02
海が星の瞬きを集めた深い青の瞳に、淡いピンクの柔らかな唇。
ふんわりとウェーブのかかったプラチナブロンドが優しく風に揺れる。
小柄ながらも女性特有の柔らかな丸みが愛らしいと人々はみな称賛する。
丸み、というには少々、いやかなりふくよかな肉付きにイリアは成長した。
聖女のためと栄養管理をしているにもかかわらず、このような体形になった原因が、アリアには心当たりがいくつもあった。
国民、特に貴族から贈られる物の中には、宝石や織物だけでなく、珍しいお菓子がある。
もちろん、彼女好みに甘味の増した工夫がされており、残らず食べれば確実に健康を害する範囲にまで達する。
神殿の料理長が、お菓子を食べ過ぎないよう管理をしているのだが、どうやらイリアは隠れて食べているらしい。
彼女のお気に入りの侍女も最近丸くなっていることから、侍女にお菓子を持ってこさせ、一緒になって食べているのだろう。
料理長は、イリアにそれとなく注意喚起を繰り返したが、まったく聞く耳を持たない彼女に匙を投げたそうだ。
料理を作る人に投げさせたくないものである。
しかしこれまた。
体形が今どきの男性には人気らしく、守ってあげたいなどと口々に言う。
また、ブルーサファイアの宝石を、彼女が気に入ったと言って身につけるようになれば、国中の男性はこぞって同じ宝石を豪華な装飾で贅の限りをつくして献上した。
聖女イリアこそが流行最先端であった。
一方、双子で同じ容姿のはずなのに、ろくな食事をとっていないがため細く華奢な体つきのアリア。
いつか倒れてしまうだろうと最近は目覚める度に覚悟をしていた。
今朝も、揺すっても声をかけてもなかなか起きない聖女を起こすところから仕事は始まる。
「イリア、起きて朝よ」
「間もなく朝の礼拝のお時間ですよ」
イリアと一緒にイジメてくる侍女も、この時だけは味方となる。
夜更かしをして腫れぼったい眼を擦り、「まだ朝じゃない」と太陽に背を向けモグラになって隠れる彼女を、アリアが布団を取り上げ侍女が抱き起す。
身支度中には金切り声で髪型に不満を撒き、聖女の衣装にキツイとサイズ変更を要求する。
「もう! この服すぐ合わなくなるのよ! なんで!?」
春の月に入って十日もたっていないのに既に四度目だ。
正直、何度も衣装を準備してくれている神殿側の人々が笑顔を引きつらせながら渡してくれる光景がつらいとアリアは思う。
朝の礼拝で聖女が神に祈りを捧げるのが日課だが、いつも彼女は朝食前の胃袋空っぽ空腹状態。
イライラは、紅茶用に沸騰させるお湯以上にグッツグツボッコボコと煮えたぎっている。
これが礼拝後の食事どきに全力解放されるのだ。
常に人々の信念を導き支え、心のよりどころになる優しき聖女像を、皆は当たり前のように思い描くが、身近で仕える側としては、ほぼ真反対のイメージしかなかった。
そんなだから、聖女が祈りをささげても年々実りは細くなり、乾期には強い日照りが畑を枯らして国中を苦しめる。
聖女の祈りがあるから大丈夫だと人々は讃えるが、その聖女こそが国の衰退を招いていることに気付いているかどうか。
さて、そろそろ本日三度目、聖女様の苛立ちが臨界点を越えてくる頃だろう。
朝は味方だったはずの侍女ヒルデが、ノックもせずに部屋に入ってくる。
ノックをされたところで、ドアは叩けば壊れるくらいボロくなっている。ここは彼女なりの思いやりだと妥協する。
「ヒルデさん、もう少しお待ちいただけますか? この書類にサインをしたらすぐ伺いますので」
アリアは、ボロボロの木箱に不釣り合いな上等な紙に視線を落とす。
「なんでアンタなんかを待たなくちゃいけないのよ? そんなもの早く片付けなさいよ、イリア様がお呼びよ」
そんなもの、と言い捨てるには、目の前の書類はあまりにも重要な事項がかかれているのだが。
と、いうより、これは本来なら聖女の仕事である。
だがしかし。
彼女は「聖女としての祈りに集中できない」との理由で、文書決裁関連をアリアに丸投げしている。
妹が集中できるのならばと引き受けた。
その処理速度たるや。文書執務が本職の文官ですら丸一日かけても終わらない量を、彼女は午前中には全て処理し終えていた。しかも丁寧、正確、ミスがあれば優しく修正までされるというアフターケア付き。
誰もが聖女の素晴らしさを褒めたたえた。
そして、誰もが聖女の代わりにアリアがやっている事実を知りつつも知らぬふりをしていた。
