さぁ!旅立ちだ!
寒い。
人は、生まれてくるときに、誰もが、凍えるような寒さの中、その感情を抱いて、生れ落ちてくるらしい。
少なくとも、この小さな港町、ムスペルでは。
「あー・・・・・・。今日は確か、アルフさんのとこの出産日だったっけ」
港町の、浜辺近くの診療所で、立ち上る火柱を見ながら、俺は、独り言ちる。
人は、生まれてくるときに、誰もが寒さを抱いて生まれてくる。
母親の胎内という、温かいはずのものの、内側ではぐくまれてなお、赤子は、未だ知らぬはずの炎を求め、力の発露と共に、この世界に生れ落ちる。
それが、この周辺においての、伝承だ。
外には、もっと別の力が伝わっているのかもしれないが、それでも、この、ひどく居心地がよくて、温かい街においては、それが当然だ。
「ごめんください。ディック町長いますか?」
ゴンゴンと、備え付けられたドアノッカーを打ち鳴らして、今日もせわしなく働いてるであろう町長へと声をかける。
「あ。ヴル、何の用?」
けれど、ひょっこり顔を覗かせるのは、いつも見慣れた、ガキの顔。
「リンデ。何の用も、これだよ。氷菓子。今日も、町長が力の遣い方教えてんだろ?疲れたやつらにって」
「ほんと!?やったー!!おーい!みんなー!ヴルが氷菓子つくってもってきたぞー!」
「あ、馬鹿!?」
リンデのバカがそう、声を掛ければ、後ろの方から、ドタバタドタバタという、足音と、ディック町長の、叱る声が響く。
力は弱くとも、多勢に無勢。哀れ俺が作った氷菓子は、ガキどもの手の中、口の中へと落ちていく。
まぁ、元々そのために持ってきたんだけどさ。
「すまんなぁ。ヴル」
氷菓子を食べ終わり、今日の訓練も終わって、ガキどもが帰った後、町長は、俺にぽつりと謝罪を告げる。
「何謝ってんすか、町長。いつものことじゃないですか。それに、子供は元気な方がいいって」
「・・・・・・そうではない、村の雑用を押し付けてしまっていることだ」
「・・・・・・それこそっすよ。むしろ、俺は感謝してます。生まれた頃から、炎が使えなかった俺に、居場所を与えてくれたこの村に。この生活も気に入ってますし、みんなだってよくしてくれてます」
そう、炎も持たず、役立たずに生まれた、俺が悪いのだから。
この村では、一人一つ、自分の熱をもって生まれてくる。
例えば、さっき見た火柱だったり、手の中に宿るくらいの、小さな炎だったり。
それでも、生まれた瞬間は、その力が、胎内で放出できなかったからか、周辺を焼き尽くすような炎をまき散らしながら生まれてくる。
だからこそ、街で子供が生まれるときは、炎の制御が得意な大人たちが、たくさん集まって、それを止める。
けれど、・・・・・・そんな生まれたての子供の中で、・・・・・・俺だけは、どんな熱も、放たなかった。
それこそ、たくさん、苦労を掛けてしまったそうだ。
なにせ、この街にとって子供とは、炎と共に育つもの。
そして、大人になった者たちはその炎を使った生業をする。
小さな熱なら、料理などの生活に。
大きな熱なら、巨大な建造物の溶接や、船を動かす動力として、炎をつかった。
どちらにせよ、この街には、大なり小なり、炎を使わずに、生きる方法など、ごくごく、限られていた。
とはいえ、・・・・・・そう、とはいえだ。
俺は、この街には感謝しなくてはいけないだろう。
だって、そうだ。
町長を含めた大人たちは、炎を使えない俺のために、生きる手段として、雑用という名の仕事を、子供のころから与えてくれて、街の子供たちも、俺のことを、炎が使えないおちこぼれじゃなくって、ちゃんと、俺個人として、見てくれている。
だけど。
「ただいま、親父」
「・・・・・・・おう」
俺が、家に帰ると、親父は俺に、静かに返事を返して、・・・・・それだけで、再び、鉄へと向き直る。
そう。街のみんなは、よくしてくれて、俺のことをちゃんと見てくれる。
だけど、・・・・・・鍛冶師の親父には、どうしても、何も返せない。
この街の、鍛冶の炎は、すべて自前の炎だ。
