帰還
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テラでの『非番消化』を終えルナに戻った黄暁龍大尉ことNo.18を向かえたのは、妖艶な笑みを浮かべた楊香ことNo.17だった。
通関手続きを済ませ、ロビーへと足を踏み入れた小龍を目ざとく見つけると、楊香は不機嫌そうに通り過ぎようとする暁龍の後を追った。
「お帰りなさい。ずいぶん大変だったみたいね」
「……まあ、それなりに」
短く簡潔にそう答えると、暁龍は楊香を振り切ろうとする。
が、それもいつものことと理解している楊香は、一息つくとその後に続く。
「室長はまだ入院中。留守の間入って来た仕事は、私が処理できる物は片付けておいたわ。残っているのはI.B.に関する重要案件だから、目を通してね」
「……了解。で、こっちの動きは?」
ようやく振り向く暁龍に、楊香は苦笑を浮かべた。
何事かと首をかしげる暁龍に、楊香は続ける。
「正直、何とも言えないわね。表面上はいつもと変わらないけれど……」
言いながら楊香は、駐車場へ向かうエレベーターの中へと滑り込む。
不承不承その中へと暁龍が入ってから、楊香は言葉をついだ。
「……とりあえず目立った活動は、無し。けれど、その沈黙にいつもの『緊張感』が無い。強いて言えば、どう動いたら解らない、って所かしら」
唇の端に笑みを浮かべながら楊香は意地悪くつぶやいた。
目の前にいる暁龍が事件の真相を知っている、との情報は、すでに彼女の元へと届いていたのだから。
が、当の暁龍はまったく表情を動かさない。
常であれば、さも不快だとでも言うような突っかかってくるのだが。
一体どうなっているのだろうか。
注意深く楊香は、斜め下から暁龍の顔をうかがう。
が、その時鈍い衝撃と共にエレベーターは停止した。
扉が開くとすぐさま暁龍は薄暗い駐車場へと降り立った。
あわてて楊香はその後を追う。
「……どうしたの? 貴方らしくもない」
「さあ、どうだか」
ぶっきらぼうに言い捨てて、暁龍は一番片隅に停められた車に歩み寄る。
そして、扉に手をかけた所でようやく、楊香を顧みた。
「そうそう。おとなしく助手席に乗ってなさい。私が、ID登録してるんだから」
そう、それは確かに惑連の公用車であり、事前に登録をした者でなければ使用することはできない。
勝ち誇ったような楊香の視界から逃れるように暁龍はわずかに車から身を引くと、珍しく小さくため息をついた。
「……本当にどうしたの? 大丈夫?」
「駄目ならテラから帰ってくるはずないだろ。ただ……」
「ただ?」
「少し……。ほんの少し、後味が悪かっただけだ」
そう言い車に乗り込むと、暁龍は出発するよう無言で促した。
※
地下駐車場から出るなり、暁龍はまぶしさに眼鏡の奥の目を細めた。
その様子にわずかに笑みを向けて見せてから、楊香は切り出した。
「で、こっちの失態はどこまでそっちに伝わっているのかしら?」
「失態?」
「当局メインシステムダウンの事」
ああ、と言いながら暁龍は窓の外に視線を巡らす。
言い難い光がその瞳に浮かんで消えた。
いつもと異なりどこか精細を欠く暁龍に、楊香は小さくため息をつく。
「ルナ支局経由の意味不明な電文が原因、だったとか?」
「I hate you…,but I loved you.from A」
「……は?」
突然の言葉に言葉を失う暁龍に、楊香は正面を見つめたまま続けた。
「私は貴方達を憎む。でも、愛していた……。さて、ここで問題です」
前方の信号が、彼らに停止するよう告げた。
楊香はハンドルに頬杖を付きながら続ける。
「差出人のAさんは、誰でしょう」
「知るか」
「さあ、どうかしら」
楊香の切り返しに、暁龍は数度瞬く。
前方を見据えたまま、楊香は何気無い口調で続ける。
「今回のI.B.の動きは、今までと違う。そうは思わない?」
前方の信号が変わった。
楊香は姿勢を正し、アクセルを踏み込んだ。
「違う?」
首をかしげる暁龍に、楊香は正面を見据えながら答えた。
「力押し一辺倒じゃなくなった、と言うことよ」
「サード自ら乗り込んで来たのに?」
「わざわざ事前に支局に手を回して、システムダウンを図るなんてまどろっこしい事、奴らがすると思う?」
確かに、と、小さくつぶやいて暁龍は黙りこむ。
ちら、と横目でその様子をうかがいつつ、楊香は話を続ける。
「前線指揮官がいなくなったと思ったら、後方部隊が充実してきたようね。この分だと」
厄介な事になった。
言いながら楊香はハンドルから左手を放し、親指の爪を噛む。
そのプログラムされた『悔しさ』の表現に、暁龍はわずかに眉をひそめた。
が、その自分の仕草も同じく『プログラム』の成せる技、と理解し、再び車窓から外の景色を見やった。
そこに広がっていたのは、無数の高層ビル群だった。
対立するテラが唯一、自らの方が劣ると認めているのがこのビル群だ。
テラと異なり地殻変動が起こらないルナでは、場所を選ばず高層の建物を建築することか可能なのだ。
「で、敵さんアジトの見当はついたのか?」
視線を外に巡らせたまま、何気無しに小龍は口にする。
対する楊香は目を閉じ、首を左右に振った。
「あの逆恨み電文発信も手がこんでいて、ね。仕組みはメインシステムダウンと同じく、キーワード受信すると発動するように設定されてた」
「……その出所は?」
「細かい基地局を経由してるから、判別は不能」
「内容は?」
聞き返してくる暁龍に、楊香はためらいがちに口を開いた。
「“Why have you gone?”」
「……何だそりゃ?」
反射的に暁龍は身を乗り出し、楊香の顔をのぞきこむ。
けれど、前方を見つめるその顔は笑ってはいなかった。
「何だか一方的に恨み言を言われている気分だな」
「可能性としては、惑連がらみで身近な人を喪っている人物……」
「I.B.の第二世代だとしたら、それこそ洒落にならないな」
「筋金入りの嫌惑連という所、かしら」
楊香の答えに珍しく微笑を浮かべてから、暁龍は低い天井を仰いだ。
灰色のそれは、どこか今後の捜査の成り行きを暗示しているようでもあった。
「まあ良いさ。とにかく『首領』は消えたんだ。せいぜいゆっくりと包囲網を張らせてもらう」
その言葉に、楊香の顔にいつもの妖艶な笑みが戻る。
「あまり時間をかけても、新しい指揮系統が確立しても困るけど」
暁龍が言い返す前に、楊香はハンドルをきった。
目前には、ルナ支局の建物がそびえ立っている。
正面玄関に車を付けると、楊香は早々に下車しようとする暁龍にあわてて声をかけた。
「そうだ。執務室に戻る前に、医務局に顔を出しておいて。緊急の申し送りがあるらしいから」
「医務局?」
突然の言葉に、暁龍は首をかしげる。
何故、とでも言うような彼に、楊香は有無を言わさず告げた。
「マル秘、緊急事項扱いよ。すっぽかさないでね」
言い終えると楊香は扉を閉め、いささか乱暴な運転で駐車場へと車を進めていた。




