俺は無能冒険者
よろしくお願い致します。
ーー深い森林が風に揺られた。
木立の隙間を抜ける俊敏な人影があった。
パーティーリーダーであるシルクは、背後に数十体もの草属性オーガの群れを引き連れながら、森林を飛び出し草原へと姿を現す。
飛び掛かった一体を華麗に剣で薙ぎ払いながら、冷静な面持ちで「いまだ」と声を張る。
シルクの合図に合わせて、森の裾野から小さな影が飛び出す。戦士のミミである。
彼女は年端も行かない少女の外見をしていたが、身の丈の数倍はあろうかという巨大なアックスを悠々と持ち上げている。
「とりゃ」
呆けた掛け声からは想像もできないアックスの一撃。
オーガの群れの中に落とされたその打撃は、数瞬遅れて衝撃波を発生させた。
地面に突如として出来上がったクレーターにオーガの群れが落ちたところで、その真下の座標に赤い魔方陣が描かれる。
草原の一角には紺色のローブに身を包んだ少女、魔法師、ハートの姿。
「怨嗟の炎、『ヘルファイヤ』ッ!」
凄まじい勢いで魔方陣から炎の玉が噴き出す。続いて、凄惨なオーガたちの悲鳴が響く。
遅れて森から飛び出してきたオーガの仲間たちは進路を変える。草原の奥に見える『村の畑』へと猛然と突き進んだ。
しかし、その手は既に読んでいる。
彼らの行く手には銀色の鎧に身を包んだ女騎士、ジャスティンが悠然と立っていた。
「悪を滅する壁、『セイントシールド』ッ」
四方十メートルほどの透明なシールドが、迫りくるオーガを迎え撃つ。押し返された先にはシルクを初めとするパーティーメンバー。無論、一匹残らず駆逐される。
そして最後、奇跡的にセイントシールドの外側に回り込んだ一匹のオーガが、畑へ向けて全力疾走をする。
孤独のオーガは既に理性を失った風情で、その動きはひどく単調。
俺は、早朝の朝露に濡れた冬野菜レタースを背後に、村を守る最後の砦となる。黒曜石でできた愛用のナイフを逆手に持ち、構える
ーーフェイントを一発決めて、タイミングを外したところで一気に仕留めるっ!
俺が俊敏にバックステップを決めたそのとき、オーガが予想外の行動を取った。手に持った棍棒を投げつけてきたのである。
棍棒とは果たして投げつけるための武器だったろうか。俺の認識が正しければ打撃するための武器のはずだったが。
放たれた棍棒は回転しながら、徐々に俺の視界を覆っていく。
「ぶへっ!」
顔面にクリーンヒットした棍棒の勢いに押されて、俺は村を囲む木製の囲いに体を打つ。
オーガはそんな俺を足蹴に柵を飛び越えると、新鮮なレタースを丸かじりにする。
瞬間、オーガの頭の先に生えた草から花が咲いて、花の中心から種子がばらまかれる。
草属性オーガの特性である『ワンフォーオール』
彼らは一人一人の戦闘力が弱い代わりに、仲間が一人でも生きていれば再び群生する。
クレーターに散乱したオーガの群れが光の粒子となって消え去り、畑の上に蘇る。
それからはもう、見るも無残な景色である。
広い畑に転がるレタースはそのほとんどがむしり取られ、その後、オーガたちは森の中へと去っていく。
俺たちはそれを呆然と見つめることしかできない。
クエスト失敗の瞬間である。
★
ダンッ、と。
ギルド内に設けられた酒場の一角で、シルクが木製テーブルに拳を打ち付けた。強靭で破天荒な冒険者たち用に作られた分厚いテーブルに、一筋のヒビが伸びる。
騒々しい酒場の喧騒は一瞬静まり返るものの、すぐさま活気を取り戻す。この酒場にあって、シルクの怒る姿というのは珍しいものではないのだ。
シルクは淡々と起伏のない声音で、俺に告げる。
「この無能、雑魚、底辺冒険者。お前のような者に比べるならば、馬場に転がる糞のほうがまだ有用性がある。私は糞以下ですと言え」