炎の出せない俺は、きっと、あの人の炎を、鉄を、継ぐ資格さえ、得られない。
それだけが、俺の、許されるべきでない、ぜいたくな不満だった。
夜になり、街が静まり帰るころ。俺は一人で、寝床を抜け出し、月明かりの照らす、山へと走る。
山の展望につくと。町長から昔もらったボロボロになった教練書を開いて、炎の練り方を、必死に試す。
一つ一つ。それこそ、基礎の基礎から、最難関の応用まで。
けれど、当然、そこには、一つの熱さえこもらない。
当たり前だ。俺には、炎が宿っていないのだから。
「もう、今日もやってたの?ヴル」
「・・・・・・リンデ。こんな時間、風邪ひくぞ」
「平気よ。アタシ天才だもん」
そういって、彼女がわずかに指を振るえば、汗ばむほどの炎が、あふれ出る。
リンデの言う通りだ。こんなに汗をかくのであれば、俺のほうが風邪をひいてしまうだろう。
「・・・・・・・ねぇ・・・・・・、もう、辞めたら?」
「駄目だ」
「誰も、ヴルが、役に立たないなんて、思ってないよ?」
「違うんだよ・・・・・・俺が納得、できねぇんだよ」
そうだ。・・・・・・別に、これは、誰かに頼まれたからじゃない。
俺がやりたいから、やっているんだ。
例え、できないことだからって、諦めるのは、俺が許したくなかった。
「・・・・・あーあ、炎は使えないのに、熱いんだから」
「そんなに熱血ってわけでもねぇだろ」
「どこがよ」
くすくすと、笑いながら、リンデは俺の手を取って、顔まで持ち上げる。
「手は、氷みたいに冷たいのに、心のほうは、芯まであっつい」
「・・・・・・」
手を取られて、僅かに、自分の頬に、熱がともるのがわかる。
「あら、顔に炎が付いたの?」
「うっせぇ、ばーか」
「あ、そうだ。町長が、明日は、嵐が来るから、シグさんに、避難所に早めに行くようにって」
「おう、伝えとくよ。さっさと帰って寝ろよ。リンデ。背ぇちびっこいまま伸びねぇぞ」
「ヴルだって、大して変わんないでしょ!ばーか」
べぇっと、舌をだしながら、楽し気に炎を操って、風を生み出し、山を下っていく。
「はぁ・・・・・・俺もそろそろ・・・・・・」
ぐらり、と、体から力が抜ける。
そうだった。リンデの炎が、さっきまで。
それで・・・・・。
話に夢中になりすぎて、体に熱がたまっているのを、気にしていなかった。。
冷まさないと、でも、どうやって。
あたりに、水なんてない。
頭を必死に回しても、浮かばない。
それでも、体は、頭にこびりついた方法を順繰りに試していく。
熱を制御できれば、何とかなるはずなんだ。
熱い、熱いと悲鳴を上げる頭を無理やり起こしながら、教科書の手順を、次々に試していく。
だが、鈍った頭はやがて、繰り返した手順すら間違えるほどに、意識を薄くする。
・・・・・・それこそがきっかけであった。
パキパキという、空気の割れる、音を聞いて、ひんやりとしてくる体に、俺は、意識を手放した。
「つめてぇ!!」
ぐしょぐしょに濡れて、冷えた体に、俺は目を覚ます。
何時間眠っていたのだろうか、いつの間にか、空は真っ黒な雲に覆われ、雷と、バケツをひっくり返したような雨が、街を覆って、街に増水した水があふれていた。
「・・・・・やべぇ・・・・・親父に、伝えてねぇ」
工房は家の中。窓の外など見ずとも、仕事に取り掛かれる。
もしも、外を見ていれば、親父も気が付くかもしれない。
頭の中にはいくつもの、最悪が、浮かんでは消える。
脚は、もう、動き出していた。
踏み込んだ大地は、ぬかるみの中に、ほんのわずかに、硬い何かを残していた。
水を吸い込むだけ吸い込んで重くなった泥まみれの服を忌々しく思いながら、山道を駆け降りる。
こういう時、本当に炎の力がうらやましい。
雨さえも、蒸発させるあの力なら、この服だって、乾いて、もう少し邪魔じゃないだろう。
こういう時、頭にできないことがよぎるのは本当に嫌になる。
浮かぶ最悪を、幾度も振り払いながら、もつれそうになる脚を必死にコントロールして、下っていく。
まだ、何も返していないのに、失いたくない。
