04
「え? え? ここは?」
意識がはっきりしてくると、見知らぬ真っ白な世界だったので慌てて起き上がる。
白かったのは天井であった。
広い広い部屋には、アンティーク調の家具がそこかしこにあった。
一目で非常に高価なものとわかる。
イリアの部屋にも似た調度品があり、ある程度は目利き出来る方だ。
壁紙には浮き彫りにした小さな花模様。
毛足の長いクリーム色の絨毯に、見事な刺繍の入ったカーテン。
優しい光差し込む出窓には、色とりどりの花が寄植えされた植木鉢が並ぶ。
どう見ても普通の家の部屋ではないことが伺い知れる。
「失礼します――あ、お目覚めになりましたかっ!」
見知らぬ女性が入ってきた。
身なりからして、どこかの令嬢だろうか。
「あの、すみません。あなたが助けてくださったのですか?」
きちんとお礼を言いたげにアリアが訊ねると、彼女はにっこりと微笑んでゆるゆると首を横に振った。
「いいえ、違いますよ。貴方様を助けられましたのは、我が主様ですわ」
と、言うとほぼ同時にノックする音がした。
彼女がドアを隙間程度に開け、何か言っている。
急ぎドアを閉めたかと思うと、アリアに、
「申し訳ありません。あなた様がお目覚めになったことを主様が察知されたようです。ぜひ、お会いになっていただけますか?」
頭を下げられたが、こちらこそ会いに行って礼を言わねばならぬ立場だ。アリアは、
「わざわざ足を運んでいただけただけでも恐縮です。こちらこそ、ぜひ助けていただいたお礼を言わせてください」
すぐ支度をと立ち上がる。
身体が休息をとったのか、足元はもうふらつくことはなかった。
「はい。あ、衣服はそのままで結構です」
「え? でも……え!?」
改めて自身を見直す。
ボロ服を着ていたはずが、違う服を着ていることに初めて気がついた。
シルクの肌触りの良い寝間着である。
驚くアリアに「さあ、こちらを羽織ってください」と、上等な絹の上着をふわりと肩にかけられた。
女性がドアを開けると、青年がアリアのもとへ足早にやってきた。
スラリとした長身に艶やかな濡羽色の髪。清麗なシャツは、シンプルなデザインだが、見て明らかに上質な一品とわかる仕立てだ。
そして、鮮やかな紅の瞳は、ともすれば体に流れる血液が映し出されているが如く、奥深くまで揺らめいて見える。初めて見る美しい色に、一瞬だがすべてを奪われそうだ。
イリアの求婚の手紙で絵姿をよく見ているが、ここまでの美男子は見たことがない。
青年は静かに笑んで、
「お体の具合はいかがですか?」
と、アリアの顔色を窺った。
初めて心配してくれる人を見て、アリアはじんわり広がる胸のあたたかさがこれほど心地よかったのかと実感した。
「あ、はい……大丈夫なようです……」
彼女の声を聴いて、青年は嬉しそうだ。
そして、「これは失礼をした」と改めて挨拶した。
「初めまして、レディ。僕はこの城の主、リオと申します」
優雅な身のこなしに、思わずため息が漏れる。
「あ……初めましてリオ様。私はアリア・クラウディオと申します」
アリアも挨拶を返す。
リオ――魔族だろうか。
アリアの記憶するところ、紅い瞳は魔族の象徴である。
異形ではあるが、中には人の形を成すことができる魔族もいる。数少ない魔族に関する本には記されていた。
「その仕草……あなたは、聖国の神殿の方ですか?」
おそらくは先ほどの挨拶を見ていわれたのだろう。
貴族の女性がする挨拶作法ではなく、祈りの手に組み合わせ、軽く膝を曲げてする挨拶は、神殿に所属する神官が行う作法だ。
「はい、さようにございます」
その知識を持っているというだけでもリオの造詣が深く、そこらの貴族とは格が違うということがわかる。
アリアは、まだ彼に対して気になることがあったが、態度をさらに丁寧にした方がいいかと居住まいを糺す。
ふと彼の足元が視界に入る。そこには、髪と同じ立派な尻尾が揺れていた。
――尻尾?
