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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
982/1102

小話「魔森の星」⑻

これは、超過する予感……………!



 タガネと別れて少女は空を滑空する。

 目指す地点は一つ。

 森はさながら少女の体そのもののごとく、全神経を張り巡らせた場所だった。侵入者がいれば、これを漏らさず的確に把握する。

 如何に巧妙に隠れようと、大地が少女を味方した。

 今まで外敵を見逃したことはない。

 上空で静止し、辺りを見回した。

 そして少女は気配の源をその目に捉える。

 また。

 外敵も少女を目視した。

「おや、至星の姫君」

『…………』

「お初にお目にかかれたこの身に余る光栄、恐悦至極に存じます。これがあの魔法という人類の研鑽において、最も貴いと呼ばれた至高の一族の末裔とは」

『あなたは』

「何と可憐、何と神々しい」

『…………』

 外敵はひとり感動に浸る。

 ローブ姿から紛れもなく素性は魔法使い。

 黒い総髪に白い膚をした男は、その傍らに別の人間を侍らせていた。

 そちらへと少女の瞳が吸い寄せられる。

『その、人は』

「ええ、道具です」

 魔法使いは嬉しそうに応答する。

 隣では、物言わぬ男――村で少女に告白していた人物だった。

 俯きがちな顔には意思や理性が無い。

 明らかに何かの術中に嵌められていた。

 ぎゅ、と少女は手元の花束を強く握る。

 それから魔法使いの男を鋭く睨めつけた。大気が鳴動し、木々が主の激しい憎悪を感じ取って男へと躙り寄る。

 魔法使いの男はふん、と鼻を鳴らした。

「さすがは『生ける魔法』」

『彼を解放しなさい』

「では、交換条件です…………貴女は私の物になって下さい」

『…………』

 隠しもせず。

 少女は露骨な嫌悪で瞳を染める。

 森に侵入する者の中には稀にいる手合だ。

 少女の存在とその魔法は、魔法使いの界隈でも魔法分野において権威とされる重鎮しか把握していない。

 だから。

 その中に少女の魔法を知って我が物にしたいと襲う輩も少なからずいる。

 一族は、代々そんな魔法使いも相手にした。

 今は、知る者が少ないので侵入者の数も少ない。

 だが。

 仮に世界が知れば、各国が少女を秘密裏に手に入れんとするだろう。

 それほどの唯一性の価値を秘めている。

『断れば、どうなる?』

「この人間と、村の人間が爆裂四散するだけです」

『ッ…………!』

「ほら、空の物も退かせて…………ほんの少し、私を手を繋ぐだけで事を済みますよ」

 魔法使いの男が微笑む。

 清々しいまでの、凶悪な脅迫だった。

 眼前に見えるものだけが人質ではない。

 つい二刻前まで少女を歓迎していた村人たちすべてが、犠牲になる。

 本来なら従うべきではない。

 万難を排してでも血と魔法は守らなくてはならないのだ。

 だが――。

『…………』

 少女は静かに地面に降り立つ。

 魔法使いの男の前へと進み出た。

 村人たちを守るなら。

 少女は身を捧げるしかない。

 被害は彼女一人で留まり、人質以外に有用性のない村人たちは早々に解放されるだろう。

 それを見越しての行動だった。

「賢明ですね」

『…………』

 魔法使いの男が指をぱちりと鳴らした。

 周囲の虚空が淡く明滅する。

 光を放った点から、一斉に魔力で編まれた鎖が射出された。少女の矮躯を、幾重にも雁字搦めにしていく。

 ぎり、と胴を寸断する勢いで体を締め付けた。

 少女の相貌がかすかな苦悶で歪む。

 魔法使いの男は、愉悦極まったかのように呵々大笑した。

「油断はなりませんね」

『…………!』

「貴女のことです。 手を合わせた瞬間、こちらが呑まれる可能性もある」

『そうね』

「その鎖は、とある催眠魔法の使い手に注文して手に入れた強力な呪縛です。体内の魔力を阻害し、且つ魔法行使の思考を制限する暗示が仕込んである」

『用意周到なこと』

「そうしなくては手に入らない」

 にやり、と敵の笑みが深まる。

「貴女がた一族は用心深い」

『そうね』

「本来なら森の奥から一切出ない、出る必要もない一族なのに…………貴女は森を出て積極的に人と関わるから、人質を取られてこの始末」

『…………』

「まだ子供ですから、寂しいですよねぇ」

 男は少女を鎖越しに抱きしめた。

「ご安心を。

 私ならばそうはさせない。貴女の心も魔法も、すべてに自由を与えます」

『…………』

「さあ、共に行きましょう!」

 下卑た誘い文句だった。

