なんともないと放って置くのはよくありませんよ?8
つまりはこういうことです。
あの様子から、ミアさんはどうやら治療魔法がお得意なのでしょう。
そして使者達が重篤な状況で緊急到着したとの話を聞いたリオネル殿下がミアさんを呼び、治療しようと飛び込んできたのがつい先程、と。
「わ、わたくし、せっかくミアさんが王宮の皆様に認められる機会を奪ってしまったのですわ……。ミアさんが王子妃に相応しいと認められないと、わたくしが極悪令嬢となっても婚約破棄してもらえないかもしれませんのに!」
「落ち着いてお嬢、いつの間にか悪役から極悪になってます。どんだけ悪さするつもりですか」
リュカの小憎たらしい発言も、今日ばかりは耳を素通りですわ!
「お兄様、どうしましょう!?……お兄様?」
涙目でランスロットお兄様を見ると、なぜかお兄様はぷるぷると肩を震わせております。
「ご、ごめん。ちょっと想像の斜め上すぎて……。うん、そうだね、ちょっとブランシャール男爵令嬢は一足遅かったね」
リオネル殿下とミアさんがいらっしゃった時は恐ろしい程の冷気を漂わせていたお兄様ですが、すっかり柔らかい雰囲気に戻っています。
そしてちょっと笑っていらっしゃいます?
「お兄様……わたくし、真剣に悩んでいるのですが」
「いや、君が本気だということは分かっているよ。ただ、ちょっと心配していたよりも強いんだなぁって、嬉しくなって」
???
お兄様の言いたいことがよく分かりません。
ですがまあ、優しいお兄様に戻って取りあえずはほっとしました。
「ええと、ブランシャール男爵令嬢の活躍の邪魔をしてしまったという話だったね。うん、でもたとえ彼女が来るのを待ったとして、彼女にあの使者を治せたという保証はあるかな?」
「それは……」
わたくしはミアさんがヒロインだからという理由で治せたかもしれないと思いましたが、それは確実な理由ではありません。
「彼女に、王宮から派遣された医師と魔術師、そしてあのハルという使者を説得できただろうか?」
明確な理論を説明し、専門家に賛同を受け、ハル様の同意を得る。
わたくしはそういった方法を取りましたが、ミアさんにもなにか考えがあったでしょうか。
「まあリオネル殿下が権力を振りかざし、誰が反対しようと無理矢理ブランシャール男爵令嬢に魔法を使わせた、というところだろうね。そしてもしも、彼女が失敗していたら?」
「失敗、していたら……」
まず、レイ様が助かる可能性は低いでしょう。
あの傷はもう随分酷く、体力も限界に近かった。
そしてハル様は悲しみ、怒ったでしょう。
それはそのまま、キサラギ皇国との関係悪化に繋がるわけで。
そして、リオネル殿下とミアさんも……。
「いいかい?僕が君の背を押したのは、成功するはずだと確信したからだ。君の理論も、魔法技術も、疑う余地がなかった。あのまま王宮の魔術師が治療を使ったとしても、助からないだろうと判断したんだ」
ぽろりと、わたくしの頬を涙がつたいます。
「君がしたことは間違っていなかった。君でなければ、助けられなかった。少なくとも僕はそう思っている」
「お兄様……」
涙の滲む目を、お兄様の胸に押し付けます。
「わたくし、最低です……。自分のことばかりで、ちゃんと物事の本質を見ていませんでした。ヒロインだとか、悪役令嬢だとか、そんなことばかり言って……」
ミアさんにも、レイ様を助けられたかもしれません。
けれど、助けられなかったかもしれないのです。
また、手遅れとなった可能性だってあります。
「なにを言ってるんだ。君は、自分のできることを考え、最大限できることをやってくれた。彼を治療している時、悪役令嬢だとかヒロインだとか、そんなことは一切考えずに治そうとすることに専念していただろう?」
それは、確かに。
お兄様の胸の中でこくりと頷けば、大きな手のひらがわたくしの頭を優しく撫でました。
「誇りに思うよ、セレナ。僕達今の家族はもちろん、きっと前世の君の母上もそう思っているはずだ」