「う、うんこ以下です、僕はっ!」
「……ちょっとやめてよね、私いまローストビーフ食べてるの」
クエスト失敗の報告を終えた夕刻。
晩飯と共に今日の反省を行うとシルクは言ったが、無論として反省すべき人物は俺しかいない。
壁際のテーブル席にパーティーメンバーが腰を下ろし食事をしている中で、俺だけが床に正座し、周囲の注目を集めていた。
ハートは半眼で俺たち二人を見ながら、皿の上の肉を突く。ハートの対面に座るミミは、大量の空き皿を積み上げる傍らで、メイプル羊の黒ソーセージを口に詰め込んで、飲み込む。
「口から入るか、お尻から出るかの差。大したことではない」
「入口と出口よ、差しかないじゃない」
「や、やめないか、そんな下品な話は……」
クソの話をしながら食事する女子二人を、顔を赤らめたジャスティンが窘める。同時にジャスティンはこちらを見て、「ほら、シルクも」と続ける。
「カナデをいつまで地面に正座させておく気なんだ。食事はみんなで楽しまなければ……」
「ダメだ、ジャスティン。こいつは僕たちと同じ食卓に座れるような人間ではない」
そうして永久凍土のような瞳で、静かな激情を迸らせるシルク。
目の前に運ばれているシチューはすっかり冷めきっているというのに、シルクは一向に手を付ける気配を見せない。
その整った顔立ちを僅かに歪めながら、シルクが粛々と罪状を読み上げた。
「どこの世界にAランクパーティーの一員でありながら、たかだか一匹のオーガに負けるようなやつがいるんだ。僕はリーダーとして恥ずかしくて仕方がない」
ーーAランクパーティー、『昇天の剣』
それが俺の所属する冒険者パーティーの名だった。
遥か古の時代、魔王、アース・サタンファクトリアが世界の半分を人類から奪った。人類と魔族は、それぞれの境界線を巡って終わらない戦いに身を投じることとなる。
魔王の統治する領土は魔界となって、魔族、モンスターの巣窟と化した。
魔界から漏れ出るモンスターの類は外界の自然と共存するようになり、人々は不自由な生活を強いられるようになったのである。
そこで冒険者という職業ができた。
冒険者は所属するギルドに寄せられる依頼をこなし、モンスターの魔の手から人類を救うとともに、魔王に奪われた国境線を奪い返すことを目的とする。
冒険者パーティーはその実力をもとにEからSSSまでのランクに割り振られる。Aランクパーティーともなれば、一つの町に何組といない。稀有な実力の冒険者集団として周囲に認められることとなる。
「だと言うのに……」
俺は悩ましげに眉間を摘むシルクに対し、恐る恐る口を開く。
「い、いやぁ、しかし、まさか手に持った武器を投げるとは、中々肝の座ったやつだったというか、もしかすると異常に脳の発達した特異種だった可能性も……」
そこまで言ったところでシルクの鋭い眼光が俺を捉えて、思わず肩を震わせる。
やばい、怒鳴られるっ。覚悟を決めて目を瞑る俺だったが、ハートの思わぬ横やりに救われることとなる。
「まあ、カナデを助けるわけではないけれど、確かにこの真冬に草属性のオーガが湧くなんて、ちょっと珍しい話よね」
シルクの意識がそちらへ向いたことを察したジャスティンが、更なる助け舟を出してくれる。
「わ、私の家の庭でもダンドリオンの花が芽吹いたのだっ。まだ寒い季節なのに、この町だけに一足先に春がやってきてしまったような感じだなぁ」
「……確かに、珍しい事態ではあるがな」
シルクは諦めたように嘆息して、冷めたシチューに手を付ける。ジャスティンたちの優しい心遣いを無下にするつもりはないらしい。
