女性のお買い物は時間がかかるものなのですわ4
そう思ったのは本当に一瞬で、一度瞬きをすると、もうレオ様はいつもの様子に戻っていました。
「そういえば、俺などとふたりきりになってしまって良かったのか?一応、相手があんなのとはいえ婚約者がいるのに」
あんなのとは、リオネル殿下のことですわね。
ひどい言い様ですねとまた苦笑いを返し、個室でふたりきりな訳ではありませんし、リュカも隣の席で控えておりますから良いでしょうということにしました。
ちらりとリュカを見れば、ちゃっかりとケーキセットを頼んでいるではありませんか。
レオ様もお強いですから、ある程度は気を抜いても大丈夫だろうと思っているのでしょうね。
まあいつも迷惑をかけていますから、これくらいは見なかったふりをいたしましょう。
「試験の時に、あいつのことをなんとも思っていないと言っていたが、本気だったのだな」
ああ意識が逸れてしまっていました、今はリオネル殿下のお話でしたわね。
「そうですね。わたくしに向いていないお心をこちらに向かせようと努力するほど、わたくしはかの方のことを愛してはおりませんの」
父上様と母上様や、お父様とお母様のように互いを想い合える相手と一緒になりたい。
そう思ってしまうのは、その温かさを目の当たりにしてきたからかもしれません。
「うふふ、ですがやはりヒーローにはヒロインに一途でいてもらいたいですからね。そういう意味では、リオネル殿下がミアさんに一途なのは好ましいことですわ」
愛してはいないが、嫌いでもない。
むしろ、あれだけミアさんを信じられる殿下を好ましくも、羨ましくもあります。
「ヒーローとヒロイン?あいつらがか?」
まあ、なんて嫌そうな顔をされるのでしょう。
そうですね、先程も思いましたがレオ様は誠実な方のようですから、婚約者がいる身で他の令嬢と情を交わす王子など、お嫌いなのかもしれません。
ですが、わたくしにとっても好都合なのですから、そう目くじらを立てることでもありませんわ。
悪役令嬢を演じて平民になりたいという事情を知らないレオ様にとっては、理解しがたいことなのかもしれませんが。
「ふふ、まあ見ていて下さいませ。ああ、この先かの方達とのことで、わたくしが一見不利に見えるような事態が起こっても、どうか静かに見守っていて下さい。わたくしが笑っているうちは大丈夫です」
レオ様は優しすぎますから、悪役令嬢となって王宮から婚約破棄される際に、なんとか助けられないだろうかという気持ちになるかもしれませんもの。
それとも、真面目な方ですから、わたくしの起こす悪事に顔を顰め、嫌われてしまうでしょうか?
そうなるのは、いささか残念ではありますね……。
胸が、ずきんと痛みました。
「それと、この先なにが起きても、できればわたくしのことを嫌わないで頂きたいですわ……」
悪役になるならば、嫌われることだって覚悟しなくてはいけませんのに。
こんな矛盾したことを言ってはいけませんね。
「おい、どうした?おまえ顔色が悪いぞ?」
「あ、いえ。なんでもありません。今の言葉は忘れて下さい」
笑顔を作ってそう返すと、はああとため息をつかれてしまいました。
「……嫌うことなどない」
「え?なんですの?」
レオ様の呟きが良く聞こえなかったので、もう一度お願いしますと伝えると、だから!とぶっきらぼうな声が返ってきました。
「ここまでおまえの人となりを知って、嫌うことなどない。もしそうなり得るなにかしらがあったとしても、きっと理由があるのだろう。それと、婚約者の浮気を応援する意味はよく分からんが、おまえにとって意味のあることなのだろうから、邪魔はしない」
周囲を警戒した小声と、まくし立てるような早口ではありましたが、その言葉はしっかりとわたくしの耳に届きました。
『嫌うことなどない』
そのひと言で、わたくしの胸の痛みが薄れていったのです。
「……ありがとうございます」
「礼などいらん」
「あら、先程言いましたでしょう?嬉しかった時は感謝の気持ちを伝える。そうしたかっただけですわ」
少しだけ耳の赤いレオ様に、胸が温かくなります。
「ところで……」
話が一段落したところで、先程から気になっていたことを聞いてみたいと思います。
「なぜ今日は名前で呼んで下さらないんですか?おまえと呼ばれてばかりなのですが」
「……今日はお忍びなんだろう?本名を出すのははまずいと思ったからだ」
ああ、なるほど。
それならば……。
「わたくし今日は、レナと呼ばれていますの。レオ様もどうぞそう呼んで下さいませ」
「そう変わらない気もするが……。分かった、レナ」
不思議ですね、レオ様。
名前で呼ばれないことが、なんだか少しだけ寂しかったのだと、わたくし気付いてしまいました。
セレナも怜奈も、わたくしにとっては大切な家族がつけてくれた名前。
そのどちらも呼んでいただくことができて、嬉しい。
わたくしはこの時、そう思ったのです。
「ごちそうさまでした。お代金まで出して頂いてしまって、すみません」
「気にするな。そっちの侍従は自分で払えよ。俺は親しくもない男に奢る趣味はないからな」
それは当然です、リュカってばケーキセットだけでは飽き足らず、追加でいくつか注文していましたもの。
レオ様とは違って甘党なんですよね……あれだけ食べて太らないのが不思議です。
さすがのリュカもそこまで図々しくはないので、嫌な顔をせずきちんと自分でお支払いしていました。
カフェを出たところで、丁度エマ様とジュリア様が……というより、護衛の方が先程よりもたくさんの荷物を抱えて戻ってきました。
「「お待たせいたしましたー!」」
疲れた顔ひとつせず活き活きとしている表情から見るに、どうやら良い買い物ができたようですね。
ぐったりしているのは護衛のおふたりです。
女性の長い買い物へのお付き合い、お疲れ様でした。
そんな護衛達を見て、レオ様とリュカが同情を込めた眼差しを送っています。
リュカなど、俺お嬢の侍従で良かったですと呟いていました。
そこへちょいちょいとエマ様とジュリア様に手招きをされ、近付くとこそこそと耳元で囁かれました。
「どうでした?」
「どう、とは?あ、紅茶とスコーンのセット、美味しかったですよ」
「そうじゃありません!カフェの味など聞いていませんよ!アングラード様のことです!」
レオ様?
どういうことでしょうかと首を傾げると、おふたりに、はああ……とため息をつかれてしまいました。
「では質問を変えますね。レオ様とおふたりで話してみて、どうでした?」
真剣な表情のジュリア様に少し怯みながらも、先程までのことを思い出しました。
「ええと、楽しかったです」
「他には!?」
エマ様も、恐いですわ。
「あと、すごく誠実な方なんだなと思いましたし、気遣いのできる優しい方だと改めて感じました」
うんうんそれで?というおふたりの圧がすごいです。
「それで、わたくしは……」
『嫌わないで頂きたいですわ……』
あの時の、胸の痛みが蘇ります。
もし、悪役令嬢となってリオネル殿下に相応しくないと皆から嫌われて、蔑まれても。
「レオ様に、嫌われたくはないと思いました」
あの方に侮蔑を孕んだ目を向けられるのは、きっとわたくしには堪えることなどできないでしょう。




