#3
六月一五日
帝都 渋谷
戦後、帝都改造計画と呼ばれる帝都の関東大震災以降の度重なる大規模再開発により。田んぼしかなかったこの地は多くのビルや商業施設が立ち並び、今では帝都有数の繁華街となっていた。
夕陽が差し込むこの時間、渋谷で冬歌とさくらは学校帰りに寄り道をしていた。
「へぇ、こんなに人が多いのね…」
「うひゃあ…外人ばっかりじゃん」
渋谷の道玄坂を歩きながら二人はそう呟く。周りにいるのはに鼻の高い特徴的な外国人ばかりで日本人の割合の方が少なく感じていた。そして車道を走るタクシーの交通量にもびっくりだ。
帝都は交通量制限の為に自動車税が異様に高く、代わりにタクシーなどの商業用自動車は安い為。都内では大手タクシー業者が乱立していた。
そのタクシーに乗り込む観光客などを見ながら冬歌達は渋谷で最近出来たクレープ屋に寄っていた。
二人はクレープ屋で注文をした後、店の前で待っているとさくらと冬歌は今日起こった出来事をさくらがイライラした様子で言う。
「ったく、あの女狐め…冬歌を取り込もうたってそうは行かないわよ!」
クレープを握りつぶしそうな勢いで捲し立てるさくらを冬歌は宥める。
「まぁまぁ、そんなカッカしなくてもいいんじゃ無い?」
「そんなわけ無いでしょ!これだから狐の思慮深さを知らない奴は…」
そう言って頭を抱えるさくらに、冬歌はやや呆れながら言った。
さくらがイライラしている訳は今日の昼放課の出来事にあった。
いつも通り、お弁当を持ってきていた冬歌は約束していた通り、さくらの分のお弁当を持ってきており。それに嬉しそうにしていると。普段は食堂に行ってしまって殆ど生徒が残らない教室に今日は一つのグループが居たのだ。それは虎寺・狐山の率いるグループだった。
虎寺家は日本にある公爵家の一つであり、今まで数々の優秀な軍人を輩出してきた家である。
日本にはまだまだ獣人の公爵は大勢いるが、主なところで言えば虎寺、犬走、猫川、鳥山、そして狼八代だろう。
特に狼八代に関しては種族が珍しい白狼種と言う事もあって滅多に公の場に出ることはない。
白狼種とは日本にしか居ないとされる獣人族の一種であり、白い毛に尖った狼の耳を持ち、一部地域では神獣と言われている種族である。
その為、嘗て諸外国から動物の様に狙われていたと言う過去から表立って活動することはほぼ無いが、その影響力は目を見張るものがあると言われている。
ほとんど外に出ない閉鎖的な事から謎に包まれた一族と言われていた。
昼放課中に教室に残った虎寺達を見てさくらは気分を悪くしていた。いつも静かだから好きだった教室がこれでは騒がしくて食事も楽しめない。そう思っていると愛結が此方に近づいてきた。
「隣、よろしくて?」
「あっ、どうぞ…」
「!?」
そう言い、冬歌の右隣に座った愛結に明らかに敵意を向けているさくらは彼女の動向に注視していた。
「あら、また綺麗なお弁当です事。羨ましいですわ、こんなに綺麗な弁当を作ってもらえて」
褒める彼女に冬歌は謙遜する。内心自分はどちらかと言うと食堂の豚キムチラーメンを食べたいと思ったのは秘密にしておこう。
「そんな事ありませんよ。それに狐山さんのこの稲荷寿司も美味しそうですね」
そう言い、よく照っている稲荷寿司を見ていうと愛結は少し自慢げに答えた。
「あら、分かります?我が家の特製なんですの」
「そうなんですね」
「良かったらそちらのどれか一つと交換しませんか?」
愛結からの提案に少し驚く冬歌は思わず愛結に聞いてしまう。
「良いんですか?狐山さん」
「ふふっ、狐山ではなく愛結とお呼びください。冬歌さん」
「えっと、では愛結さん。これと交換で、如何でしょうか?」
「あら、良いですわね」
そう言い、冬歌は鹿肉の佃煮を、愛結は稲荷寿司一個を交換した。その様子を眺めて悔しげにするさくらだったが、愛結は興味すらない様だった。
そして、交換をした後。稲荷寿司を食べた冬歌はそこから口に広がる旨みに少し味に鈍感な自分でも分かる旨さだった。
「おぉ…美味しいですね」
冬歌がそう溢すと、愛結は少し嬉しそうに微笑む。
「そう言っていただけで光栄ですわ」
そう言い二人はそれぞれの弁当の中身を見て色々と意見を交換したりして楽しんでいた。
そして食事が終わり、愛結は弁当を片付けながら言う。
「今日は楽しかったですわ。良かったらまたいつか一緒に食事をしましょう」
そう言うと愛結は本来のグループに戻って行った。その様子を眺め冬歌の引き抜きに来たのかと思い敵意むき出しのさくらだった。
「いい?あの狐山の言う事は一切無視するんだよ!」
「あぁ…うん…分かったよ……」
あぁ、せっかくの友人が離れていく…まぁ、今の関係に困ったこともないから別に良いんだけどさ〜。
下手に関係を広げすぎるのも悪いか、と思いつつ。冬歌は注文したクレープを食べながら歩いていると渋谷駅の広場でプラカードを掲げ、赤いヘルメットを被った多くの人達が何やらデモをしていた。
『内閣ハ退陣シロ!』
『モンゴル進駐反対!』
『社会主義万歳!』
そのデモ隊の周りを警官が囲み、少し騒然としていた。
その横をなるべく巻き込まれたく無い…と言うか、社会主義なんて妄想を抱いている時点で随分と能天気だと思っている二人はその横を通り過ぎようとすると、制服を着ていた事からうちらが学業院の生徒であると誰かが気づき、メガホン片手に説教をし始めた。
学業院はこの国の華族が主に通う学校。社会主義を唱える彼等にとっては目の敵とも言えよう。
耳が煩くて痛いのでやめてくれ、本当に…。
『君の親が富を独占するせいで社会は成長しないのだ!!』
誰が言ったその一言にさくらがブチギレた。
改札から進行方向をぐるりと変え、ズカズカとデモ隊に近づく。元々こう言う社会主義が大嫌いなさくら、慌てて冬歌が止めに入ろうとするもさくらはデモ隊に向かって叫んだ。
いかん、昼間の件で彼女は色々とフラストレーション溜まっているんだ!
