第九十五章 アドナキエル
「落ち着いたか。名無しの聖女よ」
「貴様は何者なのだ? 魔物なのか? 神の使いか? 魔物が神の加護を使えるはずがない。私がお前に討たれ、ここに来たのは神の意思か?」
俺はノーネームドの聖女が転生したであろう魔物の人馬オーガと話をしていた。
俺が止めを刺さないことに訝しげだったが、俺が会話の意思を見せるとそれに応じた。
「俺は王牙だ。名前はあるか。名無しの魔物よ」
「私の名は、捨てて来た。好きに呼べ。魔物の名など私には必要ない」
「では人馬、アドナキエルと呼ばせてもらおう。ノーネームドではわかりづらい。会話に支障が出る」
「わかった。便宜的にその名で行こう。アドナキエルだな? 王牙よ」
「そうだ。人馬を意味する弓使いだ。これならばお前の姿と合致するだろう」
「最初に言っておこう。お前がここに居るのは神の意志などではない。お前が俺に討たれたのはお前の慢心だ。絶対的な聖女の力を用いれば魔物に後れを取る事は無かった。今の戦いでわかっただろう。聖女の力による絶対的な魔物への優位性が。お前が討たれたのはお前のせいだ。神のせいになどするな」
これを聞いて初めてアドナキエルの視線が俺を捉えた。
「そしてここに来たのはお前の意思だな? 神がここへ向かえと命令したか? これもまたお前の意思だ。神のせいにするな」
アドナキエルに不快な表情が浮かぶ。
「お前ら聖女が神に見放されただと? ここまでの恩恵を受けながら、それを使いこなせず慢心し、俺如きに討たれ、神に泣きついてここまで来て、復讐に失敗した。それで神に裏切られたなどと。どの口で言うのだ」
アドナキエルの視線に敵意が浮かぶ。
「では王牙。貴様の神の加護はどう説明する。貴様の加護は聖女の力だ。それが神の意思でなくて何なのだ! 私がお前に討たれたのは慢心だ。そうとも私が魔物に討たれるはずがない。そうタカをくくっていた。その驕りだ。そしてここへ来たのもお前を討つためだ。私は神に願い、魔物に堕ちてでもお前を探し出し討伐する必要があった。お前は聖女を殺せる。私の慢心があったとしてもそれだけではない。お前は明らかに他の魔物とは違う。今話していてもそれを感じる。私がここに来たのは間違いではない! だからこそ私は共に死した仲間を引き連れて、お前に万全の状態で挑んだ。それがこの結果だ」
そこでアドナキエルは息をつく。
「ただの敗北ならば受け入れよう。私の慢心がここまでの事態を招いたと。だがその理由が聖女の力で討たれただと!? ふざけるな! 魔物に堕ちた私が討つべき魔物に聖女の力で討たれようとしたのだ! これが、こんなものが受け入れられるか! そして敗北した私に説教など、どの口で言うのは貴様だ王牙! まさか貴様が神などと言い出すのではないだろうな! 貴様の自作自演で殺された私とその仲間たちが浮かばれぬ! このままどこまででも堕ち続けて貴様を殺し続ける! 神への反逆は今ここに始まったぞ!」
思い込みが激しいな。だが筋は通っている。
「俺はそれでも構わない。そのままお前が自身の勘違いを受け入れ、その恨みが俺に向かうのなら御の字だ。それは俺がこの会話をする目的に合致する」
「何を言っている!」
「お前の信じる神とやらは、自身が選別し、その恩恵を与えた相手をこのような状況に陥れる存在なのか?」
「神の意志など、私には、私には、」
「その神はお前に何を望んだ」
「私に、人類を守る存在になれ、と」
「奴は言っていたぞ。私の選んだ聖女は神の意思には従わない。人類を見捨てて神の意志に従うようなものは選んでいないと」
「・・・あなたは一体何なんだ。私達聖女よりも神の事を知っている。なのになぜ私を殺した。それこそが、私がここに居ることがあなたの目的なのか」
そうではないのだがな。
「俺はただの協力者だ。魔物であることを請われている。聖女と敵対するのは当然だ。討てる時には討つ。最初にも言った筈だ。神のせいにするなと。お前がここに居るのはお前の決断だ。神の意思ではない」
「私がここに居るのは神の意思では無い事は理解した。ではあなたは私に何を聞かせたくて話を始めたのだ?」
「誤解を解きたかっただけだ。お前たちは神に見捨てられたわけでも裏切られたわけでもない。ただそれを伝えたかった」
「では神は私たちの願いを聞き入れてくれただけ。あなたを討つという私達をここに送り届けてくれただけだというのか?」
「そうだ。裏切られたのは俺の方だ。倒した聖女が魔物となって殺しに来るなど、・・・前例はあったが協力者となった後でも続くとは思わないだろう。これで奴の優先順位がお前たちにあるのは理解できたか?」
「・・・ではあなたは神を裏切り返すのか?」
「いや、この程度は織り込み済みだ。この世界を守ると言っておきながら奴はいつでも人間優先だ。この世界が崩壊するその寸前まで、奴は人間の味方でいるだろう。口では何と言おうともな」
