#13
現在は東京府から東京都に改名された帝都は、帝都環状線を中心に都市改造がなされ。東亜細亜地域の中心、西太平洋地域の中心として大勢の人が出入りしていた。
そして帝都が冷戦期の好景気の時代に東京湾を埋め立てて大規模な再開発を行っていた。
一般的にこの場所を帝都臨海地区と呼び、様々な商業施設や新たな港湾施設が建設されていた。そして同時に貧困層が集まる治安のある地域でもあった。
此処には仕事を求めて帝都にやって来たが失敗した外国人や浮浪者が集まった俗に言う『浮浪島』と呼ばれるスラム街が存在していた。
浮浪島で酒や薬に溺れた者達が倒れている中、東京湾の海に浮かぶ一隻のクルーザーの中。炎の様な赤髪赤目が特徴の宇野がゴム手袋を嵌めた手に茶色のクリームを取って頭に塗っていた。
その様子を見ながら黄色の髪を持つ少女が宇野に言う。
「全く、ファーターに怒られてこんな事になるなんてね…」
そう言うと宇野はその少女に反論するように言う。
「五月蝿ぇ、クワト。大体俺はイワンのなり損ないになんか協力したくなかったんだ。追跡から逃げ切れただけでも褒めろよ」
「指名手配されたのに?」
そう言いながらクワトと言われた少女は携帯の画面を見せるとそこには朧気ながらも赤い髪が特徴の人影があった。
「これを見てファーターがお冠だったわ。『我々の計画を忘れたのか』ってね」
「へいへい、それは悪ぅござんした」
そう言うと、赤メッシュの入った茶髪の青年らしく髪を染めた宇野はそのまま立ち上がるとクワトに言う。
「んで、他の奴らは?」
「みんな買い出しに行ってる。浮浪島で回収する予定」
「そうか…じゃあ、行くとしますか」
「ええ、家族を迎えに行く準備を整えないとね…」
そう言うと、二人は船室を出て操縦席に向かっていた。
船室のテーブルにはいくつかの紙が置かれ、其処には主に狼八代家に関する情報が記されていた。
そしてその中には今度、浅草で出会う組織の予定表も含まれていた。
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お盆の神楽を終え、冬歌は東京に戻ってきた。
間も無く出校日があるし、何よりさくらとの約束がある。
普段は滅多に見る事のなかった打ち上げ花火だが、さくらのお陰で楽しめそうだ。ついでに夏祭りも行われて居ると言う事で冬歌はさくらの勧めもあって浴衣で行く事にしていた。
「どう?」
「よくお似合いです。お嬢様」
そう言い、黒い布に赤い牡丹が色つけされた浴衣を着ながら冬歌は心陽に聞いた。
花火大会は明後日だが、届いた浴衣を試しに着付けていたのだ。
今は雪色の髪だが、当日は変装具を取り付けて行くので、黒髪の犬の獣人として冬歌は会場に赴く。
さくらが迎えに来てくれると言う事で冬歌は駅まで行く予定である。
もともと箱入り娘だったがために小中と学校にすらまともに言っていない始末だった。だから今回みたいにさくらに誘われた事はとても嬉しかった。
とある事情で、私の幼少期はずっとあの屋敷で育ってきた。今回、学業院に進学したのも伝統と母の意向があっただけで初めの頃は学校に行かなくてもいいのではないかと思っていた。
だけどさくらと出会ってから学校に行くことが楽しいと感じていた。さくらは私の心を楽しませてくれる。友人と呼べる初めての存在だと思いながら冬歌は噂の花火大会を待っていると、携帯のメールに連絡があり。それを見た冬歌は一瞬だけ目が鋭くなる。
「沙耶香嬢からか…」
其処には虎寺沙耶香からのメールが通知されていた。
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「ーーそれで、どうして此処に?」
そう言い、冬歌は沙耶香に指定された新宿のとある喫茶店に足を運んでいた。もちろんあの変装具をつけた状態で。
すると冬歌の反対側に座っていた沙耶香はそんな冬歌にある封筒を差し出した。
「これは?」
「祖父からの手紙だ。狼八代家次期当主候補である狼八代冬歌に渡すよう言われた」
「…」
沙耶香の祖父…それはつまり、帝国陸軍元大将である虎寺博通からのメッセージである。虎寺家にはすでに狼八代家には直系の子がいるのは知れ渡って居るのだろうかと推定しながら封筒を受け取る。
「当主候補?」
「お祖父様から聞いた話だ」
「なるほど…」
虎寺博通と言えば戦中日本、ましてやマレー作戦を現地で指揮して成功に導いた英雄的存在として認識されている。
非常にキレる頭を持ち、人柄も良かったことから人望を集め、退役後もその影響力は強かった。
元々、虎寺家は軍部との繋がりが強い家であったが、それを確固たるものにした人物でもあった。
現在、日本に存在する公爵家はいくつかあるが、世界的に見ても珍しいのが獣人の公爵家である。
元々、欧州などの国家は中世の魔女狩りや獣人差別の影響でそう言ったことが少なかったと言うこともあった。
基本的に獣人でなくとも術式を使う事はできるが、それは才能によって大きく力は左右されており、それは獣人でも同じであった。
ただ、獣人は人口に対する割合が少ないと言う事もあって特に東欧諸国などでは差別の対象とされてきていた。
