当て馬令嬢の不可逆的な成り上がり
――――あぁ、またですか。
いつもいつもいつもいつも、私のお仕えするお嬢様は無茶なことばかり仰います。
我が家は伯爵家の中でも下の下。
侯爵家の御息女――アデルフィお嬢様に侍女としてお仕えしています。
お嬢様の参加される夜会には必ず付き添います。いわゆる取り巻きの役割もさせられているのですが……。
「何をしているの? イレーネ、早く行きなさい」
赤ワインの入ったグラスを持たされ、背中をドンと押されました。
私は王城で一体何をやっているのでしょうね?
「はぁ……」
アデルフィお嬢様の最近の流行りは、王太子殿下の婚約者であるウインディ様を虐めること。
ウインディ様は、ふわふわとした金色の長い髪の毛と黄緑色の不思議な瞳をした、柔らかな表情を絶対に崩されない美しい女性です。
対して私は、耳の下あたりで切り揃えられた黒いストレートヘアーと、気持ち悪いと言われる斑色の瞳。
どこを取っても完璧であるアデルフィお嬢様が、まあまあ美しいウインディ様に嫌がらせをするのはおかしな話なので、平々凡々で気待ち悪い髪と気持ち悪い瞳を持った私がやるべきなのだそうです。
アデルフィお嬢様は……まぁ、気の強いお顔立ちで、普通に美しいです。先の尖った縦ロールは、私の技術の粋を…………まぁ、そこはどうでもいいですね。
そろそろ現実逃避をやめて、赤ワインをウインディ様の高級な空色のドレスにぶち掛けに行きましょう。
――――弁償出来るかしら?
こういったときのために、お給料のほぼ全額を貯めていますが、最近お金の掛かる虐めにハマっていらっしゃるので出費が重なっております。
あ、お金の掛かる虐めというのは、私のお財布に打撃を与える方向でです。
一石二鳥なのだとか。
「ウインディ様、大変申し訳ありません」
「……またなの。はいはい」
小声でウインディ様に話しかけて、演技開始です。
「“こんな裾の広いドレスを振り回して! 皆様の邪魔になりましてよ! 衣装替えをおすすめしますわ。そうだわ、これで着替えやすいでしょう? ほら!”」
ベシャッと裾の方に赤ワインを掛けます。
「“きゃあ、何をなさいますの……せっかく殿下からいただきましたのにっ”」
「“ふんっ! ほら、こちらにいらっしゃい! 着替えの部屋に案内して差し上げますわ!”」
グイグイとウインディ様を引っ張り、夜会の広間を抜け出します。
休憩用の部屋に押し込みイスに座らせると、ドレスの下に乾いたタオルを当て、白ワインを染み込ませたタオルで赤ワイン染みになっている部分を叩きます。
「もう少々お待ち下さい! ……よし! あとは塩とレモン水で」
「別にいいわよ? 一度着ればアレも満足なのだし」
「んなぁ!? もっっっったいない!」
「ふふふっ」
ウインディ様に嫌がらせを続けるうちに、なぜかこんな感じで予定調和の出来事のような扱いになってきています。
「まったく、あの子も飽きないわよね」
「お嬢様は一度ハマると年単位でハマり続けますので……」
「だからアレが嫌がって、私を盾に使うのよ。全く迷惑だわ。私も貴女も」
元々はアデルフィお嬢様が王太子殿下の婚約者候補だったのです。
ところが、アデルフィお嬢様の圧の強い性格を断固拒否したかった王太子殿下が、絶対に自分には靡かないウインディ様を婚約者としました。
ウインディ様は諸外国のことが知りたく、王族のみが閲覧できる書籍などを見ていいことを条件に婚約者(偽)の承諾をしたとの事でした。
「髪もこんなにされて……」
元々は腰近くまであったのですが、鬱陶しいとの事で、お嬢様に首の辺りでバッサリと切られてしまい、毛先を揃えたら更に短くなってしまいました。
この国で髪の短い女性は平民でも少なく、何か罰を与えられた者として認識され、割と後ろ指差されがちです。
「でも、洗うのも手入れも楽なんですよね。結構気に入ってます」
「ふふっ。ほんと貴女はへこたれないわね」
クスクスと笑い合っていましたら、コンコンコンとノックのような音が後ろから聞こえました。
「私を仲間外れにしないでもらえるかな?」
声の方を振り返ると王太子殿下が壁に寄り掛かり、柔らかな笑顔でこちらを見つめていました。
「あら? また秘密の通路から入ってきたの? やめてよね」
「お久しぶりでございます」
「イレーネ、顔を上げて」
王太子殿下がウインディ様の苦情をまるっと無視して、カーテシーをした私の前に立たれました。
何故か……非常に理解できないのですが、何故か王太子殿下は私の事を気に入って下さっているらしいのです。
「はぁ。このうなじが他の男の目に晒されているなんて……」
「ちょっと? こんなとこで発情しないでちょうだい? 犬なの?」
「お前は煩いなぁ。ほら、図書室にでも籠もっておけ」
王太子殿下がウインディ様に鍵を渡すと、ウインディ様が満面の笑みで鍵を握りしめてお礼を言い、爆走して消えていきました。
転身が素早いです。
「さて、二人きりになれたね」
