第二章 エルフの森退却戦
俺達は森を駆けている。俺の胴程もある巨木が立ち並ぶ密林だ。お陰でこの巨体でも走れるがそれでもギリギリだな。目測を見綾れば木の間に挟まってデッドエンドだろう。
そう言っている間に同族の鬼が捕まった。そう捕まった。この巨木は動いている。
これ自体はただの木なのだ。トレントのような魔物ではない。寧ろ魔物ならこちらの味方になるだろう。ではなぜコレが魔物の俺達の道を塞ぐように動くのか。その答えが後ろから迫っている森の木人エルフだ。
さっきの戦闘で人間どもは弓矢を使って来なかった。俺はそれを魔物を打ち破れるほどの矢を用意できないためだと思っていた。事実そうだろう。だがこのエルフの放つ矢は…
俺の鋭敏な感覚がその正体をつかみ取る。その飛んで来る矢、弧を描き自在に曲がる文字通りのミサイルウェポンが迫る。その矢を掴んだ手がギュルギュルと音を立て燻ぶる。火矢ではない。回転による摩擦力だ。そして何より恐ろしい物がその手の中にある。
そう木の芽だ。矢として飛んでくるがまぎれもない新芽。それが伸びて矢になっている。
つまりそれは、あまりに素早くて目にする事すら困難だが奴らは矢筒を持ってない。弓すら持っているかも怪しい。そう、コイツラはこの巨木から弓矢を取り出し番えている。隠してあるんじゃない。生み出されるんだ。理論上限界はあるだろうがほぼ無限に撃てると考えていいだろう。それも金属の矢よりも俺達魔物への効果も高いだろうな。
…森のエルフ強くね?
弾数無限の弓矢に巨木もある程度動かせる。俺が地面を走っているのもそのせいだ。下手に地面を離れると絡めとられる上に、ヤツらのように木の枝を掴もうとすると位置をずらして弾いてくる。奴らは寧ろ巨木の助けで縦横無尽に飛び回っている。幸いなのが頭上を取って来ない事だ。コイツラに頭上の制空権を取られたら囲まれてお終いだろう。
これも幸い地面はあるから石の棍棒を生み出して目障りな巨木を叩いて回っている。行く手を阻むから殴っていたのだが、それがかえってエルフ共の足を抑えているのだろうな。
しかし石は本当に脆いな。木を殴っているだけでヒビが入る。地面から呼べると言っても森林だ。奴らの支配してる植物をかき分けて呼び出さなければならない。その分時間が掛かる。そしてその時間が貴重なのだ。
やはり追いついてしまったな。前方に魔物の気配。彼らの撤退が今回の仕事だ。
前回の敗退の後、俺達は残った戦力をかき集めエルフの森に攻め入った一群の殿に駆け付けたと言う訳だ。つまりこちらの魔物も敗退中、俺たち鬼が間に入って本体を逃がすという事だな。
仕事といっても指揮官が居るわけではない。召喚者か創造者か、それの漠然とした指示だけが感じられる。強制力は一切ないが従わなくても取り残されて狩り尽くされるのは目に見えてる。ならば少しでも生存の高い方向に賭けるしかない。
今の所魔物の数は居るのだが意思の疎通が出来る魔物を見ていない。詳しく言えば意思の疎通は出来るのだ。相手の考え、状態、行動、それは自然とわかるのだが会話が出来ない。試みるまでもなくそれが無駄だという事は言葉を交わすまでもなく理解が出来ている。ただ同じ行動方針を持った個別の魔物といった所だろう。感覚としてはNPCではなくチャットの制限を受けたPC同士のようなものだ。意思と行動を間違いなく感じる。ただわかっているなら話す必要はないという事だな。
俺が見てきた鬼はそんな感じだ。多分だが、鬼に使われる魂はゲーマーなのだろうな。この居心地の良さがそれを証明している。無駄な会話など望んでするものではない。
「たすけてくれぇ!」
こんな無駄な会話をする鬼がいるのか?
流石に俺も驚いて耳を澄ますと前だな。ギャーギャーと喚く一団。あれは小鬼、というよりゴブリンか? 緑色の皮膚に小柄な体躯、腹の膨れた物も居る。あの体では逃げ切れないだろう。一群の最後尾だろうな。寧ろ良く逃げ延びたものだ。
「ガッ!」
一匹のゴブリンに新芽が突き刺さる。それが発芽してその体を射止めた。
マズいな。俺達鬼、いやあれがゴブリンなら俺達はオーガか。この体なら発芽した程度侵食し返せるがゴブリンの魔素と体躯では致命傷だ。しかもエルフ共、明かに狙いをゴブリンに向けている。
俺を無視してそんなあからさまな視線を向けるとは、舐められたものだ。
俺は足に意識を向けると大地の支配を放つ。地面より上はお前たちの領域かもしれないが、その下はどうだろうな。ペットの巨木は耐えられるかな?
