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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
971/1102

小話「幸の山」⑩



 時が経ち、星狩り四年前。

 レギューム島の総括部はいつも忙しい。

 北大陸で相次ぐ問題への対応策で追われており、もはやその様相は戦争にすら近い緊迫感である。

 当然ながら。

 これを御すのは組織の長の務め。

 ベルソートは書斎で頭を抱えていた。

「ぬあああ!」

「うるさいっス、師匠」

 書机に突っ伏す老翁。

 それをミシェルは睥睨していた。

「ワシ困っとるの」

「呼び出した理由さっさと言えっス」

「冷たいのぅ」

 ベルソートがとほほと肩を落とす。

 ミシェルは極めて不機嫌だった。

 魔法学園生徒のローブを羽織り、その脇にたたんだ白衣を抱えている。目の下に滲んだ青黒い隈は、

 魔法研究の真っ最中。

 いよいよ作業が大詰めとなってきた頃に呼び出しを受けて気分は急転直下、もはやベルソートに向ける視線に温かみはない。

 あと一押しで刃傷沙汰になりうる鋭さ。

「それで、何スか」

「実はのぅ」

「…………」

「ヌシ、幻獣って知っとる?」

「あれっスか、昔は精霊とか言われてた魔獣以上に危険なのもあれば、神様みたいな力がある眉唾物な童話の生き物っスか」

「そんな感じの」

 概ね間違っていない認識。

 ベルソートはミシェルの回答に頷く。

 幻獣は最古の生命体である。

 女神のいた創世期から自然発生し、あるものは子を作って繁殖し、あるいは自然界の一部となっていく。

 今や世界には殆ど自然発生した例は無い。

 レギュームのみが関知している北の『願流島』に集うが大半で、彼らもまた緩やかな時の中で血を紡いでいくだけの生き物だ。

 だが。

 中には人目を避けて暮らすものもいる。

「つい最近じゃ」

「はあ」

「三十年前、くらいかのぅ」

「全然最近じゃないっス」

「これがベルソートギャグじゃ」

「それが何なのかは知らないんスけど、下らないこと抜かすだけなら記憶弄って蚯蚓にするっスよ」

「こわ」

 ベルソートが苦笑する。

 ミシェルの技量は師として把握していた。

 無論、人柄も承知している。

 …………やりかねない。

「ある島を脱走した幻獣がおった」

「へー」

「それは絶滅危惧種でのぅ、『魔法犬(ファリニシュ)』という」

「ファリニシュ?」

 最古の幻獣の一。

 正体を持たない怪物とされる。

 尾を振るうだけで嵐を起こし、人を食らう霧となり、吐瀉物が黄金になるという規格外な生物だった。

 その上、誇り高く知性もある。

 その起源は創世記初期。

 現代まで生き延びてはいたが、三十年ほど前に最後の一体が願流島を脱し、人里へと下りてしまった。

 人へと化けた魔犬は、一人の女性と恋に落ち、これを捕食した。

 ただし。

「食った女性は赤子を妊っとった」

「え、赤子ごと?」

「中でまだ成長途中じゃった赤子は、ファリニシュが吐き出したときに成熟しとったらしい」

「…………」

「レギュームが密かに監視し、その森に匿っとった」

「それで?」

「三十年前、人とファリニシュの混血が森に付けてた監視役を食らってしまってのぅ。何でも、監視役以外に森へと侵入した者と戦った痕跡もあるんじゃが」

「ふむ」

「逃げてしまったんじゃ」

「行方は?」

 ベルソートが地図を展げて一点を指差す。

 ミシェルは図面を見つめた。

「二月前にのぅ」

「はあ」

「ここで魔獣の大量発生があったんじゃが、何でも『魔獣を霧が食った』という目撃情報が」

「うわぉ」

「ミシェル」

 ベルソートが円な瞳で見上げる。

 ミシェルは嫌な予感に顔を引き攣らせた。

「捕獲、してきて?」

「ふざけんなっス―――――――――――!!」





 北大陸北部。

 戦争も少なく穏やかな土地の恩恵に肖ろうと、一人の旅人がその地を訪ねていた。

 涼風に銀髪を揺らして、タガネは長閑な農道を歩いている。

 任務帰りの弛緩した時間。

 あとは報酬を受け取って定住地探し。

 見当を付けた数ある候補で、何処に行くか。

 その一点に思考を傾けながら歩いている最中だった。

「もし、そこの君」

「うん?」

 誰何の声にタガネは振り返る。

 黒髪の青年がそこに立っていた。

 警戒心を抱かせない穏やかな笑みで接近する。その自然な歩調と態度に、普段は間合いに入った瞬間に剣に手が伸びるタガネすら初動が遅れた。