「・・・あなたは世界を守るために神に協力しているのか?」
「その通りだ。協力させられているというのが正しい。お前達人間はどこまで把握しているのだ? この世界の崩壊を何も知らないのか? 奴は人間に一つになれと伝えてはいるようだが、それは本当か?」
アドナキエルは頷く。
「私達は一つになり、そしてそれを維持している。神の加護を持つものを適切に管理してな」
「神の加護の一極化ではないのか?」
「それは異端派の戯言だ。神の加護を一極化してなんになる。今でさえ聖女の数が足りてないのだぞ。たった一人の人間にそれを集中させればどうなるか。人間社会は崩壊するぞ」
なるほどな。伝わってはいるが捻じ曲げられているのか。
「世界の崩壊と人間社会の崩壊のどちらを選ぶか。それを人間に決めさせようとは無理がある。そこで俺という協力者が出てくるわけだ」
「それは人間社会を崩壊させてでも世界を守るという事か? 神の加護を一つに束ねて世界を救うという事か? それは、絵空事だ! 事実だとしてもまるでお伽噺だ!」
「だからこそ俺という魔物の協力者が出てくるのだろう。人間にそれは不可能だ」
「・・・ではやはり見捨てられたのではないか、私達は」
「それを奴が出来ていれば事は単純だ。奴が本気になれば人間社会の崩壊など朝飯前だ。それをやらないのは何故だ?」
アドナキエルは黙り込む。
「見捨てていないからだ。裏切るのはお前達人間だ。人間を愛する優しき善人たる神を、お前たちはないがしろにした。その結果が今だ」
「・・・では魔物が新しく神の愛を受ける人類になるのか」
「そうなる可能性は高い」
それを聞いてアドナキエルは逆上する。
「貴様が聖女の加護を得たのも貴様が新しい聖女になるという事か!」
その発想はなかった。どこまでも思い込みの激しい奴だ。
「お前たちは神に夢を見過ぎだ。万能でないことはお前たち人間が一番知っているだろう。俺が聖女の加護を得たのはトラブルだ。奴の意思に反した不具合だ。黒武器を使えるのなら施された武器の仕様変更は知っているだろう」
アドナキエルの表情を見ればわかる。伝っている様だな。
「奴は万能ではない。不完全な状態から完全を目指している。それを庇護された人間達は何をしている。神の意向に逆らい神の力だけを求める。恥を知れ。俺は、お前達人間に誤解され、逆恨みをされて、それでも世界の維持を続けている奴の助けになりたかっただけだ。奴に愛されながらも恨み言を漏らすどうしようもない旧人類に、奴の姿を知らしめたかっただけだ」
正確には神でないからこそ、完全な神を目指している、だがな。そこまで教える必要はないだろう。
「ならば、私は、もう一度、人間に戻らなければならない。聖女ではなく、『聖女の力を持った男』として」
「なぜそうなる?」
「私達では、聖女という地位では、社会を変えられない。どれほど称えられようと英雄止まりだ。その先に進むには男でなければならない」
そうか異世界の現代社会とは違うのか。
「聖女の力を持った男など存在するのか? 施された武器は神の加護を無効化できる。殺し合いが始まるぞ。それこそ武力で社会の制圧まで考えられる。それほどまでに強力で魅力的な力だ。男では狂わずにはいられないだろう」
「だからこその私達だ。聖女として死んだ私達が男として生まれ変わる。聖女の因子を持った魂をもって男になる」
ほう。今考えたという訳ではないようだな。社会を変える必要性を感じてはいたのか。
「神は、応えてくれるだろうか?」
「可能だろう。人間には甘々だ。それも意志を持った願いだ。奴の目的とも合致する。聞かない訳がない。奴は天秤だ。未だに世界の崩壊と人間を秤にかけて揺れている。だからこそ、俺はリブラ、天秤を意味する名で呼んでいる」
「わが神リブラ、私の全てを捧げます」
アドナキエルは胸に手を置き祈りを捧げようとする。
「捧げるな。お前はリブラの話を聞いていないのか。感謝と尊敬だ。自身を捧げる事、奴に捧げものをする事、それは奴が最も嫌う行為だ。憶えておけ」
「それでわが神リブラは像も禁止されたのか」
「だろうな。神の意思よりも、人類の守護を優先させる人間を聖女に選んだ。アドナキエル。お前もそうなのだろう?」
「その通りだ。私の魂がどこまで堕ちても、人類の守護こそが我が本懐。お前を討つのもそのためだ。貴様は危険すぎる」
どうやら元気が出てきたようだな。
「これでリブラへの恩は返せたな。それでどうするアドナキエル。今から一戦始めるか? もうお前を殺さない理由はない」
「ああ。魔物の私は殺してくれ。今の私に魔物の身は必要ない。そして私は天に召され、我が神リブラに嘆願する。『あなたの願いを教えて欲しい』と」
「ほう。それを聞いてもまだリブラに信仰を預けられるならまた会う事もあるだろうな」
リブラが神ではなく神の代弁者であり、その神は死んでいる。それにアドナキエルは耐えられるだろうか?
