ハッピーエンドって何気に難しいですよね
私は原則ハッピーエンドしか読まないし、書かない。
それは私のこれまで生きてきた経験に基づいて構築された価値観であって、バッドエンドを否定するわけでも、他人に同調を求めるものではましてやない。
ただし、そういうことを言うと、御都合主義~、とか、頭の中お花畑~、とか思われる方もいらっしゃるようで、それはそれでモヤモヤすることもなくはないけれど。
そもそも何がハッピーで、何がバッドなのか?
じつはこれに共通の答えは無いと思っている。
たとえば死なないことがハッピーとは限らない。永遠の生の呪いから解き放たれた死は、ある意味でこれ以上無いほどの満ち足りたハッピーエンド足り得るかもしれない。
ランチの予算が500円だとする。
たった500円と感じる人もいるだろうし、私のように食べられるだけで幸せと感じる人間もいる。人によって幸せを感じる部分や幅は違うのだ。
善と悪のように、わかりやすく両極端にみえるものでも、立つ位置が変われば簡単に入れ替わる程度のものでしかないということ。
登場人物たちが幸せになることが私のハッピーかというとそれもまた違う。
大好きな登場人物が、嫌いなキャラと結婚したら?
作中でどんなに当人同士が幸せになったとしても、読んでいる私はこれ以上無いほど不幸でみじめな気持ちになるだろう。
結局は読むにしても、書くにしても、判定者である私がどう感じるか。どうなって欲しいのか?
その程度のゆるい基準でしかないけれど、私にとっては一番大事で譲れない部分。
だから結構難しい。
ハッピーエンドなんて簡単じゃん、なんて思っている人がいたら聞いてみたい。
じゃああなたは簡単に幸せになれるんですか?
きっといつでも幸せで悩みなんてないんですね、と。
生きることは苦しい。現実は辛いことばかり。
だからせめて創作の世界では救いを描きたい。
でも……現実で実践できないことがどうして創作だったらできると思うのか?
簡単ではない。
ハッピーエンドを書くならば、一緒に作者も幸せにならなければならない。
少なくとも幸せを感じながら書かなければ意味がない。
幸せは探し求めるものではなく、気付くこと。
自分にとっての幸せが何なのか、それに気付くことこそ、私にとっての創作活動なんだろうなと思っている。
でもね、気負わないで良いんですよ。万人が幸せになれる展開も結末も価値観もないんですから。
たとえ答えが見つけられなかったとしても、不完全であったとしても、必死にあがいてもがいて紡ぎ出した言葉は、物語は、自分自身を救えなかったとしても、誰かの琴線に触れるかもしれない。生きるヒントに、救いの言葉になるかもしれないのですから。
だからね、駄作だと思っても、恥ずかしいと思っても、書いたらとりあえず投稿してみましょうね。
思わぬ反応や発見があるかもしれません。
そしてその反応に救われることだってきっとあるのだと私は思うのです。