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大国コーセリアが誇る王城、その書庫を目の当たりにしてレオーネは興奮のあまり大声をあげそうになった。勿論、そんな真似をする訳にもいかず落ち着く為に深呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか? すぐ換気いたします」
「ありがとう、大丈夫です」
案内してくれた王宮女官は、独特な本の香りに酔ったのだろうと気遣ってくれるが大好きな古書の匂いに心中穏やかでいられないなどと変態じみたことを言えば、コーセリアの3大公爵家の一角ヴィレンテール家の汚名となるだろう。
(ちゃんと淑女として振る舞わねば、カイン兄様のお小言をいただいてしまうわね)
若くして宰相補佐を務める次兄・カインに頼まれて、借りていた本を返しに来たのは忙しい兄を気遣ったこともあるが何よりレオーネが訪れたかったのだ。本当なら今頃、大広間にて妙齢の貴族令嬢達が王族との顔合わせをしている最中だというのに、理由があることをこれ幸いに逃げ出したのだ。
貴族階級にあたる婚姻前の令嬢達は、例外もあるが王城で侍女として王妃や王女に仕える習わしがある。花嫁修行の一環として特に社交界デビューを前にした令嬢達を、王族への顔繋ぎができるため家としては出来るだけ王城に送り込む。
レオーネは16歳で、兄が2人妹が1人というヴィレンテール家の長女。社交界デビューも果たしているし公爵家令嬢という身分の高さから慣例から言えばこの場にいるべきではない。本来ならば王太子の婚約者候補となっても良い身分なのだが状況的に難しい。
現国王ゼファールには、正妃の他に4人の側妃が存在する。そして、正妃以外は王子を産んでいるという事実が問題だ。
第一王子は18歳になるはずだが、未だに王太子として選出されないのは母親であるニ妃の身分が低いことが原因ではと噂されているし体が弱く社交界にも現れない。第二王子はレオーネと同じ16歳、最も王太子に近いと思われていたのだが慣例の15歳の社交界デビューの際に発表されなかったのだ。あと2人の王子は王太子になるにはまだ幼い。
貴族達の間で、次期国王に取り入るために今後の王家の様子を窺っているという訳だ。その為、各家から送り出された令嬢達は今回例年の倍近く、レオーネの妹リリネットも送られた1人でもともと夜会で親しくしていた同い年の王女の側仕えに選ばれるだろう。母の生家である伯爵家の令嬢である従姉妹も、同じく伯爵家出身の第四側妃に仕えることが決まっていると聞く。何より国王が最も信頼を置くとされる宰相には実兄が補佐となっている。
(……兄様の立場もあるから、どなたかに仕えるのも難しいし)
案内だけ済ませると、騎士は仕事があるからと立ち去ってしまう。書庫と言っても、わざわざ別棟となっているだけになかなか広く、管理をしている人物がいないかうろうろと彷徨うことにした。持ち出しを管理する受付の様なものはあったが、そこには誰もいない。
しばらく気になる本を眺めながら、書庫の奥まで行けばテーブルや床一面に本が立てられているのを見つけた。見たことのない光景に、レオーネは思わずかけよって一冊の本に手を伸ばした。
「――虫干しを見るのは初めてですか?」
「ふぇ!!?」
急に声をかけられたことにびっくりし、思わず触れようとした本を倒してしまった。振り向くと、レオーネの母親ほどの歳だろう妙齢の婦人が立っていた。慌てて倒した本を持ち上げ、中の紙が折れていないことを確認してほっとする。
「あの、申し訳ありません。勝手に触れてしまって」
「いえ、こちらこそ急に声をかけてしまった様で驚かせてしまいましたね」
お詫びにと言って、お茶を用意してくれる婦人を見ながら頑張って記憶を掘り起こして見るが、社交界であった覚えがない。城の侍女とするには身なりが良いし、書庫の司書番にしては貴族然としている。とりあえず、騒がしてしまったのはレオーネの所為だしまだ名乗ってもいないことに恥じ入ってしまう。
(兄や家名に泥を塗るわけにはいかないのだから )
「あの、申し遅れました。レオーネ・ヴィレンテールと申します、勝手な真似をして申し訳ありませんでした」
「まぁ、公爵令嬢でいらっしゃったのですね。ここは本しかありませんが、何かご用事でもありましたか?」
「兄から頼まれまして、本を返却しに来たのですが目的の棚を探している途中でした」
持っていた本を取り出せば、婦人はふわりと微笑む。失礼ながら、ずば抜けた美人ではないしむしろ十人並みだが、所作はレオーネに作法を厳しく躾けた祖母より美しくつい身惚れてしまう。
「その本はレオーネ様では届かないでしょうから、もうすぐ来る方にお願いしましょう。それよりも、城へはお兄様へ会いに来られたのですか?」
「いえ、侍女選出の儀に参りました。と言っても我が家は妹もおりますので、私の選出は二の次なのです」
美味しい紅茶をいただきながら、言葉を選んではみたが素直に本当のことを口にしてしまう。そんなレオーネの言葉に、婦人はわずかに表情を曇らす。
「…...そうですか。通りで、ここしばらく城内が慌ただしかったのですね」
婦人の言葉には、知らなかったのだろう響きがある。年に一度のこととはいえ、城で仕える者が知らされないなど考えられない。
当然の様に、レオーネが名乗ってからは敬称をつけられて呼ばれていたから城仕えなのだろうと思っていたが、思わず背筋に冷たいものが走る。
「おや、珍しいですね。貴女の茶会に私以外が招かれるとは」
低い美声に振り返れば、思わず息を呑むほど整った顔の人物と目があった。冷たそうな美貌は年齢不詳で、レオーネより年上だろうということしかわからない。そんなレオーネとは対照的に、婦人は男性を受け入れた。
「ちょうど良かったわ、こちらヴィレンテール公爵令嬢のレオーネ様。この本を書庫へ返しに来てくれたのだけれど、一番上の棚だから代わりに戻して欲しいの」
どうやら、予定されていた来訪者は彼だったらしい。明らかに身分が高い男性へ本を手渡す婦人に、レオーネは慌てて立ち上がる。
「私が頼まれた事ですから大丈夫です!」
「頼んだのは私だ問題ない、戻ってくるまでにお茶を用意してくださいね」
短くレオーネをあしらうと、婦人に向かっては優しく微笑み書庫の奥へと向かって行く。レオーネが頼まれたのは、兄であるカインである。不思議に思った瞬間、思わず戦慄した。
ーー頼まれる際兄から言われたことを思い出したからだ。
『レオーネ、前から城の書庫を見たいって言っていただろ?入室許可を出すから、この本を返却してきてくれないか?宰相閣下から頼まれたんだが、動けそうにない』