 ただ、少女には従うしかない。

 魔力を封じる鎖の力は本物だ。

 実際に、男へと攻撃を意図したときに思考からは自然と魔法だけが手段として挙がらない。

 魔法以外は非力な少女は、実質的に戦闘能力を失ったに等しい。

 それだけでも戦えない。

 加えて。

 男に指摘されたことのすべてが図星だった。

 本来なら、森を出る必要は無い。

 魔法具作りの材料や食料、生活必需品…………これらの物資は、一族にとって不要だった。

 何せ、魔法具の材料は己。

 他には何も要らない。

 そして、タガネには明かしていないが――肉体の加齢が止まると同時に、その体は道具になるための機能に染められ、一切の物を必要としない。

 何も要らず、何も求めず。

 強すぎる魔力ゆえに完全な肉体が完成する。

 人と関わることは無意味に等しい。

 だから。

『そうね、寂しかっただけね』

 呆れたように、自嘲的な言葉を口にする。

 悲しいことに。

 魔法を使えない、ただの人間へと落とし込まれた今だからこそ人間的な感傷に浸れる。

 現状は、この醜態はいわば身から出た錆。

 己の不覚が招いた罰であり、不幸ではない。

 諦めたように少女が脱力する。

 魔法使いの男が体を離した。

「では、早速行きましょう」

『…………』

「楽しみだ、私も魔法具の研究者でしてね。ずっとこの機を窺っていたのでしたが、人形が中々に手強いので」

『まさか』

「あの小僧が破壊してくれたのを見届けたので、今が好機だと」

 腑に落ちてホタルが小さく嘆息する。

 この男は入念に少女を観察していた。

 正面突破では倒せないからこそ、ひたすら相手が見せる隙を探したのだ。如何に強者といえど、弱い瞬間は必ず存在する。

 それは節目となり、勝機となり得た。

 奇しくも。

 二人にとって慮外の存在がそれを担った。

 人質を取れば倒せるが、人形による警護もさることながら少女が使役する魔法具たちの力では生半な搦め手も通用しない。

 タガネがすべての決定打になったのだ。

 だが。

 少女は彼を恨む気持ちは湧かなかった。

 まだ半月と少しの付き合い。

 それでも――。

「ああ、そうそう」

 不意に、魔法使いの男が動きを止めた。

 まるでいま思い出したかのように話し出す。

「あの少年ですが」

『…………タガネ?』

「彼なら、私が貴女の物を模して造った人形と、使い魔として従属させた獣数十体を仕向けたので生きていませんよ」

『――――!』

 少女は息を呑んだように固まる。

 見開かれた瞳は凍りついていた。

 どこまでも、少女やこの外敵(おとこ)との戦いに無関係なタガネが被るべき理不尽ではない。

 …………第一印象は、自身とやや似た人間。

 誰かが必要なのに、誰も求めていない。

 孤独に喘ぎながら、それでも人を拒絶する。

 誰かが必要で、誰も求めてはいけない。

 そんな自分とは、孤独だけが通っていた。

 少女は召使いと言いながら、タガネとの生活に様々な欲求を見出している。

 だが、彼には何もない。

 常に一人で完結している。

 その欲求を満たすなら、一人でもいいと。

 傷つくのを恐れている、誰よりも強くて臆病な人間だった。

『彼は、関係ないわ』

「いえ、ヤツが何処ぞに密告して敵が増えては野暮ですから。…………まあ、至星の遺産があればどんな敵も楽勝ですが」

 哄笑する魔法使いに憂いは無い。

 ただ少女を支配下に置いた時点であらゆることに勝利を確信している。

 少女は隣の男を見た。

 自分に花束を渡した男は、虚ろな瞳で歩いている。

 今の自分には、彼を救う力すらない。

『…………』

「ははは!これで私の研究はより高みへ――?」

 魔法使いは足を止める。

 それから、急速に顔を険しくさせた。

「なんだ、これは」

『…………』

「獣どもからの反応が消えていく…………?」

 魔法使いが顎に手を当てて黙考する。

 そのとき。

「ん?」

 辺りが音に満ちていく。

 葉擦れの音と野犬の吠声で騒々しくなる。

 次第に接近する鳴き声と、足音。

「一体なんだ」

 魔法使いが暗い樹間の薄闇を注視した直後だった。

 樹幹や藪から、血飛沫を上げる野犬たちが転がり出す。蒼々しい森を赤く染めんとする勢いで迸る流血と臓物に魔法使いが悲鳴を上げる。

 そして。






「――――見つけた」

 樹影から、声がした。

 草と野犬を蹴散らして魔法使いの面前に、剣を携えた凶影が飛びかかる。

 血塗れの闖入者の姿に、少女は目を見開いて唖然とするのだった。





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