少女の正体
よろしくお願い致します。
「んん」
少女の唸るような声ではっと意識を取り戻した。
ベッドから身を起こした少女は眼を擦りながら辺りを見回して、椅子に座る俺の姿を捉えた。
俺も寝落ちしていたので、半ば少女と同じように朦朧とした意識の中で事態を飲み込む。
窓の外は深夜の静けさに覆われている。
「魔族か? 人間か?」
「……人間だが」
「殺すか、妾を」
「俺を何だと思ってんだ……」
俺は机の上に置いておいた、パンに干し肉と野菜を挟んだものを、少女の元まで運ぶ。
彼女はしげしげとそれを眺めて、手に取ったあと、ポツリと呟く。
「毒殺か」
「どんだけ殺されてえんだお前」
「この空腹を満たしてから逝けるのであれば、本望か」
そして端正な人形のような顔つきが台無しになるほどの大口を開けて、パンにかぶりつく。もっきゅもっきゅと音を鳴らしながら真顔で租借し、飲み込む。
同じことをもう一度繰り返すと、それなりに大きかったパンが姿を消す。
すん、と鼻から息を吐いたあと、少女はこちらをじとりと見つめてくる。
「遅効性の毒か」
「……」
「毒が回る前にもう少し食べたい」
少女の腹が鳴る。仕方がないので俺は再び、調理場へ行って、同じものを作る。パンも干し肉も野菜もたくさんあったので、作れるだけ作って寝室に戻った。
皿の上に盛られたパンの群れを見て、少女は赤い瞳を輝かせた。
それからはもう、一心不乱に食べた。口の周りが汚れるのも気にせず、間に挟んだ野菜がボロボロ散らばるのも気にせず。
一通りすべて食べ終えてから、彼女は自身の満たされた腹をまじまじと眺めて、先ほどまでより理性の灯った瞳で俺を見た。
「毒が、入っていないのか……?」
「俺は入れた覚えがないが」
「……貴様、何が目的だ?」
少女は怪訝そうな瞳で俺を見つめる。毒云々については理解が追い付かないため、とりあえず飯をご馳走したもっともらしい理由を探して俺は言った。
「怪我、お前が直してくれたから。そのお礼」
「怪我? ああ……」
朧気にしか覚えていないという感じだった。直してもらったという事実があれば、それでいい。
俺はどこか噛み合わない彼女との会話に違和感を覚えながらも、疑問に思っていたことを訊いてみる。
「お前、あんなところで寝ていたら普通に死ぬぞ」
「ああ、凍え死ぬものと思っていた」
「なにしてたんだよ、お前みたいな歳のやつが。親に捨てられたのか?」
俺の問いに少女は首を傾げて、それから瞳を大きく開いた。「まさか」と呟いて、俺を真っすぐ捉える。
「妾の顔を知らぬのか」
「……ああ、知らねえけど」
なんだその尊大すぎる自意識過剰は……。
それからまた少女は思案して、「知れるのも、時間の問題か......」と諦観の面持ちを浮かべた。
彼女は居住まいを正して体の向きまでこちらに向けたあと、「自己紹介をさせてもらおう」と言った。
「妾は現魔王である、リリネル・サタンファクトリアその者だ」
「は?」
呆然とする俺をよそに、「人間、貴様は名を何という?」と訊ねてきた。
⭐︎
俺はAランクパーティーの冒険者だったので、魔界には足を踏み入れたことがなかったし、もちろん魔王の姿を見たこともない。
そのため少女、リリネルの発言の真偽は付かなかったが、世界の半分を統べる魔王が、この片田舎の路地裏で死にかけているというのは、どうにもおかしな話だ。
「カナデというのか」
女のような名前だな、とリリネルは呟いた。
「どうだ、魔王と知って殺す気にはなったか?」
「……簡単に信じられるような話じゃないが」
「信じずに甲斐甲斐しく世話をしてくれても構わんのだぞ?」
「本当にお前が魔王なんだとしたら、いま俺の手には人類の存亡が握られているんだな」
俺のからかうようにそう言ったが、彼女にとってはそれが心底可笑しいようで、くつくつと笑った。
「貴様、本当に何も知らないのだな」
