3-18
目が覚めたら、お互いの息がかかる距離に上野さんの顔があった。
いったい何がどうなってこんな状況になっているのかはわからない。ただ、この距離間はまずい。甘い香りとともに柔らかで温かい感触まで伝わってくるこの距離感は非常にまずい!
「すいません、すぐ離れ―――」
「危ない!」
慌てて後ろに体を動かそうとしたら、ずるりとベッドから落ちそうになった。そこを強引に上野さんに腕を引かれてベッドの中央まで引き戻される。
「大丈夫だった?」
「いや、これはこれでダメな気が」
おかげで目覚めて早々にベッドから落下はしなくてすんだのだが、どういう物理法則が発生したのか、仰向けになった俺の腹の上に、上野さんが馬乗りになっている。
「ご、ごめんね。あの、このベッドシングルサイズだから、2人で寝るとギリギリで」
「あ~、だからあんなに顔が近かったんですね~」
ってなるわけねえだろ!だれだよシングルベッドに高校生の男女を放り込んだヤツ!
「それでね、護。アタシ、ちゃんと護と話がしたくて」
「それ今この状態じゃなきゃダメですか!」
「だ、だって、こうでもしないと逃げるじゃん」
そんなことはないと思う。たしかに上野さんを意図的に避けてきたのは事実だけど、行事で一緒になれば普通に話をしたし、この学院に来てからだって、何度も話をした。この前なんか一緒に登校までしたじゃないか。
「あの、俺は逃げませんから―――」
「アタシが逃げるの!」
そう言った上野さんの瞳から、ポロポロと涙が落ちてくる。熱を孕んだ熱い雫は、俺の頬を伝って枕に滴っていった。
これじゃあ、2人して泣いてるみたいじゃないか。
「本当は、もっと早く、護と話をしなきゃダメだった。それなのに、アタシは、護に嫌われるのが怖くて。もし拒絶されたらどうしようって。踏み込んで話をすることから逃げてた」
ああ、きっと、形は違えど、上野さんも、今までずっとこころに蓋をしてきたんだろう。
あれから俺が変わってしまったから。
あれから俺が上野さんと距離を置いたから。
上野さんがこんなに泣いているのは、きっと俺のせいなんだろう。
「護、アタシは―――」
「おいこらメスガキ!アタイのシマで盛ってんじゃねえぞ!」
シリアスをぶち壊すようにベッドの周りを囲っていたカーテンが開くと、幼女先生こと川内先生が入ってきた。
まあ、この状況を見れば上野さんが盛ってるように見えなくもないような気もしなくはない?
「んだよ、泣くぐれえ痛かったのか?」
「川内先生、今はマジで言葉を選んでください」
こちとら高校1年生になったばかりの多感な少年少女だぞ。性にはビックリするほど敏感なのだ。そんな生々しい話をぶっ込んでこないで欲しい。体勢的に言い訳ができないのが苦しいけど。
「全く。幼馴染みだって聞いたからわざわざ同じベッドに入れてやったのに、よりによってアタイのシマで一線越えるたあな」
「超えてませんけど?ていうか俺と上野さんを同じベッドに入れたのアンタか!高校生の男女を同じベッドに放り込むなんてなに考えてるんだ!間違いが起こったらどうするつもりだったんですか!」
「いや、まさか本当に間違いが起こるとは思わなくてな。ちゃんと避妊用のあれこれ置いとかなくて悪かったよ」
マジトーン止めてくれ!保健室のベッドの上にそんなあれこれが置かれてたら、それはそれで大問題だ。
「いや、だから、なにもなかったです!」
「そりゃあ、てめえが寝てたから、知らねえだけだろ?」
「・・・・・・」
え?うそでしょ?幼女に締め落とされて意識を失ってる間に、大人の階段上っちゃった?
「・・・・・・責任、とってね?」
いまだにグズグズと泣いている上野さんがそんなことを言ってきた。泣きたいのはこっちだし、責任をとっていただきたいのもこちらなんですけど?
