独創性? そんなもの全員初めから持ってる。まずは舞台に上がることから始めるのです!!
小説投稿サイトで活動していると、テンプレを極端に嫌う層とテンプレ信者に二極化しているように錯覚することがあります。
実際には物言わぬ中道というかバランス型の書き手が多数だとは思いますが。
今回はその話ではなく、もちろん多少は関係ありますが、独創性、つまりオリジナリティについて考えてみようと思います。
独創性という言葉を聞いてどんなものを思い浮かべますか?
誰も考えつかなかったような世界観でしょうか? それとも誰もが騙されるトリックでしょうか?
想像もしなかった見事なオチや奇想天外な組み合わせ、新ジャンルの開拓なんてことをイメージするかもしれません。
つまり独自の新しい着想ってことですよね。
ですが、人間が考えることなんていつの時代もたいして変わりません。
それは未来や異世界についても同じで、斬新なアイデアを出し続けることなどほとんど不可能です。
誰も考えつかなかったような世界観も、あくまで異世界という一つのバリエーションにしか過ぎません。どんな見事なトリックも、トリックという概念からは逃れられないのです。
でも、言葉の定義通りだとそうなのかもしれないんですが、一般的に求められているいわゆる独創性に限って考えてみると、ちょっと意味合いが違うのかなとは思います。
少なくとも、読者や出版社が求めている独創性はそういうことじゃあない。私はそう思います。
では何なのか?
例えば異世界恋愛というジャンルで考えれば、求められるのはまずは普遍性、例を上げれば婚約破棄ですね。※あくまで一例であって、これが無ければ異世界恋愛じゃないという話ではありません。
勘違いしやすいのですが、独創性というのは、多くの人が共有する普遍性の上で初めて成り立つものであって、ここを外してしまっては、独創性以前に見向きもされません。舞台にすら上がれないのです。
なぜか? それは、誰も真似できないもの、思いつかないことというのは、逆に言えば人気が無い、需要がないとも言い換えられるからです。
普遍性に支えられていない、あるいは包装されていない剥き出しの独創性は紛れもなく危険物であって慎重に扱うべきなのです。
ファッションでもそうですが、多くの人が好むいわゆる定番にチラ見せするぐらいで丁度良いのですよ。
だから、独創性を追求する=読まれないと思っている、または実際に読まれていない場合、あなたの独創性が悪いわけではなく、普遍性が足りていない可能性も検討してみてください。
その前提を理解したうえで、じゃあ何が独創性たり得るのか?
婚約破棄という使い古された舞台装置の上で、他の多くの参加者と差別化出来る要素。
それが読者や出版社が求めている独創性です。
たとえば、ドレスの描写が精緻を極めていて、華やかな舞踏会や夜会を書かせたら右に出る者はいない。
たとえば、登場人物の心情描写に長けている。しつこいぐらいに掘り下げられていて、気付けばまるで自分の分身のように共感させられてしまっている。
たとえば、とにかくひたすら甘い。恋愛のスイートな部分を書かせたら水を得た魚のようだ。
独創の対になるのは模倣です。ようするに他人に真似が出来ないほど尖っている部分、個性や性癖と言い換えてもいいかもしれません。
わかりにくいですか? もっとシンプルに言えば、作者がこだわっている部分、好き~な部分です。
テーマが被ってもいいのです。むしろ被っていた方がいいのです。
難しいのは、独創を活かすならば、まずは模倣、つまり独創の真逆の要素が求められるということ。
どうしても独創性を求める創作者は、人がいない方いない方へ走りがち。
真に独創性を得たいならば、まずは大勢の参加者がいて、皆が見ている舞台に上がることが大切なのです。
そして、その舞台の上で思い切り暴れれば良いのです。
もちろん読者は自分だけで十分と考えるなら良いのですが、そうでないなら舞台へ上がりましょう。
それは妥協でもなければ、ましてや逃げでもありません。ただし覚悟は必要になりますけれど。
あなたの独創性が本物ならば、たとえどんな舞台に上がっても、色褪せることなどあり得ない。むしろ磨かれ輝くはずなのです。
怖がる必要なんてありません。
独創性とは、他者との差異でありズレです。同じ物差しで比べて初めて認識されるもの。決して優劣ではなく、ましてや勝ち負けなんかではないのです。
自分で自分の独創性に気付くのは難しいです。
だって、自分の中では極めて普通でありきたりのことこそが、その人の独創的な部分なんですからね。
え? いつもこんなこと考えながら書いているのかって?
そんなわけないじゃないですか~やだ~。
まずは舞台に上がれ……話はそれからだ。 なんちゃって。