「……へあ?」
「何で君はそんなにポカンとするかな?」
「いえ、嬉しくはありますが……」
驚くほどに現実味が無い。これに尽きます。
王太子殿下に抱きしめられ、頬にキスをされ、項をさすさす。
「そろそろ、本気で婚約を考えてくれる?」
「はぁ……ウインディ様はどうされるのですか?」
「ん? 宰相になるから、有り難いって」
「宰相に、なる。決定事項なのですか」
「彼女の中ではね。つまり?」
ウインディ様は、やると言ったらやる。
「実現しますね」
「だろう?」
だから、私に囚われなさい。そう耳元で囁かれた。
本当に謎ですが、王太子殿下は本当に私を婚約者にするようです。
◇◆◇◆◇
ふと気づいたら、婚約者のウインディが黒髪の令嬢にドレスを裂かれていた。
「まぁ、脆いドレスですこと! 少しブレスレットが引っ掛かっただけで破れるなんて。そのようなドレスで人前に立たれては迷惑ですわ。出ていきなさい!」
黒髪の令嬢は、出て行けと言いながらウインディの手首を掴むと、夜会の会場から一緒に出て行ってしまった。
あまりにも勇ましいその姿をぽかんとして見ていたため、反応が遅れた。
「殿下、ごきげんよう」
「……やぁ、エントマ侯爵令嬢」
「アデルフィとお呼びください、といつも言っていますのにぃ」
「あぁ、そうだったね。すまない、エントマ侯爵令嬢」
タイミング良く現れたエントマ侯爵令嬢から考えて、あの黒髪の令嬢はグルか。
しなだれ掛かって来ようとするエントマ侯爵令嬢を躱し、ウインディを助けに向かった。
たぶん一人で対処できそうな気はするが、もし相手が刃物などを出した場合は流石に無理かもしれない。
廊下を早歩きしている二人を見つけ後をつけた。
休憩室として用意されている部屋に入り込んだので、慌てて中に飛び込むと、そこで目を疑う光景が展開されていた。
「たいっっっへん、申し訳ございませんっ!」
床に頭を擦り付ける勢いで謝罪する黒髪の令嬢。
わはははは、と爆笑するウインディ。
「…………何だこれは」
「ギャッ! 王太子殿下っ!」
その時の彼女は、まるで悪魔を見たかのような表情だった。酷くないか?
聞けば、仕えているのはエントマ侯爵令嬢。なるほどな、と色々合致した。
それからも続いた嫌がらせと謝罪と弁償。
はじめの頃は暇つぶしのように面白がっていたが、段々と腹が立ってきていた。
彼女はなぜ反抗しないのか。
なぜあんな女に仕え続けるのか。
ウインディはそもそも自力で対応できるから放置でいいが。それを本人に言ったら横腹を殴られた。
――――な? 放置で大丈夫じゃないか?
「あはは。私も平気ですよー」
色鮮やかなアースカラーの瞳を細め、にへらっと笑ってウインディのドレスを縫うイレーネ。
後日エントマ侯爵令嬢からウインディに届く見舞いの品と手紙。
『先日の夜会で凄惨な場を見ましたわ。気落ちされませんよう。あの子は王太子殿下に恋してますの。私の取り巻きの一人なので大目に見てくださいまし』
イレーネは当て馬にされているのがバレバレだ。
そもそもだ、私に恋する娘が『ギャッ!』と叫ぶか? 割と毎回叫ばれ距離を取られているんだが?
色々とモヤッとしてイレーネの家を調べてみると、彼女が逃げ出せない理由が見えてきた。
彼女の父がやっている事業の大口の取引先がエントマ侯爵。彼女は話さないが、実家のことで脅されているのだろう。
イレーネの実家であるオライリー伯爵家は領地で質の良いシルク糸を作っており、エントマ侯爵家が独占していた。
それを別の貴族の領地に回し布地にし、王都の貴族たちに高値で売ってエントマ侯爵家は財を成している。
売れているのはエントマ侯爵家の事業力のおかげかもしれないなと調べてみると、そうでもなかった。
口車に乗せられたか何かで、ありえないほどの格安での契約。侯爵家が取り扱っている布地の値段から考えると、余計にそうとしか思えない。
本来ならそれぞれの領地はもっと栄えてていいはずだ。事業を拡大させて、国も栄えて……となるはずだ。
イレーネに対する特別な感情と、各領地の契約や利益不利益を繋げて考えないようにしていたが、これは手出しせざるを得ない。
陛下に相談すべきだな。
◇◆◇◆◇
なぜか、王城の執務室に呼ばれました。
…………陛下の。
「……吐きそうです」
「やだ、汚いわね。カイルどうにかしなさいよ」
「イレーネ堪えて!」
「堪えられないから吐くって言ってるんじゃないの?」
私がウエップウエップ言っている間に、殿下とウインディ様が口論を始めてしまいました。
……ウエップ。
「すまない、待たせたな」
ガチャリと開いたドアから、陛下と宰相閣下、お付きの文官と武官が入ってこられました。
人の多さにビクリとしてしまいましたが、皆様の更に後ろから現れた人物を見て、顎が外れたかと思うくらいに口を開けてしまいました。
「おおおおとうさまぁ?」
「イレーネ…………」
お父様が『助けて』と言いたそうな顔ですが、私が助けていただきたい方なのですが?
