#30
十月十五日
関東某所
その日、狼八代雪は自分の執事である湊斗を連れてある場所に来ていた。
「「…」」
カツカツと無機質な音が響く中、二人は同じく灰色の通路を歩く。すると、二人の通った後は隔壁が閉鎖していた。
「それで、状況は?」
「以前として変化はございません。雪様」
そう言うと、雪は湊斗に確認をした後に目の前に立ちはだかる扉にカードキーを差し込むと、最後に分厚い鋼鉄の部屋が開き、中にはある物見て監視する狼八代家の術師が居た。そして部屋に入ってきた雪を見ると、彼らは敬礼していた。
「そのまま続けてちょうだい」
そう言い、雪は部下に指示を出すと狼八代の術師はそのまま作業を続けていた。すると雪はさぞ面倒そうな声でその二つのポッドの中にいる二人の人間を見ていた。
「はぁ…一切反応は無しですか…」
そう言いながら、防弾ガラスで覆われたポッドの中で目を瞑っているのはクワトとノーヴェだった。冬歌達によって封印されて以降、一度も目を開けたことが無かった。外部からの栄養はこのポッドのおかげで供給されており、電源さえ落とさなければ死ぬことは無い。ただ問題なのは…。
「誰にも反応を示さないとは…」
狼八代家の術師全員が冬歌の施した封印を解こうとしたが、この二人は封印を解かれる事を拒否していたのだ。
「是が非でも情報を渡す気はないのね…」
少なくとも、ある人物以外では…。
しかし、それは雪としては限りなく避けたい方法であった。今でも時々思い出されるトラウマを。
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十六年前、狼八代家である少女が生まれた。その少女の誕生に喜ばぬ者はおらず、誰もが誕生を祝していた。
「…」
夜の執務室でペンを走らせながら、雪は横にある籠の中で眠る一人の自分と同じ白狼種の赤ん坊を眺めていると、部屋の扉が開いて一人の男が入って来た。その者は人であり、やや病的に痩せ細っていた。
すると、その男の待ちきれない様子を見て、雪は呆れたように言う。
「休んでいなさいよ。藤治…」
そう言うと、藤治は雪にやや興奮気味に言う。
「何を言っているんだ。念願の我が子だぞ?ずっと布団で横になっているのは勿体無いじゃないか」
そう言うと、藤治は籠の中で眠る赤ん坊を見ていた。
狼八代藤治は婿入りで雪と結婚した冬歌の父親であった。雪とのお見合いから始まった関係だったが、相思相愛で有りトントンと結婚まで進んでいた。
しかし、元から病弱であった藤治は此処最近身体が弱っており、尚且つ雪が不妊症であった事から子供を作るのは絶望的とまで言われていた。だけど、奇跡的に子供が産まれ、こうして今は籠の中で眠っていた。二人にとって籠の中で眠る子供はかけがえの無い宝物であった。
「名前、決めてくれた?」
「あぁ、冬歌と言うのはどうだ?」
「冬歌…良いんじゃない?」
そう言うと、藤治の雪は頷くと籠の中で眠っている二人の子供の名前が決まっていた。
冬歌と名付けた二人は目一杯愛情を注ごうと誓いながら泣き出した冬歌をあやしていた。
そうして、冬歌の世話をし始めてから半年が経った頃。狼八代邸の一室で布団に入ったままの藤治はあの時よりもさらに顔色が悪くなっており、最近はまともに歩く事すらままならならなくなっていた。
「済まない、冬歌の世話を全て任せてしまって…」
「良いよ全然。それよりもあなたの体を治す事に集中して」
そう言い、雪は藤治の健康を心配していると、藤治は窓の外を見ながら雪に言う。
「雪…もし俺が死んでも、冬歌の声が俺に聞こえるくらい。明るい子に育ててくれよ」
「何言っているのよ…まるで死に行くような言い方じゃないか」
「ははっ、もしもの場合だよ。まだ、冬歌の振り袖姿を見るまでは死ねないさ…」
そう言い、藤治は強い意志を感じさせる言い方で語っていた。
しかし、そんな藤治の願いとは裏腹に体調は一週間後に急変する。
そしてそのまま藤治は病魔に冒されて逝ってしまった。冬歌が産まれて八ヶ月の事であった。葬儀は静かに行われ、藤治は狼八代家の墓に埋葬されていた。それから雪は娘の冬歌を一人で育てる事となった。
藤治の願いである冬歌の振り袖姿を向こうに届く位、元気のある子にしようと…。
しかし、藤治が亡くなってから三ヶ月後。その事件は起こった。狼八代邸でお守りをしていた雪はそこで当時、冬歌の世話を行なっていたメイドが裏切り、冬歌を外に許可なく連れ出したのだった。それも、雪を背後から殴って気絶させた後に…。
そして冬歌はその女によって何処かに連れ去られてしまった。当然雪は憤慨して徹底した追跡をさせた。しかし、誘拐したメイドは脳が完全に破壊される様に首無し死体で殺されており、記憶からの追跡もできなかった。