見間違いかとも思ったが、確認する間もなく、すぐにリオの声に視線を戻す。
「クラウディオ嬢、あなたが魔族の森にいた理由を尋ねても良いだろうか?」
「あ……」
リオの言葉にアリアは、先ほどいた森の記憶のみならず、何故か辛苦の過去までもが甦る。
自分には聖力がかけらもない事。
妹のイリアは聖女となり、自分は侍女以下の扱いをされてきた事。
無能扱いされ、長年虐げられてきた事。
理由もわからず国の人々から嫌われている事……。
「私、は……あの、手紙を……」
思い出したくもない事まで脳裏にどんどん流れてきて、涙となって溢れ出る。
止めようとしても止まらなかった。
「すみません。あなたを泣かせたかったわけじゃないのに」
リオは服の袖で涙を優しく拭う。
「わ、私は……国民に追われ、鍬や鉈で……こ、殺されるかと思って必死で……」
ところどころが、嗚咽にまぎれて言葉にならない。
しかし、彼女の気持ちは止まらなかった。
「今回だって、手紙を王宮へ届けようとしただけです。聖女様の書類だって何度も確認して間違いのないように……なの……に……」
リオは優しく頭を撫でる。
彼女が泣きじゃくれば肩を抱き、落ち着くまで、
「大丈夫……」
静かな声で囁いた。
「ゆっくりで構いません」
アリアの顔を隠すように、自身の胸元にそっと引き寄せる。
彼女が泣き止むまで、リオはずっと優しく抱きしめていた。
「……どうして、皆さんから嫌われているのでしょうか……?」
今まで我慢してきたのに、彼の前では何故か止めることができない。言葉が勝手に出てしまう。
アリアは、幼いころからの思いのたけを泣きながら全て吐き出した。
――どうして嫌われるのか
そんなことをリオに問うたところで答えを得られるわけでもない。
そう思っていたが、意外にも返事は明確に返ってきた。
「それは……あなたが強力な魔力の持ち主だからです」
「……え?」
マリョクとは。
聞きなれない言葉に疑問符が頭上を舞う。
だが、確か神殿の図書館で読んだことがある。
魔族の力の源で、強ければ強いほど魔族の階級は上位になると。
また、人間がその力を持てば、人の助けになるだろうとも記されていたと記憶している。
そして、その頂点である魔王は、他に比べるものがないほど強く、美しいと。
その魔力をアリアは持っているという。それも強力だと。
まさか。
アリアは内心、首を振って否定する。
今まで、そのような力があるなどと、まったく感じられなかった。
力があれば、何かしら自身に変化なり感じるなりしてもよいものだが、それもなかった。
彼は案内したい場所があると言い、アリアの手をそっと引く。
彼の城は、神殿どころか聖国の王宮より大きいのではないか。
回廊には、美しい天馬のや神々を模した彫刻が数並び、その辺に立つ柱ですら緻密なデザインが施されていた。
そして、アリアがさらに気になったのは、すれ違う人々の姿。
おそらく魔族であろうが、皆異形ではなく人間と変わらない姿だった。
一つ違うとすると、騎士にも侍女にも、下げる頭にツンと尖った角が見受けられる事だ。
それにしても、とアリアは顔を赤らめる。
初対面のしかも男性にいきなり泣きながら愚痴を言ってしまうとは何たる態度をとってしまったかと、今更ながらに恥ずかしくなってきた。
「あの、リオ様」
アリアは彼の背を追いながら呼び止める。振り向いた彼は、
「どうしたの?」
優しい笑顔と声で彼女の言葉を待った。
「えと……お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「何だい?」
親切な性格であろう彼なら、なんでも訊いてくれと言いそうであるところを、一言で短く終わらせている。
