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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
966/1102

小話「幸の山」⑤



 二人で生活して五日が経過した。

 夜中に小屋の戸が開く。

「帰ったよ」

「おかえりなさい」

「む」

「…………」

「ただい、ま?」

「よくできました」

 帰宅したイグルをヨゾラが迎える。

 拙い挨拶を返すイグルに彼女は微笑んだ。

 新たな常識――外出時の出発と帰着の際の挨拶を行うこととなった。

 イグルには、やはり無駄に思える。

 挨拶に何の意味があるのか。

 必要性は感じない。

 だが、挨拶を交わした際に胸に宿る温かいものを抱く。また正体の分からない物を知ることとなり、ますます疑問は募るばかりだった。

 ただヨゾラに訊こうとは思わない。

 いずれ一人になれば感じなくなる。

「山はどうだった?」

「いつもと変わらないない」

 イグルが端的に様子を伝える。

 夜目が利くイグルは、この夜間でも問題なく山中で行動できる。ただ夜山が危険であることは承知しているので、不用意に出かけることは今まで控えていた。

 だが、今回は事情が異なる。

「魔獣は移動していない」

「そうなの?」

「群れてはいないが、一箇所に留まって獣を仕留めるでもなく待機している」

「そうなのね」

 イグルは俯いた顔を顰めさせる。

 ヨゾラが下から表情を覗き込んだ。

「どうしたの?」

「あれが魔獣なら、変だ」

「変って?」

「人を襲う連中が、どうして人のいない山にいつまでも留まっているんだ」

「大抵はそうなの」

「…………?」

「人しか襲わない分、人に警戒もするから不用意には動かないわ」

「でも、何だか」

 イグルはそれでも違和感が拭いきれない。

 あの魔獣の姿勢に既視感があった。

 日頃から見る獣と同じ。

 あれは、まるで何かを待っているようだ。獲物が隠れ蓑から飛び出す瞬間まで、己の衝動と戦っている奇妙な緊張感がある。

 魔獣からは、それが感じられた。

「イグル」

「む」

「怖い顔してるわ」

「俺は魔獣じゃないぞ」

「ふふ、違うって」

 その冗談にヨゾラが笑い出す。

 イグルはそれを見て安心した。

「正直、安全な路がない」

「そっか」

「やはり人が整えた道を進む方が――いや、そこも危険なのか」

「多分、待ち構えてるわ」

 ヨゾラの敵は魔獣だけではない。

 通れる道は限られている。

 なお、食事は摂っているがヨゾラの体力の回復は遅々としている。イグルが通れても、彼女の体が堪えられる険しさを見極めなくてはならない。

 今のところ。

 その道は無いにも等しかった。

「明日は雪が降るかも」

「そうなの?」

「風や雲の流れ方から判るんだ」

「凄いのね、イグルは」

「山での常識だ」

 胸を張ることもなく。

 イグルは事も無げに言った。

 一見無害そうな少年だが、家に備えられた肉の保存量を見ると狩りの腕が抜群であることは素人のヨゾラですら容易に読み取れた。

 山に精通した者としての実力。

 ヨゾラは彼が危険だと判断したなら正しいと信じることにした。

「ところで、ヨゾラ」

「なに」

「いつまでに山を抜けたい?」

「時間が許すならいつでもよ」

「特に期限はないのか」

「ええ」

「ふむ」

「ただ、あなたの負担になる前に出たいわ」

「そうか」

 イグルは備蓄の量と照合して考える。

 ヨゾラは少食だった。

 一人増えても冬の間に不都合は無い。不祥事が無ければ、恙無く二人で冬は越せるだろう。

 負担にはなる。

 ただ。

「ヨゾラがいたいだけいれば良い」

「…………」

「俺は気にしないから」

 ヨゾラがまた真顔になる。

 視線は、イグルの底を探るように鋭い。

「わたしが心配だから?」

「うん」

「他に、何か思ってることはある?」

「他に?」

 ヨゾラの問にイグルは小さく唸る。

「楽しい、とか」

「楽しい?」

「ずっと一人で暮らしていたから、二人というのが新鮮なんだ。この『おかえり』と『ただいま』は必要なのか疑問に思うけれど、誰かと取る食事はとても美味しい」

「…………」

 ヨゾラは憮然とする。

 好意というのが最も嫌いだった。

 故国でも、自分への盲目的な愛ゆえに人が歪んでいく様に堪えきれず、ヨゾラはいつか未来にすべて変える『タガネ』に繋がる修羅の道を歩むことを決意した。

 自分の人生が報われるかは分からない。

 ただ。

 愛されることに疲れた。

 だから、恐ろしい。

 この少年すら、ヨゾラによって歪んでしまうことを危惧していた。

「イグルは…………」

「ん?」

「わたしのこと好き?」

 直截的に尋ねる。

 イグルはきょとんとした。

「分からない」

「…………」

「好きも嫌いも、無駄なことだから」

「無駄」

「だから、俺には分からない」

 彼らしい回答だった。

 ヨゾラはふ、と思わず相好を崩す。

「でも二人になったから無駄じゃないの」

「そうなのか」

「相手ができれば好き嫌いもできる」

「…………二人、か」

 イグルは小首を傾げる。

「父君のことは好きだった?」

「…………」

 イグルの表情が目に見えて沈む。

 口を噤み、視線は足下へと落とされた。

 触れてはならない部分。

 ヨゾラは相手の奥底に触れたことに気づき、応えたくない彼の意思を読み取って視線を逸らす。

「じゃあ、好きな物」

「好きな物?」

「うん、これから探しましょう」

「必要あるのか?」

「人として必要だよ」

「人として…………」

 イグルがまた神妙な顔で固まる。

 ヨゾラの手がその頬に触れた。

「イグル?」

「昔…………俺は最低限は人として生活しろと父に言われた」

「……………」

「それ以上は望むな、とも」

「なぜ」

 ヨゾラの声に曖昧な視線だけ返してイグルは部屋の中央へ向かう。

 囲炉裏には土器が一つ据えられている。

 その中で煮て解した肉の具合を見た。

「ヨゾラが作ったのかい?」

「ええ」

「じゃあ、二人で食べよう」

 イグルの声にヨゾラは頷く。

 問うた声に返答は無いまま、だが食卓は二人だけでも賑々しかった。

 寒空の下の小屋に二つの声が響く。

 部屋の中央の囲炉裏で炊いた火が揺れるたび、一つの影が大きく踊った。







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