拝啓 義母上様
『怜奈、あなたはずっと死ぬまでそうしているおつもり?』
最初は、もうわたくしのことは放っておいて!と反抗しました。
『あのね、人間などいつかは死ぬ運命。それが短かろうが長かろうが、それは問題ではないのよ』
最愛の人を亡くした母上様が、そこで凛と笑いました。
『最期の時まで、精一杯生きたか。その人生を楽しんだか。それが大切だと、わたくしは思うのです』
そっとわたくしの手を取り、大きくなりましたねと呟きます。
『最期に楽しかったと思えるほど素敵な人生だったら、こんなに素晴らしいことはないわ。それだけやりたいことをやって、大切な人に囲まれたということよ。あなた、今死んだら、そう思えるのですか?』
そう、わたくしはまだ死んでいない。
やれることが、たくさんある。
まだ死んでいないのに、死ぬことを考えても仕方がないではありませんか。
それからわたくしは、それまで以上に人生を楽しむことにしました。
苦しいということは、生きているということ。
体調が良い時は、その有り難みを知りました。
一瞬一瞬を大切にだなんて、病にかからなかったら、本当の意味で感じることはできなかった。
結局、幼子を庇って死んでしまったけれど。
あの子を助けたことに後悔はないし、わたくしは、怜奈としてのわたくしの生を懸命に生きました。
「本当に、強くて素晴らしい母君だったのだな」
「ふふ。そうでしょう?」
前世で自分が病にかかっていると知ったばかりの頃のことをふっと思い出し、レオナール様にお話しをしていました。
王太子妃となってもうじき二年。
こちらの世界も雪の舞う季節になりました。
薄っすらと雪化粧した王宮の庭園をふたりでゆっくりと歩きながら、あの頃の母上様の表情を思い浮かべます。
自分も辛かったはずなのに、母上様は私の前で泣き言を漏らすことは一度もありませんでした。
けれど、一緒に泣いてくれたことはあって。
その時が来るまでは、ふたりでたくさん幸せだねって笑い合いましょうと、いつも話していました。
『人の命など、綺羅星のようなもの。舞踊が受け継がれていくように、わたくし達も誰かの記憶に残るような生き方をしたいものですね』
穏やかに話す母上様の声が、今でも鮮やかに思い起こされます。
「人の記憶に残る、か。しかし後世で、愚王だったという記憶に残ることだけはしたくないな……」
意外と消極的なことを考えるレオナール様に、ぽかんと呆気にとられた後、あははと笑ってしまいました。
笑い事ではないぞと言いたげな表情のレオナール様がはあっと息をつきました。
真っ白な息がその口元から漏れるのを見て、厚着した私には丁度良いけれど、やはり気温が低いのですねとレオナール様の手をぎゅっと握ります。
「わたくし、実は季節の折に母上様にお手紙をしたためておりますの」
手紙?と不思議そうにレオナール様が首を傾げます。
きっと届ける方法もないのに何故?と思っているのでしょう。
「きちんと封をした後、火に焚べて空へと送るのです。わたくしが生きた世界では、死者に渡したいものがある時に、そのように届ける方法があるのです」
まあこの場合、わたくしの方が死者になるのですが。
「死ぬ間際、母上様にお手紙のひとつでもしたためておけば良かったと、後悔したのです。ですから、こうしてわたくしが新しい生を受け、新たな世界でも幸せに暮らしていると、伝えたくて」
自己満足と言われてしまえばそれまでですが、なんとなく、母上様に届いているような気がして。
「もしかして、わたくしの願いを叶えて下さった心の広い神様が、そんなオマケまでつけてくれているのではないかと、勝手に思っているのです」
そう言って、空を仰ぎ見ます。
今日はこの季節としては珍しいくらいの澄んだ空の色をしています。
わたくしは今こんなにも幸せだと、だから母上様もわたくしの死を悲しまず、笑っていてほしいと願ってやみません。
「うーん……ですが、悲しまず、は無理かもしれませんね」
「ああ、それは無理だろう」
そこでそっとレオナール様がわたくしのお腹を撫でます。
