3-17
「ふざけてんのかこの筋肉バカが!なんでオリエンテーションでこんなに生徒がぶっ倒れてんだ!人間はてめえみてえに丈夫にできてねえんだよボケがあ!」
保健室の中から響き渡る怒声を耳にして、足が一気に重くなった。
甘楽さんから上野さんの様子を見てくるように言われたけど、この様子ならきっとまだ寝てるはず。そうに違いない。
「大丈夫だ。1週間もすりゃあこれくらいでぶっ倒れることもなくなるからな」
「そういう問題じゃねえんだよ!つうかてめえ、1週間もこの惨状を繰り返すってのか、ああん?」
それにしても、この中でお怒りなのは大間々先生ではないようだな。
大間々先生はこんなに口汚く怒鳴りつけるような怒り方はしない。『このおバカ!』とか『も~っめ、ですよ!』みたいな可愛らしい怒り方で、お説教と同時に癒やしも与えてくれるのだ。
では、この中でお怒りなのは誰なのか?間違いなく新しい養護教諭の先生だろう。でも、なんだか声が幼いような気がするんだけど。
興味本位で、ドアを少しだけ開けて中をのぞき込む。のぞき込んだ瞬間に、後悔した。
「いらっしゃい中里くん。待っていましたよ」
「・・・・・・さっきぶりです、大間々先生」
のぞき込んだ隙間の先からは、大間々先生の瞳がこちらをのぞいていたのだ。
こちらが撤退するよりも先に声をかけられてしまったために、逃げるに逃げられなくなってしまった。
あきらめた俺は、罵詈雑言が飛び交う保健室に入室した。
「ほらほら川内先生?生徒さんが来ましたよ?」
「ああん?」
ドスの利いた声をかけられて思わず気圧されそうになったのだが、その声を発した人物を見て、急にほんわかとした気持ちになった。
声の主は、幼女だったのだ。
なにを言ってるのかわからないかもしれないけど安心して欲しい。俺もなにがなんだかわからない。
長い黒髪を無造作に腰まで伸ばした推定身長130cmの幼女は、ダボダボの白衣を幾重にも腕まくりをしてやっとその小さなお手々が見えており、裾は3分の1の長さを床に引きずっている。
そんな幼女が、腰に手をあてて俺を見上げながらメンチ切ってるんだよ。意味わからないだろ?
思わず頭をなで回したくなる衝動をぐっと堪えて、俺は幼女と目線を合わせるように屈んでみせる。
「はじめまして。俺は中里護。キミぐぶはああ!」
名乗っただけなのに、幼女から顎をハイキックで蹴り上げられた。
え?え?今時の幼女って、ハイキックかませるだけ身体能力が高いの?今の俺のステータスにダメージを与えるって、そこそこの筋力が必要になるはずなんだけど。
「てめえ、今アタイのこと、ガキ扱いしたろ?」
たしかに無意識のうちに子ども扱いしたかもしれない。いやいや、どう見ても幼女なんだから、子ども扱いするのが当然だと思うんだけど?
あれ?そう言えば、そもそもなんで幼女がこんなところにいるんだ?ここは世間から隔離された陸の孤島にある学院の保健室だ。一般人がいるわけがない。
それにこの子は白衣を着ている。ということは、もしかしなくても、この人は・・・・・・
「この方は、私の代わりに養護教諭として赴任された、川内和先生です。東さんとは幼馴染みだそうですよ」
「っけ!」
は?待って待って、脳が理解できない。
あの筋肉お化けとこの幼女先生が幼馴染み?同年代ってこと?
「いや、この子が小さい頃に東さんが面倒を見てた、とかならギリ幼馴染みと言えなくもぶふう!」
「なんでアタイが拳に面倒見られなきゃ何ねえんだ!拳の面倒見てやってたのはアタイのほうだぞ!」
つまり、今以上に幼かった川内先生に、あれやこれやと面倒を見られてたってこと?