それからリリネルはぽつりぽつりと語り始めた。
ーー前魔王、アース・サタンファクトリアには七人の娘がいた。
魔王としての力が衰弱の一途を辿っていることを察した前魔王が、七人の娘にその位を継承したのはほんの二月ほど前の出来事だという。
魔王の娘は七姉妹であり、それぞれに平等な継承権を与えられていたが、幼少期より次期魔王としての素質は、周囲の魔族たちに測られていた。
これから先、忠誠を誓うべき主君を見定めていたのである。
リリネルは七人の姉妹の中で、最も素質の無い魔王になるだろうと言われ、幼少期から劣等な扱いを受け育った。
従属する配下も皆無、そうした中で魔王継承の時を迎えた。
強い姉妹たちが魔界の主要部に城を築き、魔王としての統治を始める中、リリネルはジャンパー大陸の端、魔界領土の端くれに追いやられた。
かつての大戦で籠城戦に用いられた古い石塔に身を潜めて、暫らくは難を凌いだが、やがて食料も尽きて飢え死ぬ時を待つのみとなった。
そしてあろうことか、魔王の身でありながら長逝の孤独に耐えかね、人の町に足を踏み入れたのだという。
「妾は七人いる魔王の中の最弱、よもや数にさえ入ってはおらん。妾を殺したところで何も世界は変わらんし、このまま捨て置けばわざわざ手を汚さずとも勝手に消える儚い灯よ」
リリネルはゆっくりと瞳を落として、自嘲した。突拍子もない話だと思った。話が壮大すぎて真偽を確かめる術は見つからんが。
唯一、先程の酒場での世間話と類似するところが見受けられるくらい。
ーーひとまず、その真偽は置いておくにしてもだな……。
それよりも俺は気になっていることがあった。
リリネルが魔王であるかどうかはわからないが、彼女が少し人と違う運命に当てられた人種なのだということは、俺にでもわかることだった。
俺はリリネルの座る俺のベッドに、着々と根を張って伸びる色とりどりの花々を指差した。
「それ、お前の魔法か?」
「ん、ああ、すまぬ。使い物にならなくなったな」
リリネルは自分の座るベッドの上に咲き続ける花々を撫でて、そう言った。続けて「ユニークスキル、『愛』だ」と口にする。
「愛?」
「魔王でありながら、妾に使える魔法はこれきりだ。人や魔族、モンスターや植物、そのすべての垣根を越えて、生きとし生けるものへ生命力を授ける回復魔法。妾は人の身を汚す術を何一つ持たない魔王」
体外に放出されている微弱な魔力が常にこの魔法を行使してしまうために、長く身を留めた場所には植物が群生するという。
魔王とは対極に位置する、物語に出てくるお姫様の持つ魔法みたいだ。
「そいつは、すげえ魔法だな……」
「そうか?」
「俺は一応、冒険者なんだ。さっきの回復魔法がすげえヤツだってことくらいは、わかる」
「役に立たぬ能力だ。魔王とは、癒す者ではなく、奪う者なのだろう?」
リリネルはそうして俺に問いかけてくる。まあ、一般の常識に照らし合わせれば、奪うほうなのかもしれない。
何も答えない俺を見て、リリネルはふんと鼻を鳴らした。
「それで、どうする? 妾を殺すか?」
リリネルの瞳が俺を見つめる。弱弱しい命の灯が、瞳の奥に映っているのがわかる。
先にも述べたとおり、リリネルの語った境遇が本当のことである保証などどこにもなかったが。
ーーまあ、そんなことはどうでもいいことか。
重要なことは、目の前に佇む彼女の風情が、衰弱し疲弊しきった生物のそれであることである。
その辺にほっぽりだせば、明日の朝にでも死んでしまうだろう。
それは人としてあり得ない選択肢だ。
「……まあ、お前が本物の魔王かなんて、誰かに証明できるようなものでもない」
「ふむ?」
「真冬の夜の町で、痛い妄言吐いている少女が死にかけている所に出くわしたとき、多少面倒を見てやるくらいの良心なら、人間誰しも持っているもんだ」
何かの縁だろう、と俺は自分に言い聞かせる。
「しばらく面倒見てやるよ」
ありがとうございました。