例え、何も返せないのだとしても、それでも、やり切れることを、やり切れずにお別れなんて、絶対に許せない。
けれど、最悪は、俺の想像通りの姿で迫っていた。
津波が、港の桟橋を粉砕しながら、街を飲み込んでいく。
一回目。けれど、診療所が飲み込まれた。
昨日生まれた子供と、アルフさんの奥さんは無事だろうか。
いまは、信じるしかなかった。
時期に、二度目の津波が来る。その時はどこまで巻き込まれるか、分からない。
俺は、住み慣れた玄関を蹴り破り、親父の姿を探して、・・・・・・書置きを見つける。
どうやら、ちゃんと外を見て、避難所に向かっていたらしい。
ほっとして、その場に、座り込む。もう足も動かない。
「よかった、もう避難していたのか・・・・・」
よかった、これで・・・・・・。
「あ、ニヴ、やっと帰ってきた」
一瞬浮かんだ思考を、彼女の声が、消し飛ばす。
「なんでこんなとこにいるんだよ!?リンデ!」
「し、しかたないでしょ。避難所に、あんたいなかったんだから、心配で」
「それでも・・・・・・」
俺の怒鳴り声で、しゅんと落ち込むリンデをみて、冷静になる。
そう、リンデは悪くない。悪いのは、あんなところで眠りこけた俺が悪いのだ。
「悪い。取り乱した。・・・・・・・とにかく、避難所にいそごう。津波が来てる。ここだっていつ飲み込まれるかわからない」
「うん・・・・・急ぎましょ」
とにかく、リンデを、避難所に送り届けなければ、町長にも、親父にも顔向けができない。
彼女の、燃えるように熱い手を握って、俺たちは、住み慣れた街を、駆け抜ける。
津波は、まだ来ていない。
「リンデ、飛べそうか?」
そう、問いかければ、彼女は不安そうな顔で、頭を横に振る。
「嵐が強すぎて、炎も、風も、上手く操れないから・・・・・・ごめんなさい」
「大丈夫だ。・・・・・・まだ、時間はあるはず、焦らずに避難所に向かうぞ」
そうはいっても、耳は、水がまきあがる轟音を覚えている。すぐに、第二、第三波が来る。
タイムリミットは、・・・・・・そう残っていなかった。
「・・・・・・嘘」
二波が、街の半ばを飲み込んだころ、避難所へと向かう道は、増水した川によって破砕されていた。彼女だけでも、と、言いたいが、渡りきるには、川の幅、15メートルはあまりにも遠い。
「・・・・・・別の道を、探すしかない」
必死に、声を、振り絞る。
自分の声が震えているのがわかる。
街中を雑用で駆けまわっていたから、分かる。
次の波までに、間に合う道なんて、ない。
けれど、せめて不安にさせてはいけない。
大丈夫、きっと、大丈夫。
そう、リンデに、・・・・・・あるいは俺自身に必死に言い聞かせながら、雨の街を駆け抜ける。
耳が、波の轟音を、捉える。
「・・・・・・ニヴ・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
雨による不安か、・・・・・・それとも。自分の命の最後を感じてしまったのか、リンデの瞳から、大粒の涙がこぼれる。
「諦めんな!!俺が、俺が何とかしてやる!!」
ただ、叫ぶ。
けれど、・・・・・・けれど、リンデも、分かっているのか、首を振るう。
そうだ、・・・・・・炎が使えるリンデよりも、俺のほうが、役に立たないことなんて。わかっている。
それでも、助けたいのだ。
好きな、女の子くらい。
けれど、リンデの体は、いつもと違って、泣きたくなるくらい、冷たくて。
・・・・・・そういえば、俺は結局、どうやって、彼女の熱を冷ましたのだろう。
燃えそうなくらい、熱かったのに、起きた時は、ひんやりとしていたくらいだ。
でも、あの冷たさは、雨のものじゃなくて、寧ろ・・・・・・氷菓子のような。
あの時は、確か、そう、・・・・・・ボーっとした頭が、普段と違う、順番で。
そう、【普段と逆の順番で】。
「・・・・・ははっ」
「ニヴ・・・・・・?」
ピシリ・・・・・・。という、音に、俺は、口元に笑みを浮かべた。
そう、この時、やっと、俺は理解したのだ。俺の力を。
