案され、調理されました。私はただ配膳しただけですので、どうか、賞賛の言葉はあのお三方にお願いします」
一斉に集まる視線に、三人組は笑顔を振りまく。
「このポップコーンはすべて私たちが考えました」
「瑠璃はただの裏方。一切、調理には関わっていません」
「すべて私たちが発案したものだと。そう覚えて帰ってください」
拍手が起こるのを期待していた三人組。だが、代わりに始まったのは配膳だった。
盆に並べられた器には、黄金色のポップコーンがこんもりと盛られている。見た目は香ばしく、おいしそうに見える。
次々と高級女官たちの前に並べられていく。その様子に彼女たちは息を飲んだ。
「頂いても良いのよね?」
「もちろんです」
了解を得た高級女官たちは、一粒を摘まんで口に運ぶ。だが次の瞬間、異変が起きた。
「ちょっと、辛ッ!」
「な、なにこれ! 臭いんだけどっ!」
「うぐっ……わ、わさび!」
口元を押さえて立ち上がる者、涙目で水を探す者、皿を払いのけて咳き込む者。広間に響き渡る咳と悲鳴、そして戸惑いのざわめき。
一口目の衝撃が過ぎると、恨めしい視線が三人組の女官たちに集中する。
「ち、違うんです、これは……あの子が勝手に!」
「私たちは味付けなんて命じていません!」
「本当です、信じてください!」
動揺した三人組は口々に言い訳を並べ、手を振って必死に弁解する。だがそれは通じなかった。
「嘘おっしゃい。さっき、私たちの発案ですと何度も言っていたでしょう。記憶違いとは言わせないわよ!」
「そ、それは……」
三人組の顔が、見る見るうちに青ざめていく。目の端に涙を浮かべながら、なおも言い訳しようとした瞬間だった。
瑠璃が一歩、前へ出る。
「こちらをどうぞ。口直しに」
小さな手が差し出したのは、銀の器に注がれた、冷たく泡立つコーラだ。高級女官たちがそれを受け取り、慎重に口をつける。
「なんて爽やかな味なんでしょう」
「口の中が生き返るようだわ」
器を手にした高級女官たちが次々に顔をほころばせる中、その内の一人が瑠璃を見据える。
「瑠璃、あなたには感謝します。もし困ったことがあれば、いつでも相談に乗ってね」
「ご厚意感謝します」
最底辺の地位にいた瑠璃にとって、上層部との繋がりは助けになる。それを分かっているからこそ、三人組は瑠璃を睨みつけていた。
やがて、新たな足音が響く。
広間の扉が開いて現れたのは、零拍皇子だ。凛とした立ち姿で、瞳には冷ややかな光を宿し、三人組を射抜く。
「話は聞かせてもらった。事情も推察できる。その上で結論を下す。三人は後宮の秩序を乱した罪で、即刻、後宮から追放だ」
その一言が、広間に凍りつくような緊張をもたらした。
「ま、待ってください!」
「あの子が勝手にしたことなんです!」
「私たちは騙されたんです!」
三人組が必死に叫び声を上げるも、零拍は微動だにしない。
「黙れ」
その一言で、女官たちの声がぴたりと止まる。
広間には再び、しんとした静けさが満ちていく。
そんな中、零拍がゆっくりと手を上げ、合図を送ると、それに反応して扉の外に控えていた衛士たちが入室してくる。三人組の腕を取ると、無言のまま連行を始めた。
「や、やめて!」
「離してっ!」
「本当に私たちは悪くないの!」
だがその言葉に耳を貸す者は誰もいない。扉が音もなく閉じられると、零拍は瑠璃の方を見つめる。
「ありがとうございました」
「礼には及ばない。なにせ私は気に入っているからな」
その言葉に、瑠璃は目を見開く。
「……私を、ですか?」
「いや、このポップコーンとコーラをだ」
瑠璃は一瞬ぽかんとしたが、すぐに小さく笑う。
「同感です。人生という映画に、この二つは欠かせませんからね」
二人は笑う。この出来事が瑠璃の幸せな人生の第一歩へと繋がっていくのだが、その結末を彼女はまだ知らないのだった。
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