そのふっくらとしたお腹からは、ぐにゃりと押し出すような感触が。
「蹴られてしまったな。……俺は、この子を亡くして悲しむなと言われても無理な話だ」
「そうですわよね、わたくしもです。あ、また蹴られてしまいました」
まるで勝手に殺すな!と怒っているかのようだ。
「ふふ、今日も元気で嬉しいです」
「あとふた月もすれば産まれるのか。待ち遠しいな」
わたくしのお腹に宿った、レオナール様との御子。
「ねえレオナール様、今度一緒にお手紙を書きませんか?お空の義母上様に、レオナール様もしたためてみませんこと?」
「母にか……。柄ではないが、書いてみようか」
そう答えるレオナール様の手が、わたくしのお腹から手へと移動し、優しく包んでくれました。
「冷えてしまったな。そろそろ戻ろう」
そう言ってわたくしを労わるレオナール様の表情は、とても優しくて。
「わたくしからも、義母上様に書いてみたくなりましたわ」
わたくしも、その手をぎゅっと握り返しました。
「ならば俺も、セレナの母上に書かなくてはいけないな。異世界での手紙の書き方、教えてくれるか?」
素敵な言葉に頷きながら、ふたり並んで執務室へと戻ります。
「勿論ですわ!あちらでは、女性と男性では書き出しが異なるのです。一例ですが────」
春はもう、すぐそこまでやって来ています。
新しい命が生まれ、わたくしも母となれば、いまだ憧れてやまない母上様に少しは近付けるでしょうか────。
* * *
ある冬の小春日和。
ひとりの着物姿の女性がひとり、仏花を手に寺の墓地を訪れていた。
そしてひとつの墓石の前に立つと、そこに刻まれた愛しい名前を見つめた。
亡くすには早すぎた命。
しかし小さな命を守った、崇高な命。
彼女は、自分のたったひとりの娘を誇らしく思っていた。
けれど、それを亡くした悲しみはあまりに大きくて。
「……怜奈、わたくしが言った通り、あなたは最期の時まで精一杯生きたのにね」
それなのに。
母がこれでは情けないですねと、涙を滲ませ声を震えさせた。
ふと花や線香をあげる台を見ると、そこには封筒が二枚。
手紙?と首を傾げながら女性はそれを手に取った。
そのひとつに、見慣れた、しかしもう二度と目にすることはないと思っていた筆跡の文字が書かれており、女性は目を見開いた。
まさかと呟きながら急いで封を切り、中の便箋に目を通していく。
その最期にたどり着く前に、ぽろりと頬に涙が伝った。
「……そう、幸せなのね。強い、母になりなさい」
わたくしを越えるような、強い母に。
口元に、久方ぶりの心からの笑みを浮かべる。
「もう一通は……まあ」
心当たりのない筆跡に、不思議そうに中身を見る。
まさか、こんな手紙をもらえるだなんて。
「ふふ、それにしても怜奈……いえ、セレナには、きちんと今のご両親にも筆忠実に連絡なさいと忠告しなくてはいけませんね」
あちらで可愛がって頂いているのは、今のご両親なのですからね。
少し寂しいような、嬉しいような。
そんな複雑で、けれど不快ではない気持ちに、また笑みが零れる。
「婿殿。どうかセレナを、幸せに。……いえ、一緒に幸せに、でしょうか」
少々無骨な字でしたためられた、セレナへの想いが詰まった手紙を眺めて、目を細める。
「素敵な人を、選びましたね」
ふと空を見上げると、だれかに母上様と、呼ばれた気がした────。
*拝啓 義母上様*
これで番外編も最後になるかと思います。
レオナールが怜奈の母に送った手紙の内容は、読者の皆様の想像にお任せ致します。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
そして今、新しいお話を連載中です!
【チート薬師はざまぁを企てない 〜辺境の地で新薬作りに励んでいますので、そんな暇などありません!〜】というお話です。
転生+恋愛+職業モノという感じで、こちらのレオナールとセレナとは全然違うタイプのヒーロー・ヒロインです!
もし興味があれば、一度覗きに来て下さると嬉しいです(*^^*)




