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瞼を開けば天井とセインの顔があった。
飯屋の床でチゼルは目覚める。
起き上がれば、体の節々が痛みを訴えた。辛うじて動ける首だけを回し、周囲の状況を確認する。
荒れ果てた食堂。
木片と血に塗れた惨憺たる景色だった。
セインは無傷――のように見えるが、着衣に自動修復機能があるだけで、その体の内にまだ傷があるのか痛みを堪えている表情をしている。
彼女以外にも数人いる。
傍らにはダウルとガディウスが座っていた。
現場を調べる役人らしき者たちが部屋のそこかしこで動いている。
あとは。
「…………あいつは?」
チゼルは再び食堂を見回す。
アヴカエルドの姿がそこには無かった。
セインはこっそり唇に人差し指を当てる。
他の者には見られないよう努めたその仕草が可笑しくて、チゼルは自然と微笑んでいた。
その笑顔に。
傍らにいた二人が動き出す。
「チゼル、良かった…………!」
「うぐ」
感極まったダウルがチゼルを抱き上げる。
薬師として負傷者の体には慎重に気を配る生業の彼だが、普段から身に染みついた気配りすら忘れている。
それほどに安心しているのだ。
首筋で嗚咽するダウルの声。
チゼルはやや耳を赤くして身動ぎした。
「し、心配し過ぎだって」
「でも」
「ぅおおおおおお、チゼルぅぅぅ!!」
「うるさい」
横で吠えるガディウスに冷たくチゼルは言い放った。
セインも呆れ顔で主人を見ている。
ダウルに抱きしめられたまま、チゼルは意識を失う直前の出来事を振り返る。
たしか。
ゼモーテスに敗北した。
そのまま胸を腕で貫かれて――…………?
「あれ」
チゼルは自身の胸に手を当てる。
そこにはしっかりと感触があった。
ダウルを引き剥がして体にかけられた誰の物とも知れない黒外套を剥ぐと、ぽっかりと服の前身頃には穴が空いている。
たしかに、ここを敵の拳が貫通した。
だが、そこにあるのは白い生肌だけ。
うん、とチゼルは小首を傾げる。
チゼルの疑問とは別に、周囲は慌てていた。
「ちょ、チゼル前を隠して!」
「乙女が肌を晒しちゃいけません」
ばっとすぐに外套がかけられた。
赤面したダウルと顰めっ面のセイン。
隣では。
「ひぐっ、よがっだぞチゼルぅぅうう!!」
何も気付いていないガディウス。
チゼルは苦笑しつつ。
やはり脳裏に一人の男の姿が無い理由に思いを馳せていた。
おそらく、彼の処置に違いない。
ただ肝心の彼は何処か。
訳知り顔のセインは黙秘している。
「いま、どうなってる?」
「レギュームの統括部が調査中よ」
「…………聖バリノー教の連中は」
「全滅」
セインは嘆息混じりに答えた。
レギュームがこれから如何として責任追及していくか。
セインが狙われた以上、剣爵も看過はしないが相手は組織的にも力のある聖バリノー教なので、実害はほとんどない妥協案に落ち着くのだろう。
当事者としては、不本意だが。
「ううん」
それにしても。
チゼルは違和感に眉根を寄せる。
意識を失っている間、声が聞こえていた。
アヴカエルドと、誰かの声。
「誰、だったんだろう」
その答えは出ないまま。
チゼルたちの血に塗れた一夜は終わりを告げた。
窓から見える外には曙光が差している。