 それから。

「すん、すん」

「なっ――――」

 青年はタガネの体臭を嗅ぎ始める。

 突然のことにタガネも絶句した。

「うん、やっぱり」

「おい、何しやがる」

「…………む、歳上には敬語を使うのが常識だぞ」

「出会い頭に人の臭いを嗅いでくる非常識野郎に常識は説かれたくないね」

 青年はむぅ、と唸る。

「それで、人様の臭いを嗅いだ意図は?」

「ああ、いや」

「…………?」

「懐かしい臭いがして」

 青年はまた微笑んで真意の分からない言葉を口にする。

「君に似た人を知ってるんだ」

「…………」

「うん、似ている」

 青年は嬉しそうに頷く。

 タガネは顔を顰めて、そっと距離を置く。

「おまえさん、誰だい」

「俺はイグル、旅をしてるんだ」

「…………」

「む、常識的に考えて君が先に名乗るのが普通じゃないか?」

「今更か。…………タガネ、定住地探しの旅」

 イグルはその自己紹介に目を見開く。

「その歳で」

「悪いか?」

「いや、大変だな」

 他人事ではないような深刻な面持ちになる。

 タガネは奇妙な青年を前に当惑していた。

 警戒、に足る相手ではない。

 だが、懐かしい臭いに引かれたと言う青年の初手から今も、始終まったく読めない言動に翻弄されている。

 普段なら無視か凄んで会話を終わらせた。

 この青年には、それをする気すら起きない。

「旅は順調か?」

「生憎と捗々しくはないね」

「それは悲しいな」

「いっそ人のいない秘境に暮らすかね」

「諦めない方がいい。ヤケになって山籠りなんて考えるのはいけない」

「何で?」

「人はどうやっても一人で生きられないからだ」

「…………」

「これは常識だぞっ」

 イグルが胸を張って断言する。

 それは実際、タガネも理解していた。

 生きていれば否応無しに人間は一人ではいられないし、生きていけない。

 目指すは最低限の人間関係で成り立つ生活だ。

 だから。

 当然の常識なのに自信満々で語るイグルが尚のこと可怪しく見えた。

 タガネは呆れ半ばに笑う。

「でも賑々しいのは苦手でね」

「そうなのか」

「最低限で良いんだよ」

「む、それでは山の生活と同じだ。せっかく人がいるんだから、関わった方がいい」

「やけに知った口振りだな」

「昔の俺がそうだったからね」

「山に住んでたのか」

「ああ、三十年前まではね」

「…………!?」

 青年の容姿からは予想もつかない年数が口に出てタガネは瞠目する。

 この相手は、まるで正体がつかめない。

 それでも、警戒心が刺激されない。

「頑張るんだぞ」

「…………言われなくても」

「ヨゾラが見守ってるんだから、大丈夫だとは思うけど」

「…………?」

「――また会えて良かった」

「なに?」

 タガネは小首を傾げる。

 イグルが話している途中、隣を通った馬車の車輪の音で声が掻き消された。

 満足したのか。

 イグルは満面の笑みで手を振る。

「呼び止めて悪かったね。俺もそろそろ行かなきゃ」

「は、はあ」

「君の旅に幸運があることを祈るよ」

「どうも」

 タガネは軽く頭を下げて、彼に背を向けて歩き出す。

 その際、ふと足下を見て顔をしかめる。

 そんなタガネの様子も知らず、イグルは歩んでいく。

 タガネは歩きながらうん、と唸った。

「狐狸にでも化かされたか?」

 タガネは自身の目を疑う。

 取るに足らない、一瞬の錯覚だ。疲れの所為だと、誤魔化すことにする。

「随分と薄い影だな」

 会釈でわずかに下を向いた視界。

 日に照らされて映し出された二人の輪郭は、同じヒトの形をしていて。

 けれど、片方は今にも消えそうなほど薄かった。

 ただ。

 その在り方は消えゆくものではない。

 これから色濃く、強くなっていく前途を直感させる気配があった。

「怪態なこって」

 幽かな違和感を残して。

 ただタガネは振り返ることはせず進む。

 縁があればいずれ会うだろう。

 彼が一人で生きようとしない限り、タガネが行き詰まってヤケを起こさない限り。

 人として、生きている限り。






ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。


この後、ミシェルによってシメられる予定なのは別のお話です。。


皆既月食見ました。

次は半世紀以上後とあってか、家から出て見る人が多かったですね。帰り道に見た派ですが、綺麗でした。

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