「そうですよ、お嬢はちゃんとやれることをやった。胸張ってれば良いんです」
お兄様とリュカの優しい声に、わたくしは我慢することができず、お兄様の服を汚すことも厭わずに大泣きしてしまったのでした――――。
* * *
ぱたんと応接室の扉を閉め、レオとフェリクスは無言で廊下を歩いていた。
俯いたまま歩くレオに、やれやれとフェリクスが口を開く。
「何度目か分からないけど、もう一度言おうか?」
「いや、いい」
レオはそう答えると、ぐっと顔を上げて迷いなくある方向へと歩みを進めた。
向かわんとしている場所に見当がついたフェリクスは、にやりと口元を緩ませた。
「やっと決心がついたのかい?手遅れにならないと良いね」
「挽回する」
この男のことだ、一度覚悟を決めてしまえば後はなんとしてでもやり遂げるだろう。
気になることはあるものの、自分はこの男につくと決めている。
「頑張ってほしいものだね。我がセザンヌ王国のためにも」
セザンヌ王国の王子としても、レオの友人としても、そう願っている。
心の中でそう呟きながら、フェリクスはレオのうしろを静かについて歩くのだった。
「全く、あの医師と魔術師はせっかちだな!せっかくミアが得意の治療魔法で治してやろうとしたのに!もう少し待っていれば良かったものを!」
セレナ達が使用している部屋とは別の応接室。
さすがに婚約者のいる身でミアを自室に招き入れるのは体裁が悪いからと、リオネルはこの部屋でお茶を飲むことにした。
侍女に早急にお茶と菓子を用意するよう命令し、どかりとソファに座る。
それにしても忌々しい女だとリオネルは顔を顰めた。
急に雰囲気が変わったかと思えば、次々と能力の高さを見せつける。
様変わりした容姿については見惚れないこともなかったが、婚約者である自分よりも有能であるとひけらかしているのは気に食わない。
いや、別にあの女が有能だと認めた訳ではないがと、リオネルは誰にでもなく心の中で言い訳をする。
そんなリオネルの苛立つ様子を見ながら、ミアは黙って考え込んでいた。
(また、まただ。イベントがちゃんと起きない。どうして?)
ミアは二十一世紀の地球からの転生者だ。
そしてここは、自分が前世で大好きだった乙女ゲームの世界、しかも自分はヒロイン。
それを知った時、ミアは大喜びした。
前世なんてちっとも楽しい人生じゃなかった。
そんなミアの心を慰めてくれたのは、唯一乙女ゲームだった。
その中でも特に大ハマリした乙女ゲーム、その世界に生まれ変われたなんて、夢のようだった。
そして一番の推しだったリオネルを攻略対象に選んだのは、当然のことだった。
彼のルートは何周もした。
どう動けば良いかなんて、ちゃんと覚えている。
勿論ゲームと同じようにイベントは起きたし、ちゃんと好感度も上げて恋人同士になれた。
あとは、悪役令嬢との婚約破棄を待つだけ。
それなのに、ここ数ヶ月、なぜだかちっともゲーム通りに進まない。
その原因は、きっと悪役令嬢――――セレナだ。
とは言うが、彼女に助けられたことも、勇気をもらったこともあり、彼女に感謝すらしていた。
けれど、リオネルは……彼だけは、譲れない。
たったひとつの、この世界での心の拠り所。
前世の推しだからという理由以上に、ミアはリオネルのことを好きになっていた。
「は?あの使者を助けたのは、セレナだというのか?」
深い思考に沈んでいたミアの耳に入ってきたのは、そんなリオネルの声だった。
「は、はい。詳しくは分かりませんが、その場にいた医師と魔術師が興奮して両陛下に報告していたので、間違いないかと……」
侍女の言葉に、ミアはだん!と机を叩いて立ち上がった。
「やっぱり、転生者だったんだわ……。だから、狂ってしまったのよ!」
そんなわけがないと、一度はその可能性を捨てた。
けれどそれが真実だったのだと、ミアはこの時気付いたのだった。