手の中に生じた、小さな氷粒を、砕きながら、俺は、迫ってくる大波を見据える。
そうだ。
俺は、ベクトルが違っただけだったのだ。
間抜けな俺は、たったそんなことにも気が付かなかった。
いや、きっと、こんな子供が生まれなかったから、この街の人たちも、気が付かなかったのだろう。
炎を使っているのだから、自分たちが、炎を操って、自分の炎を消していると。
けれど、ちがった。
「炎が消えるのは、炎が消えるレベルまで、炎の熱を奪うからだ」
「な、なにいってるの?はやく、逃げなきゃ」
「大丈夫だ。リンデ!俺が、皆助ける!」
どちらにしても、ダメだ。
走って、たどり着いたところで、目の前に、立ちはだかる大津波は、どう見たって、避難所さえも飲み込む。
だから、俺がやらないと。
できるか、できないかじゃない。やらなきゃ、街がなくなっちまう。
「何度も、やってきた。あとは、その手順を逆順にするだけ・・・・・・リンデ!悪い!今から粗っぽいことするから!自分の体に薄く熱を纏っててくれ」
「う、うん。わ、わかった」
リンデが、体の周りを炎で包んだのを見てから、俺は、ただ、手順を繰り返す。
周囲の空気から、熱を奪って集め、一点に集めて燃やして火を生み出す。
その逆。物体の熱量を拡散して、全体を冷やす。
熱を奪われた、俺の体を伝う水滴が、凍り付き、あまりの冷たさに、皮膚が避け、痛みが走る。
けれど、まだ足りない。もっと集中を。
「ニヴ!」
脚が、崩れ落ちる。
体が、冷え切って、動かなくなる。
そういえば、昨日も、冷たくて意識を飛ばしたんだった。
でも、このままだと・・・・・・。
皆・・・・・・・。
そんな思考の中、温かさが、体を包む。
「大丈夫、・・・・・・大丈夫だよ、ニヴ!」
「・・・・・・ありがと、リンデ」
リンデの熱が、体に伝わってくる。
かっこつけたい女の子に守られるなんて、情けないけれど。でも。
これで、皆を守れるなら。いくらだって、情けなくなってやる。
「凍てつけ、クソ野郎!!!」
世界がひび割れる音が、町中に響き渡った。
「・・・・・・もう行くの?」
次の日。
あれだけの嵐だったのに、まるで、それがなかったかのように、太陽が俺たちを照らしていた。
結論からいえば、作戦は成功した。
津波が動く力を、すべて奪い取って、街を襲う津波を、一気にすべて凍り付かすことに成功させた。
問題があったとすれば、繋がってた水・・・・・・つまり、海の、流石に、海全体じゃないけれど、それでも、かなり遠くまで一気に凍らせてしまったこと。
おかげで、今日は、皆が、海を溶かすために大人も子供も、大忙しだ。
そして、俺は、流石に、街に及ぼした被害も、でかすぎた。
皆を助けたけれど、下手をすれば、皆を殺しかけたのだ。
「追放処分、妥当だろ?あんなひっでぇ状態にしちまったんだから。それに、能力の制御ができるようになるまで。だからな」
「・・・・・・でも・・・・・・何年かかるか、分かんないじゃない」
「ばーか。大丈夫だよ。どんだけかかっても、絶対帰ってくるから」
泣きそうな顔をするリンデの頭を、ぐしゃぐしゃに撫でる。
そんな、泣きそうな顔されたら、行きにくくってしょうがない。
「バカ、・・・・・・ニヴのばか」
終いには、ボロボロと、泣きだして、俺のことを、叩き始める。
ちいさく、ため息をついて。俺は一つ、提案をする。
「・・・・・・それじゃ、一緒にいくか?」
ぴたり、と、泣き声が止まる。
そして、その顔を上げると・・・・・・三日月めいたゆがみ方をした笑みが待っていた。
「いったわね?町長も聞いたわよね!」
「ばっちしのぅ」
「あ!?町長!?くっそ!?はめやがったな!?」
策略にかかったのに気が付くには、少し、遅かった。
町長が、放ってきたのは、二人分の荷物。
「ほら、いきましょ?ニヴ。てんっさい、リンデちゃんがついってってあげるから」
「あぁ、もうくそ!・・・・・町長、いってきます」
「おう、またな」
手を振ってくれる、町長にせを向け、俺たちは、旅立つ。
いつかまた、ここに帰ってくるために。