そして迫害された獣人たちはそのまま東方に逃げるようにやってくると、そこで現在の日本に定住していた。
そのような歴史がある事から東方、それも極東と呼ばれる地域は獣人の人口比率は高かった。
なにせカトリックを禁止していた江戸時代でも獣人は積極的に受け入れていたのだ。特に日本は獣人の人口比率は世界随一であった。
獣人の女性は下手しなくとも通常の人族よりも体力が多い為に、日本において獣人は高い地位に付けることが多かった。そして移民としてやって来た獣人達は其処で技術を持ち込み、江戸幕府などは其処で新たな技術を手に入れていた。
それでも産業革命の技術革新には置いてきぼりにされかけた事もあって明治維新は起こっていたのだが…。
沙耶香からの封筒を受け取った冬歌は其処で中に入っていた手紙に目を通した後、沙耶香を見て冬歌は端的に答えた。
「確かに良い提案とは思われますが、これは母に回して下さい」
「…ちなみに理由は?」
「私個人で協力出来るのはごく一部限られるからです。伝手はあるのでしょう?」
手紙の内容は術師探しに冬歌も参加してほしいと言うものだった。
しかし、術師探しは骨が折れるのだ。おまけにあまり連発して術式や威力のある術式を使うのは疲労もすごい事になる。
今は比較的口径の大きい、威力のある刻印弾と呼ぶ術式を撃てる弾丸を使って相殺している現状だった。
なので私は霊力だけは桁外れた力を有していたから、それで刻印弾に霊力を流して術式を発動させる方法を取っていた。
それを知らない虎寺家は恐らく伝承に従って私が狼八代の血を引くのだから簡単に強い術を使えると思っているのだろう。正直、無茶言うなと叫びたい。
ただ、下手にそれを知られたくないと言うのが一番だが、そもそもこんなのを私個人に回すなと言うのが本心だった。
勿論、虎寺家の四兄姉の中でも一番博通に気に入られている事も知っている。と言うか、それは上流階級では専ら常識であった。だから沙耶香に私はそう答えると席を立つ。
「では、私はこれで。友人との予定もありますので…」
「…」
そう言い残すと、冬歌は店を出て行った。
冬歌に少し遅れる形で店を出た沙耶香は頭を軽く掻きながら歩いていた。
「やれやれ、狼八代冬歌は用心が深すぎるだろう…」
そう言い、思わず先ほどのそっけない返事を思い返していると沙耶香は道に停まっていた一台の乗用車に乗ると、そこには一人の老人が座っていた。
武人の雰囲気が溢れるその老人は虎寺博通。沙耶香の祖父であり、先代の虎寺家当主であった。
すると博通は沙耶香の表情を見て彼女に言う。
「狼八代家の説得は失敗したようだな」
「…申し訳ありません」
「何、責めたりはせん。元々、あまり表に出ない家なのは儂の頃も同じだ」
そう言うと博通は沙耶香と共に車に乗りながら帝都を走る。
周りは観光客や帰宅途中の庶民などでごった返している中、博通は呟く。
「此処も随分と変わったものだ…儂が子供の頃は田畑しか無かったのになぁ…」
すると、沙耶香は博通につい気になった事を聞く。
「御祖父様。今回何故、狼八代冬歌に術師を探すために協力を彼女個人に要望したのですか?」
虎寺博通は第二次世界大戦時に狼八代家と共謀した過去があり、その際に博通は狼八代家と関係を持っている。その時の回線は今も生きているからそれを使うべきではないかと沙耶香は知っていたからこそ博通に言うが、彼はそんな沙耶香の疑問に答える。
「何、儂もちと狼八代の娘を一眼見たいと思っていただけだ。目的は果たされた」
「では、冬歌に会う為にわざわざ…?」
そう聞くと博通は頷く。
「嗚呼そうだ。噂では聞いていたが、本当に居るとは思わなかったからな」
そう言うと、博通はある噂を思い出しながら沙耶香に言う。
「沙耶香、学校では狼八代の娘とはどんな関係かね?」
「はい、友人とは言えませんが。一応交流は深めようと思っています」
そう答えると、博通は小さく頷きながら沙耶香に言う。
「出来るだけ狼八代の者とは良い関係を結んでおくと良い。その方が、色々と特になるからな…」
かつて狼八代家の者と接触してきた本人が言うのだからこそ言える話だった。
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「(いきなり沙耶香に呼ばれて何かと思えば指名手配中の術師を探せだぁ?馬鹿野郎、こっちだって必死になって探してんだよ。あぁ、面倒な事にだけはならんでください…)」
そう思いながら新宿を歩いていると、ふと街中を歩く不審な人を見た。いや、不審ではないのだが、覚えのある匂いがしたのだ。
それを嗅ぎ思わず冬歌は警戒するように目線が鋭くなり、その方を見た。
「(アイツは…)」
そして視線の先に赤いメッシュの茶髪の男を見つけるとそのまま遠くから追いかけ始めた。
「(この死臭のような臭い…間違いない。あの焼死体の時と同じ匂いだ…)」
あの衝撃的な事件の直前に嗅いだあの特徴的な臭いは嫌でもよく覚えている。あの男が焼死体事件の犯人の可能性があったからだ。
そして、いつでも銃を抜けるよう準備をして跡をつけているとその男は裏道に入り、冬歌も追いかけていた。