「あんた達労働者が社会を回しているのはよく知っている。だけどねぇ、社会主義ってのは対して働きもせずに金をもらいたい奴が考える思想なんだよ!!」
そう叫んだ一瞬、場が凍りつく。
即座に冬歌が血の昇ったさくらの頭を引っ叩いた。
「何してんのよこの馬鹿ぁ!!」パシンッ!!
「痛っ!」
そして冬歌が引っ叩いた事でデモ隊が言葉の意味を理解して手をワナワナと振るわせていた。
「この金持ちの餓鬼が…!!」
その瞬間、囲んでいた警官が警戒心を露わにし、片手に警棒を取り出す。
「ふざけんなぁああ!!」
その瞬間、さくらに掴み掛かろうとした一人の男が即座に警官に取り押さえられる。
「逃げるよ!」
「ぐぇっ」
さくらの首根っこを掴んでズルズルと冬歌達は急いで改札に逃げ込む。後ろでは警官隊とデモ隊が衝突したらしく、揉めているようだった。
そんな中、改札に入った冬歌はさくらに説教をする。
「なんであんなこと言っちゃったのよ!」
「いやぁ、ついカッとなっちゃって…」
一発頭をぶっ叩いて叱ると、申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「さくらは顔が知れ渡ってんだからよく注意しなさいよ!誘拐でもされたら如何すんのよ!」
「大丈夫だって、結構腕っぷしには自信あるのよ?」
「はぁ…そんな事をしてたら、いつかしっぺ返しを食らうよ?」
ため息を吐きながら山手線に乗った二人はそのままそそくさと帰宅するのだった。
家に戻り、ニュースを見た時に『渋谷でデモを行っていた社会主義グループの一部が暴徒化』というニュースを見て冷や汗ダラダラになったのはここだけの話だ。
「面倒事に成らなければいけど…」
「どうかされましたか?」
テレビを見ながらそう呟いた冬歌に心陽が聞く。彼女はソファーで横になって机に置かれたクッキーを食べていた。すると、心陽が今しがた受けた連絡を冬歌に伝える。
「そしてお嬢様、先程御当主様より連絡を頂きました。現在、旧帝国ホテルにいるそうです」
「え!?御母様が!?」
それを聞き、冬歌は非常に驚くと慌ててソファーから抜け出した。
「はい、御当主様より直にご連絡を頂きました」
「すっ、すぐに行くわ!!」
そう言い、冬歌は大慌てで制服から着替え始めるのだった。
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同時刻
帝都 市谷
近くに国防省などの軍関係施設が立ち並ぶ場所に近い場所に居を構える虎寺邸にて長女である沙耶香は私室に愛結を招いていた。
「ーーで、如何だった?」
沙耶香は愛結にそう問うと、愛結は全てを答える。
「はっきり言いますと上社冬歌に怪しげな印象はありませんね。至って普通の生徒です」
「そうか…」
報告を聞き、沙耶香はやや残念そうに言う。ここ数日、信頼できる友人である愛結に冬歌の調査を依頼した。と言っても本格的なものではなく、少し気になったからと言う沙耶香の気分のようなものであったが…。
愛結が冬歌と親しくしていたのは、愛結が沙耶香の要望を聞いてのことだった。
沙耶香が冬歌の事を気にしている様子を見せ、それに気づいた愛結が冬歌の事を調べていたのだ。彼女をよく観察していたが、冬歌は至って普通の黒犬種であると感じていた。匂いも特段おかしい様子は無く、髪も綺麗に整えられていた。
「なんか仕草とかがただの一般家庭じゃなかったから少し変だと思ったんだが…違ったようだな」
そう言い天井を見上げる彼女。
「しかし、学業院に通うと言うことは事前にマナー講習などを受けていた可能性も上げられますが…」
「だとしたらマナーに慣れすぎている。彼女、一般枠の子なのにマナーが整い過ぎていたからな」
そう言い、沙耶香は少し真面目に推理をしており、愛結は少し興味ありげに呟いた。
「沙耶香様がそこまで気にかけるのも珍しいですけどね」
「そう?他人の異変を見るのはこれでも得意なのよ?」
「さすがは虎寺ですね」
そう言い、二人は親しげに話していた。
同級生に少し不思議な人がいる事に対してはこれ以上詳しく知ろうとは思わず、沙耶香は招待した愛結を丁重にもてなしていた。