「色々と調査したが、アレは黒だな」
「やはりですか。では?」
「爵位は次代である子息に。隠居として領地の別荘のひとつに入れて、運営には一切関わらせないこと。まぁ簡単に言えば軟禁だな」
――――誰が!?
「アデルフィはどうされるのですか?」
「数年間は修道院に入れる。改心が見られること、爵位を継ぐ弟が成人すれば、侯爵家の監視下に置く」
話の内容を整理すると、エントマ侯爵様は隠居で、アデルフィ様の弟君――キルフェ様が爵位を引き継ぐ。
キルフェ様はまだ一四歳。
成人されるまでは、侯爵家の中で信頼のおけるものを後見人にされるそうです。
そして、アデルフィ様は数年は修道院へ送られる、と。
「……そう、なのですね」
「ん? 悲しいのか」
「いえ、全く。ただ、修道院の方々が大変そうだなぁと。あのドリル作るの大変なんですよ」
「「ぶっ!」」
なぜか執務室にいた方々が吹き出していました。
王太子殿下も盛大にツバを飛ばしました。ちょっと掛かりましたよ?
「うはは。すまないすまない」
きゅきゅっと頬を撫でられて、ちょっと嬉しかったとかは秘密です。
「ちょっと、イチャイチャはよそでやって頂戴よ」
「ふあっ。申し訳ございません!」
「イレーネは悪くないわよ」
「そうだ、イレーネは悪くない。悪いのはウインディだろ」
「はぁぁぁん?」
なぜか王太子殿下とウインディ様の口論が始まってしまいました。
「ふむ。誠に三人は仲が良かったのだなぁ」
陛下がにこりと私達を見て微笑まれました。
慌てて目の前で雑談にふけってしまったことを謝りましたが、更にニコニコとされてしまいました。
「うんうん。じゃ、イレーネが王太子の婚約者でよいな。ウインディ嬢は希望通り宰相補佐見習いとして登用する」
「「感謝いたします」」
王太子殿下とウインディ様が陛下に臣下の礼をしていたので、慌てて私もそれにならいました。
ただただ、頭の中は大混乱中ですが。
陛下の執務室を出て、王太子殿下と庭園へと向かいました。
怯えた羊のようなといえばいいのか、寂しそうな瞳でこちらを見つめてくるお父様は、申し訳なく思いつつ置いてきました。何やらまだお話があるそうなので。
「さて、座ろうか?」
「はい」
妙にピッタリとくっついてガゼボに座りました。
「イレーネ、急なことで驚いたと思う」
「そうですね」
「嫌ではないか?」
王太子殿下の明るい空色の瞳が、ゆらりと揺れました。なんだか不安げな様子です。
「…………なぜ……そう思われるのです?」
「っ!」
ふわりと抱きしめられました。
殿下の爽やかな香りに包まれて、心臓がどくどくと強く脈打ち出します。
「言わせて安心しようとしていた。すまない」
「何を、ですか?」
「愛している、と。言われたかった……」
「ふふっ」
「イレーネは強情なのにな」
くすくすと笑う王太子殿下にムッとしていましたら、頬にチュとキスをされました。
「むっとしたイレーネも可愛いな」
何度も何度もされる頬へのキスに目をつぶっていましたら、今度は耳たぶをカプリと食べられてしまいました。
「ひあっ!?」
「ふふっ。ん……イレーネ、愛しているよ。私と結婚してくれるかな?」
「っ、私も。私も愛しております」
ゆっくりと重なる唇と唇。
温かくて甘い。
「蕩けた顔のイレーネは、美味しそうだ」
「殿下……」
「名前で」
じっと見つめられると抗えない気分になります。
「……カイルさま」
「ん」
良くできました、といったふうに微笑まれ、またキス。
何度も何度も甘いキスをしつづけました。
荘厳な鐘の音――――。
「これ、当て馬令嬢の不可逆的な成り上がり、って感じよね」
花嫁の控室で仁王立ちしたウインディ様が私を見ながらニコニコと笑われています。
――――不可逆的、成り上がり。
確かに、そう……ですかね?
「おまっ!? なぜここにいる……」
「なによ? 悪い?」
「花婿より先に花嫁を見るなよ」
「いいじゃない、減るもんじゃないでしょ」
「減るわ!」
――――減りませんけどね?
未来の国王陛下と、未来の宰相閣下が犬猿の仲な気がして仕方がありません。
「お二人とも、めでたい日ですので、喧嘩は駄目ですよ?」
「「はい」」
「素直でよろしい」
不可逆的な成り上がりなのかはわかりませんが、このお二人の手綱はしっかりと持っておかねばなぁ、と思う結婚式直前でした。
―― fin ――
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