狼八代家の一人娘が誘拐され、行方知れずとなった事実は当時の政府も顔面蒼白となって雪の前で顔を床に擦り付けて土下座をして震えていた。何せ日本の公爵家の娘が誘拐され、追跡できなかったと言う歴史上類を見ない大失態だ。その場で首を刎ね飛ばされても文句の言えない状況であった。しかし、その時の雪はそんな顔面蒼白の首相に一言こう言った。
「もう良い…」
そう言うと、雪は首相の前から姿を消した。一体どう言う事なのかと困惑しつつも、絶対に取り戻さなければならないと言う意志を持って生涯かけて見つけ出すと…。そうでもしないと、自分の名誉回復はしないから…。
それから、日本政府は自分達の首の皮を繋ぐために追跡を続けさせていた。しかし、日本を出国したリストを確認しても白狼種の特徴に当て嵌まる人物を見つける事は叶わなかった。
そして五年と言う月日が経った頃、アメリカの大使館からある情報が入った。
『白犬種の少女がシカゴ郊外の孤児院に居た。そしてその孤児院にFBIが検挙を行おうとしている』
この情報を聞き、ついでに朧気な写真もついて来た事から首相はこの情報に賭ける事にし、自分の部下の中から隠密行動に長けた人物を現場に送り込んでその子供を確保する様に命令し、そこで元特高出身の杉峰貴一郎を向かわせる事にした。元々、陰湿な特高と折り合いが合わずに内閣府に追い出された杉峰はその技術を用いて首相自ら指令を受けてシカゴに飛んでいって件の少女の確保に向かわせていた。そして杉峰からその霊の少女を確保したと聞いた時は心底ホッとしていた。
そして、送られて来た血液検査からもその少女が確実に狼八代家の者であると確認が取れた時は安心から気絶しかけていた。
必ず日本に連れて帰らせる為に更に護衛を派遣し、VIP並みであった。アメリカ政府もまさか公爵家の者がいるとは思っていないだろう。それよりもその時は人工術師の実験の証拠隠滅に躍起になっていた。そのおかげで出国の時に問題無く帰国させる事ができた。
どうやってアメリカまで行ったのかは不明だが、それも全て知るには冬歌が帰国するまで油断できなかった。自分がこの総理という椅子から落とされない為にも、帰国までの手順は万全を期していた。これで自分は長く総理の席に座っていられると思いながら…。
そして帰国した時の私はそのまま秩父奥地の狼八代家本邸に戻って来た時。母は待ちきれずに車から降りた私に飛んで抱きついて来た。
「ごめん…ごめん…今まで辛かったでしょう…」
そう泣きながら抱きついた母の匂いは記憶には無くとも体が覚えていた。その懐かしさから、抱きついた母に恐怖しなかった。そして、その懐かしさから思ってもいないのに涙が溢れて思わず呟いてしまった。
「お…母さん…?」
そう言った瞬間、母はもはや言葉にならない喜びと申し訳なさからか更に抱きしめる力を強めていた。
人工術師とそれに関する研究は全てエドモンドが持ち去っており、研究所のデータや機器は破壊され尽くした後だった。今では人口術師の噂は世界中に流れており、幾つかの国家が追跡をしていると噂されている。特に、何かと戦争の絶えない中東諸国がこぞって人工術師の記述を狙っているとかなんとか…。
「ふぅ…考えるのも嫌になるわね…」
東京の別邸で今日の課題を終わらせている冬歌は、ふと狼八代家に帰ったあの時のことを思い出していた。あの後、私は心陽を専属の執事として紹介され、今日まで色々と世話になったものだ。ベースカラーと過ごしたあの空間が笑いった訳ではないのだが、自分達をただの実験材料としか思っていなかったエドモンドには腹が立つ。
そこで気になるのが、彼等はどの様にして今日まで生き残って私の前に現れたのか。と言う事だが、これは彼女等に聞く他ないと言うのが事実だ。母は私が話術で懐柔が何かしらの方法で連れ去られることを危惧して居場所も明かさない状態だが、何を進展しないのが事実でもある。
私は、どうしてこの時期になって私に接触をして来たのかが気になるところだ。彼女らは私を連れ去ることを目的としており、それは人工術師の血抜き要員としてかもしれない。それに、ノーヴェの言っていた一言も気になっていた。
『ゼーロもコッチに来れば良いのに。そしたら、この技も使えるのにね…』
この技、と言うのは恐らくあの初めて見る札などの媒介なしで発動させたあの術式のことだろう。
空中の湿気から水の弾丸の生成、照準、発射までの工程をあれほど素早く出来るあの技。体に帯電させて筋力増強やスタンガンの様な使い方をしたあの初めて見る技。少なくとも、冬歌はこの十年で様々な術式に触れてきたが、あんな物は初めてだった。狼八代家の術師としての血が騒いでいるのか分からないが、兎に角私はあの術式の正体を知りたいと思っていた。
「…もう一度交渉してみるか…」
そう呟き、冬歌は雪に連絡を繋げられないかと部屋を出ると心陽に聞いていた。