今、彼女が確認しているのは、国のどこそこが飢饉に襲われているので祈りをという、王宮からの催促状だ。
他にも同じ催促やら新たな祈りの場所やら、木箱の方が耐えきれないほど書類がある。
全て、本日中に片付けるべき仕事である。
しかし、ここでは聖女の呼び出しの方が何よりも優先されてしまう。
アリアは、処理できていない書類の山を見て仕事の時間配分を即座に計算する。
聖女のイジメが、いつも通り一時間ほどで終われば、なんとか今日中に処理できるだろう。
「わかりました。すぐ参ります」
聖女の住まう聖女宮は、神殿の敷地最奥にあり、アリアが寝起きしている東屋からは少し距離があった。
だが、神殿へも、聖女宮へも同じ距離のところにあるので、有事に駆け付けるには都合のよい場所でもある。
聖女が祈った事で湧き出た聖なる泉の横を通り、絶えず春を呼ぶ風に飛ばされぬよう、両手に持った書類を顎で抑えつつ聖女のもとへと足早に向かうアリア。
この時の侍女ヒルデは、いつもの対応で、アリアが重い書類を運ぼうがよろけようがお構いなしにサッサと歩いて置いていく。
なんなら、時々転ばそうとしてわざと歩みを緩めたり肩でぶつかったりまでしてくる。この書類がダメになれば、侍女どころか聖女すらも罰せられるだろうが、聖女はいろいろ泣きつ喚きつアリアに罪をなすりつけるだろう。
そんな事で転ぶわけにはいかない。
聖女宮の重厚な門は、神殿を守る神兵二人が常に守っている。
ここを通るのが許されるのは、司祭様と聖女の許した侍女だけだ。
さりげなく、アリアは姉ではなく侍女扱いとなっていた。
「イリア、頼まれていた書類は全て完成しているわ。あなたから司祭様と王宮へお返事を――」
「やだ! いつ私がアリア姉様に頼んだというの? まるで押しつけたように言わないでほしいわ!」
サクサクのクッキーを頬張りながらの第一声。
イリアは、ふかふかのクッションに埋もれながらソファに一人陣取って座っている。
聖女と呼ばれるには、不要な威厳が身についている。
――うつむき加減にもたれているせいかしら、顎のあたりが首まわりに埋もれてきているわ……
アリアの心配そうな視線が気に食わなかったのか、妹のイリアは余計にバクバクとクッキーを頬張る。
「まったく、お姉さまったら、誤解を生むような発言は控えてくださる? 能無しのお姉さまでもやれることがあるっていうから、私のお仕事を少しだけ分けているだけなのよ? それなのに、『私が完成させたから、今度はあなたが返事を書け』みたいな発言? ちょっと恩着せがましいんじゃなくて?」
「……」
「ああそれと! 昨日のあれは何だったの? 酷い対応ね!」
昨日の……とは何だろうと、必死の記憶の引き出しを漁る。
対応が酷いというくらいだから、来客に関することだろうか。
そう考えれば、記憶はたやすく引き出せる。
アリアは公爵が訪れた記憶を取り出し「ああ……」と声を漏らした。
確か、西の領地に住む公爵が、新たな祈りを求めて聖女イリアを訪ねてきたのだった。
タイミング悪く、彼女が湯浴み中で待たせた件だろう。
「わたしは身を清める必要があるから、公爵様が来たらすぐ呼んでと『いつも』言っていたでしょう?」
西の領地の公爵は、いつも甘いお菓子と宝石をセットにして献上をしてくれる、イリアのお気に入りだ。
「それなのに、私にする報告は遅いわ、公爵様を待たせるわで、なんて礼儀知らずなの!?」
いえ、間違いなくすぐにお知らせしました、と、言いたい言葉を喉元で押し戻す。
――あの時は間違いなくすぐ知らせに行ったわね……
それでものんびり湯浴みをしていたのはどこのどちら様かしら。
公爵が訪問してきたことを知らせた時、イリアは生返事だけをして、いつまでも湯浴みを続けていた。魅惑のお菓子の献上を伝えても、待って待ってと言って、結局一時間は待たせていた本人が礼儀知らずとアリアを罵る。
アリアは頭を下げた。
「申し訳ございません。お待たせしてはならない事は存じていましたが、聖女様のお浄めが丁寧で念入りになると勝手に判断しました。
ですが、公爵様にもご理解をいただいており――」
ツボがアリアの真横を飛んでいった。
数センチずれていれば、顔面直撃しただろう。イリアは本気で狙っていたのだと、表情はないまま内心冷や汗をかいた。
「何、口答えしているの?
