小説を書く、絵を描く、どちらも似ていると気付く
先月末からお絵描きを始めました。
好きな絵を描くという意味では、幼稚園以来でしょうか。
とはいえ、今は慣れないデジタルという道具に振り回されている状態なので、自由に描けているわけではないのですけれど。
一月ほど経ってわかってきたことがあります。
絵を描くのって、小説を書くのと同じだ……ということ。
ある程度想定はしていましたけれど、ここまで同じだとは思いませんでした。
頭の中、自分自身の中にあるものを具現化する作業。
小説なら文字で。絵ならそのまま形にする。媒介させるものが違うだけで、やっていることは同じ。
私は一年間小説を書いてきた経験で、不完全でもいいから完成させることの重要性を知っている。
百万字を没にするより、十万字を作品として完成させる方がはるかに力が付くのだと知っている。
だから絵も同じだと思った。
何もないキャンバスに線を入れてゆく作業。
絵は下書きが一番重要で難しい。逆にいえば、下書きが良ければ、大抵何とかなる。小説でいえば、プロットとかあらすじ、タイトルみたいなものかな。
だから普通は何度も納得がゆくまで描き直すのだが……私は描き直しはしない。
なぜか?
時間の無駄だから。
描き慣れないうちは、何度描き直しても満足のゆくものは描けない。
それなら一度最後まで、完成させた方が良い。
そうするとわかるのだ。下書きがどういう風に影響するか、今まで真っ白だったキャンバスに完成した絵が見えるようになってくる。
たぶん、百回下書きをしてもそうはならない。一度通しで描き上げる、小説なら作品として完結させることでしか見えてこないものがある。
車の工場で、一部の部品を何年、何万個組み上げていても車は作れないのと同じ。
全ての工程は繋がっていて、影響し合っている。イメージがとても大事。
何事も継続に勝るものはないといわれている。
絵を描き始めたときの最大の敵は自分自身。
理想のイメージと出力された自分の絵とのギャップに嫌になってしまう。絵描きにとって自分の絵はあくまで劣化版、未完成品でしかなく、粗しか見えないものだから。
描き直さないのは毎日描いて経験値をたくさん得るため。そして習慣化することで継続するため。
皆に絵を見てもらうのは、自分自身という最大の敵を遠ざけて客観的な反応を得るため。
上手くなりたいなら、理想のイメージに近づけたいのなら、
絵も小説もどんどん描いて書いて、見てもらうのが、読んでもらうのが一番近道。
私はそう思っているのです。