俺の想像通り大地の支配で根を石の塊で押しつぶすと巨木が躍り上がる。バケモノめ。遂に正体を現したか。
奥の手だったが仕方ない。殿が味方を見捨てちゃ世話がないからな。
「先に行け! 後ろは任せろ!」
俺は声を張り上げる。同族同士に言葉は要らないがゴブリンには必要だろう。俺の意図に気付いた同族が先の方で同じように大地の支配を展開している。これならエルフの追撃をこちらに向けることが出来るだろう。数がいくつかわからないがハイドに専念していて攻撃事態は散発的だ。
それ故に厄介なのだがな。俺達が付いた時も散発的な行動で実態を掴ませない。応戦すれば引き、逃げれば追う。時間稼ぎを恐れた俺達は先に進んで追われ続けたという事だ。幸い前の一群を追っていたエルフは居なさそうだがそれもどうかはわからない。ハイドして合流を狙っている可能性もある。今も体勢を崩したと思ってはいるが、今音を立てた枝の茂みだ。そこに突撃を掛けると、やはり居ない。居そうな場所に居ない。そしてその気配がない所全てにエルフの潜む可能性がある。
厄介だ。俺たちオーガに見切りをつけて先頭を狙っているのか。俺達への有効打はほとんどない。だが奴らの気配だけが先を進んでいることを証明している。その間にも何体かのゴブリンが射抜かれている。
今は大地の支配の影響か、大木も鳴りを潜めている。一部のゴブリンたちは木の枝を伝い三次元的な動きしているようだ。オーガが大地を支配できるようにゴブリンは植物を支配できるのだろうか。エルフのコントロールを受けない巨木は彼らの助けになるようだな。
それでも執拗にエルフはゴブリンを追い続けている。巨木の支配をしなくてもそれは衰えないが、間違いなく俺の目に留まり始めている。
奴ら芽を手に持ってるな。それを折りたたんだ弓で撃ちだしている。先ほどまでと違って木から補充と言う訳にはいかないようだな。そして放たれた矢だ。俺はあれがミサイルのように誘導する代物だと思っていたが、何も感じない。今は木の加護的な物が無いのかとも思ったが、違う。あれは技術だ。
「ゴブリン! 止まれ!」
観察していたエルフの狙いを見定めた俺は言葉を発する。あれは誘導じゃない。
「お前の避ける位置に飛んでくるぞ!」
エルフに狙われたゴブリンが止まると、動くその先に矢が轟音で擦り抜けていく。直撃は免れたようだな。
ゴブリンと目が合う。同族ではない意思の疎通が感じられた。互いに手を上げると先に進む。
マズいな。明らかにターゲットが変わった。俺の周り、俺の頭上、完全に俺を取る気だ。同族も追い上げてくれてはいるがエルフの把握には至っていない。良くて俺が落とされた時に仇は討ってくれるだろう。
エルフの総攻撃。これに俺の体がどこまで耐えられるか。防御か。回避か。相手の出方がわからない。数すら掴めんのに攻撃を読むことなど出来るはずがない。せめて相手の居場所がわかれば。
「鬼! 援護する! 避けろ!」
これは魔物の声だ。魔法の気配。何か来るな。これは2段魔法か。一発目は小威力の対象に向けた魔法。もう一つはそれで足止めした敵へのトドメのなんか大きい奴か。
俺は口元がにやけるのを感じる。これは頼もしい。その魔法の威力や効果じゃない。その魔法は対象を捉える。つまりはエルフの数と居場所が丸わかりって事だ。ザっと見て6、7、8…
…8? 8人だと? たった8人のエルフにしてやられている? 道理で散発的なわけだ、この人数で追い立てていたのか。少なくとも30は見込んでいたが、それだけ卓越していたのだろう。
7人は前衛。俺を取り囲んでる。そして奥に1人。コイツだ。コイツが人数を多く見せている。なにかの術か。魔法じゃない何かだ。間違いない。前の奴らが何もしてないのに巨木に援護されていたのはコイツが遠くから操作していたからだな。ならば狙いは一つ。
バチっと一つ目の魔法が発動する。エルフには感知し辛い代物で驚きで足を止めている。そして次の魔法が俺の居た位置に座標として発動する。轟音が鳴り響きあそこに居たエルフは魔素を浴びて重症だろう。
俺はと言えば、その陰に潜んで離れた1人に肉薄する。魔素の爆炎を背にすれば相手の感知も潜り抜けられるだろう。俺はその衝撃と同時に近づきその特定した位置に牙を剥く。遮ろうとする巨木を押し退けその頭を齧りぬいた。
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Tips
大地の支配
オーガ種が使える支配。魔物は何かしらの支配の力を持っている。
ゴブリン種は生命の支配。基本的に意思のない生命を操れる。