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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
983/1102

小話「魔森の星」⑼



 洋館の門を開けて中へと入る。

 タガネは閉門とともに荷物を下ろした。

 人の手が入らない険路を、大荷物で歩んだ疲労は多少なりとも体を苛んでいる。自ら肩を揉んで、疲労を溶かしたようなため息をついた。

 それから荷物を背負い直す。

 居間まで運び、窓の外を見遣った。

 いま少女は外敵と交戦中である。

 曇天の渦は、一箇所に拘って動かない。その直下に敵意の矛先があるのは言わずもがな。

 敵が何者であろうと。

 あの少女が秘めた強さには敵うまい。

 そこは確信があった。

 大陸を歩き回り、多くの猛者とときに肩を並べ、ときに鎬を削ったタガネの経験則から、あの少女は別格であると告げている。

 敵対は死も同断。

 触らぬ神に祟りなしとは、彼女のことだ。

「…………」

 だが、気懸かりがあった。

 別れ際に見せた、少女の横顔だ。

 心做しか不安と戦慄が綯い交ぜになった情念を、鉄仮面で無理やり抑え込んだような、見た者に不思議な痛々しさを感じさせる無表情だった。

 表面では分からず。

 だが、心に訴えかけるモノを感じさせる。

 まさか、少女が警戒する強敵なのか。

「俺には関係ないな」

 タガネは思考を打ち切る。

 少女とは、単なる契約中の関係なのだ。

 外敵の排除までは役目にないタガネにとって、それは本分を超えたことであり無用な労苦となる。

 冷淡にタガネはそう判断した。

 これで少女が死しても痛痒はない。

 その外敵に捕捉される前に遁走に出るのみ。

「…………やけに騒々しいな」

 ふと。

 窓の外の異常にタガネは眉を顰めた。

 広い庭園を囲うように木柵が設えてある。

 洋館を大きく余裕ができるように一周するそれの向こう側で、野犬たちが吠えていた。

 森は少女の支配下にある。

 そこに生きる生命でさえ、少女に逆らえない。

 なのに、彼らは吠えている。

 少女の住処と知りながら、臆することもない。

「…………」

 洋館には結界がある。

 中は安全だと少女が保障していた。

 村の様子からも、タガネはその言葉が信じられる物だと思っている。

 ただ、時機が悪かった。

 少女が見せた微かな違和感。

 野犬たちが見せる異常な反応。

 脳裏で小さな気懸かりだった種は、凶々しい脅威の到来を示すものとして芽吹きつつある。

「なんだかね」

 タガネは長剣を片手に立ち上がった。

 今日、自費で入手した物である。

 腰の剣帯につけて、玄関へと向かう。

 そのときには、既に遠くにあった野犬たちの声がより強く聞こえていた。

 扉を開けて、外に出る。

 まだ獣たちは柵から侵入していない。

 周囲を見回して、杞憂だったと安堵する。

 ――が。

「む、――そうもいかんか」

 正面の庭の出口。

 そこに奇妙な影が佇んでいた。

 既視感がある形だった。

 ただ、観察すれば細部には異なる部分が見受けられる。

 およそ半月以上前に剣を交えた敵。

 それに似た怪物が、そこに立っていた。

 基部となる胴体は人の物だが、そこから蜘蛛のような六肢が分岐している。複腕で体を支え、人を模した造形の顔がタガネを見ていた。

 精巧に造られた異貌の人形。

 タガネは前へと進み出る。

 人形もまた、六本の腕で歩行した。

 がちゃり。

 音を立てて、人形の背部が観音開きに展開く。

 内側から、新たに四本の剣を携えた腕が現れた。

「随分と凝った趣味だな」

『かちゃり、かちゃり』

 言葉は通じない。

 ただ、耳障りな駆動音が返答のようだった。

 タガネは長剣を革の鞘から引き抜く。

 彼我の距離は、約八歩ほど。

 足を止めたタガネの挙動を真似したように、人形もまたその場で停止した。

 ――結界をすり抜ける、どんな絡繰だ?