「この犯罪者があああああぁ!」
「おい待て待て!和ねえちゃんは俺より1つ年上だぞ?」
和ねえちゃん?年上?
「つ、つまり東さんは、俺より年下?」
「んなわけねえだろがこのガキ!アタイらは少なくともてめえの倍以上は生きてんだよ!」
「お、大間々先生、助けてください!俺、幻覚魔法見せられてるかもしれない」
混乱のあまり大間々先生に駆け寄ると、彼女は優しく俺の頭に手を置いて、ゆっくりとなでてくれた。
「大丈夫ですよ。幻覚魔法なんてかけられていませんし、川内先生が使っているわけでもありません。たしかにちょっとだけ見た目と年齢が違うかもしれませんが、これもちゃんとした現実ですよ」
ちょっとだけってことはないと思うんだけど、おかげて少し落ち着いたと思う。
川内先生は、本当に養護教諭で、この道10年以上のベテランらしい。
この見た目のせいでからかわれることが多かったから、口調は今のように乱暴な感じになったそうだけど、面倒見が良く、近所の悪ガキだった東さんの世話を焼いていたんだとか。
「中学んときに急にいなくなったと思ったら、今度は急に帰ってきやがって」
「なっはっはっは。悪かったってば和ねえちゃん。まあ、テリオリスにいけたおかげでこんなに鍛えられたんだ!良いことじゃねえか」
「良いわけあるかこのバカが!てめえのせいでこっちはどれだけ捜索に時間と金を費やしたと思ってやがんだ!」
ある日突然いなくなった東さんを、川内先生はつい最近まで探し回っていたらしい。失踪から時間が経って、死亡扱いになっても、川内先生だけはあきらめなかった。
その話を聞いて、こころが締め付けられるように苦しくなった。
幼馴染みがある日突然いなくなった。その衝撃は、焦燥感は、焦りは、不安は、悲しみは、きっと言葉で表せるものではなかったはずだ。
俺はその感情に押し潰されてしまって、なにもできなくなってしまった。
川内先生は東さんが生きているって信じて、前を向いてきたから。
だから川内先生のところに東さんが帰ってきて、俺のところにあいつは帰ってこなかったのか。
「おいどうしたガキ?てめえも具合が悪いのか?それともあれか?も、もしかしてさっきアタイが蹴っ飛ばしたから、の、脳震盪とかじゃねえだろうな?ああん?」
「す、すいません。大丈夫です。さっきは急に子ども扱いしてすいませんでした。それじゃあ俺はこれで」
俺と対極にいる川内先生と、これ以上一緒にいるのが苦痛だった。一言断りだけ入れて、保健室を後にしよう。
「おい待てクソガキ!そんな青っちろい顔してアタイから逃げられると思うなよ!」
「ぐへぇ!」
逃げだそうとした俺の上着を下のワイシャツごと握りしめた川内先生は、強引にその手を下に引っ張った。おかげで首が完全に絞まってしまい、呼吸が全くできないし、言葉もでない!
「ここは保健室で、アタイはそこの先生だ!こっから出て良いのは、元気になったヤツか死んだヤツだけなんだよお!」
ちょっと待ってなにそのとんでもない2択!
どう考えてももうすぐ後者のほうになりそうなんで、早く手を離してくれ!
バタバタと手を振って限界だということをアピールするが、もがけばもがくほどワイシャツが首に食い込んでくる。
こういうときに頼れる大間々先生はいつの間にかいなくなってるし、東さんは俺たちが戯れているとでも思っているのか、いつものバカ笑いを決め込んでいる。
川内先生に至っては、俺の顔が見えていないだろうから、その手を緩める気配は一切無い。
おでこの辺りが急激に痛くなってきた。そう思った瞬間に、テレビが消えるようにプツンと意識が途切れてしまった。
「お、おはよう護」
「・・・・・・」
意識を取り戻した俺の鼻先に、上野さんの顔があった。
思わず息を飲み込むと、妙に甘ったるい香りがした。