そして、見逃さなかった一瞬の違和感。
雰囲気が少しピリッと痺れ、圧されたような感覚。
アリアは、あまり突っ込んだことは聞けないだろうと、言葉を選びながら彼に問う。
「私、森で倒れてから如何程の時間が経ったのでしょうか? もしかして、何日も眠ってご迷惑をお掛けしたのでは?」
不安げなアリアに、リオは宙に目をやり記憶の時計を見る。
「そうですね、あなたが気を失ってから数時間ほどでしょうか。迷惑だなんてまったく思っていないですよ。むしろ、大歓迎です」
「大歓迎だなんて……私は聖力もなく加護の無い人間です」
俯くアリアに、リオは含みがあるといわんばかりに口の端を弓形にひく。
「あなたは聡明な方ですね」
アリアに向き直り、俯き加減の頬を撫でる。
大きい手のぬくもりに、「ぴゃっ?」と慣れぬ少女の声が飛び出す。
泣き終えて、少し腫れた眼を見たリオは唇をキュッと噛む。
「あなたの立ち居振る舞いだけでも伺い知ることができます。なのに、聖国ではさぞや辛かったでしょう」
リオは、「こちらです」と紳士の仕草で壁の前に立つ。
「あなたが聖国で辛かった理由、そして私があなたを歓迎するその理由がここにあります」
リオは、手を壁につける。
壁、に見えたのだが、それは重たい音を引きずり、大きな広間への扉となった。
あまりに巨大で、装飾のついた壁にしか見えなかったのだ。
アリアは、口がぽかんと開くのを手で押しとどめる。
中へと促されると、部屋の中央に輝く物体が出迎えた。
身の丈もある大きな水晶がいくつも群晶となっている。
それは中空にゆったりと浮き、回り、まるで呼吸をしているようだった。
「これは、遥か昔からここにあったんです。魔族の繁栄と永遠をこの地にもたらしてくれる至宝と言われています」
リオが手招きする。呼ばれるまま近づくと、「水晶に手を当ててごらん」と促される。
恐る恐る、チョ……と触れると、待っていたかのように水晶が輝きだした。
「こ、これは一体?」
「間違いなく君が魔力を持っている証だ。しかも、過去前例にないほど強い力をね」
彼の説明によれば、水晶は魔力測定器の役目も持っているのだそうだ。
「もちろん、人間にだって魔力を持つ者はいる。だが、その力は微々たるものだし、そもそも、聖国にいるときは、聖族の結界のせいで、力が封じられているんだ」
「では、私が無能だというのは――」
「無能どころか、誰も君に勝てないほどの魔力だ。君は、幼い頃、聖女の儀式を受けたのだろう? おそらく、その時に聖族によって魔力を封じられてしまったんだ」
リオは、自身が苦しい思いをしたかのように表情を暗くする。
「辛いことを言うけど……君が聖国の民から嫌われる理由……それは、強い魔力が原因だろう」
「!」
昔より、聖族と魔族は相反する存在であった。
たとえ人間でも、魔力を宿した者を聖族は嫌い、追放していたとリオは語る。
「おそらく、聖女や神殿も一枚かんでいるだろうが、君ほどの魔力の持ち主は、聖族の力を持つ者たちには嫌悪の対象になるだろうからな」
話を聞いたアリアは、ストンと腑に落ちた。
聖族が魔族を毛嫌いする、またその逆も然り。当然だ、存在そのものが相反しているのだから。
「そう……だったの、ですね」
そして、その事を知る彼もまた、普通の魔族ではないとアリアは確信した。
ここを城といい、リオは主だと言った。
遥か昔からある水晶が目の前にあるのならば、ここは魔族の世界の中心だろう。
アリアは、糺した姿勢でリオをまっすぐ見つめる。偶然か否か、周囲は静かに二人だけの空間となる。
彼女は長いまつげで目を伏せ、失礼のないよう緩やかに、しかし深く頭を下げた。
「先ほどは取り乱してしまい、大変申し訳ありませんでした」
「君が気にすることではないよ」