そんなこと誰がやれといったの! 勝手に突っ走った行動はやめてちょうだい! あなたは言われた事だけやればいいのよ!」
昨日「誰がお浄めをしていると思ってんの? そんじょそこらの女の湯浴みじゃないのよ! そのくらい察してよ!」と、のたまった口が次の日には真逆の事をのたまった。
けれども、察しろという事に対し、アリアの言動が裏目に出てしまったのだ。
迂闊な行動は慎まなければ。
「あなたのせいで恥をかいたのよ! 双子の姉だからって調子に乗らないでよね!」
気にするな、いつものことだ。アリアは自身の心に言い聞かせる。
すると、イリアは意地悪そうなため息を見せつける。
「私って忙しいでしょう? この後もすぐ国境近くの教会に五か所ほど出向いて、豊穣の祈りをしないといけないの。聖女って本当に国中あちこち飛び回って大変よね~」
侍女に、髪を梳かせながらこちらを見る。
視線だけで、「書類はあなたが処理しなさいよ」と言っているのがよくわかる。
「……書類についての返書はすぐに準備して出しておきます」
「あら、ありがと」
言って、大根よりまるまると育った足が、アリアの前に投げ出される。
「ほぉんと。あちこち行って疲れたわ~」
アリアは、無言でマッサージを始めた。
指と手のひらを巧みに動かし、分厚い脂肪を燃焼させるイメージで足全体を揉みほぐす。
「はぁ~……姉様はほんと、コレしかできない能無しよね~」
イリアは見下しながらも、気持ちよさそうに目を閉じた。
「助かったわ〜。さすが姉様だわ」
まったくありがたみの無い誉め言葉を背に聖女宮を後にする。
胸の内が悔しさで痛みが広がろうとも、眼の前が滲まないように息を荒くしようとも、誰もアリアを心配しない。
ただひたすら身体に力を込めて耐え、彼女は部屋へと急ぐ。
返事など、書いて神殿の遣いに言えば届けてくれる……通常は。
アリアの場合、手紙を届けてほしいと願っても、神殿側は全く受け付けてくれないのだ。
理由はなぜかわからない。
それどころか、毛嫌いするように王宮への手紙を踏みつけてくるので、何度もそれを繰り返されたアリアは、いつしか自身で届けることになったのだ。
それも仕方なく始めた事だった。
手紙を書くのも届けるのも苦ではないが、あとで部屋に戻るのは億劫だと感じるようにはなっていた。
所用で部屋を空けると、戻ってきたときにはいつも書類の山が部屋を埋め尽くしているのだ。
以前には、日照り続きで収穫量が減った時期に、書類だけでなく、王宮の遣いや神殿の神官までもが部屋の前に列を成していたこともあった。
全て、聖女ではなく姉のアリアが聖女の仕事を肩代わりしていることが暗黙の事実となっている。
大至急だと泣きついてきた仕事をどれだけ早くこなそうとも、アリアがどれだけ優れた逸材だと理解をしていても、なぜか誰一人としてアリアに感謝をしない。
聖女の姉なのだから、やって、できて、当たり前なのだ。
いつものように神殿へ外出の許可を得て、手紙を届けに王宮へ向かう準備をする。
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