 タガネは疑問に眉根を寄せた。

 ただ、自分は門外漢。

 魔法について知識は深くないので、納得いく解答が導き出されるとも考え難い。

 ならば。

 まず思考は何を優先すべきか。

「なるほど」

『かたかたかたかた』

「俺を狙ってるな」

 直感で理解する。

 外敵を倒しに少女は別の場所へ赴いた。

 ならば不在の洋館を狙う意図など他にない。

 少女の品々を秘匿する館が無防備な瞬間を狙った襲撃かに思われるが、それならば人形ではなく本人が来るべきだ。

 物を奪うのは、貴重だと理解している証左。

 人形では丁重に扱うべき物を速やかに運び出す役割としては、いささか以上に不安がある。

 何より――あの背中から発達した武装。

 あれは戦闘を加味した絡繰である。

 屋敷に潜む戦力を想定した上での設計だろう。

「俺も眼中にあり、ってか」

『かたかたかた』

「あいつのに比べたら、随分と品が無い」

 記憶の中の人形と比べる。

 差し向けた者の意図が薄々と読み取れた。

 少女の人形を模した外敵の皮肉か、それとも競争の意が込められている。

 ただ。

 タガネの審美眼では、差は歴然としていた。

「不細工なこって」

 相手が人間なら侮辱も甚だしい発言。

 人形は剣を振り回している。

 タガネはちら、と改めて周囲を見た。

 獣たちが侵入する素振りは無い。

 恐らく、体に染み付いた圧倒的な上下関係に前に踏み出すことを本能が避けている。

 それも今考えれば不自然だ。

 普通ならば少女を恐れて彼らは洋館にすら近づかない。

 それがすぐそこまで来ている。

 ただ侵入せず、威嚇ばかり。

 これは――誰かを出さないための包囲網だ。

「――――」

 さらに。

 人形が結界をすり抜けて来た。

 そも結界が機能していないということだ。

 洋館は森の要、村のように『避ける』のではなく『拒む』結界を敷いている。

 それが現状、機能していない。

 つまり――少女の身に何かがあった。

「……………」

 タガネは背後の洋館を見やる。

 本来なら、逃げてもいい。

 賠償の件は有耶無耶となる上に、少女が敵に追い詰められた状態ならば、その機に乗じて森を出れば後は追われることもない。

 聞いた話では。

 少女はこの森を離れられない。

 人形の相手を正直にする必要性は皆無、野犬の包囲網さえ凌げば後の脱出は容易だ。

 だが、不思議と足は動かない。

 分かりきったことなのに。


『人は好きだけど、寄り添えもしないし……………先立つ彼らを見送るしかできない』


 なぜ、今この声を思い出すのか。

 タガネは無自覚に痛む胸に剣柄を強くにぎる。

 人に寄り添いたいという願望。

 タガネが昔に捨てた人としての弱さだ。

 人に寄り添うことは助けにもなるし、同時に裏切りという凄惨な傷を負う諸刃の剣。

 タガネはその危険性を知っている。

 だから、独りで生きようと決めた。

 身勝手な大人たちの思惑に左右され、命からがら生き延びた後には何も残らなかった。

 ただ。

 少女は前提から異なる。

 最初から人と共にはいられなかった。

 支え合いも、裏切りもない。

 まるで、味方を失ったばかりの過去の自分のようで――。

『がたんっ』

「っ!?」

 人形が六本の腕で地面を蹴った。

 咄嗟に身構えるが、それより速く人形の突進が炸裂する。左腕に激突した衝撃で、タガネの体は吹き飛ばされた。

 庭の草上に落下し、転がる。

 タガネは咳き込んで、苦悶した。

「く、あ…………!」

 呆けていた隙を突かれた。

 しばらく呼吸困難に堪えて、空を見る。

 この半月以上、戦いから離れて洋館で静かに過ごしていた日々が感覚を鈍らせていたのだ。

 それを痛感したとき、呼吸は整った。

 ぼんやりと庭を眺める。

 正面玄関の方はまだ掃除が澄んでいなかったな、と

 人形は接近している。

 タガネは起き上がって左腕を確認する。

 内側から焼け付くような痛みは、骨の異常を訴えていた。

「ちっ、折れやがった」

 タガネは嘆息する。

 一瞬の隙で命を刈り取られなかった。

 それだけでまだ僥倖だ。

 幸い、足や背骨、手は動く。

 最接近する人形に対して、タガネは改めて剣を構えた。

「来いよ」

『かたかたかたかたっ!』

 人形が再突進する。

 風を切って体躯が庭の草を馳せる。

 一足でもはや十歩分の距離を無に帰すその直進に、タガネも正面から走り出した。

 深く、深く息を吐く。

「ふ――――」

 よく、目を凝らす。

 人形の挙動の一切を把握する。

 タガネは地面を強く踏みしめた。

 両端が急速に動き出したことで、その距離は瞬きの間で大きく削れていく。

 接触へと繋がる、その地点。

 そこへ差し掛かる直前、タガネは跳躍した。

 前方へと全体重を乗せて体を擲つ。

 直進する人形の頭上を過ぎて、その背部へと突入する瞬間にタガネは剣を振るった。

 人形から発達した武装済の四本の腕。

 それが稼働する前に根本から切断される。

『がちゃり、がたがた』

「よ、っと」

 一瞬の交錯の後。

 場所を交換するようにすれ違った。

 転がりながら着地し、タガネは体勢を整える。

 人形との中間地点に取り残された腕が落ちた。

「次はこっちからだ」

 タガネが追撃を仕掛ける。

 人形はまだ急制動をかけた直後で、御しきれない慣性の力にまだ停止できていない。

 つまり、方向転換も難しかった。

 その隙を容赦なくタガネが狙う。

「アレの方がまだ手強かったぞ」

 やや落胆するかのように。

 タガネはそう嘯いて人形の六肢を斬った。

 移動手段を失って人形の胴体が惨めに転がる。それを踏み抑えて、頭部を柄頭で殴って破壊した。

 さらに胴体部分に剣先を叩き込む。

 がたり、と。

 一切の動作が停止した。

「…………さて」

 タガネは折れた左腕を見やる。

 それから野犬たちの包囲網を確認した。

「…………」

 今なら逃げられる。

 千載一遇の好機を手にしたタガネは――しかし、もう考えることをやめた。

 既に結論が出ている。

 人形を前に、すぐ逃げなかったのがその証だ。

「せめて、世話になった礼くらいにはな」

 タガネは森の彼方を見て舌打ちする。

 立ち塞がる野犬たち。

 彼らの包囲網に向かって、タガネは駆け出した。






 

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