ハートがジト目をこちらに向けながら、顎でくいっとシルクを指し示す。俺は彼女の意図することを悟り、「本当にすまん……」とシルクに謝る。
仏頂面を浮かべるシルクの対面、ジャスティンが空いている椅子をすっと俺の方へ寄せてくれて、俺はそれに恐る恐る座った。
ミミは相変わらずバクバクと料理を平らげながら、思い出したように言う。
「アークティク大陸には、吹雪を降らせる魔物がいるって聞いた」
「でも、季節を変えてしまうほどの魔物って、すごい強いやつでしょ?」
「それに、私たちの町は気候だけ見ればまだまだ冬なんだ。植物や魔物ばかりが先を越している」
「脅威となる魔物が現れたならば、ギルドがいち早く教えてくれるはずだ。僕たちが心配することじゃない」
シルクはその議論をスッパリと閉じ、「とにかく」と歯切れよく言うと、俺を睨んだ。
「お前はAランクパーティーの一員だという自覚を持ち、相応しい力を早く身に着けろ。お前のせいで僕たちは非常に迷惑している」
「すまん……」
「あとひとつランクを上げれば、Sランクパーティーを名乗れる。そうして、やっと始まる」
やっと始まる。その言葉の意味するところはただ一つ。
冒険者の役割が、人類領土に住み着いた魔物の討伐と人類領土の奪還、の二つであることは前述したとおりだが、このうち後者は特別な資格を持った冒険者パーティーでなければ、ギルドの許可なく勝手に行うことはできない。
その資格というのがSランクパーティーとなることなのである。
冒険者の最終的な目標は、Sランクパーティー以上となり、危険の跋扈する魔界を進軍して、その奥底にいる魔王を倒すこと。
そうすればおのずと、失われた人類領土の全てを取り返すこととなる。
それがシルクの目標。
夢を果たすための第一段階。
俺さえいなければこいつらはとっくにSランクパーティーになって、今頃魔界を冒険している。
俺が足を引っ張っているばかりに、こいつらは今もまだ、こんな狭い田舎町で冒険者を続けているのだ。
その点に関して、俺は本当に苦悩している。
「オーガ一体すら倒せないようでは、そこらのCランクを雇ったほうがまだ使える。僕たちのパーティーに入りたい冒険者は、この町にだって腐るほどいるんだ」
「……そうだな」
「お前のような無能の面倒を見てやっている僕たちの優しさを知れ。これに報いる気がないのなら、いますぐどこかへ消えてもらって構わない」
きっぱりと言い切るシルクに、俺は小さな声で謝る。こちらを気遣うような視線を向けてくれるメンバーたち。
そういう優しさに触れると、いっそう自分の弱さに嫌気がさす。
同業者である冒険者やクエストの斡旋を行うギルド職員たちから、陰口をたたかれていることも知っている。
シルクの言ったようにこのパーティーに入りたい冒険者は数えきれないほどいる。
ギルドの誉れであるSランクパーティーの誕生を邪魔する俺のような役立たずを、疎ましく思うギルド職員も同じく。
実を言えばギルドマスターに、面と向かって今のパーティーを脱退するよう言われたこともある。
俺は今まで、苦難を乗り越え、自らを鍛錬し強くなり、いつの日かパーティーに貢献することこそ、俺にできる最良の恩返しだと思っていたが、それは果たして本当なのか。
俺は、今年で17になる。
幼い頃思い描いていたような精神の成熟は感じ取れず、まだまだ無知な若輩者だが、身の丈に合わない空想や夢を目がけて走り続ける幼さとは、訣別すべき時だとも感じていた。
俺の勝手な我儘は、大切な仲間たちの夢を途絶えさせている。ギルドを打つ喧騒の中、俺は一人顔を俯かせた。
ありがとうございました。
更新頑張りますので、これからも読んでいただければ嬉しいです。