「いえ……何か理由があるとはいえ、早く気付くべきでありました。
ヴィクティス国の偉大なる魔族の王、リオディール・ヴィクティス国王陛下」
アリアの言葉に、彼の雰囲気が一転する。
「……ほう? どうして俺が国王だと? 人違いではすまないぞ?」
低い声が、アリアの喉元を刺す剣のように突き付けられる。
一言でも間違えば飛ぶ首を想像しかけて、必死に振り払う。身が、声が、震えそうになる。
「お会いした当初より幾度と感じられる風格、博識なる知識量、そしてなにより……四本の立派な魔族の長を象徴する角が証でございます。
無礼を働いた事、改めて深くお詫び申し上げます」
「…………」
しばらく、沈黙が続いた。
先ほどまでの優しい雰囲気は欠片もなくなり、威圧が風になって吹きつけてくる。
まさに魔王と呼ぶにふさわしい風格だ。
歯がカチカチと震え始め、下げた頭ごと身体が地に這いつくばりそうになる。
「……ふっ」
突然、緊張に張り詰めた空気が緩んだ。
「はははは!」
「……?」
おずおずとリオを見ると、彼は顔に手を当て、こらえられない笑いをこぼす。
ひとしきり笑い終えたあと、
「角は隠していたんだけどなあ。そうか、君には見えるのか」
理解に追いつこうと目をぱちくりしていると、リオが目の前で跪いてアリアの手を取る。
「そうだ。私がヴィクティス国の王、リオディール・ヴィクティスだ」
先ほどの威圧感はどこへやら。あまりに絵になる美しい姿に、アリアの頬はみるみる恥じらいの色へ染まっていく。
「アリア・クラウディオ嬢、私はあなたが生まれし日より、あなたの魔力を強く感じていた。
だが、あなたは聖国の人間、魔族の長たる私がおいそれと迎えに行くわけにいかず、人間のあなたにとって長い間、辛い思いをさせてしまった事、本当に申し訳なく思う」
「あ、あの……いえ、その……」
まごまごと頭が軽くパニックになる。
「あなたが民に追われて国を出た瞬間、私はすぐさま捜しに行ったんだ。会えてよかった……本当によかった」
「いえ、そんな! 王だからこそ、目立つ行動は避けねばならぬ事は理解しております」
リオ――魔王がカッコイイと改めて認識してしまい、直視できず舌も回らなくなってきた。
「だが、結果的に、君を謀ることとなってしまった」
「お、王様は……か、簡単にその、膝をついたり、謝ったりしては……!」
「本当に聡い子だ」
ククッと喉の奥で笑いを漏らす。
彼が、手の甲に口づけする仕草を取ると、触れていないのに手が熱くなってきたアリア。
魔王は、彼女の反応が楽しいらしく、今度は抱き寄せ柔らかい頬に自身の頬を摺り寄せる。
これまで特別な男性がいなかった彼女にとってこれは青天の霹靂である。
免疫皆無のアリアの身体は、石像になったように硬くなってしまった。
「なんだ、慣れていないのか?」
「……っ、これまで神殿に仕えておりましたので……!」
リオディールの妖艶な声と眉目秀麗な容姿に、アリアは十七にもなって乙女のままである自分の方が恥ずかしくなってきて困り果てた。
「クラウディオ嬢を虐げた聖国の奴らは許せぬが、お前を乙女のまま追放したことだけは褒めてやらねばな。お前の初心な反応……これからたっぷり楽しませてもらうとしよう」
「え……これから……?」
リオディールは、アリアの顎をクイと引き、今にも触れそうな口で、
「アリア・クラウディオ嬢……私の妃となってくれぬか?」
「…………き、きさき、ですか?」
「そうだ。アリア、俺はお前の全てが欲しい。お前の有能なところ、芯の強さ、優しさ、全てだ。俺の全てをお前に捧げ愛する。だから、俺の傍にいろ」
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