長編最後まで読むって大変
私は長編を書くのも読むのも好きだ。
短編が嫌いなわけではないけれど、やっぱりどこか物足りない部分がある。
でも自分が書くようになってから、長編を読むことが難しくなってきた。
理由は単純で、元々私の許容範囲が偏っているというか、狭いのが原因。
ハッピーエンド以外無理、鬱展開も無理、理不尽はもっと無理、好きなキャラ同士でくっついて欲しい、挙げ始めればキリがない。
商業作品で私が耐えられるものは本当に少ない。滅多にないと言ってもいい。名作と呼ばれるものは真っ先に脱落する。残るのはギャグ系かゆるい日常系のごく一部くらいかな。
以前はなんとか我慢して妥協して来たけれど、自分で書ける今となっては我慢する理由も妥協する理由が存在しなくなってしまった。そのせいか読書量は以前に比べて減ったと思う。元々小説はあまり読んでこなかったけれども。
小説の勉強のために小説を読むこともあまりない。
小説はあくまで表現手段の一つに過ぎない。書き手の個性が小説という手段を使って表現されたもの。
作品や書き手の個性を楽しむために読むことはあっても、小説のために、というなら小説以外から学んだ方が間違いなくためになると思っている。
とはいえ、小説投稿サイトに居るのだから気になる作品、話題の作品があれば読みたくなるというもの。
アニメ化された作品を観て、面白かったので原作を読む、ということもある。何度駄目でも今回は――――と期待してしまう。大抵はそっと読むのをやめることになるのだけれど。
全体的な傾向としては、小説家になろうの長編作品は最初が一番面白い。でも、その面白さが最後まで続く作品は滅多にない。そういう作品が人気になるから目立つだけなのはわかっているし、そういう作品ばかりじゃないのも知っている。でも――――更新が止まって未完結となっている作品が多すぎるから、それが理由で長編を読むことを躊躇するようになる気持ちは痛いほどわかる。
必然、完結済作品を読むようになるのだけれど、三桁話数を読める作品がほとんどない。面白さの問題じゃなくて、主人公の性格や態度が嫌すぎて途中で読めなくなってしまうのだ。
最初は仕方ないけど、徐々に良くなっていくんだろうと期待しても、話が進むほど酷くなってゆく。別に成長は求めていないけれど、人格破綻者が多すぎる。
特にアニメ化されたような作品はその傾向が顕著。あくまで私にとっては――――だけれども。
うーん……私が求めている主人公像がおかしいのかもしれない。きっとたぶんそうなのだろう。
振り返って思う。
小さな違和感や価値観の相違が積み重なって望む展開が裏切られる――――やがて許容値を超えてしまって続きを読めなくなる。
うーん、長編って大変だ。
短編なら勢いで誤魔化せるものも長編では無理。
私みたいな面倒くさい読者は多くないかもしれないけれど――――
最後まで読んでもらえること、楽しんでもらえることって奇跡みたいなものだよね。
読んでもらうまでのハードルも高いし、最後まで読んでもらうハードルはさらに高い。
やっぱり長編は大変だ。
それでも――――書くのはやめられない。
自分自身という理想の読者がいるんだからね。