「なっはっはっはっは。冗談、冗談だよマセガキが。アタイのシマでんなことさせるわきゃねえだろ?」
川内先生は、東さんと同じように豪快に笑った。こちらは全然笑えなかったけど。
「上野さん、俺になんの責任をとらせるつもりだったの?」
「・・・・・・そう言えば、また昔みたいに、戻れるかなって」
その責任をとらされたら、絶対に昔みたいな関係には戻れないと思うんだけど?
結局、上野さんの話はそのことなんだよな。
「おいてめえら。からかった詫びに、こっちのソファー貸してやる。大事な話なら、そんな格好じゃねえ方が良いだろ?」
「う、あ、はぃ」
消え入るようにそう返事をすると、上野さんはやっとのこと俺の上から下りてくれた。
ほっと安堵の息を吐きつつも、胃の辺りがキリキリする。
今から長年避けてきた話題に触れなければならない。果たしてなにをどう話せば良いのだろうか?
俺は墜ちるわけでも、乗り越えるわけでもなく、ただ距離を置いてきただけだ。感情だってそのまま置いてきてしまったから、今からする話題に踏み込んで、自分の感情がどうなるのかなんて想像もつかない。
それに、上野さんについてもそうだ。
俺は俺の都合で、上野さんたちから距離を置いた。
きっと上野さんのことを傷つけただろうし、気を使わせてしまっただろう。
俺に対して、思うことは大量にあるはずだ。
嫌われているだろう。
憎まれているだろう。
あれだけ泣いていたんだ。俺なんかの前で泣いてしまうほどの感情を抱え込んでいるんだ。
俺が受け止めなければならないんだろう。受け止める責任があるんだろう。
でもそれは、果たして本当にやらなければいけないことなのだろうか?
だって今まで、なんの不都合もなく生活できてきたじゃないか。
俺は普通に目立たず、それでも友人にも恵まれて中学校生活を送ることができた。ボッチだったわけでもないし、いじめられていたわけでもない。上野さんの幼馴染だというだけでやっかみを受けることはあったけどね。
上野さんなんか、学校のアイドルだったじゃないか。可愛いだけじゃなく、運動や勉強も頑張っていた。何にだってなれる。まさに主人公やヒロインのようじゃないか。そんな人が、今さらモブ以下の普通な俺と、昔みたいに戻る必要なんかないじゃないか。
お互いに傷つくだけで、良いことなんか1つもないはずだ。
向かい合うようにしてソファーに座ると、目元を真っ赤にした上野さんが、それでもしっかりとこちらを見つめていた。決意を秘めたように、真剣なまなざしで。
「踏み込んだ話なんて、必要ないんじゃないですか?今までなんの支障もなかったじゃないですか」
「あったよ!」
もうこの空気に耐えられなくなり、そう言って立ち去ろうとしたところに、上野さんの絶叫にも似た叫びでソファーから立ち上がれなくなってしまう。
「アタシは・・・・・・アタシは、すごく、寂しかった。聖が、いなくなって、護とは疎遠になって、すごく、すごく、寂しかったし、辛かったよ。ずっと一緒にいた2人が、急に近くからいなくなっちゃったんだもん。寂しくないわけないじゃない!辛くないわけないじゃない!苦しかった!痛かった!どうして、どうしてって、いっぱいいっぱい泣いたし、あっちこっちぶっ壊した。それでも全然すっきりしなかったけど、このままじゃダメだって思った。いつまでもひきずってたら、聖に笑われるって。だから勉強も運動も、おしゃれだって頑張って、聖の分まで頑張ってやろうっと思って今までやって来た。そうすれば、いつかまた、昔みたいに護と一緒にいられるようになると思って。でも違った。アタシは、ずっと、護から目を逸らしてきた。護のことを、なに1つ見てなかった」
俺だって上野さんから目を逸らしてきた。
でも、上野さんは上を向いて。
じゃあ、俺はどこを向いて目を逸らしていたんだろうか?