「それは、世界の崩壊に関する事か?」
「かなり重大な話だ。それこそお前の足元から世界が崩れる音を聞くぞ。知らない方が幸せだ。引き返すならまだ間に合うぞ」
「驕るな新人類。私達人類はまだ終わっていない。わが神の真意を受け止め、貴様たちを討ち滅ぼしてやる!」
「その威勢がいつまでも続くことを祈るぞアドナキエル。お前への施しはリブラへの礼だ。奴を悲しませるためではない」
そこでアドナキエルは目を閉じた。そして何かを決意した顔を向ける。
「王牙。あなたもこちらに来ないか。わが神の友人であるならば人間側でも構わない筈だ。共に人間に転生し世界を救おう」
「それは他所でも聞いたな。俺が人間であれば私は真の聖女になれた、とな。その時もこう答えた。人では俺の生き方は出来ない。魔物であったからこそ今の俺があるのだ。俺が正しいと信じる生き方はここでしかない」
「彼女もそうなのか?」
アドナキエルは気付いたようだな。聖女であった頃のアリエスを知っているようだ。
「そうだ。自身の信じる真の聖女像は人の身では得られない。それがこちらの『魔物の聖女』の出した答えだ。アドナキエル。むしろお前こそこちらに来ないか? お前が魔物に堕ちるのならリブラとの邂逅も俺が用意しよう。人に戻るよりもこちらの方が確実だ」
今の神の塔ならアドナキエルを連れてリブラと会う事も出来るだろう。そして俺が同席すればこの思い込みの激しい聖女ともスムーズに会話が進む。
「私は、人の身でなければ聖女でいられない。彼女は聖女でいられたのか?」
「ああ。魔物こそ自身が守るべき人間だと断言した。こちらの聖女もまた正しく聖女のままだ」
「そうか。彼女もまた道を見つけ決めたのか。ならば断ろう。私は彼女と同じ道は歩めない! 私は人間の聖女だ!」
流石だな。リブラの選んだ聖女とはここまでか。
「ここまできたのなら殺し合うまでもない。お前の魂は天に召されるだろう。魔物が魂を維持し続けるのには魔物に堕ちた時の原動力が必要になる。今のお前は俺を討つよりもやるべきことがあるだろう」
「ああ。私も魂が天に召されるのを感じている。王牙。このアドナキエルという名を貰ってもいいか?」
「持っていけ。お前がその名を名乗る時は敵同士だ。その時は容赦はしない」
「私もだ。私アドナキエルは、王牙、お前を討って王となる。その時は私の手柄になってもらうぞ」
「驕り過ぎだ。人間よ。殺しがいがあり過ぎだ。リブラによろしく言ってくれ。お前への恩は返したと」
「確かに承った。ではまた殺し合おう。さらばだ王牙」
ーーー
アドナキエル達は天に帰り、人馬オーガが鎮座する。これもまた頼もしい魔物になる事だろう。
「お父様、良かったの?」
合体を解除したレオニスが呟く。流石にレオニスをアドナキエルには見せられないからな。
「ああ。人間の神リブラには恩義がある。それこそお前を救えたのは奴のお陰だ。奴がレオーネに囚われた俺を救い、そしてすぐに戻れと言ってくれた。お陰でお前の救出に間に合った。もしも間に合わなくとも、レオニス、お前の魂はレオーネの罪を背負うことなく正しい輪廻に戻すともな。奴ほどの善意の塊を俺は見たことがない」
「そのリブラが私を聖女にしてくれたの?」
「・・・これもまた難しい所だが、真実を話そう。先の言葉の通り、リブラですらお前を救えるとは思っていなかっただろう。ただ俺をレオニスの死に目に会わせてくれた、と見るのが正しい。聖女の加護を与えたのはレオーネだと聞いた」
「じゃあ、やっぱりレオーネは・・・」
俺はレオニスの言葉を遮る。
「その考えは早計過ぎる。レオーネの目的が不明すぎる。なによりお前の体に魔王の心臓と、俺という魔物を取り込ませ、そして裏切ってお前が死にかけた。単純な善意ではない。何かの理由がある。レオーネは信用するな。警戒してし過ぎるという事は無い」
「わかった。それにしてもリブラという人とはまるで違う評価なのね」
「当然だ。正直な話、次代の神に相応しいのはリブラだと俺は考えている。奴以外は考えられん。本人が神を補佐する存在と言って聞かないがな」
「お父様がそこまで言う存在なのね」
「ああ、もしもお前が神になったとしたら奴を頼れ。お前であっても無下にはしないだろう」
「私が神になんて向いてるわけないじゃない。それとも推薦してくれるの?」
「それは止めておこう。世界が崩壊しそうだ」
「そういう意地悪で自分の娘を虐めると私の天罰が下るんだからね!」
やれやれ。仮にレオニスが元女神だったと仮定して、誰がそれを決めたのか。
親の俺でもレオニスは神には向いていないと思うぞ。
▽
Tips
リブラについては『第六部聖王都 第七十四章神の塔①~③』を参照。




